蠍調伏
自慢の毒針が敵の腹を抉る。なぜか向こうから突っ込んできた形だが、ブレフトはその望み通りに敵の肉体へと毒液を流し込んでやった。
針へと飛び込んできた際の速さは、戦闘に長けるブレフトですら驚嘆するものだった。念には念を入れようと、トドメを刺しておきたかったのだ。
……あるいは、あまりに気味の悪い行動だったため、さっさと殺してしまいたかったのか……
そして、その一連の動作が機械的に行われたことこそブレフトの動揺を物語っていた。
これほどの速さで動ける敵が自分に向かってきたならば……ブレフトはそこで命を散らしていた。多くの民衆を道連れにするのが精々だったはず。しかし、敵が死ぬ必要など無かったはずだ。
大人しくして後続を待つも良し。真っ当な戦いをするでも良し。いや、あの速さならばあるいは……毒針を破壊することもできたかもしれない。理解できない行動に漂白していく蠍毒星の思考は、流れながら落ち着きを取り戻そうとしていた。
あるはずの無い声を聞くまでは。
「なるほど……ひどいものだ。蠍の星に偽りなし……ここまで気分が悪いのは何年ぶりだろうな? 水蝕神の吐息を吸った時がこんな感じだった……となると、五年ほど前か?」
「お前は……一体……」
一つの都市を守り続けた男が絶句している。なんだこれは、と。
毒が効かないというならそういう能力なのだと納得もしよう。だが目の前にいる男の様子を見れば、鳥肌が立つ。
「俺の毒に侵されて、なぜ動ける? いや、それだけでは……」
目の焦点は定まらず、あらゆる方向へとぐるぐると回転している。だというのに、こちらを補足して隙がない。
唇が振動機のように震え、黄色い泡を撒き散らしながら吐瀉物を垂れ流している。だというのに、普通に会話が成立している。
子鹿のように震える手は万力のような力で、蠍の尾を掴み全く動かせないようにしている。
つまり効いているのに、効いていない。耐性を持っているわけでもない。毒が回った状態で普通に動いているのだ。そのおぞましさは、実際に目で見た者にしか分からないだろう。
「お前は一体……?」
「そういえばアンタには言っていなかったか。ならば、名乗ろう。俺はカイ。コードネームは神人試作型。使用する〈英雄特性〉は〈最善〉。火を食らうために生きる男だ」
「まさか、まさかまさか! 嘘だ! こんな場所にトップテンが来るはずがあるわけがない!」
カイ、一部の者しか知らぬ名とされている。しかし偶然耳にする機会があった者なら知っている可能性はあった。それはストリームを戦い抜いた者達。それが示すは〈英雄〉、〈竜殺し〉、そして……〈最強の10人〉。
付けられる英雄の登録数字は、競争意識を煽るために実力で更新されることがある。だが……その十人はトップテンに君臨し続けている。あらゆる〈英雄〉すら凡百に落ちるほどの怪物を討ち果たした者たちに相応しい席はそこしか無い。
ブレフトは思う。もしこいつの素性が本物で、このような能力があるとしたら該当する〈英雄〉はただ一人。怪物の巣で常に先槍を務め、暴竜の炎にすら耐えきり、仲間を守った男。
「英雄序列……ナンバー4……カイチ……」
「少し情報が古いな。今季はナンバー3になっている」
ブレフトは呆然としている中でも油断などしていなかった。だからこそ、その痛みに気付いてしまった。一瞬で蠍の尾は回転させられて、千切れていた。垂れた液が床に触れると、煙とともに建材がぐずぐずと溶けていく。
それを興味深そうにカイは眺めながら、腹から針を引き抜く。人に付いているだけあってもはやナイフかナタほどに大きい。
「無機物にも効果があるのか。我々の異能力は本当に訳が分からないが……良い〈英雄特性〉だ。失わせるわけにはいかないな。かといって住人を犠牲にするのはあり得ない。困ったが……俺と戦い続けてみるか?」
「なにを……」
言っているのか。毒蠍は続けようとした言葉を飲み込んだ。
彼自身、中央のデータベースは見たことがある。そして、伝聞でも聞いたことがある。〈最善〉がその通りの能力ならば勝ち目など無い。
それは常にベストコンディションを維持するなどという段階を超え、常に最大値を叩き出す能力。地味なように聞こえるが、〈英雄〉であるため身体能力は自然治癒も含めて劇的に上昇しており、完全に消滅させない限り死なない。
蠍毒星が対人に優れるのは、最小限の攻撃で敵を殺せるという点にある。確かにその点においてはブレフトはカイの上を行くだろう。だが決して倒せはしないのだ。
ジークフリートは倒れない。そして、それを可能にする邪竜すらも打倒している。かつての大戦において撃破ではさして活躍が目立たなかった理由は、カイが生きた盾としてサポートし続けたからだ。
古来、怪物は英雄が倒し、英雄は人が倒す。そのセオリーが全く通じないのがカイの恐ろしさだ。英雄が持つ生命力の高さが常に最大値で固定され、古今の英雄が苦しむ毒を食らっても生き続けるのだ。
擬似的な不死身を前に、ブレフトはどうするか? 蠍毒星は肉体が変異した能力であるため、ねじり切られた尾自体はいずれ治る。だが、この戦闘中に再生することはない。
逆転の可能性はゼロ。それでもなお戦うか?
ブレフトは気が付けば両膝を付いて、上半身だけが真っ直という全てを失ったような姿勢になっていた。己は何をしたかったのか。そう……反乱が成功するはずなどないことはブレフトにも最初から分かっていた。
だからこれは単に我慢ができなかっただけの話。なぜ強者が奴隷にならなくてはならないのかという、履き違えた疑問を持つ賛同者達と集まりたかっただけの子どもだ。本当に奴隷ならば選択権など無いはずという事実を無視して八つ当たりに走ったのだ。
そして、当たり前のように蹴散らされて子どもの砂遊びは終了した。
「俺の……」
「戦い続ける気が無いのならそれでよし。折衷案といこう」
敗北だ。そう告げようとした言葉は真なる英雄に縫い留められた。不条理はこれから始まるのだと、ジークフリートの目が言っている。逃げることなど許されない。敗者よ勝者に従え。
「お前たちをセントラルへと移送する。影追人、そして蠍毒星。俺たちの戦いに従うのなら、俺の権限でお前たちにある程度の特赦を与えよう」
「……断ったら?」
「わざわざ聞くことか?」
特赦で記憶消去からの走狗化か。もしくは普通に名誉な死を与えられるか。そんなところだろう。
ぼうっとしている内にけたたましい風切り音と、風圧がブレフトに降りかかる。
セントラルのマークが入った超大型ヘリコプター。カイがあらかじめ発した信号を受信して、駆けつけていた機体が事態の収拾と共に着陸にかかったのだ。
それを見たであろう民衆から歓呼の声とブレフトとアニカに対する怨嗟の声が同時にあがる。その声は当然だ。だが、ブレフトはまだ納得していなかった。
罵倒の嵐によって強固になった、ブレフトの返事は風切り音にかき消された。
だが、着地した巨体へと向かう男に一組の男女とエルフが同行したことだけは確かだった。
・ブレフト・ソーメルス
英雄登録ナンバー164
保有する〈英雄特性〉は〈猛毒〉。
サソリの尾に類似した特殊器官から毒液を発する。
また、皮膚に甲殻類のような堅殻が混ざっており、防御にも長ける。
珍しい形態変化を伴う常時発動型能力。
欠点としては人類が培ってきた格闘技術が適用できないこと。
身体強化度 B
攻撃力 C
防御力 B
機動力 D
爆発力 D
維持力 AA
特殊性 B




