蠍の一刺し
古風だがどこか可愛らしい街並みを下にしながら、カイが跳躍を続ける。
かつての街を再現しようとしたのだろう。元々旧時代からミニチュアのよう、と評されていた街に愛着があった者が多かったのだろう。
ただし街の中央にある庁舎郡だけは別だ。移動式シェルターは機能を構築し終えてから、街を作る。規格を統一して整備や補修を行いやすくするために、雛形は全て同じ構造をしていた。
よって、中央部分だけは周囲の印象を裏切るように近代的建造物となっている。
多くのシェルターを訪れる者や仕組みを知る者にとっては、どこが何のための施設かは一見しただけで分かる。
この都市を掌握している存在が水質管理施設にいることをカイはほとんど確信している。そのため進む方向に迷いが無い。
空を飛ぶように超越者が行く。街の景色、そこに住まう人々に思いを馳せる余裕など無いまま、それでも彼らを守るため。
それだけがカイが戦う理由だった。その歪さをいずれは後悔することになると知りながら、止まれない。
そもそもカイにはそれ以外の理由で戦うということが理解できないから……仕方もない。“彼女”の後を一時的に引き継いだカイにしか知り得ない事情だ。
小さくとも街の端から中央まで……八本足のごとき俊敏さで到達し、その勢いのままに蹴り込んだ。
街の中枢区画に有り、生活に必須である施設の壁は戦車砲すら防ぐ耐久力を持たされていたが、それをふすまに過ぎないかのように蹴り破り……カイは突撃姿勢から無理矢理のけぞった。
一瞬前まで自分の首があった箇所を通り抜ける殺意。異能によって獲得した超絶の動体視力がその正体を看破して脳に伝えるが、理解に至るまで一瞬の間があった。
「……今のを避けるとは」
殺意の繰り手が呟く。くすんだ金の髪を短く刈り上げた細身の男。いかにも神経質そうで、精神的に過敏な性質のように見える。
その正確が現れてか、今のカイが見せた反応はあり得ないことに早くも気付いていた。その思いをこめて、警戒と驚嘆を見せている。だが、それはカイも同じだった。理由は相手の武器にある。
「尻尾……だと?」
敵の背。腰の下にある尾てい骨と思われる部位から、本来人間には無いはずの器官が生えている。
節足動物の甲殻に覆われたそれはまさしくサソリのそれだ。ゆえに本来は尾ではなく終体と呼ばれる部位なのだろうが……その部分はどうでもいい。
問題は先端にある。剣に近い形状と輝きを見せる針。それ自体が刃物としても申し分ないだろうが……サソリといえば、誰しもアレを警戒するだろう。
「毒か……それを使ってライフラインを抑えていたのか」
「まぁな。いきなりの襲撃……お前は外から来たな。アニカはどうした?」
「眠らせた」
互いににらみ合う。敵のサソリ男からすれば、同胞であるアニカを倒した男が今は目の前にいるのだ。警戒しないはずもない。そしてカイは戦闘能力に限って言えば、そのアニカよりこの男が上だと判断したため相手の出方を待つ。
……というわけにも行かない。相手が毒を持っている以上、そこらのパイプに流し込まれるのは絶対に避けるべきだ。
そして、相手も人質というカードを切ることは中々できない。やってしまえば最後、単純な大量殺戮者へと落ちて駆除されるだろう。
カイの携帯端末が青の文字盤と共に解析結果を表示する。
「ナミュール・シェルター所属。ブレフト・ソーメルス。コードネームは蠍毒星……保有する〈英雄特性〉は〈猛毒〉、サソリに類似した特殊器官から毒液を発する……か」
「へぇ……便利だな。良いねぇ〈中央〉所属は」
能力によって外見が変化した……非常に珍しいタイプの〈英雄〉だ。
珍しいだけでなく、単純に見ても厄介だ。カイの手足が4本なのに対して相手は5本あるのだから、文字通り一手多いことになる。
それに加えて……“毒液を発する”。あくまでサソリに似ているだけで、実際には完全に別物なのだ。ここで言う毒も〈英雄特性〉によって作られた幻想の毒であるため、携行型メディカルキットの解毒剤などは効果が無い。
情報が手に入った以上は、カイがやることは決まっていた。接近戦。それも超が付く密着状態での戦闘だ。
一瞬で近づき殴打の嵐を見舞う。一瞬で10を超える打ち合いが発生し、カイが殴り抜けた回数は半分にも及ぶ。ブレフトの側からの攻撃は一度も成功していないが、尻尾を用いた変則的な奇襲が非常に厄介だった。
カイは瞬殺できなかったことに舌打ちしながら、敵の力を把握していく。
「こいつ……肉体の強化度が高い……!」
「はっ! 〈英雄〉の硬さに加えて、キチン質が表皮にも多いんだとさ!」
近接戦闘技術は圧倒的にカイの方が上である。しかし、全ての攻撃が変則的という長所が、ブレフトの自暴自棄めいた前進によって機能していない。理合を捨てさった者にとっては、ただ強力なだけだ。
しかし当然に限界は訪れる。要は我慢しているに過ぎない。ゆえにカイにとっては容易い敵に成り下がる瞬間、蠍毒星の尾が巻き戻りがてらに蒸気パイプを傷つけて、吹き出す蒸気でカイに一瞬の隙をこじ開けた。
「動くなよ。あんたは強い。とても勝てそうに無い……ならばこうするだけさ」
毒針を相対する〈英雄〉ではなく、手近なパイプに突きつける。一瞬がカイの失策に繋がってしまうのか。
ブレフトは人質という盾を持っている。直接的な戦闘能力がどれほどあるかなど関係ない。こうやって脅しつつ、残りの四肢で相手を叩きのめせばいいだけだ。
それにしても恐ろしいのはブレフトの切り替えの早さだった。ある程度対抗できた相手に対して、自身が絶対に負けると予想して態度をあっさりと切り替える。
それは本来ならば苦渋の決断のはずだが、ブレフトにはそうでもないらしい。
そんな心を持ちながら、なぜ反乱を企んでしまったのか……
「俺の毒は、俺自身でも仕組みが分からん。学者さん達も分からないそうだ。分かっていることは一つ。俺の毒をどこからか摂取すれば、苦しんで死ぬということだけだ」
「……そして俺が動けば、それをこの街に巡らせてやる、と。了解した。だが……聞きたいことがある。なぜこんなことを?」
「なぜ? は、そんなことを聞かれるとは思わなかった。なぜもクソも、この俺が何だって劣等種を守って一生を終えなければならない? こっちが聞きたいくらいだ」
「ああ、そういう思想か」
〈英雄〉を人間の内に数えない。〈英雄〉達自身にも、そして一般の人々も抱きやすい思想だ。概して前者は己等を超越者としてとらえ、後者は怪物として扱う。
ブレフトは外見からして人間とは違う部分がある。負の感情を溜め込みやすい環境にあったことは想像できる。そして、その発散として己を人間の上位存在と考えることで自己を守ったのだろう。
さて……ここから打てる手はあるだろうか?
ケレを待つか……? 一番分かりやすいが、ブレフトが銃弾を恐れなければ無意味だ。
ここは退くか? 複数の〈英雄〉なら問題なく対処できるし、技術者によって流された毒を隔離なりすることができるだろうが……ブレフトは理性的であるように見えて、その内面は破綻している可能性が大きい。応援が来るまでにどんなことが起こるか予測ができない。
「となれば……まぁこうするしかないか」
カイは観念したような表情をしながら、その顔とは裏腹に一歩踏み出した。
「動くなと……」
言ったはずだ。そう続こうとした口はそれ以上続けられなかった。
カイが凄まじい速度で動いたのだ。
ならばお望み通り、シェルターの人間に苦痛を味わってもらおう。しかし、その目論見さえ止まった。
ブレフトは先にカイが戦ったアニカよりも戦闘能力が高い。カイの動きもぎりぎりだが見えていた。だからこそ咄嗟に理解できなかった。
……こいつは何を考えて、こんなことを?
カイはパイプと毒針の間に割って入り、腹を刺されていた。目先の驚異が勝手に自滅する様子を見て、ブレフトはそれ以上毒針を突き刺そうとはしなかった。




