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いいですか、絶対にちゃんと寝てくださいよ。
しつこいくらい、わたしに言い聞かせて帰っていった透くんが戻ってきたのは、三十分くらい経ってからのことだった。
メモを見ているつもりが、すぐ直せそうな万道具があることに気が付いてしまい、ちょっといじっていたわたしは、慌ててその万道具をカウンター下に隠す。
「ど、どうしたの?」
わたしはなるべく平静を装って、透くんに声をかける。……セーフ、多分気が付いていない。
今だ店から動いていないわたしに、透くんは怒っている様子がない。――ふと、違和感に気が付く。
……なんか、髪、濡れてる?
服はそこまでびしょびしょというわけではない。髪が濡れているから、肩のところは少し布の色が変わっているけれど、それだって髪から滴った雫で湿っているだけだろう。
「――……店長」
少しバツが悪そうな表情で、透くんがわたしのことを呼んだ。
「その――……、ちゃんと休んで欲しいって言った手前、申し訳ないんですけど、その、助けてください」
そう言って、透くんは手にしていたものをわたしに見せた。
なにかのコックのような――……。
「――……湯浴炉、壊れたの?」
見覚えのあるコックに、わたしは思わず聞いた。湯浴炉、とは、お風呂を沸かす万道具のことである。この世界では、科学技術はほとんど発展しておらず、その全ての役割を万道具が担っているので、こんなところでも万道具が使われる。
「その……水が止まらなくて。何か修理する道具を貸してもらえませんか」
「えっ、水が止まらないって……今も?」
思わずわたしは聞き返してしまった。うなずく透くん。なるほど、だから髪が濡れてるのか……。
この時間帯だと、修理業者を呼ぶのも大変だし、お金も時間もかかる。それなら、近所にいるわたしに道具を借りた方がいい、ということか。
すっかり透くんが万道具を作ったり修理したりするところを見なくなってしまったが、祖父が存命の頃は、彼もまた、祖父から教えを受けていたはずだ。というか、祖父が教える前から妙に手つきが良かったし、元々万道具は作っていたのだと思う。
何故、彼が万道具を作らなくなってしまったのかは知らないけど。
……あれ、透くんがうちに来るようになって、わたしと一緒に祖父から万道具の手ほどきを受けるようになったのって、いつからだっけ?
気が付いたらわたし一人じゃなくて、透くんがいたような気がする。初めましてと挨拶したのがいつだったか、正確に思い出すことができない。
……前世のことは思い出せるのに。
昔のことは思い出せるのに、最近のことは思い出せないって、それって認知症……い、いや、そんなことないって! 気のせい、気のせい。
「いいよ、わたしが直してあげる」
考えたくないことを頭の片隅に追いやって、わたしは透くんに声をかけた。
「い、いや、そんなつもりじゃなくて……」
「湯浴炉、高いんだから下手に触って壊すと買い替え大変だよ?」
慌てる透くんに、わたしは諭す。壊れ方にもよるが、最悪、浴室を改装しないといけなくなる、みたいなことも十分に考えられる。
透くんもそれが分かっているのだろう。なんだかすごく葛藤していたけれど、最終的には「お願いします……」と小さな声で言ってきた。
「了解! すぐ直しちゃうから、安心してね」
わたしはそう言って、修理に必要な道具をいくつか見繕い、店を出た。
――あれ、そういえば、透くんの家の場所は知っているけれど、彼の家に行くのって、初めてかも。




