真面目なあの子の裏の顔
薄暗い空の下、呼び出されて行った裏庭で、彼女は言った。『それならいいんだ』って。
あのときだった。初めて話したのは。
*
雨の降る放課後。
地面に咲いた傘の群れを、教室から見下ろした。
一人、二人と生徒が帰っていく中で、僕は独り。
誰も居ない教室で静かに本を読んでいると、後ろの方から視線を感じて
振り返ってみると誰もいなかったけれど、遠くを歩く足音は聞こえたような気がした。
中盤に差し掛かった頃、外を見ると小降りだった雨も時間を追うごとに雨足が強まっていて
───そろそろ帰るか。
僕は昇降口へと向かい、ポンと傘を開いた。
そして帰路に着く、その途中で
僕は、見てはいけないものをみた。
降りしきる雨の中
何のためらいもなく斬られた首に
崩れるようにして倒れた身体。
地面に血だまりを広げていくそれを
───あぁ…やばい。
逸らすことなく、みてしまった。
物々しい雰囲気に包まれているその光景は
いわゆる、殺人現場…の瞬間、というものだった。
そして前方にいる何者かは、レインコートに帽子を目深にかぶっている。
──…最悪だ。
それにここは、学校から出て少し歩けば田舎道。
そしてこの雨。
そいつと僕の二人きり。
あまりの出来事に足が竦んで、思うように動かないけれど。早くこの場から逃げないとッて 、震えながらも気づかれないように後ずさった。すると、
そいつはこちらを。僕をみた。
「───ッ」 うそ、だろ…。
殺人鬼を前にして、恐ろしさのあまり身動きができなくなる。
「あ、ぅ…ッは、」
───ど、どう…し よぅッ…!どうすれば…ッッ
口から漏れるのは助けを求める声ではなくて、空気を食む音だけだった。
そして怯えている僕なんて気にするはずもなく
ゆったりとした足どりで、こちらに近づいてくる。
ポタリポタリと滴る赤い液体は、僕に向かって伸びてきていた。
「……あ、あ ぁァ…ッッ!!」
『─…もうダメだ、殺られるッ』そう思ったときには
ガタガタと震える体に鞭打って、逃げ出すように。
傘は投げ棄て、足がもつれそうになりながらも
無我夢中で駆け出していた。
****
数日後、その遺体は発見されてニュースになっていた。
犯人はまだ捕まっていないという。
学校付近やそこら近辺では、事情聴取やらなんやらあって、騒がしい日が続いていた。
そしてそれは僕にも回ってきて
……本当は、言った方がいいんだろうけど。
あの日ことを早く忘れたくて
関わりたくなかったから…。
「………知らないです」
誰にも言わず、一人黙っていた。
それから次の日ぐらい。
呼び出されたのは放課後。帰ろうとした矢先のことだった。
高校に入って二年間同じクラスの黒木さん。
普段から大人しくて、教室の隅で読書をしているような。物静かな子。
人と関わるのが苦手そうな雰囲気とか。仕草とか。
少しだけ僕と似ているかなって、思ったけど。
話したこともなかったし、親しかった訳でもなかったから。なんだろう?って不思議に思ったんだ。
「ごめんね、急に呼び出して」
「あぁ、いや。別に…」
初めて呼び出されて行った裏庭は、あまり手入れのされていない、少し廃れたような空間だった。
薄暗い空の下、湿った空気が流れる。
正直、呼び出される理由が分からないんだよな。
……なんだろう。告白、だったりして。
いろんな意味でドキドキしていると、言うに事欠いて
あの話し。
「何日か前に、この近くで殺人事件があった…でしょ?八代くんの家って、その現場の近くだし……。大丈夫かな、って…」と。
少し緊張気味に話す彼女は、僕を心配してくれているようだった。でも
───よりによって……。
自分の考えが外れた恥ずかしさもあったけれど、
聞こえない程度に 細く息を吐くと
「まぁ…ね。いろいろ聞かれたけど、大丈夫だよ。けどそのせいでちょっと、疲れてるかもしれない…」
はは…と力なく笑ってみせた。
早くこの場から立ち去りたい。その話はしたくない。そんな意味も含めて。
「そう、だよね。事情聴取って、大変だもんね……。それになんか、その……不審な人 とかは、見かけたりしたの…?」
「………いや、別に。何もなかったよ」
そう言って無難であろう返事をする。
すると何かに納得する彼女は、最後に
「それならいいんだ。良かった、八代くんが無事で」
と、ホッと胸を撫で下ろすと、優しく微笑んだ。
「なにか変な事とか…気になることとかあったら、遠慮なく言ってね。私なんかでよければ、力になるから…」
そう付け加えると「じゃあ またね」と言って
この場を去っていった。
「───…気を、つかってくれた…のかな?」
わざわざ裏庭に呼び出すくらいだから何事かと思ったけれど。内容的にあまり人前で話したいことではなかったし。
それに去り際の言葉といい、彼女なりに気をつかってくれたのかもしれない。
そう思うと、彼女の優しさに触れることができたと
なんだか少し、嬉しい気持ちになった。
ぽつりぽつりと降り始めた空の下、校門を出た彼女は呟いた。
「……本当に良かった。八代くんは無事で」
ふふっと嗤う 彼女の手には
きらりと光るカミソリと
あの日の傘が、握られていた。
──…二人だけの、秘密だよ。