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お嬢様のペットはドラゴン  作者: ミナモト
19/38

18 魔王の義姉はスパルタ (サディアス視点)


 ずっと、光のない暗闇の中にいた。出口は見えず、いつの間にかそこにいることに慣れていった。


 物心ついた頃には、俺にはもう母親はいなかった。どうやら、俺を産んだ時に魔力が尽きて病気になり、そのまま……ということだったらしい。

 父親は、まだ言葉もろくに話せない俺を、いつも遠くから怯えた表情で見ていた。父親の親族達も同じだった。

 誰かに話しかけられることは滅多になかったし、構って欲しくてこちらから話しかけても、避けられ逃げられるだけだった。いつしか、俺も無駄なことだと悟り、なにも話さなくなった。誰かのそばにも行こうとせずに、一人でボンヤリと積み木を立てたり倒したりし続けていた。

 たまに、無性になにかを壊したくなる。自分の中で、知らない誰かが無茶苦茶に暴れ回っているように……。その衝動を抑えられず、壁に積み木を投げつけると、これでは足りない、まだ足りないと、もっと壊したいという欲が湧いてくる。

 なにもかも全部壊してしまいたい。

 体が熱くなり、自分の物ではない力が全身を侵食し、限界まで膨れ上がり行き場のなくなったそれが、体の外へ勝手に吹き出す。

 近くの積み木が燃えて、一瞬で灰になる。積み木どころか床も灰になっている。部屋中が黒い炎に包まれ、俺はその中心でバタリと倒れた。

 胸の奥がスッとする。いや、違う。こんなことがしたかった訳ではない……。

 火を止めなければいけないが、俺の体から湧き出た力は、俺の物ではないように少しも言うことを聞いてくれない。

 父がドアを開け、黒い火の海を見て騒ぎ出す。すぐにどこかへ行き、しばらくしたら大勢の人を連れて戻って来た。その人達が、大量の水を生み出し火にかけ続け、やがてゆっくりと火は消えていった。

 俺は、無傷だった。不思議なことに、部屋のなにもかもが燃えてしまったのに、俺と、俺が着ていた服だけは綺麗なまま何事もなかった。

 父は、顔を歪めて涙を流しながら、

「またか……」

 と、呟いた。

 覚えていないが、どうやら俺は以前にも同じことをしたらしい。

 俺は、部屋を移された。今度の部屋は、地下の薄暗い殺風景な部屋だった。積み木はなかったが、絵本が置かれた。しかし、俺は字が読めない。教えてくれる人も、代わりに読んでくれる人もいない。絵だけを眺める日々が続いた。

 やがて、その絵本も燃えて灰になると、父が雇ったらしい年配の女性が、俺の世話をするようになった。

 ひどく皺くちゃな手の女性だった。だが、その女性は恐々とだが、俺に本を読んでくれて、たまに外の庭へ散歩にも連れ出してくれた。

 本を読んで字を教える以外は、あまり話しかけては来なかったから、こちらも話さなかったが、俺が庭の花壇の咲き立ての花を眺めていると、

「綺麗ですね……」

 などと、稀に声をかけて来た。俺は、それに頷いておいた。

 でも、その花壇も灰になった。そして、その女性は、黒い火の海に立つ俺を助けようとして、ひどい火傷を負った。

 その女性は、もう家には来なくなった。

 俺は、自分の中から勝手に溢れ出てくる力を、なんとかして抑えなくてはいけないのだと学んだ。この力は、あってはいけないものなのだ。そして、父や周りにとっての自分は、いてはいけないものなのだ。

 少し大きくなれば、周りの話は徐々に理解出来るようになった。

 黒い炎は不吉。この黒と赤の目も不吉。俺の存在自体が不吉。そんな話をしょっちゅう周りはしていた。

 なんとか、力を抑える日々が続いていた。壊したいという衝動には抗い難く、小さな物を壊すことで、多少はその欲を治めることが出来た。

 ある日、父が身綺麗な女性を家に連れて来た。父の新しい妻となる人らしい。父は幸せそうで、親族達も喜んでいた。

 俺は、家を出ることになった。この家からずっと遠く離れた、修道院という所へ送られるようだ。そこで神とやらに祈って暮らせば、もしかしたら俺の“病”が治るかもしれないらしい。

 特に、なんの感慨もなかった。どこへ行っても、きっと同じだ。俺の内側にいるなにかが、きっと全部壊す。

 少ない荷物がまとめられ、修道院に行く日が迫っていた時、家に突然、見知らぬ背の高い男性がやって来た。

 その男性は、父と長いことなにかを話していたようだが、話し終わると俺の手を引き、やたらキラキラした綺麗な馬車に乗せた。

「君の母と、私の亡くなった妻はとても仲の良い学友だったんだ……。まあ、楽にしてくれ給え。君は、今日から私の息子になるのだから」

 男性はそう言うと、自分が楽な姿勢になり、馬車の中でグースカと寝だした。

 修道院へ行くはずだったのだが、馬車は見たこともない広い豪華な屋敷に着いた。

 その屋敷には、変な黒いトカゲを抱いた、キラキラとした派手なドレスを着た、切れ長の目の少女がいた。

 俺をこの屋敷に連れて来た男性は、俺はその少女の弟になるのだと言ったが、全く実感は湧かなかった。

 だって、なにもかもが俺とは違う。胡桃色の髪も、若草色の瞳も。綺麗な仕草も、胸を張り堂々とした態度も。同じくらいの背丈なのに、まるで別の生き物のようだ。

 俺はどちらかというと、少女が腕に抱いている、真っ黒で不恰好なトカゲの方に似ている。

 気持ち悪いトカゲだと、つい言ってしまった。まるで、自分を見ているようだと思ったから。

 しかし、少女とトカゲを怒らせてしまったらしい。

 あまり人に話しかけられたことがなかったから、ガミガミと一気に話しかけられて混乱した。その場を逃げ出して、一人になり一息つく。

 ここは広くて綺麗な上に、人が多すぎる。何人もの人間が俺に話しかけてくる。

 勉強だの、風呂だの、食事の時間だの……。放っておいてくれれば良いのに。

 いつまた俺の中のなにかが暴れ出すかもわからない。ここもそのうち灰になるかもしれない。こんな綺麗な所、壊れたら面白そうだな……。いや、ダメだ。壊してはいけない。

 誰かから話しかけられる度、逃げ出した。

 少女からは、おかしなことを書いた紙を自分の部屋に置いたなどと、因縁をつけられた。俺は字をあまり書けないが、あそこまで下手じゃない。

 その紙には、俺は“まおう”だと書かれていた。親族達が俺に対して、遠巻きによく言っていた言葉だ。やっぱり、ここでも同じなのか。

 花壇を踏み荒らしたり、紙や本を引き裂いたり、部屋の中の物を手当たり次第に投げたり……綺麗な物を壊すと、少し気分がスッとする。それと同時に疲れてしまう。いつまで、こんなことを続けていればいいんだろう。自分の中のなにかは一向に治らず、いっそ身を任せてしまった方が楽な気がしてくる。

 ある日、俺はトカゲの尻尾を蹴ってしまった。壊そうと思った訳ではなかったのだが……。いや、もしかしたら俺の中のなにかは、壊したかったのかもしれない。生き物を壊す方が楽しい。あのトカゲも、目の前で怒る少女も……いっそ壊して……殺してしまえたら。

 トカゲを傷つけられた少女の怒りは凄まじく、彼女は思ったよりも乱暴な人間だった。ひょいとソファの上に俺の体は投げられ、背中に乗っかられる。

 こんな扱いをされたのは初めてだ。彼女は、俺が怖くないのだろうか。

 この屋敷に来てからは、あの黒い炎はまだ出していないから、なにも知らないのかもしれない。

 どうやら、彼女は謝罪の言葉を求めているらしい。謝れと言われたのも初めてだ。父も、その親族達も、俺がなにをしても、遠くから恐ろしげにこちらを眺め、ヒソヒソと「魔王の力」だの「悪魔の子」だの言うだけだった。

 初めてのことに戸惑い、なにかを壊したいという欲も忘れ、そのおかげで上に乗っかる彼女を灰にすることはなかった。

 背中から彼女の体温を感じるのが気持ち悪い。人に触れられたこともあまりなかったのに、距離が近すぎる。人間の熱は、俺の中から発する熱よりもずっと低いが、おかしなくらいずっと温かい気もする。

 落ち着かないような気分と、落ち着くような気分が同時にしてくる。

 どうしようかと戸惑っているうちに、どうしても手洗いに行きたくなり、仕方なく謝ってみた。俺にも羞恥心はある。さすがにここで漏らしたくはない。

 謝ったら、やっと彼女の下から逃げ出せた。

 彼女には、関わらない方が良い気がする……。

 授業に出るようにと言われていたが、いつものようにサボって、広い屋敷の図書室の片隅に隠れた。手元にあった本を破いて、紙飛行機にして飛ばしていたら見つかって、無理矢理授業に連れて行かれた。

 彼女に、妙な指輪を中指にはめられた。外そうとしても外れなかった。どうやら、それは俺のいる場所が彼女にわかる魔道具らしい。次の日も授業をサボり、広い庭の一角に隠れて、足元の芝をブチブチと引っこ抜いていたら、すぐに見つかってしまった。

 授業はつまらない。教師が言っていることがわかる時もあるが、わからないことがほとんどだ。今まで通り、遠巻きにして放っておいてくれれば良いのに、なぜここではどいつも俺に構おうとするのか。燃やされたいのだろうか。

 ボーッと家庭教師の言葉を聞き流していたら授業が終わり、さっさとその場を去ろうとしたら、彼女に引き止められて、異様な臭いのする紫色の液体を押しつけられた。

 宿題をやって来なかった罰だと言われたが、こんな不気味な液体飲みたくない。

 しかし、顎を掴まれて、無理矢理口の中に注ぎ込まれた。

 あまりの味と食感に、一瞬意識が飛びかけた。苦い……とにかく苦い。飲み干しても、口の中にずっと苦味が居座っている。吐き気をもよおす青臭さと生臭さが、鼻の奥から強烈に漂って来る。

 こんな物を飲んだのは初めてだった。

 昔の家では、親族達にヒソヒソと噂されることはあったが、出て来る食べ物はまともだった。俺は今まで食べ物には特に興味がなかったが、普通の味の物を食べられることがどれくらい幸せなことだったかを、この液体によって強く実感させられた。

 これは、人が飲んで良い物じゃない。この世の全ての淀みと苦味を凝縮したかのような劇物だ。灰も残さず燃やして、消滅させてしまうのが相応しい。だが、口の中で暴れ回る苦味に邪魔をされて、俺の中のなにかは暴れ回らなかった。

 今回ばかりは暴れて欲しかった……。

 その後、口の中の苦味は一日中取れなかった。明日も宿題をやって来なかったら、またアレを飲まされるかもしれない……。それは絶対にごめんだ。

 俺は、初めて勉強に取り組んでみた。わかる所もあったが、やはりわからない所の方が多かった。半分ほどしか終わらせることが出来なかった。

 次の日の授業には本当は出たくなかったが、指輪をはめられているせいで、隠れても無駄なことはわかっていたから、恐る恐る出て教師に未達成の宿題を渡した。教師は「次、頑張れば良い」と言ってくれたが、彼女は違った。

 ニッコリと微笑んで、その笑顔とは裏腹に容赦なく、またあの液体を俺の目の前に置いた。

 俺は全速力で逃げた。

 またアレを飲むとか、無理!絶対無理だ!

 しかし、走り疲れて休んでいた所を、あえなく捕まってしまった。

 カラカラの喉に、無理矢理劇物が流し込まれる。口の中だけではなく、胃の中ですら苦味がグルグルと渦巻いている気がして来る。俺の体は、俺の中のなにかではなく、完全に苦味に支配されてしまった。もういっそ殺して、この苦味から解放して欲しい。

 こんな物を飲ませられるくらいならば、泥水を啜っていた方がずっとマシだ。鬼だ……彼女は、鬼だ。

 空になったグラスを手にして笑う彼女の頭に、角が生えているような幻覚すら見えてきた。

 俺はその日、必死になって宿題をやった。今まで、これほどなにかに打ち込んだことはあっただろうか。いや、ない。しかし、やらねばヤられる。

 気迫で、全てではないが、ほとんどの宿題は終わらせることが出来た。家庭教師は、かなり褒めてくれた。人から褒められたことはあまりない。悪い気はしないが、それよりも彼女がどう出るかわからず、気が気じゃない。

 彼女はあの劇物を、今日は作って来ていないと言った。ホッとしたのも束の間、彼女の隠し部屋へ連れて行かれた。

 そこにあったのは、地獄の光景だった。

 謎の植物が蠢き、謎の動物の死体の一部がそこかしこに置かれ、部屋中を淀んだ空気が覆っている。凝縮されたドス黒い魔力が、ザワザワと肌を撫でていく。暗く、おぞましく、闇の底にいるような空気。

 心の臓が縮み上がり、背筋に冷たいものが走ったが、なんだか懐かしくて居心地が良い気もしてくる。俺は相当混乱しているようだ。

 彼女はその地獄の中で、平然とあの劇物を生成していた。そして、それをまた俺に飲めと言う。

 いや、無理です本当。勘弁してください。

 俺は、泣きそうになりながら後ろへ下がったが、彼女はやはり鬼だった。

 なるほど、他人への恐怖とはこういう感覚なのか。今なら、俺のことを遠巻きにして恐れていた父達の感情が理解出来る。俺も彼女から、あの劇物から遠く離れたい。

 俺は、物心ついて以来、初めてちょっと泣いてしまった。三度経験した地獄の苦味は、完全に俺の心を折った。

 なぜ、この俺がこんな目に会わなければいけないのかと、とても悲しくなった。俺の中のなにかも泣いている気がして、二重に悲しく遣る瀬なくなった。

 その日の夜は、食べることも寝ることもせずに、死に物狂いで宿題をやった。彼女はきっと、あの劇物で俺を呪い殺す気なのだ。百歩譲って、殺されるのはまだ良いにしても、アレはもう飲みたくない。

 フラフラになりながらも、なんとか宿題を全て終わらせて、恐る恐る彼女を窺い見る。

 笑顔で近づいて来たので、またアレを飲ませる気かと身を竦ませたが、

「良く頑張ったわ。良い子ね」

 と、褒められて、頭を撫でられた。

 なにが起こったのか、よくわからなかった。彼女は、いつの間にか鬼から改心して、天使になったのだろうか。

 誰かに頭を撫でられたのは初めてだった。

 初めて少し……ほんの少し、俺の中に勝手になにか温かいものが生まれたような、そんな気がする。それに比例して、顔も熱くなる。

 俺は、真面目に勉強に取り組んでみることにした。アレを飲まされたくないというのもあるが……。彼女の微笑みは、鬼よりも天使の方が似合っていると思ったから。

 俺がちゃんと勉強をすると、彼女は嬉しそうに笑う。彼女の言葉に、教えられた通りちゃんと丁寧な言葉で返事をすると、また優しく頭を撫でられた。

 彼女に撫でられる度、俺の中のなにかは大人しくなり、代わりに温かいものが少しずつ増えていくような気がする。

 彼女は、俺の目の色が好きだと言った。

 父や親族達から、さんざん疎まれたこの変わった目の色が。

 彼女が好きな色だと言うのならば、悪くはない気がしてくる。

 ずっと目元を覆っていた前髪を切ると、視界が広がり、暗いとばかり思っていた世界は、こんなにも眩しかったのかと気がついた。

 俺はずっと暗闇の中にいた。それに慣れ切っていて、居心地が悪いとは思ったことがなかった。むしろ、この眩しすぎる世界の方が居心地が悪い。

 でも、しばらくはここで生きてみようかと思う。

 光も、温かいものも、くすぐったいがそれほど不快ではない。

 彼女が与えてくれるものは、案外気に入ったから……。あの劇物以外は、だが。


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