魔神公爵の気まぐれスローライフ(釣り2)
前回のあらすじ:黄金魚を釣った。
「幻の黄金魚をその細い腕一本で釣り上げるなんて、なんてすごい奴なんだ、あんたは。やっぱり俺の見込んだ男だ」
セラフィーヌの父――鍛冶屋のジョセフは言った。
腕の筋肉は盛り上がり、
肌は焼けていた。
そこかしこにやけどの跡があり、
それが鍛冶屋業の過酷さを物語っていた。
「ははは、運が良かっただけですよ。黄金魚が暴れ狂い、たまたま、岩に頭からぶつかってくれたおかげで、釣り上げることが出来たんです」
ブラックは酒をあおりながら言う。
「いやいや、それでも黄金魚を釣り上げるなんて、こんなうれしいことはない。まさに人生最良の日だ」
酒場では宴が行われていた。
多くの街人が参加していた。
酒を飲み、
騒ぎ、
踊っている。
煌びやかな光がブラックの目にちらついた。
「ははは、セラフィーヌや、お前はこんな素晴らしい婿をもらうなんて、見る目がある。俺は鼻高々だ」
「もう、お父さん、苦しい。それに、お酒臭い。飲み過ぎよ」
ジョセフはすでにビールを10杯近く飲んでいた。
ブラックは宴で騒ぐ人々を横目に、
この街をそろそろ出ようかと考えていた。
ただ、自分がこの街を出れば、
街人にかけられた偽りの記憶が消え去り、
セラフィーヌはもとの冴えない生き遅れの女に戻る。
セラフィーヌの父親も、
冴えない娘を抱えるしがない鍛冶屋に戻ってしまう。
ブラックには、そんなことはどうでもいいことのはずなのに、
あまりにも長くこの街――セントレアにいすぎたせいで、
彼らに少なからず情を持ってしまっていた。
「あの、俺が釣った黄金魚は、ジョセフさんとセラフィーヌにあげます。生活にあててください」
「何を言っているんだ。黄金魚はお前とセラフィーヌのものだろうが」
ジョセフは何かを感じ取ったらしい。
「俺は、お前みたいな男が娘の婿になってくれた感謝しているんだ。片親で育てたから、どうもよくなくってな」
ジョセフは、ビールをグイッと飲む。
「あの子は6つの時に母親を亡くしているんだ。それでも、健気な子で一生懸命でな。俺の手伝いをずっとしてくれた。それで気がつくと、あの子は20をとうに過ぎていた。この街の女性は20には結婚をし、子供を持っているが普通だ。行き遅れのセラフィーヌなんて陰口を言われ、笑われたものだ。それでも、あの子は笑顔を絶やさなかった」
ジョセフはフゥ~と息を吐く。
「で、そんな時、お前がセラフィーヌを欲しいと言ってきてくれたんだ。あの時は、俺はどうしようもなく嬉しかったよ」
「そうですか」
ジョセフがブラックについて語ったことは、
ブラックがジョセフにうえつけた偽りの記憶だった。
ブラックはジョセフにセラフィーヌが欲しいなどと、
言ったことはない。
深夜、ジェセフを家に送り届けた後、
ブラックはセラフィーヌとベッドで横になり、
窓から夜空を見上げていた。
青い月が星々の中心で輝いていた。
「セラフィーヌ、明日、俺はセントレアを出るよ」
「どういうことなんですか?」
「…………」
「どうして……」
「自分の本来、やるべきことを、やるため……」
沈黙が流れる。
セラフィーヌとブラックを月の青い光が、
優しく包んでいた。
「なら、あなたがやるべきことを終えるまで、私はこのセントレアの小さな街で、あなたをいつまでも待ち続けます」
「いや、もう、俺はセントレアへは戻らない」
「……それでも、私はいつまでもあなたを待ち続けます。天子様が私を迎えにくるまで……」
その言葉を聞いてブラックは、
セラフィーヌを強く抱きしめた。
そして、
優しくセラフィーヌの顔を撫で、
セラフィーヌの、
自分と出会ってから今までの、すべての記憶を消し去り、
偽りの記憶で上書きした。
次の日、街人全員、ブラックのことを忘れ去っていた。
ジョセフが黄金魚を釣り上げ、
その娘セラフィーヌと、
その婿である町はずれのカインは、
この街始まって以来の幸福者だと噂になっていた。
ブラックは木の影から、
カインと幸せそうにしているセラフィーヌの姿を見つめていた。
「幸せに、セラフィーヌ。そして、さようなら」
ブラックは漆黒の翼を広げ、
空高くに舞い上がった。
目頭が思いのほか、
熱かった。
涙を流していたのかもしれない。
胸が掻きむしりたいほど苦しかった。
だから、
ブラックは、セラフィーヌとの思い出をすべて消し去った。
次回予告:世界樹、幽霊、巨人