8.祥子
姉が日に日に元気になってくるのとは反対に、
祥子は日に日に憂鬱になっていった。
景子自身はまだ夢のことで悩んでいたのだから、
それは完全には真実ではなかった。
しかし、その時の祥子にはそれが真実としか思えなかった。
そう。
祥子も悩んでいたのだ。景子を励ます一方で。
祥子は姉の景子より先に結婚した。
相手は大学時代から付き合っていた人だった。
景子ら姉夫婦には話していなかったけれど、
祥子たちの夫婦仲は上手くいっていなかった。
単身赴任で別居生活になってから、4年になる。
別居しても、最初の頃はまめに連絡を取り合っていた。
週末には、彼がこちらへ帰ってきた。
祥子も何度か、彼のもとへ訪ねていった。
しかし、大学時代から、彼は移り気だった。
離れて生活し始めて1年。連絡が途絶えがちになった。
そして、ちょうど七海が亡くなって、しばらく経った頃だった。
電話がかかってきた。「しばらく、仕事が忙しくなりそうだから、そっちへは帰れない。」
「じゃあ、こっちから行こうか」と言うと、
「いや、本当に忙しくて、来てくれても構ってあげられなさそうだから、いいよ。」
彼の返事は素早すぎて、不自然に感じられるほどだった。
祥子はなんだか嫌な気がした。
でも、そのときの祥子は他のことに構っていられないほど、
姉の景子のことで頭の中がいっぱいだった。
電話でも、祥子はその話をすぐに打ち切ってしまい、
姉の具合が良くない話を彼にしたのだった。
それ以来、彼は一度も家に戻ってきていない。
祥子たちの間がこんなにも冷え切っているなんて、
雅志も景子も知らないだろう。
祥子にとって、姉は両親より近い存在だった。
お互いにお互いのことを隅々まで知り尽くしていた、はずだった。
お姉ちゃんは、掃除が苦手で時間にルーズ。
どうしようもない所もたくさんあった。
それでも、お姉ちゃんは一番、私に近い人だった。
小さい頃はつかみ合いの喧嘩をした。
いつも隣でご飯を食べて、テレビを見て、勉強をした。
夜には、枕を並べて眠った。
中学・高校くらいになると、よく二人で出かけた。
映画を観にいったり、ショッピングをしたり、カラオケへ行ったり。
友だちとするようなことを、よく姉と二人でやった。
2人でいると、いつもリードしてくれるのは姉だった。
祥子は、姉のことを愛していた。
一旦、大勢の中に混じると、社交的なのは妹の祥子の方だった。
景子は人見知りが激しく、奥手で、女とも男とも仲良くなるのに時間がかかった。
自然、景子には友だちが少なかった。
しかし、景子の友だちは祥子にまで親切にしてくれるような、人間のよくできた人が多かった。姉のおっとりした所がそうさせるのか、元来の人の良さからなのか。景子には人を優しい気持ちにさせるような所があった。
そんな姉の結婚相手を見た時、祥子は「やっぱり、お姉ちゃんだ」と思ったのだった。
祥子の不躾な視線にも構わず、
雅志さんは「初めまして。林雅志です。」
と言って、手を差し伸べてきた。
雅志さんの目はちょっと垂れ目で、その瞳は優しげだった。
実際に、雅志さんは初対面の祥子に、とても柔らかく微笑んでいた。
女性でこういう顔をする人はよくいるけれど、
男性で初対面からこういう顔を出来る人は案外少ないと思う。
祥子は、雅志さんはすごくもてそうだと思った。
ねえ、お姉ちゃん。
お姉ちゃんが結婚したとき、私が何を考えていたか、わかる?
羨ましかったんだよ、こんないい旦那さんを射止めて。
彼も私も、大学のときと変わらず遊び人で、安定とは程遠い日々だったから、
これからお姉ちゃんは、私たちが育ったような優しい家庭を築くんだと思うと、
辛いくらいだったんだよ。
景子がテレビに向って、ため息をついているとき、
祥子もまた、ファッション誌をうつろな目で眺め、過去を振り返っていたのだ。