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 俺と鴨志田……。

 下校中、そのことばかり考えていた俺はすっかりブルーになっていた。

「はあ……」

 やっぱり夢かな。

 あんなクソくだらない夢を見たせいで、なおさらブルーになっちまったのかな。

 だけど、あっちの世界へ残りつづけるという選択は、俺にはなかった。

 卑劣な方法で魔王をこらしめた、ということだけではない。

 いや、むしろ、そのことに限って言えば、無傷のまま魔王を捉えたことに誇りを感じているくらいだ。自分のヒールぶりに嫌気をさしたのは、こちらの世界へ戻ってきたからで、あちらの世界で勇者を張っていたときに、自分が卑劣だとはちっとも思わなかった。

 俺がこっちに戻ってきた最大の理由――。

 それは、ヒロインだ。

 王国ニールヴァル第三王女メイ・フォン・クローズ。

 俺は通常「メイ」と呼んでいた。

 見てくれだけはとびっきり可愛くて、あいつがにっこりとするとこっちもにっこりしちまうぐらいなのだが、いまふり返って考えてみても、あいつほどメチャクチャな人間は魔王軍にもいなかった。

 あいつはなにより「バトル脳」だったのだ。

 三度の飯よりバトルが好き。

 目と目があったら真剣バトルということをまじめに言いそうなほど戦いが好きだった。

 いま考えても身震いするが、俺が召喚されてまだ間もないころ。

 RPG的に言えば、俺がまだ宿場でセーブできていないのにかかわらず、あいつは突然「火山」に行こうと言いだしたのだ。当然俺は「いかない」と断固拒否。

 しかしあいつは問答無用だった。

 必死に嫌がる俺を馬車のなかにぶち込むと、火山の神殿へ向けて馬を走らせたのだ。俺は馬車のなかで恨み言をつぶやいていたが、あのバトル脳のお姫さまはオツムのほうもだいぶまずいらしい。何かわけのわからぬことを始終のたまって俺のヒットポイントを初手から削ってきた。

 やがて到着。引きずりだされる俺。

 だがここまでは序の口だった。

 ダンジョン攻略というのは名ばかりで、ダンジョンのなかに入るやいないや、まわりの壁という壁に風穴を開けていったのである。あいつのポリシーとして武器を持たないというものがあった。あいつはつまり己の拳のみで道を切り開き、ダンジョンの内壁をぶっ壊していったのである。

 そのうち最下層まで辿りついた俺たちは、炎竜神というよく分からないボスと対峙することになった。ストーリー上、なんの役割を果たすかについては今もって分からないでいるが、きっと重要な役割だったのだろう。ご愁傷さまです。

 しかし当時の俺にとってはそんな些末なことはどうでもよかった。

 炎竜神という名前。そのビジュアル。とほうもない体長。口から始終吐きだされるゲロみたいな物体……。どの角度から見ても一面のボスではない。

 ゲロみたいな物体は触れたものをたちまちゲロみたいにしちまうし、竜のブレスと呼ばれる光学兵器的な攻撃は足場の花崗岩をガンガン削っていった。俺はもう死ぬ思いで駈けずりまわって、ゲロゴンの攻撃を避けていたけれど、俺をここまで引っ張りだしたメイのやつはどうも退屈しているようだった。

「見てくれだけじゃん」

 お前だろ!

 と俺は怒鳴りたいのをこらえて、ゲロヤロー対メイの仁義なき争いを見守る。

 ――はずだったが、勝負は思いのほかあっさりとしていた。

 ぴょんと飛びあがったメイがゲロヤローの頭上に飛びのって、渾身のグーパンチをお見舞いしたのだ。それで見事KO。ゲロをまき散らしながら倒れてくるゲロッキーの巨体を慌てふためきながら避けた俺は、倒壊現場みたいに舞いあがった埃のなかに、Vサインを向けてくるメイのアホを見た。

 こんなことが何度もあったせいか、俺はメイとの生活が心底いやになっちまったのだ。

 で、逃げて来た。

 あちらの世界では、俺とメイとの婚約が噂されていたし、事実、水面下ではかなり進んでいたらしい。たぶんメイのおやじは、とんでもないアホに生まれついちまった娘のことを俺ひとりに押し付けようとしたのではあるまいか。王家の恥とまではいかないけれど、メイの手綱を握れるのは当時俺ぐらいのものだったし、放っておいたら、次なる魔王になるかもしれなかったし。

 しかし、こうして逃げきた俺だったが、いまになってちょっと考えてみると、あのさわがしい日常もなかなか楽しかった。

 メイのやつ、どうしているかな……。

 ちょっとは女らしくなってるかな……。

「いや、なにを考えてるんだ、俺は……」

 妹と会いにいくのとはわけが違うんだぞ。

 あちらの世界を離れるとき、これが今生の別れと涙を呑んだではないか。

 そんなバカなことを考えるとは俺もだいぶ疲れているらしい。

 鴨志田との一件が、自分で思ってより案外こころに堪えているようだ。

「ふう……」

 気が付いてみると、もう目と鼻のさきにわがアパート「若葉荘」が迫っていた。

 築二〇年のボロアパートである。

 しかし――ん?

 アパートの前にどこか見覚えのある少女が立っていた。

 俺はふといやーな予感がして、己が物語ったモノローグを思いだしていた。

 いや、まさか……。

 そんなはずが……。

 しかし、次第に近づいてゆくにつれ、そのミニマムな身体つきや、燃えるような赤い髪、トレードマークのサイドテールを見て、俺の足ははたと止まった。

「冗談だろ……」

 俺はこのとき逃げ出そうとしたのかもしれん。

 だが、少年みたいに夢見がちな大きな瞳がこちらに向けられたのを見た瞬間、「ああ終わった」と俺のなかのあらゆる機関がはあとため息をついた。


「リョーヤ!?」


 だれか夢だと言ってくれ。

 飼い主を見つけた犬のように駆けてきたそいつはそのまま俺に抱き着き、押し倒した。こうなるともうされるがまま。馬乗りになってはしゃぎまわるそいつを見ながら、頭のなかに鳴りひびく試合終了のホイッスルに絶望するしかない。

「リョーヤ!」

 王国ニールヴァル第三王女メイ・フォン・クローズのご登場。


 サイアクだ……。

 すこしでもまた会いたいなんか思っちまったからだ……。

 抱き着かれてからおよそ五分後、メイのスキンシップからようやく解放された俺は、道路の側溝の上に屈みこんで、このサイアクの事態に頭を抱えていた。

 ふり返ってみる。

 メイだ。

 相変わらず見てくれだけはバツグンだが、あいさつも何もなしに抱き着いてくるところなど全然成長してないように見える。メイの父ちゃんは一体なにをしてたんだ……。

 そのうえ、うちの高校のセーラー服まで着てやがる。

 スカーフがたまご色なのを見ると、うちの学年に転校してくるらしい。高校二年生の勉強がこいつに似つかわしいのかは別として、どうか俺のクラスだけには転入してこないよう祈るしかない。しかしこの場合、どこの神さまに祈ればいいのか。あっちの神さまでもお手上げだったメイの悪魔的なバカさをこの世界の神さまは治癒してくれるのだろうか。それは少々あやしい。神社のお賽銭でメチャクチャせしめているくせにいっかな動こうとしない腰の重い神さまなど当てにならないだろう。やはりあちらの神さまに、出張してもらうほかない。しかし……。

「リョーヤ」

 なぜかメイのやつは、とてもニコニコとした不気味な笑みを俺に向けていた。俺は立ち上がりながら、「なんだよ、俺の名前を呼んで」と答えたけれども、メイはただ「ふふっ」と笑うばかりに何も答えない。

「なんだよ、答えろよ」

「リョーヤ」

「だからなんだよ?」

「リョーヤ、リョーヤ」

「だからなに?」

「リョーヤ?」

「いや、分かんねえよ。ハテナマークをつけるとなお分からねえからやめろ」

「リョーヤ、リョーヤ、リョーヤ」

「だからなんだよ! 俺の名前はそんなに安くねえんだ!」

「へへーん、先に三回も呼んじゃった。メイの勝ちだね」

「は?」

「ササミ!」

「え?」

「ついて来てほしいところがあるの」

「ちょっと待て、さっきナマモノがぶち込まれたぞ」

「え?」

「え?」

「え?」

「なにこのやりとり?」

「ついて来てほしいところがあるの」

「だから待てと言うのに。なんで強行突破しようとした? 俺は通さんぞ」

「じゃあ問題」

「だから聞いてんの、お前?」

「メイの好きなものは?」

「ササミ」

「すごい。リョーヤはやっぱりすごい!」

「すごくねえよ。どこで興奮してんだ」

「じゃあ二問目いくよ?」

「行くな!」

「えー、こう見えてもクイズの腕はいいんだからね。五分あれば一〇〇問くらいはヨユーで作れるよ」

 あのゴミみたいな問題が一〇〇個作られたら世界が終わるな。

「では第二問目!」

「だからいいって! つーか、そんなことよりメイ、ついて来てほしいところってどこだよ。ほら、ササミのあとに言っていただろ、お前」

「あっ、みんな待ってるんだった」

「どこだよ」

「もうみんな集まってるよ」

「おい」

「リョーヤが遅いんだもん」

「聞いてますかー、俺の声が届いてますかー」

「じゃあ、出発!」

「だから強行突破は許さねえよ!」

「リョーヤ、メっ」

 え? なんで俺ふつうに怒られたの?

「メイとフツーにおしゃべりできないんならお口にチャックだよ」

「これがフツー? 無視しておいて?」

「うん、メイはいつもどおりだよ」

「ふざけんな。てめえのいつもどおりはつねに異次元なんだよ。ふつうに話しててササミが出てくることがあるか? 俺の日常生活にササミが出てくる機会なんてミジンコほどもねえよ。むしろそれを拾ってやった俺に感謝してほしいぐらいだ。そもそもお前は対話の基礎から――」

「砂利だらけだね」

「その言い方だと、俺が地べたのササミを拾ったみたいになっているけど!」

「出発!」

「だから対話!」

 くそ、相変わらずだ……。

 このアホの相手をしていると途方もなく疲れる。

 だが、あちらの世界でダンジョンに連れ込まれるよりはマシか……。

「はあ……」

 やむを得ん、ついてゆくか。

 俺がもしここで拒否したら、それはそれで大変なことになりそうだからな。それに、メイがいっしょにいるんだから大抵のことは切り抜けられるだろう。俺にとってのいちばんの心配はメイがなにかしでかすことだし、この珍獣を野放しにしておくことの方が、俺にとっては却って不安だ。線路に飛びだして平気で特急列車とすもうを取りだしそうだしな……。

「リョーヤ、はやくー」

 すでに歩きだしていたメイは、俺からおよそ一〇メートルほどのところでぴょんぴょんしていた。そのたびに自慢のサイドテールが大きく揺れて、俺はなんだかふと、こういう朝もあったなあ……と、トラブルばかりだった冒険の旅を思いだした。ただし、そこから感傷的な甘さを差し引いてだが。

 まあ、行ってみるか……。

 俺がそうしてメイのあとにつき、ごたごたと立て込んだ住宅のあいだを歩くこと一〇分、とある一軒家の門前に辿りついた。

アールヌーボー風のかわいい門柱には「大和田」という表札がかかっている。

俺の知り合いに大和田なる人物はいないし、となりのメイにもそんな知り合いはいそうになかった。家のようすから見ても、さびしいオールドミスが日々のつれづれを慰めるために、庭の土いじりに精を出したって感じで、すがすがしい初夏の花が咲きそろっている。

「ほら、リョーヤ行こう」

「あ、ああ」

ところが、メイに勧められるまま大和田家の敷居をまたいだ俺は、そこに思いがけないものを見た。

 ハーピークイーン、オークキング、デュラハン、ミノタウロス、ラミア、アンデッド族の王、アラクネ。

 あれー、俺の見間違いかな……。

 ボス級のモンスターが勢ぞろいしているんですけれど……。

 リビングに通された俺はもう一度、そこにいる方々の姿を確かめたけれど、やっぱり間違いではなかった。みんな紙コップを持っているし、なかには、宅配ピザをつまんでいるものもあった。おまけに入ってきた俺を見つけると、みんなして俺のまわりを包囲し、なにやら矢継ぎ早にあいさつしてくる……。怖い。非常に怖い。


「おー、ようぞ来た」


 聞き覚えのある声だ。

 ぐるりと囲んでいた魔族たちも場所を空け、俺のまえにその人物を通した。

「なつかしいぞ、勇者涼也よ」

 魔王だった。

 悪鬼めいたすさまじい面貌はそのままだけれど、一体どうしちまったんだ、アンタ……。

 花柄のエプロンにかわいいミトンをつけて、おまけに手に持った大皿のうえには焼き立てのクッキーがある。人の血をたしなんだかつてのアンタはどこに行ったんだよ。バターのいい香りなんかさせて、髑髏杯でワインを飲んでいたアンタは……。

「どうだ、勇者よ。我が手ずから焼いたクッキーを賞味せぬか?」

「……」

「豆乳だぞ、豆乳。食べてみぬか?」

「いえ……」

「カロリーも低いし、食物繊維もいっぱいで健康にもいいのだぞ。ちなみに食物繊維はな、お通じもよくしてくれる。ほら、どうだ」

「いえ、遠慮させていだたきます」

「そうか、豆乳クッキーはあまり好かぬか、あとでメモしておこう」

 メモ……。

「ならば勇者よ、我が今日の日にこしらえておいたスペシャルケーキをおぬしにふるまうことにしよう。うまいぞー、イチゴもいっぱい乗せてるぞー。ホイップだってたーんとあるぞ。チョコケーキも作ったからな、みんなで切り分けようぞ。いわゆるシェアじゃな、シェア」

 俺はもううつむいたまま、魔王さまの奇々怪々な言葉に耳を任せているほかなかった。

お母さん、俺の冒険は世界に何を残したのでしょうか。

 炎竜神といういかめしいモンスターにゲロをかけられそうになり、オツムのだいぶまずいお姫さまに始終精神攻撃を向けられ、あまつさえ、トチ狂っちまうまえのかつての魔王を倒すのに、その娘を誘拐するという非道きわまりない手段を講じた俺……。

 俺は、あの世界になにを生みだしたんでしょうか。

 お母さん、あなたの息子はいま泣きそうです。


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