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フツー。
字引きなどを引いてみると、
「どこでもあるような、ありふれたものであるさま」
とある。
だが、勇者の経験を経てきた俺からすると、それは大いに間違っている。
ある程度自省できる人間ならわかるだろう。
俺たちはつねに自分のなかに不足を感じている。
俺が勇者になるまえ、山口県の田舎でしこしこ中学生をやっていたとき、俺ははっきりいうと貧乏な暮らしを強いられていた。いわゆる「フツー」ではなかったのだ。
そのとき、おふくろがよく言っていたのを思いだす。
「べつに高望みなんかしないよ。フツーの暮らしさえできれば」
だが、おふくろのフツーの暮らしとやらは、たぶん全国的に見てもフツーではないのだろう。おふくろが望んでいたのは、午後にはアールグレイをたしなみ、何不自由なくショッピングが楽しめるような有閑マダムの暮らしである。それが許されるのは、たぶんごく一部の人間だけだ。
要するに自分のことをフツーだとか、人畜無害だとか思っている連中は、極端に内省力に欠けた人間か、あるいは単に幸せに恵まれた一握りの人間だったということである。
だからといって、フツーであることを卑下する必要ない。
事実、俺はフツーの高校生になるべく努力している最中だ。
それはなかば成功しているし、これからも邁進してゆく所存である。
だが、ここに見過ごせない重大懸案がある。
これをうまく対処しないことには、俺のすばらしいフツーライフが崩壊する可能性があるし、孤独死という悲愴味たっぷりの事態に際会する危険もある。ゆえに是が非でも成功させねばならん……。
「すまん、俺が悪かった」
「それで許してもらおうと思ってるんだ?」
「だから、すまん」
放課後、体育館の裏、野球部の声、バスケットボールの跳ねる音……。
俺こと村井涼也は高校生になっていたが、友人がめっぽうできないでいた。
県立花道高校に入学しておよそ一年、俺に出来た唯一の友人は、いま平謝りしている鴨志田千尋というクラスメイトだけだった。
平謝りという言葉でもわかるように、俺はこの美しい同級生にかなりまずいことをしていた。
発端は日曜日。
ショッピングモールをぶらぶらしていたときのこと、鴨志田が急にお腹が減ったといって、そこのフードコートに俺をひっぱって行ったのだ。
ところが、なにがきっかけだったかよく覚えてないけれど、あの賑わしいフードコートを静めるほどのはげしい口論を交わしてしまったのである。我ながらバカなやつだと思うが、俺は一度カッとなると、まわりが見えなくなる性分なので、どんな言葉を吐きつけたのか全然覚えていない。
鴨志田いわく……。
「考えられないようなひどいこと」
を口にしたらしい。
なんていましましいことだろう。
はあ……。
で、現在。
俺はただひたすらに謝りとおすしかなかった。
「すまん、鴨志田」
「すまんばっかり……。ほんとに謝るつもりあるんですか?」
「あるさ、なかったら呼びだしてない」
「へー、なのにすまん一本やりで許してもらおうと思ったんだ……」
くそ、何も言えねえ。
「ねえ、村井くん?」
「な、なんだ?」
「前から思っていたんだけど、村井くんってなにかウソついてるでしょ?」
うっ……。
核心をつかれたような気がする。
しかし、俺がかつて勇者だったとか、魔王をこらしめたとか、そういうアタマのおかしいことは答えられない。たとえ俺の話を万が一信じたとしても、俺が魔王をドウ倒したかを語る段になって、こいつに上手なウソを吐ける自信がいまの俺にはなかった。
なにせ、あの世界の魔王さまはちょっと強すぎたからな。
ありとあらゆる魔法を使うことが出来。
そのうえ知略にも長けていて。
部下からの信頼もすこぶる厚かった。
俺なんぞが到底立ち向かったところで勝ち目がないことは火を見るより明らかだ。
俺をあんな暴挙に駆り立てた直接の原因はまた違うところに存するけれど、しかし魔王がもうちょっと弱かったのなら、歴史に名を遺すような卑劣漢ぶりを発揮しないですんだだろうに。そう考えるとなんだかイライラするぜ。
「ねえ、ふたりのあいだでウソのつきっこはなしって決めたよね?」
「それって……あれか? 学校生活においてってことだよな?」
「どっちもいいよ、そんな些細なこと」
おいおい、そこが大切なんよ。
「ねえ、教えてよ。そしたら許してあげないこともないよ?」
「それはできねえ……」
「どうして?」
お前を傷つけなくないから……という鼻持ちならぬセリフでごまかしたいところだが、俺はそこまでキザったらしいやつじゃねえ。
くそ、何にも思いつかねえよ。
こいつに隠していることといえば、俺がかつて勇者だったということぐらいだしな……。
去年の春からずっといっしょにいるだけにヒミツというものがほとんどねえ。
「友達だよね、ぼくたち?」
……やめてくれ、鴨志田。いつもは冷たい視線でぞくぞくさせてくれるのに、なんで今日に限ってそんな色気たっぷりの目つきをするんだ。涼也さん、却ってぞくぞくしちまいますよ。
ところでいちおう言っておくが、俺の同級生鴨志田千尋は「男」である。
俺もはじめて見たときはなにかの事情から、男装している女性かと思っていた(勇者マインドのなごりである)。つやつやとした黒い髪といい、きゃしゃでしなやかな身体つきといい、チャームポイントの泣きボクロといい、体育の授業で着替えているときは、どこからどう見ても完全な女にしか見えない。
ところがどっこい、こいつは紛うことなき男。
さわったわけじゃない。
だって制服がそうなんだもん。
おまけに俺はホモじゃない(ここ重要)。
クラスの連中から、じつはホモではないかと大分疑われているけれど、俺は――ホモではないのだ。証明は簡単だ。俺がもしこいつの服を自由に選べるとしたら、まずはじめに紺色のスクール水着を択ぶだろう。ぴちぴちのレオタードも捨てがたいが、しかしどちらにせよ、両者ともに女物であるがゆえ、俺はホモではないのだ。
だからこそホモではない俺は、単に友人として鴨志田千尋を失いたくなかった。
だけど、俺がかつて勇者であったなどと広言することが出来るだろうか?
否。
なにがあろうとゼッタイに出来ない。
「で、教えてくれないの?」
「そればっかりはすまん」
「ぼくだけが辛い目に合わされるんだね?」
「ち、違うんだ、鴨志田」
「なにが違うの? ぼくたち誓い合ったよね、あの河原で?」
「それは……」
「健やかなるときも、病めるときも、ともに歩み、ともに過ごすことを誓いますかって……。ぼくは真剣だったのに、村井くんはぼくと遊びの関係でいたんだよね?」
「遊びの関係なんて、そんな……」
しかしよくよく考えてみると、友人とはそういうものではないのだろうか。
あれ? なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ?
一体どういうわけだ?
「村井くん、ぼくのことをドウ思っていたの?」
「それはだな、一友人として……」
「そんな嘘っぱちは聞きたくないよ!」
か、鴨志田?
「ぼくたちはそんな関係じゃなかったはずだよ!」
「お、おい……」
「もう信じられないよ、村井くんなんか!」
「鴨志田よ、すこし落ち着いてくれまいか?」
「うるさい! この女たらし!」
「お、女たらし? えっ、おい――――」
俺の呼び声もむなしく、鴨志田は走り去ってしまった。
あれ?
俺と鴨志田の関係ってそんな深かったっけ?
いやいや、友人だよな?
あれ? 友人だっけ?