答は×××
その着うたでケータイが揺れるのを、あたしは毎日の楽しみにしている。
彼指定の着うただから、もちろん彼は知らない。
秘密にしているわけじゃないんだけど、特別言う事でもないし。
「――もしもし? はい、オツカレ。何、飲んでたの? あはは、終電逃すまで飲むなよー。うん、いいよ、大丈夫。おいでおいで」
電話越しの彼の声は少し枯れていた。
アルコールでテンションがハイに切り替わると、すぐに大きく声を張り上げる。
アルコールにも大声にも慣れていない喉は、どうしたって枯れてしまう。
音を上げる喉をそれでも酷使するのだから困ったもんで。
そのうち喉が切れてしまうんじゃないかと心配してしまう。
……しまった。
ドラマ観てた時に電話を取ったまではいいものの、振り返ればシーンが切り替わっている。
感動を呼ぶBGMと、涙ぐむヒロインのアップ。
え。何があったんだい。
ちょっと見入っていたこともあって、ストーリー展開のツボを逃したのはデカい。
おかげで不完全燃焼。
「……ヒロインは泣きゃいいと思ってるしなー」
おまけに毒を吐く始末。
さあ、こんな時はどうするよ、あたし。
答. チャンネルを変える
すっかり興醒めだよ。
こんな時は気楽にバラエティでも観ようじゃないさ。
じきに彼も来ることだし。
さっき駅だって言ってたから、もうすぐかな。
相当酔ってたっぽいな。
外、寒いだろうな。
うちに来る頃には、酔いは覚めてるかな。
んー。
さあ、どうする?
答. ホットレモネードを作る
喉が渇いているだろうし、体も温まるし、アルコールの回った体に優しく通るだろうし。
風邪の予防にもなるし。
よし、まずはお湯を沸かそう。
と、足を運んだキッチンでヤカンに水を注いでいると、ドアベルが鳴った。
おっと、予想より早いじゃないか。
「ご機嫌うるわしゅ〜」
ドアを開くや、枯れた声と一緒に彼が倒れ込んできた。
「ちょっ! 重い! ムリムリ! 支えるのはムリ!」
「つれないこと言わないで〜」
「立って! 自分の足で立って!」
「自分の足で立つにはユルユルなんだよ、人生ってアスファルトはさ」
何うまいこと言ってんだ。
いやうまくないし。
「ほんと限界限界!」
抱き付く彼を支えようと踏ん張っていた足が悲鳴を上げる。
だあ! 倒れる――!
「支えてくれるって言ったのに」
ええい倒れてしまえ――諦めが頭を占めた途端ふてくされ気味の声が聞こえて、あたしの体はしっかり支えられていた。
倒れずに済んだと安堵交じりに文句。
「いや物理的な話じゃなくてだね」
「……悪い」
うっすら零れた言葉に微笑する。
別に謝ってくれる必要はないんだけど。
「……気持ち悪い」
「……え?」
「気持ち悪い」
はっきりと繰り返した彼は脱兎すら追い越す勢いでトイレに消えた。
すぐに聞こえるトイレを流す音。
呆然と立ち尽くすばかりのあたし。
玄関先に残された、ソフトベースケース。
……慌しいヤツ。
あ、ホットレモネード作るんだった。
はたと思い出して、放っとかれたベースケースを手に取り……
「重っ!」
ベースケースをしっかり背負い上げて、ドアの鍵を閉める。
しっかし。
ベースってのはこんなにも重いのか。
こんなにも重いもん担いで、汗だくになって。
めいっぱい酒飲んで。
声枯らして。
女の家でトイレにへばり付いちゃって。
そこまでして、何をしたいんだろうね。
ねえキミ。
キミは何をしたいんだい?
「大丈夫ー?」
質問の代わりにノックしたトイレから、くぐもった声が返った。
あー、とか、うー、とか、そんな感じの、獣のうなり声のような。
とりあえず意識はあるらしい。
あー重い。
肩に食い込むベースケースを窓際に立て掛けて。
そうそう、お湯を沸かさなきゃ。
ヤカンを火にかける。
で。次はレモン、レモン……
「――あー、どうやら飲みすぎたらしー」
トイレの豪快な洗浄音を引き連れて、彼がトイレから出てきた。
なんかフラフラしてるし。
「大丈夫? 今あったかい飲み物作るから、適当にゆっくりしててよ。はい、まずは水」
冷蔵庫から取り出しますは2リットルのペットボトル。
水道水に炭を入れて作る、即席天然水。
「特製天然水だ」
「炭入れるだけだから特製も何もあったもんじゃないけどね」
「ありがとう」
水がキラキラ光るコップは一息で彼に空っぽにされ、あたしの手元に返った。
「喉元すっきり〜」
ガラガラに枯れた声が説得力を欠落させている彼は、まだフラつきながらもベッドに倒れ伏した。
「ねえねえ」
「うん?」
ごろりと横になって、となりに空いたスペースを叩いてみせる彼。
ぽすぽす。
「ちょっと待ってて。もうすぐ沸くと思うから」
とヤカンを指し示したものの。
ぽすぽす。
……えーっと。
どうする、あたし。
答. 指定された場所に行く
念のためヤカンの火を止めて渋々、彼の叩くスペースに腰を下ろす。
彼の細い腕が管を巻くように腰を縛る。
この腕が、あの重いベースを弾いてるんだよな。
いや、実際に弾くのは指でなんだけども。
指は、ちょっとむくんでいる。
弦を押さえるのに必要なくらい、指先の硬くなった左手の指。
爪はいつだって短く切りそろえられている、十の指。
あたしに彼をくっつけさせている、2本の腕。
やわらかい髪を撫でる。
居酒屋特有の匂いが、わずかに残っていた。
今日もめいっぱい大声を張り上げたんだね。
喉がガラガラになるほどに。
終電を逃してしまう時間まで。
「落ち着く〜」
ふにゃふにゃな声でそう言う彼はまるで猫のよう。
んで、気付いた。
「……うわっ。ちょっ、これは……ちょっと待ってね」
彼の耳の中を覗き込んだあたしは、すぐに耳掻きを手に取って。
「え、何? 何?」
「耳、すんごいたまってるんだけど」
「えー、そんなのあとでいいよ〜」
「ダメ。あたしがダメ。これは取り除かないと。今すぐ取り除かないとっ」
迷惑そうに眉をしかめるのを無視して、その頭を膝に乗せる。
さあ、サルベージ開始っ。
「んあ〜」
気持ちいいのか何なのかわからないうめき声を上げていた彼の呼吸は、やがて規則的なものに変わる。
彼には、耳掃除をされると眠くなるという習性がある。
「うっわ、大漁大漁」
爛々と目を輝かせるあたし。
まぶたを閉じて、すやすやと寝息を立てる彼。
「――んねぇ?」
まどろみ始めている彼にクエスチョン。
「んぁ?」
「まだ、別れてないの?」
「んー」
うっすら開いた彼の瞳はあたしを横目で見上げると、気持ち良さそうに一本線に閉じた。
「別れるよ?」
「……ん、そか。はい、反対」
のそのそと体ごと頭を反転させる彼に、それ以上尋ねることはない。
じゃあ、いつ?
だとか、
こっちが質問してんのにどうして半疑問?
だとか。
別れるよ?
最初にその言葉を聞いたのは。
その言葉を信じたのは、いつだったっけ。
言葉が本当になるのが先か。
この恋が嘘になるのが先か。
答えはまだ、見付からない。