人の家の猫
なんとなく水分を含んだ空気が重たくて、足取りも重たくなる。
もちろんそれは、気候のせいだけじゃないことくらいわかっているけど。
平日20時の駅前はとても賑わっている。私以外にも2人ほど、そわそわと落ち着かない様子で立っている人がいた。
さみしいから、飲まない? そんな私のメールに、仕方ないなって返してきた彼。もう何度目になるかわからないやりとり。
ねぇ、誘ってるんでしょ? 目を細めて笑う彼に襲われたのは何度目のときだったか。彼女いるじゃん。寝たらどうなるんだろ。いろいろ考えて雑な性交をした。まぁ、どうにもこうにもならなかったわけだけれど。
「死ねばいいのになー」
思わず呟くと、前を通り過ぎた人がぎょっとしたような顔で私を見た。
あ、馬鹿なこと言った。目があったその人に、帳尻を合わせるように笑顔を浮かべてみせた。
青いシャツを着たその人は、そそくさと私の前を通り過ぎて改札へ向かった。
まぁ、関わり合いたくないだろうな。
しばらくぼうっと待っていると、彼がいつものようにゆっくりと現れた。私の姿を見て、猫のような顔で笑う。目が細く、どこか掴み所のない彼は猫のようだった。さしずめ私は、どこぞの飼い猫に餌を与えて無理矢理懐かせようとしている女だな、と思う。
「酒置いてある?」
「んー。どうせまたいっぱい飲むんでしょ? アル中が満足する量は置いてないよ」
駅前のスーパーに向かう道で並んで歩く。二人の時は仲良しだ。妙に気を使うから私は好きではないけれど。
アル中。と彼は私を呼ぶ。確かに中毒ではある。なんの、かは言いたくないが。
スーパーで酒とつまみだけを買い、彼の家へと歩く。じめっとした空気に夜の道。彼の家へ行く時は、変に気持ちが高ぶって落ち着くために目を閉じて、息を数回整えた。
最近の流行りのお笑い芸人が、画面狭しとテレビの中で暴れまわっている。右側に座る彼が気になっているのに、気にしないふりをして笑った。
「最近やたらこいつ出てきてるよなー。トークは好きだけどネタはちょっと」
彼は不服そうにそう言うと、テレビの電源を切って手元のお酒を飲んだ。
「ちょ、だからって切らなくてもよくない?」
音がなくなると、変な方向になっちゃうじゃないか。
彼は持っていたコップを、テーブルの上に置いた。そのまま私の首筋にそっと手を這わせる。ひんやりと冷たく、少し濡れていた。
ああ、だめだ。
期待してたんだろうか。彼に迫られるともう何も拒絶できない。
期待してたんだろうな、上に乗り楽しそうにしている彼の姿を見て自嘲気味に笑う。
そのまま私は生産性のない不毛な、苦痛しか生み出さない行為をした。
「セフレってなんだろ?」
事後にそう問いかけると、彼はにっと笑った。
「そのまんまじゃない? 君は広い意味で友達だよ」
私が好意を持っているのも知ってて、彼はそうやって笑うのだ。
「明日の朝はちょっと、早くでてもらってもいい?」
「ん、仕事?」
「いや、そういうわけじゃないけど。予定がさ」
いたずらっ子のような笑顔を消して、気まずそうに目線を泳がせる。
彼女が来るなら来るって言えばいいのに。
「あー。まだ終電あるから、今から帰るわ」
え? という顔をした彼の顔を見ないようにして、服を着る。
テーブルの上の酒が入ったコップ。残りを一気に飲むと喉がかっとした。テーブルの上にコップから滴った水が溜まってた。
「じゃあ、また今度」
玄関まで見送った彼が、ほっと息をついたのを見逃さなかった。
都合のいい女って、私のことを言うんだろうか。いや、もっとさっぱりとした女性に違いない。私は都合のいい女と呼ばれるには、面倒すぎる。
真っ暗な駅までの道を、ぼうっとしながら歩いた。得るものも何もなく、ただ失うだけの関係に私は何を見出しているのだろうか。
人様の猫にちょっかいかけても、ただ虚しいだけだ。懐く振りをして餌を食べては、彼らは飼い主のところへ帰ってしまうのだから。