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恋歌遊戯

瑠璃花の薬入れ(恋歌遊戯余話)

作者: 琳谷 陸

瑠璃花の薬入れ




 瑠璃花は蒼い花。 花は時折、涙を溢す。

 それは花琥珀と呼ばれる。

 花琥珀は奇跡の一粒。 それは類い稀なる妙薬の素。



 晩夏の茜に染まる市の中、俺たちは買い物に出ていた。

「おい」

「何ですか? 樹宝さん」

「何か欲しいもんとかねぇのか」

 俺の言葉に、人の波にも慣れてきたリトは少し考えるように首を傾げて。

「あ。 岩塩きれかかってたんです! 買うの忘れてました」

 そ・う・じゃ・ねぇだろうが!

 人間のたむろする市の中で、俺は思わずそう叫びたいのを、懸命に堪え、代わりに片手で顔を覆った。



「つまりぃ、樹宝さんはぁリトさんに何かご褒美を買ってあげたかったのぉ?」

「別に。 褒美というか、あいつがずっと休みなしでせわしねぇから」

 ビオルさんと大樹が作り出す木陰に腰を下ろして、俺は昨日の市であった事をぶちまけ……もとい、相談している。

「くふ。 まぁ、仲が良いのは善い事だよぉ。 でもぉ……そうだねぇ……リトさんが喜びそうなものぉ」

「人間の女ってのは、皆こんなもんなのか……?」

 独り言のように口から零れた言葉に、ビオルさんが苦笑した。

「皆、とは言わないけどねぇ。 まぁ、リトさんの場合は貢げば喜ぶタイプの女の子じゃあないねぇ」

 この人の口から『貢ぐ』とか聴くと何か変な気がしてならないんだが、そんな事はどうでもいいとして。

「貢げば喜ぶタイプの女の子じゃあないけどぉ、うふ。 好きな人からの贈り物なら、きっと何でも喜ぶと思うよぉん? それが小さい大きい関係なく、ね」

「……そうは言っても、俺にはまず何を遣ればいいのか見当がつかないんですが」

「あは。 そこはぁ、悩むのが樹宝さんのぉ義務であり特権だからねぇ。 うふふ」

 そう言って、ビオルさんはさっきから手を動かして作っていた何かを軽く叩いた。

「ビオルさん、それは?」

「これぇ? お薬手帳ぅ。 ノートとして書き込める部分とぉ、ちょっとした薬草の煎じ方とかを書いた手引き書が一緒になったものだよぉん。 リトさんにあげようと思ってねぇ」

「…………」

「樹宝さんや、そんな顔する必要ないからねぇ? もう」

 ビオルさん、俺がどんな顔してるって言いたいんですか。

 困った子供でも見る目でビオルさんが俺を見てくる。 居心地悪りぃ。

「……そうだぁ、参考になるかわからないけどぉ、この間ぁ瑠璃花のお話をリトさんにしたら興味持ってたみたいだよん」

「瑠璃花って、あの青い花ですか?」

「そうそぅ、お星様みたいな五枚花弁のお花ぁ。 全草が薬になるって話をしてねぇ」

 花の蜜は咳止めに、葉は痛みの緩和、茎や根を乾燥させて煎じれば胃腸の働きを整える。 確か種も食べられるとか言ってたな。

「ビオルさん、あいつの体調ってどうなんですか」

「うんぅ? 問題ないと思うよぉん。 最初と比べたら本当に見違えるくらいぃ、健康になったと思うけどねぇ」

「そうですか」

「うん。 うふふ。 そういう事は、出来れば本人にも言ってあげる事だけどねぇん」

「別に、必要ないでしょう」

「あっは。 膨れなくなっていいじゃなぁい。 くふ、そういう一言でもぉ、リトさんは喜ぶと思うけどぉ?」

「…………」

 ビオルさんはニィッと笑みを浮かべ、言う。

「言葉一つ。 けどぉ、侮れないよん? 一言あるか無いかでぇ、分かれ道だったりするしぃ」

「ビオルさん……俺で遊んでませんか」

「いやん。 そぉんな事無いよぉ」

 本当か? 俺の疑惑たっぷりの視線に、ビオルさんは少し苦笑した。

「一言が、分かれ道だったりするのはぁ、本当だよぉ? ……少なくとも、私にはねぇ」

「っ」

「あはは。 まぁ、気遣いは一言あるとぉ、大事にされてるって思えるんじゃあないかなぁん」

 ひらりと立ち上がったビオルさんは俺が何か言う前にフードを揺らして踵を返した。

「樹宝さんや。 頑張ってねぇ」




 夜の紺碧が広がるそらには真珠のような丸い月。

「わぁ……綺麗……」

 溜め息が出そうな、というのを通り越して感嘆の息を零し、リトは目の前の光景に魅入っていた。

「気に入ったかよ」

「はい! こんなに素敵な景色見たことないです。 連れてきてくれて、ありがとうございます。 樹宝さん」

 月の光に照らされたリトの頬が嬉しそうに淡く染まっているのを見れば、悪い気はしねぇ。 まぁ、連れてきて良かったと思ってもいい。

「本当にすごい……」

 狭間峰でも風通しの良い場所を好む瑠璃花は、必然的に崖の近くなど足場が悪い場所に群生する。

 ここはそんな群生地の中でも比較的足場の良い、丘に近い所だ。

 何百、何千という小さく青い花が密やかに咲いて揺れている。 月の灯りを飲み込むように、薄っすらと青い花は光っているようにも見えた。 地上に空が咲いているみたいだ。

「どうしたんだ?」

 光景に目を輝かせていたリトが、不意に考え込むような表情を見せたのが気になって訊くと、少しだけ上目遣いに答えを返す。

「本当に、摘んでも良いのかなって思って」

「……?」

「とっても綺麗だから、勝手に摘んでも良いのか迷っちゃって」

 この景色を壊してしまうんじゃないかと思ったらしい。

「別にお前が少し摘んだくらいで、んな景色は変わったりしねぇよ」

「はい」

「けど、気になるならそこと、あとそっから少し左のあれにしとけ」

 俺が指差したのを見て、リトの瞳が不思議そうに瞬いた。

「そいつらは、摘まれても良いって言ってるからな」

「樹宝さん、お花の声が聞こえるんですか?」

「あ? ……花の声っつーか、まぁ、似たようなもんか」

 花の意思が姿を取って俺たちを見ている。 普通の人間には見えない、か弱い存在だ。

「こいつらはもう種も落とし終わって、この花も後は枯れて土に還るだけだから好きに使えって言ってるからな」

 リトは俺の言葉に花を見て、花の近くに跪く。

「ありがとう。 大切に使わせてもらいます」

 祈るように真摯な声を受けて、花の精が嬉しそうに笑った。

 それを見ていた周囲の花も、次々に摘んでも良いと言い始める。

「お前……わざとじゃねぇのがたち悪いんだよな」

「え?」

「何でもねぇよ」

 さっさと摘め。 そう言って見ている間にも、リトの周囲には花精やら下位精霊やらが集まってくる。

 見えやしねぇんだが、よくもまぁこれだけ集まってくるもんだ。

「…………樹宝さん? どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」

「は?」

「えっと、眉間にしわが」

「……………………気にすんな」

 適当な所に腰を下ろして小さな手籠に花を摘むリトを眺める。

 初めて見た時は気味悪りぃとしか思えなかったのにな。

 リトの白金の髪は月の光でも陽の光でも、どちらで見てもやっぱり光だ。 追い詰められたような強い光があった瞳は、今は純粋な生命の強さと輝きがある。 あれがこうなるなんてちっとも予想してなかった。

「樹宝さん」

 この声に名を呼ばれると応えたくなる。 本当に世の中どうなるかわかったもんじゃねぇ。

「何だよ」

「これ、何でしょうか」

 それを見るために立ち上がり側に行く。 見れば、リトの手のひらの上にあったのは小さな黄昏色の石みたいな結晶だった。

「珍しいな。 瑠璃花の涙じゃねぇか」

「涙?」

「時々あんだよ。 花の蜜が固まって石みたいになる」

 青い花が流す黄昏の涙。 咳止めの蜜が作った結晶は、この形になると少し薬効が変わる。

「樹宝さん?」

 摘み上げた結晶を、少し力を入れて二つに割った。 その片割れをリトの口へ指で軽く押し込んだ。

「疲労回復効果があんだよ。 何でも独りでやろうとすんじゃねーっての。 少しは、俺だって手伝ってやる。 だから、言え」

「~~~~!」

 見る間に真っ赤な林檎みてーに茹で上がってくリトの顔色は見ていて面白れぇけど、くそ、こっちまで伝染してくるのはどうにかなんねぇのか?

 真っ赤になって俯くリトは、あんま好きじゃねぇ。 顔が見えねぇだろ。

「返事は」

「はぃ……」

「顔は」

 硬直して数瞬、リトの手が伸びて俺の袖を掴む。

「樹宝さん、意地悪してますよね?」

「返事は顔みてするもんだろ」

「…………」

 嗚呼、ほら見ろ。 やっぱこっちの方がいい。

 林檎みたいに実りの色で顔を染め、光を紡いだ白金の髪が揺れる。 豊穣を映したような明るい茶の瞳が少し潤んでるのも、いいもんだ。




 残り半分の瑠璃花の涙は、

「おい。 リト」

「はい。 何ですか? 樹宝さん」

「やる」

「……ペンダント?」

 銀の細い筒に嵌め込んだ。 薬入れの飾りになった。

「中に薬でも入れておけ。 瑠璃花の涙は薬効を高めるって噂もあるからな」

 いつ、誰が言い出したかも知らねぇけど、まぁ、悪いもんじゃない。

 陽の光に輝くリトの笑顔を見て、俺はそう思った。




 終



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