居候クロハ
歩くこと数分。
美しい翠緑色の建物群の先に一際大きな建物がある。
領主館である。
4階建ての建物は、翡翠や緑色を多く含む瑪瑙が豪華にも使われ、金銀には無い落ち着いた美しさを醸し出している。
その建物の中は、領主室と議会院に大きく分かれる。議会院系列の部屋が建物の大部分を占め、小さな4階に領主の部屋がある。
その4階に上がった2人は、領主室の扉を叩く。
「セイトです」
ややあって入室を許可する返事が返ってきて、
「粗相はするなよ」
と女に念を入れて、扉を押し開ける。
「遅かったな、セイト」
着物を着崩した出で立ちの女領主、ファティオは労いの色を浮かばせた。
「はあ、いろいろありまして…」
歯切れ悪く答えた俺に、
「とりあえず、その皮袋の中身を拝見しよう」
ファティオは隣の不安要素を完全に無視した。
「ええ、問題ないです」
執務机に、黄金のたてがみを持ったモンスターの残骸が置かれる。
「ほう、よく一人でやったな。大抵、みな一度は失敗して帰ってくるのだが」
そんなのありかよ。失敗したら、一からやり直しかと思ってたんだけど。
「よし、後で一階に行け。お前もようやくレイヤーだ。父を超えるよう努力しろ。それはきっと、シルフの大きな力になるだろう」
「はい。父を越せるよう努力していきます」
うん、と満足気に頷いたファティオはとうとう切り出した。
「その御仁は誰だ」
置物のように黙りこくっていた女は、自分のことが議題にされたことに気づいたようだ。
「わたしは、クロハ。クロハ・ツトー。ファルト族出身です」
しばらく、クロハという女を眺めたファティオは、ぐるりとこちらを向いて、
「駆け落ちか?」
何てことを聞くんだ。
「拾い物です」
正直に答えた。しかしこいつ、クロハっていうのか。ツトーってのはどっかで聞いた気がしないことも無いが。
「どういうわけで拾ったんだ」
ファティオは何やらニヤニヤして答えを待っている。あんたの望む答えは出ませんよ。
「えーと」
どうしてだっけ。
そういえば、と思った事実はどうやら、結局は報告しなければいけない事案であった。
「えーと、ここから西にしばらく翔んだところで、バルキュリアドラゴンと遭遇しました。成体で、ブレスを使うことから、クラスファーストだと思います。そこで、クロハを回収しました」
ドラゴンタイプのクラスファースト出現は重大な出来事になる。驚異の早期排除のために、おそらくシルフの全レイヤーが参加しての討伐任務が領主ファティオの名前で出されるはずだ。
ファティオが息を飲んだ。しかし、動揺は一瞬で、名領主は判断した。
「報告助かる。後で、褒賞を与えよう。もちろん、討伐にも参加してもらうが」
「もちろんです」
よし、と頷いたファティオは
「クロハは、どうやってここまで来た。ファルト領からはかなり離れているが」
聞かれたクロハは気まずく
「テレポートの魔法を試したら、思ったところに跳ばなくて、気がついたら、大きなドラゴンが目の前にいまして…」
後は聞いた通りです、と締めたクロハは嘘を言っている感じが無い。
「それで、悲鳴を上げてたのか…」
俺はあの時の悲鳴の正体をようやくつかんだ。半ばわかってはいたが。そして、ファティオはとんでもないことを言った。
「クロハはお前に任せた、セイト」
は、何言ってんだこの人と思わなかったといえば嘘になる。事実、俺は目を見開き、顔に信じられないと書いてあっただろう。
「ではな、セイト。褒賞は下でもらってくれ。その時、討伐任務に参加するのも忘れるなよ。クロハも参加したいなら構わんからな。死んでも知らないが」
ハッハッハ…と女らしく無い笑いかたで俺の肩を叩いて出て行った領主はさもご機嫌に去って行った。
一階に降りると早くもバルキュリアドラゴン討伐任務の要綱が貼られているところだった。
レイヤーは、領主館一階の任務処理窓口の掲示板に貼られる要綱から受けたい任務を選び、その要綱を引っぺがして、カウンターで受領手続きを行う。オーケーのスタンプを要綱に押されれば受理完了。クエストに応じた課題をクリアして、もう一度カウンターへ要綱を持って出向く。そこで証拠と要綱を提示すれば、任務完了。クエストに応じた報酬を受け取って、もう一度ボードとにらめっこする…。
どこかのゲームで有りそうなシステムで、レイヤーは人々の役に立っている。多くのクエストは一般の人々が依頼しているのだから。
そのボードには、常に大量の要綱が貼ってあるわけだが、「緊急」と銘打った一つのボードには、今貼られた多量の要綱が風にはためいている。
「サレスさん早いですね」
俺が声をかけた女性、サレスは振り向くとにこりと笑みを浮かべ
「おかえりなさい、セイトくん。さっきファティオがあなた宛の荷物をおいて行ったわよ」
こちらも早くて助かる。
「はい、それの受け取りとレイヤー登録に来ました」
「そう、やっとレイヤーになったのね」
自分のことのように喜んでくれるサレスは、セイトにとって憧れのお姉さん像そのものであった。この仏様のような人とさっきのファティオが生来の大親友だと誰が信じるのか。
「はい、これがレイヤー登録証。荷物と一緒にしとくわね」
そういって薄い袋を手渡してくれたサレスにまだ用事があったことを思い出した。
さっきの要綱を2枚引っぺがすとサレスに差し出す。
「これ、参加します。ここのクロハも一緒に。領主から許可を得てます」
ここでようやくクロハに気付いたサレスは、ニヤリと笑い、
「もしかして、駆け落ち?」
この人はファティオの親友で間違いないようだ。
「さっき領主にも言われました。断じて違います」
あらそう、と残念そうに頷いたサレスは2枚の紙に受領のスタンプを押した。
「はい、これでオッケーね。いきなり大規模クエストで大丈夫?」
「大丈夫だと思います。それより、偵察隊はどれくらいで帰還しそうですか?」
多分、領主が選び抜いたレイヤーがバルキュリアドラゴンの捜索に出ることになるだろう。その偵察隊が発見次第、クエスト開始となり一斉に街を出て、討伐に向かうことになる。俺は、それまでにクロハのことを知っておかねばならないと思っていた。
「そうねー、多分今日中に出発するから、早くても明後日頃になるんじゃないかな」
「ありがとうございます」
そう言って、ボードからもう1枚要綱をとる。
「これもいいですか」
はいはい、と言ってまたスタンプしてもらう。
「ありがとうございます」
もう一度お礼を言って、領主館を出た。無論クロハと連れ立って。
「お前、これからどうするつもりだ」
クロハはしばらく考えて、
「わたし、戻りたくないの。だから、なんとかここに居られないかな」
「戻りたくないのか」
うん、と頷いたきり黙り込んでしまった。これ以上聞かない方がいいと感じて、
「どうするつもりだ」
今後のことを聞こう。
「一応、レイヤーなんだけど…」
それは知ってた。胸にレイヤー登録証がついてたから。ファルトの登録証は黒曜石を丸く磨いたものらしい。それは父から聞いた。
「衣食住はどうするのか、って聞いたんだ」
そう言うと、クロハは不意に立ち止まって、申し訳なさそうにこちらをじっと見た。
「まさか、俺のとこに来ようとは思ってないよな」
「…ダメ……?」
アメジスト色の瞳が俺を映した。チクショウ、見た目は可愛いんだよなぁ。
「……贅沢は出来ねぇかんな」
決して色香に迷ったわけではない。その笑顔に惑わされたわけではない。…きっと。
入り口のドアを開けて
「ただいまー」
と言ってみるが、誰も居ないことはわかっている。父は、一昨日からキャンプクエスト(数日かけて遠くの村の人々の依頼をこなしに行く)に出かけていて、明日くらいに帰ってくると聞いていた。母はいつも通り店番だろう。
もれなくついてきたクロハと一緒に簡単な朝食をとって、2階へ上がる。
「お前の部屋はここな。しばらく使ってなかったから掃除するぞ」
階段を上って右側の部屋を2人で掃除する。残念ながら、魔法で一発、というわけにはいかない。地道に箒をかけ、雑巾がけをして綺麗にする。これがなかなか、クロハの手際がよく、30分ほどで終わってしまった。クロハは荷物を持っていないので、そのまま俺は湯を浴びに浴室へ。
軽く流して、サッパリした俺は、部屋にいたクロハに
「湯を使いたかったら使っていいぞ。俺はしばらく寝るから。何かあれば起こしてくれ。隣にいるから」
こくり、と頷いたのを確認して自室のベッドへ潜り込む。昨晩寝ずに戦って、翔んだので、夢の誘いはすぐにやってきた。
ゴーン、ゴーン。
重厚な鐘の音で街中に昼を告げる。
その音で目が覚めた俺は、窓の外を見た。確か、寝たのが太陽が出てしばらくしてからだったから……4時間くらい寝たのか。十分だな。
部屋を出て、くるりと左旋回。クロハの部屋を開ける。
「おーい、クロハー」
すると仮設のベッドで寝ているクロハがいた。
その寝顔があまりにも綺麗すぎる。起きている間は可愛い感じなのが、寝顔は、なんともミステリアスな美人像だ。
しかし、どれほど美人でも熟睡していればどんな人でも大差ない。実に気持ち良さそうに寝ているのだ。起こすに起こせない。
仕方なく一人で街に出る。レイヤー認定のクエストでもそれなりに金(この世界ではユルという単位)が出た。その金をどう使うかはもう決まっていた。
まず、呉服屋に寄る。大体のサイズだけ伝えて、最後に女物で頼むと言ったときに店主は
「セイトはそんな趣味があったのか」
と言ったが無視してやった。
後は、家具屋に寄ってそれなりの数の家具を注文する。その日のうちに準備できると親方は豪語したので、約束を破ったら全部タダにしろと言って店を出る。
鍛冶屋で約束のものを受け取って、最後に薬屋に。
幸い客は誰も居ない。奥のカウンターに腰掛けて本を読み耽る母。
「母さん」
声をかけるとようやく気付いて、
「あらセイト。どうしたの」
そう言って、
「なんとかレイヤーにはなれたようだね」
何も言ってないのに気付いたようだ。
「うん、なんとかね」
軽く答えて、本題を切り出す。
「あのさ、ファティオさんに迷子の面倒をみろ、って言われたんだけど…」
「あのファティオさんの言うことなら仕方ないわね。どんな子なの?」
なんと言えばいいのか分からなかった俺は、
「帰ってくればわかるよ」
曖昧に返して、薬屋を去った。
そのあとウヨにクロハのことを話して、家に戻ったのは、陽がオレンジ色に染まってからだった。
黙ってドアを開けてみると、家具と衣服が山積みになっている。
「仕事が早いなー」
そう言って、一時的に筋力を上げる魔法を自分にかける。普段使わない魔法なので、つっかえそうになりながら詠唱して、うまく行くとホッとする。
大きな家具を背負って階段を上がって
「クロハー開けるぞ」
返事を待たず開ける。そこには、まだ眠るお姫様がいた。
「よく寝るな」
半ば呆れ半ば感心しながら、次々と荷物を運び込む。
今日買ったすべてのものは、クロハのために買ったものだ。とりあえず、家具と衣服を用意しただけだが。まあ、必要なものは後で買い足せばいい。
全てを運び込むと同時に
「ん……」
眠り姫が目を覚ました。
「よく寝られたか?」
挨拶替わりに聞いてみる。
「…うん」
寝ぼけ眼を擦りながら、頷いた。
「そこどけ。ベッド変えるぞ」
そう言うとようやく部屋の様子に気付いたようで、
「あれ…?」
ベッドを取り替えながら、
「そこに服もあるからな。足りないものかあればなんでも言えよ。できる限り用意してやるから」
仮設のベッドを撤去するべく部屋を出る直前
「…ありがと」
そう聞こえた声になぜか恥ずかしくなって
「…おう」
そう答えることしかできなかった。
陽がくれて、俺が晩飯の準備をしようと思った頃に、クロハが降りてきた。どうやら一通り家の中を見て回った様でこれまで緊張していたのが幾分か落ち着いた顔になっていた。そして、自分も手伝うと言って料理を2人で始めたのだが、なんと凄く料理が上手いことが分かった。何とも手際がいいのだ。気付くと俺がクロハの手伝いをしていることになっていた。
その間クロハは、ポツリポツリとファルト領にいた頃の話をした。
両親にレイヤーになって家に金を入れてくれと懇願されたが運動が苦手な上に剣も下手くそで、とても一人前とは言えるものでなくて、とても苦しかったのだと。
「だから、家の空気は美味しくなかった。いつもお前は欠陥品だと両親に言われた。わたしは、料理や裁縫をしていたかったのに、勝手にレイヤーになれと言って、なったのに褒められもせず…」
「それでテレポートしたのか」
「うん。行き先は正直どうでもよかった。それに死のうと思ったの。で、テレポート先に丁度よく大きなモンスターがいたんだけど、どうしてかいざ死ぬってなると怖くなっちゃって」
そこで話をやめたクロハは、自嘲するように言った。
「情けなないよね、わたし」
「そんなことないさ。誰だってそうだ。きっと」
こんな月並みな答えしか出してやれない自分にセイトは腹が立った。
「ここで生きて行けばいいんだよ。ファルト族のクロハじゃなくていい。ただのクロハでいいじゃないか」
つまらない柵なんてどうでもいい。これからどう生きて行くかで全てが決まる。と言い含んだつもりだったが、果たしてどう伝わったのか。
わずかに頬を染めたクロハはそうね、と呟いた。
図ったようなタイミングで母が帰宅した。
「おかえり」
いつも通りの労いの言葉と、非日常の存在が交錯する。
「はじめまして、クロハと言います」
母はふうん、と鼻を鳴らしてクロハをしげしげと眺めて
「あなたが迷子ね。うん、可愛い子じゃない。気に入ったわ。今日からこの家の子ね。帰るって言っても帰さないから」
なんと言うハイテンション。まあ、気に入ったことはいいことだ。
「あなたの部屋は上の空き部屋でいいのね。さ、ご飯が冷めないうちに食べちゃいましょ」
相変わらずの勢いでまくしたてる母のテンポに、クロハはついていけてないようだ。
とにかく席についた思った俺たち3人は
「いただきます」
の唱和で、3人は各々食べたいものへ手を伸ばした。
この世界では、主として食べられているのは基本麦だ。直接炊いて麦飯もありえるし、パン等に加工されて食べられることも多い。コメは気象条件を選ぶため、高級品の部類に入る。今日の食卓に並んでいるのは、粗いパンと野菜のスープに昨日の今頃狩ってきたヒルーヒの胸肉。
前述の通り、クロハの料理の腕が不気味なレベルでハイエンドなので、普段美味しいと思わない猿型の肉も美味く食べられる。猿の肉は臭いから嫌だとぐずっていた母も、無言で食べている。そんな俺たち母子を満足そうに見ているクロハは、母子の母親役であった。
無言の食事が終わり、今度は俺が淹れたお茶で一息つきながら、少し互いに話をする。
「明日父さんが帰ってくるんだろ」
母に振った話題はここに居ない父のことだ。
「かもね。今まで約束を守ったことがないヒトだからねぇ」
しみじみと母が話すと、
「明日はどうするつもりなの?」
今度はクロハが俺に振ってきた。
「とりあえず、今日受けたクエストをこなして…そのあとはそのとき考える」
馬鹿を見る目でクロハがこっちを見る。
「なんだよ。お前はやりたいことでもあんのか?」
「あんたクロハを街に連れて行ったら?まだ行ってないんだろう?」
うんうん、とクロハが頷く。うーん、そうだな、
「そうするか。ついでもあるし」
母はうんうんと満足そうに頷いて、クロハは期待のこもった顔で窓の外を見た。
その窓には、これからの未来を暗示するかのように北極星が一番に輝いていた。
VOCALOIDに於ける某プロジェクトのクロハ(非公式呼称)とは一切の関係はありませんのでご留意を。




