出会いの前
一筋の流星が高く澄んだ空気に光る尾を引いて消えた。
真っ暗になった。
高くそびえる樹々は深い闇を湛えて動かない。
時折吹く風に頬を撫でられ、鳥肌が立つ。
極度に緊張した筋肉は、ヒクヒクと引き攣って上手く動かない。
暗視の魔法をかけているはずだが、決して明るくない。
まだ、未熟なんだろうか。
ふと浮かんだそんな言葉を否定するように首を横に振る。
ここは、領外。
人外の異形の生物、モンスター達が跋扈する地獄。
一瞬でも気を抜けば、領地に帰ることは叶わなくなる。
粘着質な空気が身体を包む。
カチャリと音を奏でる直刀が煩い。
もう一度吹き抜けた風に、
ふと。
イレギュラーなサウンド。
自然界に存在し得ない音。
薄気味悪く響く低重音は、まるでイビキのようだ。
音波が肌を舐める。
その音には、聞き覚えがある。この音こそ、セイトが探していたものだ。
音を頼りに静かな足取りで樹々の隙間を縫うように進む。
少し歩くと、広い場所に出た。
中央に黒い影。
細い身体付きに、伸びる尻尾。たてがみの様な体毛は日中に見れば燃えるような黄金色を湛える。
猿型中型モンスター「ヒルーヒ」。
強靭でしなやかな筋肉は、大型種に劣らない脅威になる。
しかし、普段ならば数匹~数十匹の群れを作るのだが、その取り巻きは見当たらない。
その取り巻き「ルーヒ」は昼間にセイトが狩りまくったお陰で、いなくなった様だ。
「よし…」
ヒルーヒに聞こえないように注意はするが、思わず手を握ってしまう。この達成感と優位は、セイトの一張羅と引き換えに手に入ったものだ。
そう…お気に入りだったのになぁ……あの長衣…。
スウ、ともう一度吹き抜けた風によって現実に引き戻される。
目の前のヒルーヒは、相変わらずイビキをかいて寝ている。やはりヒルーヒは昼行性だったのだ。
すぐさまメモを取るセイトは呟いた。
「俺一人なんだけどな…。大丈夫か…」
レイヤーの大原則として、モンスター討伐には、大きさや等級|(強さを表すクラス)によって、複数人による合同討伐隊を組むのが常識である。一人で領外に出るのはよほど腕に覚えのあるレイヤーか、死んでも治らない程の馬鹿か。
「俺は、馬鹿だけどな…」
シャリン、と小さな音で剣を抜く。
暗視魔法はまだ効いている。
寝ているうちに、首を貰い受ける。
フウー、息を吐く。
スウー、息を吸う。そこで止める。
ザッと音が出るほど踏み込んだ右脚が身体を前に出す。
彼我の距離は10メートル…5メートル…2メートル…。
一撃必殺のライトエフェクトを帯びた直刀は、狙い違わず燃えるような黄金色のたてがみにヒット。刹那の抵抗感を無視して骨をも断つ。
が、そう上手く行くわけも無く、それなりに深く斬ったもののまだ息はある。
「ガァァァ!」
短く吠えたヒルーヒは一度距離を取ろうとする。
「ちょっと待ってよ」
理解できるはずにない言葉をかけたセイトは、もう一度剣を光らせる。
鈍く輝いた剣尖が、今度は前足を捕らえて今度こそ断つ。
「ガァァァアア」
怯んだヒルーヒの首をもう一度。
「ハァ!」
短い気合の声とともに、今度こそ討伐。
「ウォォーン…」
断末魔の叫びを最後に沈黙。
「だあー、疲れた」
革、ことにたてがみの部分を剥ぎながらどっと押し寄せる疲れに文句を言う。
シューシューと耳元を過ぎる空気。
春とは思えない暖かな夜の空気が飛翔中のセイトを包む。
背中の皮袋には、ヒルーヒの残骸、もとい様々な物へと変化する素材が入っている。モンスターの骸は放っておくとなぜか消えてしまうのだが、こちらも何故かある消滅を防止する魔法をかければ消えない。だったら、死体全部にかければいいのだが、恐ろしく消耗する魔法であるので、必要無い部分については、自然消滅に任せるのが一般的である。稀に大パーティーで行き、その魔法をかけるためだけに数人連れて行って、モンスターをそのままの姿で持ち帰る時もあるにはあるが、研究用であったりなど、現実的には少ない。
「これでようやく、レイヤーだ」
そう。これは、セイトがレイヤーになるための最終プロセスであったのだ。領地に帰って、領主に報告し証拠を提示すれば一人前のレイヤーとなる。
そう思うとやはり嬉しくなる。これから、自分の力で自分の未来を切り拓いていける。ようやく、父に追いつく条件を揃えられる。
そんな気分でスピードを上げる。轟々となる空気を切り裂いて真っ直ぐに領地に帰る。
後になって思った。
何故、この時、あの声を聞き取ることができたのだろうか。




