第一話:死の匂い
それは死だった。
クトラの騎馬隊はまるで一つの生き物のように動く。
個人差はあるが騎馬隊に所属している者はまるで自分自身が大きくなったかのような錯覚に襲われるという。
その時のグレンもその一人であった。
2交代制の4日にわたる戦闘機動は個人の意識をすりつぶし、グレンはまるで自らに出来ない事がないという全能感を感じていた。
だが死というものは突然やってきた。
突如として起こる空間の歪み。
その時、予定していた戦場にまんまと敵を引きずりだすことに成功した軽装騎馬隊は弓兵の一斉射の後に突撃をかける用意があった。
迎え撃ったのは純粋な力の奔流であった。
グレンの目に映ったのは文字通り消し飛んでいく仲間たちだった。
友人もいた。尊敬していた先輩もいた。気に食わない奴だっていた。
それらは純然たる力の前では等価だったのだ。
「はは、生きている奴はいるか。生きてるやつは返事をしろ!!」
死体の山から這いだしたグレンの周りに生きている者はおらず、そこに有るのは濃密な死の気配だった。
「おい。本当にみんな死んじまったのかよ。クトラの民は無敵だろ?馬に乗ったクトラの民を倒せるものはいないんだろ?生きてるやつがいたら答えろよ!!」
死は誰にしも平等に訪れる。
だからグレンが生き残ったのは偶然だったのだろう。
『偶然』爆心地に最も遠く、『偶然』第一波に吹き飛ばされた人に当たって落馬し、『偶然』仲間たちの下敷きにならなければ生き残ることはできなかったであろう。
五体満足であることは『偶然』ではなく、もはや『奇跡』と呼ぶにふさわしい。
ただ当事者たるグレンにそんなことを考える余裕はなく、絶叫し、絶望し、そして気を失った。
***
グレンが次に目覚めたのはローブを着た者が走り回る見知らぬ天幕の中だった。
半分覚醒しながら自分は助かったのだという安堵と自分だけが助かってしまったという罪悪感が胸中に渦巻く。
あの中を助かっておまえは本当に幸運だった。おまえが仲間の運も吸ってしまったから仲間が死んだんじゃないのか?おまえが助かって仲間も喜んでいるはずだ。いや、おまえが死ぬことを仲間も望んでいる。
そんな答えのない思いを振り払うかのように頭を振った時、グレンは自分が拘束されていると気が付いた。
両手両足ごとぐるぐると縄によって寝台にしばりつけられていたのだ。
いつものグレンならすぐさま大声をあげて人を呼んだだろう。そして外そうと無駄な体力を使って暴れたはずだ。
自由を信奉する草原の民であるクトラの一族にとって拘束され、体の自由を奪われることはとんでもない侮辱行為を受けたのと同等なのだ。
だが死線を潜り抜けた者にありがちな一種の虚脱状態に陥っていたグレンは拘束を外そうと暴れるでもなくそのままにしてぼーと天幕を見上げ続けた。
「era!iaterio!」
しばらくそうしているうちに、ローブの一人がこちらが起きたことに気がついたのか、知らない言葉を叫んだ。
そう、知らない言葉だ。帝国共通語ではない。
軍の中では帝国共通語を義務づけられているというのにだ。
いぶかしげに思っていると、叫んだのとは違うローブの人が近づいてきてたどたどしい帝国共通語で問いかけて来た。
「あなた。選ぶ。服従。死。権利。」
その言葉を聞いてグレンは自分の状況を正確に把握した。
グレンは気絶している間に捕虜となっていた。
***
この世界には服従の術式というものが存在する。契約術と呼ばれる魔術のうちの一つで、魔法師でない一般人にも使える術の一つである。
むしろ一般人に使わせるために改良が加えられ続けた術である。
自らが服従を誓ったものにはいっさいの危害を加えることが出来ず、自らの生命に対して直接の害が存在しない限り服従を誓った存在の命令に従う。
ここで重要になるのは、服従の術式は服従の本人が誓わなければならないところである。
「なんでだろうな。敵に服従するぐらいだったら死を選ぶと思ってたんだが。」
「話す。だめ。歩く。」
「……。」
今グレンはローブの人に連れられてひときわ大きい天幕へ向けて歩かされていた。
独り言を話すことを禁じられようと思考自体を禁じることはできない。
グレンは自分というものが分からなくなっていた。
草原の民は無理やり拘束されることを良しとはしない。
それは肉体的なことだけではなく魂も含まれる。
つまり模範的なクトラの一族は服従か死かの選択を迫られた際に死を選ぶ。
だからグレンも与えられた選択肢に対して『死を選ぶ』と答えようとしたのだ。
だが、口から出た言葉は間逆の『服従する』であった。
自分で自分の言葉に驚いたがその後の服従の契約中でさえ舌を噛み切って死ぬ機会が多々あったのに死ななかったことを考えると、どうやら自分は実は死にたくないと思っていたらしい。
たとえそれが一時の迷いや未練だったとしても服従の契約がなされた今ではもう永遠に死ぬ機会が失われた。
最初の命令が『自殺してはならぬ』だったからだ。
その言葉だけが流暢だった様子からすると先人には服従の契約後に後悔して自殺した者がいるのではないかと思えた。
「話す。いい。入る。」
「はい。はい。」
天幕に入ると見るからに荘厳なローブに包まれた老人がいた。
背はグレンと同じぐらいだと思うが、身にまとった覇気が体を一回り大きく見せている。
老人は長く伸びたひげをなでつけながら、ローブの人に何かを言いつけたと思うと、ローブの人は恭しくお辞儀をして天幕から出て行った。
「さて、お主か?あの大魔法にさらされながらも生き残ったという輩は。」
グレンが驚いたことに老人が話したのは流暢な帝国共通語であった。
「そうだ。お前か?あの大魔法を撃って俺らを殺しつくそうとした輩は。」
わざと老人の言い方をまねて言い返す。
「ふむ。ぱっと見たところ、どうやら不思議な力の類は無いようじゃのう。それとも隠してあるのかのう?」
こちらの質問に答えずに質問を続ける。
「さあな。あっても知らん。」
グレンはわざとどうでも良さそうに答える。
グレンの老人に対する態度による小さな抵抗だ。
「まあよい。本国へ移してゆっくりと調べようかの。もし、儀式魔法にすら抵抗出来る力があるのなら面白い研究になるじゃろて。とりあえず、天幕を出てそこの檻に入りなさい。」
奴隷に反抗されたというのに怒った表情を見せずに独り言を言い命令をする。
そう、俺は奴隷だ。命令通り天幕から出ながらグレンは改めて思う。
服従の契約は俗称を奴隷契約という。
帝国において禁止されているが、この大陸のほとんどの国は農奴を服従の契約で縛るという。
彼らにとって奴隷とは財産であり言うことのきく家畜なのだ。
そこまで考えてグレンははっと気がついた。
彼が怒らなかったことに不思議だったが、それは当然のことともいえる。
彼は奴隷を人間として見ていない。
まるで、クトラの一族が馬を見るように。否、クトラの一族が馬を友と見るのに比べれば、彼は奴隷をもっと低く見ているのだろう。
もしかしたら飼い始めた犬と同程度かもしれない。
もっと程度が低い可能性すらある。
相手が畜生なら最初は反抗するのが当然なのだ。あとで時間があるときにでも躾けてやればいい。
「ああ、でも畜生だと思ってんならオスメスぐらい分けてくれるとありがたかったかなあ。」
一つしかない檻に居る先客二人を眺めながらグレンはため息をついた。