サードフェイズ
入学式というのは何度体験しても楽しみが退屈さを上回る。それはこれから起きる未知への期待であり、既知を通してより高みに行けるという興奮でもあるからだ。現実との擦り合わせはこれから何度となく行われるだろうが、この瞬間だけはそれを忘れられる。
『――で、あるからして君達には健全なる教育を~』
などと脳内補完するも、校長の挨拶が一時間も続くと流石に誤魔化しが効かなくなってくる。そろそろ「誰かあの長話を止めない爺さんの上に落雷魔法でもぶっ放して強制退場させてやれよ。事故に見せかけて屠っていいから」とか過激思想が出始めても良い頃だ。まったくどうして老人の話はこうも長いのだろうか。良い話をしたいのは理解できるから、もう少し要点を纏めて欲しいと一真は切に願う。首を動かさないまま周りを見渡して見ると、皆眠気や欠伸を我慢していて、良い加減にして欲しいと言った様子だ。
『あー、あー、テステス』
そこに音声拡張魔法の割り込みが入る。声からして随分若い。突然の闖入者に眠気が飛ばされたのか、皆どこから声を出しているのか眼を動かして捜し回る。校長はその声の主を知っているようで、同じ壇上の右端に顔を向け、伺うように身体を揺らしていた。
『あ~、おっ、オホン。ちゃんと入っているね、うん』
『リ、リーズィ君』
そんな校長が向けていた目線の先から「生徒会長」の腕章を付けた男子生徒が校長目掛けて歩いてくる。校長の傍に立つと、右腕で校長の肩を抱いた。
『一時間にも及ぶ校長先生の大変タメになるお話、どうも有り難うございました~! はいっ拍手!』
『ちょ、えっ』
この瞬間を待っていたと言わんばかりに大きな拍手が沸き起こる。
『校長先生、良かったですね。みんな大喜びですよ』
『う、うむ!』
などとリップサービスした上で校長を壇上から退場させた。校長も恥ずかしそうに手を上げていたが、これだけ盛大な拍手を貰ったのだから文句も出ないのだろう。みんなの視線は既に生徒会長へ向かっていたので誰も損をしていない。
妖怪長話爺を地上へ引き摺り下ろした英雄の言葉を、誰もが待っている。
『えーみなさんこんにちわ。今期生徒会長のカズィ=リーズィです。あと三十秒で終わらせますからご安心を。皆さんに伝えたいのは三つ、大いに学び、大いに戦い、大いに遊べということです。あと恋愛結構、ただし単位落とすな成績下げるな親を悲しませるな! ということで以上! ……あれ? 六つになってた? まぁいいか』
三十秒と言いながら二十秒で言い切り、最後にボケを挟んで場を和ませる小技を仕込む。先程のやりとりと相まって講堂中に万雷の拍手が鳴り響いた。
(やるなぁ……ん?)
カズィが壇上から降りる瞬間、一真と目が合う。彼は一真に向けてウィンクしたが、自分へのアピールだと勘違いした女生徒からの黄色い歓声と相まって一真の意識から外れていった。
―― ・ ――
講堂から教室に戻る廊下にて。
「いやカズマ、本当に良かったな。生徒会長が止めてくれなきゃ二時間コースだったかも知れねー」
「……そんなことになってたら何人保健室に運び込まれたやら」
「一時間だって長過ぎる。体格が丈夫だからと言っても一歩も動けなければ立ちくらみを起こすし、たまたま体調が下り気味の奴が出てくるだろうにな」
「生徒会長様々だな」
「まったくだ」
校長が言いたいことは生徒会長が纏めて言ってくれたので、仮に「校長先生の話はどうでしたか?」なんて腐れた問題が出てきても対応できるだろう。彼の対応は完璧だった。
「そういやカズマ。最後、会長が降りる時に俺等の方を見ていなかったか?」
「見ていたような気はしたが……どうだろうな」
「なんかウィンクもされてなかったか」
一真は露骨に顔を顰めた。
「……あれは女の子向けだろ。俺は男にウィンクされて喜ぶ趣味はねーぞ」
「俺だってねーよ。狙われてたら尻隠して逃げろよ、祈っておいてやる」
「なんとも心が温まる友情だな。色んな意味で涙が出そうだ」
「んで、自己紹介とやらの方策は決まったのか?」
ああ、と応えるが、一真の言葉にキレは無かった。先程の長話で体力はともかく気力が萎えてしまったのだ。そんな一真と似たようなルディの表情を見る限り、面白可笑しく挑発しても反応がイマイチの可能性が高い。
「校長のアレでテンション下がって、そんな気力無い」
「さもありなん」
「よく考えたら『角無し』ネタはもうエレン相手にやってしまったからな。二度連続はつまらないし、反応も悪いだろ。あー……そうだな、顕現器官を持たない貧弱な小僧を良い感じに演出しておくよ。同じクラスを相手に喧嘩を売りたいわけじゃないからな」
「そういう帰属意識はあるのか。てっきり竜族相手に『全員かかってこいやオルァ!』みたいなのを予想していたんだが」
この親友は人を何だと思っているのだろうか。一度頭の中を開けて見てやりたいと一真は思った。
「ルディ。お前の中で俺のイメージがどうなっているのか良く分かった。確かに俺の先祖には戦闘民族と言える血が混ざっているが、基本は気が善くて大人しいんだぞ?」
「……え、なんだって?」
「大人しい」
「誰が?」
「俺が」
「はっはっは、相変わらず冗談が上手いな」
軽口の応酬で気力が湧き上がるのは良いことだ。一つだけ難点を挙げるとするなら一緒に怒気も湧きでてしまうことだろう。
「よし、適正価格で喧嘩を買うから一つ残らず持って来い。怒気怒気させてやる」
「氣力を使わないなら良いぞ。俺、爆裂魔法使うから」
「どうやって勝つんだそれ。肉体の頑強さも魔法の構築速度も勝てる要素ないだろ」
「カズマくんならやり遂げてくれると、俺は信じてる」
ルディからそこまで言われたら一真としてもやる気を出さざるを得ない。
「首を圧し折るために必要な力が約百五十キロ、勢いが三メートル毎秒だとして、ルディの体重が約七十五キロだから……」
「おい、なに真面目に計算しようとしてるんだよ、目が本気だぞ怖ぇよ」
「チッ……それはそれとしてだ。自己紹介が終わったら何があるか?」
「適性検査だな。掌を専用の用紙に当てるだけで感知して結果を出してくれる優れ物だ」
「初めて知ったぞ」
竜帝校のパンフレットにはそんなことは書いてなかった気がしたが。と、一真がボソリと言うと、ルディは何かを思い出したのか手を叩いた。
「ああ、受ける前から落ち込ませちゃいけないと思って、そこのページだけ抜いといたのを忘れてた」
「……おい」
「だってよー。適性ないかもとか悩んじゃったら面倒じゃないか」
「それは何に対してだ? というか重要なことが他に書いてあったら大問題だろ」
「その辺りはちゃんとチェックして口頭で伝えてあるから安心しろ」
自分の事を棚上げするつもりはないが、ルディも大概だ。もう何も言う気が起きない。一真は自分のこめかみをグリグリと指で押し付けて話題を切り替える。
「で、適性検査はどんな内容なんだ?」
「最も適性の高い武具の絵が浮かんできて、その下に十二段階の装備、進路適性が描かれる筈だ。D~Aまでのランク評価で++(ダブルプラス)まである。ちなみにEランクが無いのはEが一つでもあると最初から入学できないっていう前提で省かれてる」
「内訳は?」
「軍属の適性、学者の適性、神職の適性、官僚の適性の4つだ。中には適性から外れた道を選ぶ奴も居るが、まぁ大抵は自分に合った道を選んでる。この学校じゃ適性もそうだが神職を選ぶ奴は少ないだろうな」
本気で目指すなら神学校を受けるだろう。とのルディの言葉に一真は頷く。だが信頼性がいくら高くとも、紙切れ一枚が見せる基準の為に落とされるのも不憫だとも思った。
「ココがそういう学校なのは知っていたが、優秀な成績でも神職の適性ランクEっていう可能性があるんじゃないのか?」
「物事を理路整然と語り聞かせる技能があればEにはならんさ。学者や官僚は言うに及ばず、軍だって指揮官が命令を端的に伝えられないとかヤバ過ぎるだろう。そんな奴に従っていたら全滅する確率が一気に上がる」
「それもそうか」
一真は素直にその意見を受け入れた。神職の役目は『神の意志を民草に対し、正確に伝えること』でもあるのだから。悩める人が納得できないようでは到底務まらない。
「でも、それなら適性検査を今行うのは可笑しくないか? もう入学してるから『今更ダメでした』ってことになったら大事だろ」
尤もだ。と、ルディは前置きして一真の疑問に答える。
「倍率が高いっつーのと、この学校の使命は知ってるだろ? 手間を省くために簡単な振い落しがあって、入試申請の段階で一つでも適性Eがあると落とされる。そこで万一漏れても入試の答案用紙で引っかかる。紙に同じ技術が使われていてな、回収後に判るようになっているのさ。入学後に行われるのは生徒に対し、より解りやすい進路を提示しているだけの話だ」
「厳しいな」
「それなりの理由があるからだ。なんせ最難関だからな」
最難関のくだりにルディ特有の含みを感じたが、その理由は一真も知っていた。
「迷宮の化物を倒すには、それなりに有能じゃないとダメってことか」
「そういうことだ」
竜帝校の中心部には『封印の大門』と呼ばれる扉があり、扉の奥には広大な地下迷宮が存在していた。そこには人の邪念を形にした怪物達が巣食っている。より正確に述べるなら人々の邪念が迷宮によって集められ、怪物として転生、受肉していると言ったほうが正しい。その怪物達を定期的に討伐するのは在校生の役目であり、怪物の強さは迷宮の大きさに比例する。竜帝校の地下迷宮は人類が確認した中でもかなり大規模のモノで、同規模の迷宮は世界に四つだけ。その上の規模は国軍、つまり職業軍人が攻める巨大迷宮しかない。故に『最難関』。トップレベルの学校という評価には、大規模迷宮から怪物を一匹たりとも出さなかったと言った実績も加味されているのだ。
「ウチの世界じゃ人と人が争っていたが、こっちじゃ怪物とやり合ってる。不思議なもんだ」
「お偉い神官様の言葉を借りるなら、神様から与えられる試練とやらが違うんじゃないか?」
『主神』『気まぐれの神』『豊穣と厄災のアルルニア』から与えられた試練。それは迷宮に蔓延る怪物を地上に出さないことだ。人々は怪物を退治し、その実績と引き換えに神は大地を祝福し、人に財宝と招人を与える。だが迷宮によって受肉した怪物に寿命は無く、倒しきるまで永遠に存在し続ける。よって人が営みを続ける以上、怪物は生まれ続けるのだ。当然討伐を怠った迷宮はそこら中に怪物が溢れかえる。その状態を更に放置すれば封印の大門でさえ仕舞い切れなくなり、地獄の軍勢――魔群――がこの世に放たれると言った仕組みだ。
「豊かさと引き換えの地獄の門番ってことか。そういう所は何処も変わらないな」
この先は言わなくても解るだろう。城下や、街や、村が、人の生活が魔群によって徹底的に破壊される。それは人と人で行われる戦争よりも遥かに凄惨であり、文字通り人類が死滅するまで魔郡は止まらない。こちらの人類史において全種族を巻き込む規模の大戦は三回、いずれも掃滅戦争と呼ばれる人類全てと魔群の総力戦だった。現代世界において人の敵は行き過ぎたテクノロジー、見えない人間の総意、あるいは国家であると評することができたが、ラウフドゥーリアでの人の敵はより明確で現実的な人の悪意と言えた。
「カズマ」
「ん?」
「お前には最初に言っておかないと無視するからな。絶対に一人で行こうとするなよ」
「死んだら元も子もないだろ。大丈夫だ」
「必ずだ、いいな?」
ルディの表情は堅い。一真は親友の肩を叩きながら頷いた。
「……分かってる。一人で行ったりしない。約束だ」