ファーストコンタクト
身を包む竜帝校の制服を意識してか、どうも落ち着きが無い。学校指定の寮から出た時からルディ――ルーディック=オルガイアにそう指摘されてきた一真だが、否応なく高まる喜びの念を隠せないのだろう。教室に来てからも口元に笑みが浮かびっぱなしだった。
「もっとシャキっとしたらどうだ? ウザイぐらい綺麗な笑顔のままだぞ」
「悪ぃ、どうにも止まらない。一緒に学校に行けるのが楽しみで仕方がなくてさ」
一真の何気ない言葉にルディの表情が柔らかくなる。
「屋敷に居た頃は通信教育だったからな。お前が言えば直ぐにでも通わせるよう、交渉したのに」
『御影』の真実を知った伯爵が『保護』という名目で一真を屋敷に招き入れたのだ。とは言え事実上の軟禁状態。なのに一真の口から出たのは多少の要望ぐらいのもので、文句らしきモノが出たことが無かった。買い物なら付き添いアリで許可も出たし、身体を鍛えるのは館内でも出来たし、勉学を望めば書物を貸してくれた。足りないと感じた所はルディが言った様に通信教育で補わせて貰っていたので、一真は文句を言うどころか感謝をいくらしても足りないと思っていた。
「その分、我儘を今という形でガンガン使わせて貰ってる。ありがとうな、ルディ」
「おう。どんどん感謝しろ」
気恥ずかしさからか、憎まれ口を叩く所はルディも一真と変わらない。二人は新品の制服をそれぞれ見比べ合う。白シャツに銀糸の竜が刺繍された黒のネクタイ、一学年を意味する緑色のタイピン。制服は上下にベストという三つ揃え。濃紺を基調とし、縁とボタンは銀色で彩られている。
「いい素材使ってるんだな」
一真が身体を少し捻らせてみても問題なく服が追い付いてくる。布地が突っ張る感触や窮屈な感じが全くしない。これなら新体操や演舞をやっても破れることはなさそうだ。
「ドリウムっていう布だ。裁断の方法から変わっていて、国軍御用達の品らしいぞ」
「フィーの制服姿ももう少し見たかったんだが、残念だな」
「おいおい、穴が開くまで見たかったのか?」
「純粋な興味だよ。縫製技術への」
ルディの妹、フィー――フィーリア=オルガイア。彼女も同じクラスなら女子の制服を凝視する大義名分を一真は得られたのだが、生憎兄妹は学校の規定により一緒のクラスになれないらしく、一人だけ隣のクラスに行ってしまった。
フィーはその事実にとても落ち込んでいたが、これから起きる出来事を間近で見なかったという事を鑑みると、フィーは規定に深く感謝することになるだろう。
「貴方がカズマ・ミカゲ?」
その声は唐突に掛けられた。
「ああ、そうだけど。君は?」
一真は返事をしつつ、ルディに手を向けて制した。口出し無用の合図だ。ルディは無言で自分の鞄をいじり始め、適当な教科書を手にペラペラと捲り始めた。
「エレオノーラ=シェイクよ。よろしく」
エレオノーラと名乗った彼女は一真をまじまじと見つめていた。一真も負けじと彼女の姿をまじまじと観察する。推定身長百六十二センチ、推定体重XXキロ。緩やかな曲線を描く白金色の双角を生やしている竜族の女の子。夕焼けの色を連想させる金に近い橙の髪は肩甲骨の辺りまで伸ばされていて、同じ色の瞳がより特徴的に彼女を魅せる。身長はあるのに美人というより、妙に可愛らしい人。それが一真の抱いた第一印象だった。
「『角無し』のカズマ・ミカゲだ。よろしく」
一真の口から出てきた言葉は衝撃的だったようで、エレオノーラが握手のために差し出しかけた手を一瞬硬直させ、目を見開くという事態を招いた。その反応を見て一真は彼女に微笑みかけ、進んで握手を交わす。彼女が差別的な言葉に自身の優位性を絡ませるような人物ではないと判断したからだ。
「自分から『角無し』なんて名乗る人、初めて見たわ」
握手した手を放したエレオノーラの声は僅かに上擦っていて、明らかな呆れと少なくない恐れが綯交ぜになっている。一真の態度はへりくだるどころか侮蔑的な表現など知っていると言わんばかりだ。それでいて親しみ慣れた愛称のように『角無し』と口にするのだから、事前情報を持っているルディやフィーでなければ誰でも二の句に迷う場面に違いない。
「そりゃ角は無いからな。恐らく君は俺の事を何も知らないだろう?」
「しょ、初対面ですもの」
制服にネームプレートは付いていない。面識の無い一般人が一真の名前を知っている筈がなかったのだが、一真は彼女のミスを軽く聞き流した。
「え、と。貴方はどこの種族の方なの?」
「そうだな……超地球人とでも言っておこうか」
「すーぱーちきゅうじん? それが種族名なの?」
初めて聞く言葉にエレオノーラは目を白黒させる。恐らく頭の中のデーターベースに必死に検索しているに違いない。
「勿論冗談だよ。そんな種族名乗ってる馬鹿が居たらコッソリ教えてくれ。ぶん殴りに行ってくるから」
「……そうね、丁度アタシの目の前に居るわ」
「ははは、君は実に面白いなぁ。……でも結構緊張してる? 尻尾が見えてるよ」
「えっ、嘘っ」
かぁ、っとエレオノーラの頬が赤く染まって、自分のお尻を見るために身体を捻る。尻尾とは竜族の尾に他ならないと、彼女は解釈していた。竜族は感情が高ぶり過ぎると尻尾が顕現してしまうのだが、魔法の行使に影響が出る部位ではない。その尻尾を出すということは精神のコントロールが効いていない証拠であり――主に衣服の見栄え上の問題からマナー違反と受け取られてしまう――所謂『はしたない』状態なのだ。
一真はそんな竜族の事情を十分弁えていながら別の意味で言葉を使っている。後ろで黙っていたルディが思わず吹き出すほど性格の悪い言い方だった。
「目に見えて在るわけじゃないから安心しなよ」
「あ、アンタねぇ……っ」
尻尾は出ていない。そうホッとした瞬間、恥じらいの感情は一気に怒りに転化するだろう。その一瞬手前に一真は言葉を挟んだ。
「そうそう、俺は種族を日本人で通してる。貴方ならご存知かな?」
そう問われてエレオノーラの表情が鮮やかに切り替わる。自分が成すべき目的を思い出したのだろう。一見直情型に見えて、この切り替えの速さは素直に凄いと評価せざるを得ない。
「ニッポンジン? うーんと、ヒノモトノヒト……太陽から来た人?」
「うん。昔の人はそう名乗っていたそうだね」
現代日本が存在する世界とは違う異世界、ラウフドゥーリアだが、この世界に日本人が飛ばされたのは一真が初めてではない。時代に認められず、あるいは不要とされ、自分が持った技術が途切れるかもしれないと言った境遇に陥った時、ラウフドゥーリアの気まぐれな神によって呼び寄せられる時がある。本人にとって幸か不幸かは別として。
「えぇと……確認される年代、地域、人数はまばら。彼等は総じて魔素に対する免疫力が低く、発見時には大抵魔力酔いを起こしてる。これは魔素の薄い世界に暮らしていた人間が、いきなり高濃度の環境に曝された事によっておきる拒絶反応であると推測される。魔力酔いによる症状は気分が悪いという程度から死に至る者まで様々であり、生存確率はおよそ六割。生存した者の多くはとても高い技術・技能を有しており、彼等によって齎された技術や道具が私達の世界に大きく貢献している。これらの事実と発見時における彼等の状態から気まぐれな神によって別世界の人間が召喚された何よりの証明と論ずる学者も居る。だが彼等をただのお伽噺として否定する者も多い……この事?」
「ご名答。俺の場合、十歳の時にオルガイア伯爵に保護されたから超技術なんて持ってないけどね」
「本物なの?」
懐疑的な眼差しを向けるエレオノーラに向かって一真は微笑み、
「制服からシャツ、果ては靴下までひん剥いて顕現器官でも確認するのかい? エレンはエッチだなぁ」
いそいそと一真は自身の制服のボタンを一つ一つ外していく。丁寧に、おまけに頬を染めながら。
「するわけないでしょ! あ、こらっ、脱ごうとするなっ、あと愛称で呼ぶなっ」
「まずはボタン一つ一つ外していくマニアックな選択なのかと。なんて変態さんなんだ……っ」
「アンタに言われたくないわよっ! こんの馬鹿!!」
エレオノーラが全力で罵倒した所為で教室中の人が一真達を何事かと凝視し始めた。一真は何でもないと言うように笑顔で手を振っていく。ボソリとエレオノーラにだけ聞こえる声で釘を刺しておくことも忘れずに。
「……みんなが見てるぞ。ファーストコンタクトは静かにしなくて良かったのか?」
「くっ……覚えてなさい」
注目されたことで羞恥心が跳ね上がったエレオノーラが教室から出ていく。方向を鑑みるにどうやらフィーと同じクラスらしい。不味いことをしたかなぁと思いながら止めない自分に苦笑した。
「おいカズマ、アレか?」
アレで通じる素敵な絆。当人が聞いたら烈火の如く怒り狂うかもしれない。
「アレだよルディ、早速引っかかったようだ。シェイクという家柄に心当たりは?」
「ウチと同じ伯爵家の出だな。確か姉が一人居て、その人は生徒会執行部に所属してる。役職は書記だったかな」
一真は納得したように頷き、衣服のボタンを嵌め直していく。
「ラブレターは届いた訳だ」
「あぁ『ラブレター』ね……お前から中身聞いた時は血の気が引いたぞ。信じられねぇ、というより馬鹿だろお前」
「この前それがフィーにバレて、散々っぱら怒られたから勘弁してくれると助かる。……途中で逃げ出しやがって、このヘタレが」
「間抜けが怒られていると知って助けに入る馬鹿は居ない。そういや、どうやって宥めたんだ? フィーが部屋から出てきたと思ったら、やたら機嫌良かった様だが」
一真はキョトン、と意味が分からない事を言われた時のような表情を浮かべ、サラっと答えた。
「抱きしめてよしよし、と頭撫でただけだが?」
「父上にその場面見られてなくてよかったな。斬られてたかもしれねーぞ」
「そういえばフィーの話題になると伯爵は顔が丸くなるよな」
「ああ。可愛くて仕方がないんだろうよ」
オルガイア伯爵は娘に甘い。というか溺愛している。見合い話はおろか、親同士の都合による婚約話さえ蹴っ飛ばして帰るぐらいだから、相当のモノが予想できる。
「ちなみにフィーを抱きしめた時、お前欲情したか?」
「ルディ、冗談もほどほどにな? お前の妹なら俺の妹も同然。妹に欲情する兄が居るわけ無いだろう」
「それはそれで……フィーには言うなよ? 絶対言うなよ? フリじゃねーぞ? 殺すからな?」
やれやれと一真は肩を竦め、ジト目でルディを見つめた。存外、この兄も妹に甘々だ。
「血の気が多いな。だが麗しき兄妹愛だと言っておこう、羨ましい限りだ」
そう一真はルディ告げて、自分の手を眺めた。右の中指と小指には複雑な文字が刻まれたシルバーリングが嵌められている。この指輪はこの世界において譲れないと言える、一真の唯一の財産、形見のようなものだった。
「……話を戻そう。お前から見て、彼女は斥候役として優秀だったか?」
ルディは顎に手を当てて考える仕草をする。
「直情型だが目的を介すと頭の切り替えが早ぇな。判断力は判らんが、まぁ出来ると見た。お前のノリに嵌められてはいたが、実戦であの切り替えを前面に押し出してきたら中々の強敵になるな」
「だろうな」
「いきなり目ぇ付けられてどうするか楽しみにしてやるよ。喰い付き具合半端ねーぞ、ありゃ」
「それどころか、もうみんなから注目され始めているよ。いやぁ楽しみだなぁ、自己紹介が」
カラカラと一真は笑う。ルディは呆れを通り越して底意地の悪い笑みで一真を見据えた。この親友は本当に目が離せない。
「自己紹介をそんな風に楽しみにしてる奴を俺は初めて見るぞ。もっとウンザリするモンじゃないのか、普通」
「俺は普通じゃない。って散々言われてたしな。今更だ」