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ニセモノ錬金術師の絵の具屋さん

作者: くみの
掲載日:2026/11/02

 王都の神殿は、十八歳になった若者たちの熱気に包まれていた。


 成人の儀式。この国では、十八歳の誕生日を迎えた者が神殿で魔法の適性を調べてもらう。俺の番は、列のちょうど真ん中あたりだった。


(来い。火か風。最悪、水でもいい)


 俺には、この世界とは別の場所で暮らした記憶がある。剣と魔法の世界に生まれ変わったと気づいてからというもの、ずっとこの日を楽しみにしてきた。魔法を授かって、冒険者にでもなって、ちょっと格好いい人生を送る。家を継ぐわけでもない子爵家の三男なのだから、夢を見るくらいは自由だろう。


 白い法衣の神官が、水晶に手をかざした。


「ブレンネル子爵家が三男、アルノ。魔力はお持ちですな。ただ、適性は土のみです」


 淡い黄色の光が、胸にすうっと吸い込まれていく。


(土か。……まあ、悪くはない。たぶん)


 神官に促されて、前に出した手の指先に意識を向けてみた。すると、ころん、と何かが転がった。


 親指の爪ほどの、土くれだった。


「……大地の恵み、ですな」


 神官は、たっぷり間を置いてから言った。気を遣われている。ものすごく。


 周囲からも、「あー……」という小さなため息が聞こえる。直前には、火柱を上げた奴が拍手を浴びていた。その直後に出した俺の土くれは、あまりにもささやかだった。


(まあ、そうだよな。俺の魔法なんて、この程度か)


 がっかりはした。でも、落ち込みすぎることもなかった。もともと、そこまで大きな期待をしていたわけでもない。現実は現実として受け止める。それが俺の性分だ。


 帰りの馬車で、母上が明るい声で言った。


「土の魔法だなんて素敵じゃない。うちの花壇に、ちょうどいいわ」


「母上、俺の魔法を花壇に使うつもりですか」


「だめ?」


「いえ、全然だめじゃないです」


 領地を持たない実務貴族のブレンネル家は、肩書きのわりに、食卓も会話もゆるい。上の兄は「土は堅実でいいぞ。堅実は大事だ」と力説し、次兄は黙って肩を叩いてくる。王宮で書類と格闘している父上は、何も言わずに頷いていた。


* * *


 その晩、自室で、もう一度指先を見つめた。


 土くれが出る。それだけだ。冒険者は無理そうだけれど、せっかく授かった魔法なんだから、できることは確かめておきたい。


「土が出るなら、石だって出るんじゃないか?」


 半分は、暇つぶしだった。


 河原に転がっている丸い石を思い浮かべて、指先に力を込める。すると、こつん、と机の上に何かが落ちた。


 小石だった。ちゃんと、硬い。


「……出た」


 出たな。なんで出るんだ。


 いや、これは土の仲間だ。仲間だよな。


 ここまで来たら、もう一歩、試したくなる。前世で見たことのある、あのキラキラしたもの。


「……宝石も、石の仲間だよな?」


 こつん。


 机の上に転がったのは、親指ほどの、ごつごつした塊だった。割れ目の奥から、透きとおった結晶が、ランプの光を受けてちらちらと光っている。


(……これ、本物だよな)


 宝石に詳しいわけではないが、これがただの石ころでないことくらいは、見れば分かる。


 ただ、ショーケースに並ぶような、キラキラしたやつではなかった。あれは職人がカットして磨いて、ようやくあの輝きになるものだ。磨いた後と前では、値段もまるで違うと聞く。カットも磨きも、俺にできることではない。


 今、手の上にあるのは、磨く前の、鉱山で採れるごつごつした原石のほうだった。


 背中を、つうっと冷たい汗が伝った。


 もう一度。こつん。もう一度。こつん。


 気づけば、机の上には原石がずらりと並んでいた。どれも小粒だ。きっと、俺の魔法が弱いから、このくらいの大きさにしかならないのだろう。それでも。


(ひと粒売るだけで、とんでもない値段になるんじゃないか?)


 そこまで考えて、血の気が引いた。


 こんな力を持つ人間がいると知られたら、どうなる。


 目をつけられるかもしれない。使い道を考える奴が出てくるかもしれない。最悪、さらわれて、閉じ込められて、延々と宝石を出し続けさせられる。


 しかも、それは俺だけの話では済まない。父上は王宮で働く身だ。母上も、兄たちもいる。もしものとき、真っ先に狙われるのは、家族かもしれない。


「……絶対に、ばれちゃいけない」


 この力を知っているのは、世界で俺だけだ。人前では、「ちょっと土くれが出るだけの人」でいよう。


 とはいえ、困った。


 机の上のこれを、どうしよう。持っていても危ないし、カットも磨きもできない原石を売れば、出所を聞かれる。かといって、庭に埋めるのももったいない。


「うーん……粉にでもしちゃうか? それなら、元が何だったのか分からなくなるし」


 冗談のつもりで呟いてから、ふと、何かが引っかかった。


 粉。宝石の粉。


「そういえば、青い絵の具って、宝石から作っていたよな?」


 前世の雑学だ。昔の絵画に使われた鮮やかな青は、宝石を砕いて作った顔料で、とんでもなく高価だったとか。


 絵の具。顔料。


 宝石をそのまま売れば、正体が知られてしまう。でも、粉々にすり潰して顔料にしてしまえば、元が何だったのか、誰にも分からないんじゃないか?


「……それだ」


 危険な力が、一気に、商売の種に見えてきた。


 ようやく、息ができた気がした。


* * *


 まずは、実際に作ってみないと始まらない。


 台所からすり鉢とすりこぎを借りて、部屋にこもった。


「……確かラピスラズリだっけ?」


 青い色の原石を思い浮かべて、出す。


 それをすり鉢に入れて、ゴリゴリとすり潰してみる。


 ごり、ごり、ごり。


 ……腕が、疲れる。


 出すだけなら、何個でも出せる。問題は、粉にする手間のほうだ。ひと粒すり潰すのに、結構な時間がかかる。夜通しがんばって、粉にできたのは、小さな匙に数杯だった。


(手作業って、こんなに大変なのか)


 それでも、粉は粉だ。水で溶いて紙に塗ってみると、青はちゃんと色になった。


「おお。ちゃんと絵の具っぽい」


 ただ、素人目にも分かる。粒が粗くて、塗るとざらざらするし、ところどころ濃かったり薄かったりする。


(これで売れるのかな。専門家の意見を聞きたい)


 絵の具の専門家といえば、あの人だ。


 ダグラス先生。父上と母上が結婚したころから、うちの家族の肖像画を描いてくれている画家で、王都に工房を構えている。子どものころ、先生が描く姿は魔法のようだと思っていた。


 翌々日、俺は小さな袋を抱えて、先生の工房を訪ねた。


「おや、アルノ君じゃないか。成人おめでとう」


 五十歳くらいの、がっしりした体つきの先生が、絵筆を握ったまま顔を上げた。


「ありがとうございます。あの、先生に見てほしいものがありまして」


「ほう?」


 机の上に、色の粉を置く。先生の目が、すっと細くなった。


「これは、顔料かな。どこで手に入れたんだ?」


「えっと……自分で、作ってみたんです」


「君が?」


「はい。絵の具になるかどうか、専門家の先生に見てもらいたくて。作り方は、その、ちょっと言えないんですが」


 先生は少し驚いた顔をして、それから、ふっと笑った。


「言わなくていい。商売道具の出どころには、誰にだって秘密があるものだ」


 それ以上、先生は何も聞かなかった。優しい人だ。


 青い粉をひとつまみ取って、パレットの上で膠と練る。筆でさっと、白い紙に塗った。


 ……先生の手が、止まった。


「…………」


 一秒。二秒。三秒。


「……先生?」


「すごい」


 先生が、低い声で言った。


「こんな青は、見たことがない」


「え。でも、粒は粗いし、ざらざらですよね」


「そうだな。粒が粗い。色むらもある。これは、まだ試作品だ」


 はっきり言われて、ちょっと凹む。


「だが、問題はそこじゃない」


 先生は、紙を窓にかざした。


「粒が粗いままで、これだけ深い色が出ているんだ。細かく挽いて、粒をそろえて、色むらを抑えたら……どうなるか、想像がつかん」


 先生は、しばらく塗り重ねては、紙を離して眺めていた。


「荒削りだ。だが、可能性がある。いや、可能性どころじゃない。これは、価値があるよ」


「価値、ですか」


「君、自分が作ったものの価値を分かっているかい?」


 正直、全然分かっていない。


「ええと。絵の具になるなら、それで十分で。いくらくらいで売れそうですか? 銀貨で、いくつか……」


「この青なら、きちんと仕上げた小瓶一つで、金貨数枚はくだらない」


「……金貨、数枚?」


 思わず、聞き返した。銀貨じゃない。金貨だ。


(桁が、違う)


 頭が、真っ白になった。夜通しゴリゴリやった自分に、そんな価値があったなんて。


「顔料は、画家にとって命だ。いい色が手に入るなら、金を惜しまない者はいくらでもいる。これは、商売になるよ、アルノ君」


 商売。


 家族に迷惑をかけず、自分の力で生きていける道。


 心の中で、何かが、かちりと嵌まった気がした。


「先生。もし、これを商売にするなら、俺は何から始めればいいでしょうか」


「まず、粒を細かくそろえること。それから、売り先だな。そちらは、私が力になろう」


「いいんですか?」


「いいとも。この青で絵が描けるなんて、画家冥利に尽きる。君は、作ることに集中しなさい」


 こうして、俺の商売への道が開けた。


* * *


 それから先は、話が早かった。


 夕食の席で、独立と商売の話をした。


「絵の具の商売をしたいんです。ダグラス先生が、力を貸してくれるそうで」


 父上は、手を止めて、じっと俺を見た。


「お前が選んだなら、反対はしない。資金は予定どおり渡す。それでいいな」


「はい。ありがとうございます」


 上の兄が「困ったら、遠慮なく言えよ」と笑う。


「家を探すなら、日当たりを優先しなさいね。洗濯物が乾くから」


 母上の助言は、妙に具体的だ。我が家らしい。


 家は、王都の外れの、少し寂れた地域で探した。人通りが少なく、売値も安い。


 不動産屋に案内されたのは、小さな二階建ての一軒家だった。外壁は色あせて、ところどころ蔦が絡まっている。


「雨漏りは、二階の隅だけです。あとは、まあ、問題なしで」


「十分です。ここにします」


 一階には、日当たりのいい広い居間があった。ここなら、作業場にも、店にもできそうだ。人目が少なくて、静かなのもいい。


 引っ越しを終えると、今度は生活用品の買い出しだ。鍋、毛布、洗面器、椅子、机。王都の外れの古道具屋や蚤の市を、ひたすら回る。


 そんなある日、市場の隅の古道具屋で、ひとつの木箱が目に留まった。


「お、お客さん、お目が高い。錬金術の基礎セットだよ」


 店主が、蓋を開けてくれる。


 中には、乳鉢と乳棒、フラスコ、ガラスの容器、天秤、小さな釜、蒸留の器具、それから分厚い入門書。


「息子が、錬金術師になるんだと言って買い集めてね。結局、やめちまったんだよ。全部まとめて、金貨一枚でいい」


(乳鉢と乳棒がある!)


 ちょうど、本物の乳鉢が欲しかったところだ。すり鉢では、いつまでたっても粉が粗い。


 ……と、そのときだった。


 頭の中で、ひとつの考えが、ぱちんと弾けた。


 錬金術師。素材を加工して、いろんなものを作り出す職業。


(錬金術って、素材から何でも作るんだよな。賢者の石とか、金とか)


 宝石を出している、なんて口が裂けても言えない。でも、「錬金術で作った特殊な顔料」なら。


 どんなに鮮やかな色が出ても、「錬金術師の技術です」と言えば、誰も不思議に思わない。ダグラス先生みたいに、聞かないでいてくれる人もいる。


「……そうだ」


 口に出して言ってから、俺は、がしっと木箱を抱えた。


「錬金術で作ったことにすればいいじゃないか!」


「お、おお、兄ちゃん、錬金術師志望か?」


「は、はい! これから、錬金術師になります! なるっていうか、名乗ります!」


 我ながら、勢いだけの意味不明な返事だった。


 店主は目を丸くして、「そりゃ頑張れ。半額にしてやる」と言ってくれた。いい人だ。


 家に帰って、木箱の中身を机に並べた。


 乳鉢、乳棒、フラスコ、ガラスの容器、天秤、小さな釜、蒸留の器具。本物の錬金術師の道具が、俺の居間に並ぶ。


 錬金術なんて、まったく分からない。でも、道具さえ揃っていれば、それっぽく見える。


「……これで、俺も錬金術師だ」


 ニセモノだけど。


 蒸留の器具は、ガラスの球と管を組み合わせた形で、前世の喫茶店で見たサイフォンにそっくりだった。


(珈琲、飲みたいな)


 それは、また今度だ。


* * *


 本物の乳鉢を手に入れてから、顔料作りは、一気に進んだ。


 入門書は、半分も読めなかった。難しい言葉ばかりで、さっぱり分からない。でも、素材の挿絵が色刷りで載っていて、これが色の参考にぴったりだった。教科書というより、色見本帳だ。


「青はラピスラズリより、この挿絵みたいな均一な青い石がいいな」


 挿絵を眺めて、指先に意識を集める。ころん、と原石が出る。乳鉢に入れて、ゴリゴリ。


 ごり、ごり、ごり。


 粉が細かくなるまで、何度も、何度もすり潰す。台所の目の細かい網でふるって、粗い粒を取り除き、残りをもう一度、乳鉢へ。


「出すだけなら、何個でも出るんだけどなあ」


 やっぱり、手作業が最大の壁だ。原石が机の上にずらりと並んでも、粉にできるのは、一日に数個分がせいぜい。


 それでも、日に日に、粉は細かくなった。色むらも、少しずつなくなっていく。


 一度、「もっと青い方が綺麗だな」と思いながら出した原石から、びっくりするほど深い青の粉が取れたこともあった。紙に塗って、自分でも息をのんだ。


(ちょっと鮮やかすぎるかな。まあ、絵の具なんだし、鮮やかな方がいいだろ)


 色の種類も、少しずつ増やした。


 赤は、夕焼けみたいな赤と、トマトみたいな赤。「トマトくらい赤くてもいいだろ」と、遠慮なく。黄色は、レモンの黄色と、麦畑の黄色。緑は、若葉の緑と、深い森の緑。


 週に一度、午後は、ダグラス先生の工房に通った。


「ほう、見違えたな。粒も揃っている。……これは、ちゃんとした商品だ」


 先生は、顔料の使い方も教えてくれた。膠や油と練って、はじめて絵の具になること。色の重ね方、薄め方。うちで売るのは顔料だけだけれど、使い方を知っておくのは、大事なことだ。


「ところで、アルノ君。この顔料、どうやって作っているのか、話せる範囲で教えてもらえるかな。いや、無理にとは言わないんだ」


「それは……」


 一瞬、迷った。でも、ここは、はっきり言わなきゃいけない。


「錬金術、です」


「錬金術? 君が?」


「はい。道具も揃えました。まだ、素人ですけど」


「なるほど、錬金術か!」


 先生は、ぱんと手を叩いた。


「道理で、見たことのない色が出るわけだ。錬金術師の独自の技法なら、秘密にしたいのも当然だな」


 納得してもらえた。


(……ごめんなさい、先生。半分、嘘です)


 胸が、ちくりと痛んだ。でも、これは、家族と自分を守るためなんだ。


* * *


 顔料の質が安定してきたころ、先生が言った。


「そろそろ、売り始めよう。まずは、商人ギルドに登録だ」


 商売をするには、商人ギルドへの登録が欠かせない。窓口で、書類に名前を書いていく。先生が一緒にいてくれたので、手続きは、ほとんど迷わなかった。


 最後に、屋号の欄で、ペンが止まった。


(店の名前、どうしよう)


 ブレンネルの名を使えば、箔がつくかもしれない。でも、もし俺が失敗したら、家名に傷がつく。


 悩んだ末、父上に手紙を出した。


『父上。店の名に、ブレンネルの名を使ってもよいでしょうか。迷惑になるようなら、別の名前にします。アルノ』


 返事は、すぐに届いた。


『名前は好きに使え。ブレンネルの名はお前の名でもある。ただし、金も口添えも、渡した分でおしまいだ。うまくいってもいかなくても、お前の店はお前の店だ。看板ができたら教えろ。母さんと見に行く。父より』


 読み終えて、ふっと笑ってしまった。


 素っ気ない文面だ。突き放されたようにも読める。でも、最後の一行に、父上らしい不器用な応援がにじんでいる気がした。見に行く、というのは、続ける前提で書いてくれているということだ。


(……分かりました、父上。ちゃんと、やります)


 屋号の欄に、ゆっくりと書いた。


『ブレンネル色彩堂』


 登録が済むと、居間を片づけて、棚を作った。ガラスの容器に、青、赤、黄色、緑の顔料を詰めて、並べる。量り売り用のフラスコと、分銅式の天秤を、カウンターに置く。奥の作業台には、乳鉢と、錬金術の道具。


 ちょっと不思議な、魔法道具屋みたいな雰囲気になった。


 販売先は、ダグラス先生が全部整えてくれた。


「画家仲間に声をかけておいた。それと、顔料問屋にも話を通してある。値段は、こちらで決めよう」


 先生が、価格表を作ってくれる。条件も、納期も、先生が相手と話をつけてくれた。俺は、頷いているだけだ。


「君は、顔料作りに集中すればいい。営業は、私の仕事だよ」


「ありがとうございます、先生」


 最初のお客さんは、先生の弟子の若い画家だった。


「この赤、すごい。バラの花びらが、一色で描ける」


 小瓶を抱えて帰っていく背中を見送りながら、じわじわと、嬉しさがこみ上げてきた。


 自分の作った色が、誰かの絵になる。


 最初は、週に数人。小瓶を、少しずつ売った。作る量に限りがあるので、注文が増えると、「少しお待ちください」と頭を下げることもある。それでも、画家たちは、嫌な顔をせずに待ってくれた。


 生活は、静かだった。朝は、ゴリゴリ。昼は、お客さんが来たら応対して、またゴリゴリ。夕方も、ゴリゴリ。


 ……ゴリゴリしかしてないな、俺。


 でもこれが、結構楽しい。


* * *


 ひと月ほどで、ブレンネル色彩堂の顔料は、画家たちのあいだで話題になった。


「あの店の青は、別格だ」


「ダグラス先生も、使っているらしい」


「ブレンネル子爵のご三男が、自分で始めた店だそうだ。後ろ盾は、一切ないとか」


「面白いことを始めたな。なかなかやるじゃないか」


 ……聞こえないふりをしておこう。くすぐったいから。


 そんなある日、店に、見慣れない客が現れた。


 灰色のローブをまとった、年配の男性。胸には、錬金術師の紋章がある。


「錬金術ギルドの者です。こちらの顔料の評判を伺いまして」


(き、来た!)


 心臓が、どくんと跳ねた。ニセモノだと、ばれたのか。


「実は、ギルドへの登録と、顔料の品質確認を、お勧めしに参りました」


「……登録と、品質確認、ですか」


「ええ。新しい技術や素材を記録しておくのも、ギルドの役目ですから。品質の確認も、お代はいただきません。もちろん、製法を明かせとは申しません」


 男性は、棚の乳鉢をちらりと見て、にこりと笑った。


「独自の技術をお持ちの錬金術師の方に、お目にかかれて光栄です」


 ……友好的だ。むしろ、尊敬されている。


「分かりました。お願いします」


 数日後、ギルドの人たちが、うちの顔料を調べにやってきた。粒の細かさ、発色、安全性。俺は、緊張で倒れそうだった。


「品質は、きわめて高い。安全性にも、問題ありません。見事な出来です」


 登録証を手渡される。そこには、「錬金術師 アルノ」の文字。


(……俺、錬金術師に、なっちゃった)


 喜んでいいのか、よく分からない。錬金術の知識なんて、さっぱりないのに。


 その翌日だった。


 からん、と店の扉が開いて、栗色の髪の青年が飛び込んできた。


「失礼します! アルノさんですよね!」


「は、はい」


「僕、エンツォといいます! 錬金術ギルドの者です! ギルドで、あなたの顔料を見せてもらって、衝撃を受けました!」


 目が、きらきらしている。歳は、俺と同じくらいだろう。


「この赤、この青! どうやって、こんな色を出しているんですか!」


「それは、その……」


「あっ、すみません! 製法を聞き出すつもりはないんです! 秘密は、錬金術師の命ですから! でも、気になって、気になって……!」


 エンツォは、ひとりでぐるぐる店内を回りながら、棚の顔料に顔を近づけた。


「粒の細かさが、揃っている……! 色むらが、ない……! これを、手作業で……?」


「あ、はい。ゴリゴリと」


「ゴリゴリと!?」


 いや、実際そうなんだけど。


 それからというもの、エンツォは、毎日のように店に通ってきた。


「アルノさん! 新しい色ができたって本当ですか?」


「あ、うん。この緑。ちょっと深めにしてみた」


「うわあ! すごい!」


 彼は、新しい色が出るたびに、心の底から感動してくれる。ギルドの仕組みを教えてくれたり、新色を記録に残すことを勧めてくれたり。世話焼きで、人懐っこくて、断る隙がない。


 ある日、エンツォは、棚の前で腕を組んで、うんうん唸っていた。


「こんなに鮮やかな色を、いくつも……。アルノさんは、色の扱いにかけては、天才ですね」


「いや、そんなことは」


「謙遜しないでください! ……そうだ!」


 エンツォが、ぱっと振り返る。


「『色の錬金術師』って、どうでしょう!」


「……え?」


「アルノさんの二つ名です! 色の錬金術師! ぴったりじゃないですか!」


「いや、あの」


「ギルドの皆にも、広めますね!」


 止める間もなく、エンツォは店を飛び出していった。


 数日後には、錬金術ギルドの人たちが、うちの店を「色の錬金術師の店」と呼ぶようになっていた。問屋の人まで、「ああ、色の錬金術師さんね」と言う。


 一人、店に残された俺は、複雑な気持ちで棚を見つめた。


(色の錬金術師、か)


 俺は、本物の錬金術師なんだろうか。


 錬金術の知識なんてない。ただ、指先から出た石をゴリゴリしているだけだ。きっと、ニセモノだ。


 でも、棚に並んだ色は、全部、俺が作ったものだ。画家たちが、これで絵を描いてくれる。それは、嘘じゃない。


「……ニセモノでも、まあ、いいか」


 そう呟いたら、気持ちが、少し軽くなった。


* * *


 それから、しばらくして。


 先生の工房での、週に一度の絵の授業のとき、先生がぽつりと言った。


「アルノ君、君の店には、看板がないだろう」


「……あ」


 本当だ。外から見ると、ただの古い一軒家だ。


「自分の顔料で、看板を描いてみたらどうだ。いい宣伝にもなる」


 それは、いい。


 先生に教わりながら、板に、店の庭と、窓から見える空を描いた。顔料のサンプルを、全部使う。輪郭にこだわらず、色を置いていく。


「そう。光が当たるところには、明るい色をね」


「こうですか」


「いい色だ。君の色は、楽しそうに見える」


 数日後、乾いた看板を、店先に掛けた。絵の下には、「ブレンネル色彩堂」の文字。


 一歩下がって、眺める。いい。


 店に戻って、ぐるりと見回した。棚には、色鮮やかな顔料の瓶が、ずらりと並んでいる。窓の光で、棚の上に、小さな虹ができた。カウンターには、量り売り用のフラスコと薬包紙、分銅式の天秤。奥の作業台には、錬金術の道具。その隅で、サイフォンになった蒸留の器具から、珈琲の香りがふわりと漂っている。


 壁には、ダグラス先生が贈ってくれた絵と、俺の下手な絵が、並んで飾られていた。


 自分の店だ。


 好きな色を作って、絵を描く人たちに使ってもらえる。家族に迷惑をかけることもなく、自分の力で、ちゃんと暮らしていける。


(父上と母上に、看板ができたと知らせなくちゃな)


 もう一度、外に出て、看板を見上げた。


「いい店になったな!」


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