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騎士団長の器〜The Vessel of the Knight Commander

作者: 樋口 漣

The Vessel of the Knight Commander

 修練場の四方を囲う高い石壁に、剣と剣のぶつかり合う音が反響する。

 ラドラニエ騎士団唯一の女性騎士マルティナ = ヤンセンと若き天才騎士カイザー = エクハルトの実剣を用いた手合わせは、団員達の娯楽の一つだった。マルティナの髪は黒く、カイザーの髪が銀であることから、黒銀戦と呼ばれている。

 マルティナの藍色の瞳に、カイザーの持つ大剣が映る。カイザーの空色の瞳には舞うように双剣を振るマルティナが映っている。

 二人は修練の際の服装も対照的だ。マルティナは木こりが山仕事へ行きそうな格好で、カイザーはいつでも黒地に銀の装飾が施された騎士団の制服姿だ。しかも濃紺のマントまでつけている。

 マルティナは体を回転させながら連続で切り込む。剣と剣がぶつかる度、火花が散る。カイザーは防戦一方だ。

 二人の周りに土埃があがり、観客には細かな動きまでは見えないが、剣が激しくぶつかり合っているのは音でわかる。

 修練場で対峙する二人を遠巻きにして、他の団員達はどちらの技が優れているかで言い争う。今は、マルティナの凄まじい手数の斬撃のすべてをカイザーが防いでいる事実に感嘆している。

 カイザーはマルティナより頭一つ分ほど背が高い。それでもカイザーは、男性騎士の中では小さな方だ。マルティナはというと、女性としてはごく平均的な背丈だった。ただ、ラドラニエ騎士団には大柄の団員が多く、相対的に二人は小柄だった。

 マルティナは帝国の東の辺境で育まれた独特の剣術を使う。右手に長剣、左手に短剣を持つ双剣術で、盾は持たず、身軽であることを重視している。

 一方カイザーは、神殿に仕える聖騎士の家系の七男で、神殿に祀られる聖剣を模した大剣を扱う。カイザーは騎士団の中では体格に恵まれていない。身長もそうだが、肩幅も腕の太さも他の団員に比べて見劣りする。それなのに、カイザー以外の団員は持ち上げるのが精一杯の大剣を、片手で振ることもある。

 聖騎士にはカイザーと同じく細身でありながら力の強い者が多い。聖騎士というより、神聖力が強い者の特徴で、自分にできた傷を細かいものでもすぐさま自己治癒するからだと聞いた。

 マルティナは力でカイザーに敵わないことを、よくわかっている。

 カイザーが圧倒的に思えるが、これまでの勝ち数は同じで、引き分けることも多い。

 今も、お互い一歩も引くことなく、打ち合いが続いている。


 二人の対決は、最初から好意的に見られていたわけではない。カイザーは、入団時から団長のジークフリート = アイメルトから目をかけられていた。しかし、マルティナは違った。

 帝国建国時から八百年近く最強を誇ってきた騎士団において、マルティナは初の女性団員だ。もちろん難関と言われる入団試験に合格し、正規ルートでの入団だ。それでも既存の騎士はもちろん同期の入団者からも疎まれた。しかし、少し先に入団していたカイザーだけは、最初からマルティナの剣技を認めてくれた。当初は苦労したマルティナだったが騎士団の厳しい訓練にも耐え、入団から五年が経った今では、誰もが認める実力者となった。


 マルティナはこのまま猛攻を続けても、自身が消耗するだけだと判断し、手を止めた。カイザーの大剣が届くぎりぎりのところまで下がり、剣を構える。

 カイザーはマルティナの誘いを察し小さく頷くと、大剣を頭上に振りかざした。

 太陽を背にし立ち塞がるカイザーを見据え、マルティナは考えを巡らせた。躱すのが一番確実だ。しかし、どうしても受け止めたかった。

 カイザーは剣技に優れた騎士だが、マルティナはそれを上回る剣技と特殊な力を駆使する。

 マルティナは均等にまとっていた魔力の防御膜を、腕に集中させた。同時に、剣に強化魔法を重ねる。

 全て、一瞬のことだ。

 振り下ろされた大剣を、マルティナは二本の剣を重ねて受け止めた。剣も腕の骨もなんとか衝撃に耐えた。しかし、跳ね返すほどの力はない。マルティナはわずかに手首を捻り、カイザーの大剣を流した。剣先が地面につくよりも早く、自分の足に加速魔法をかけカイザーの後ろへと回り込む。跳び上がり体に回転を加えながら、カイザーに斬りかかる。

 カイザーの動きを捉える前に、大剣の切先が視界に入った。

 マルティナは空中にいたため、避けきれず、剣が胸元をかすめた。痛みが走り、顔を顰める。

 受けた傷を腕で庇いながら、マルティナは地面に落ちた。

「マルティナ!」

 カイザーの手を離れた大剣は地面を穿ったあと、倒れて低く重い音を立てた。

 マルティナは「まだ、やれる」と、剣を握りしめながら立ちあがろうとした。

 カイザーはマントを外し、マルティナの前に片膝をついた。両手に持ったマントが羽ばたきに似た音を立てながら風に翻る。それから、ゆっくりとマルティナの体を包んだ。

「ごめん」

 深手ではなかったが、マルティナの稽古着の胸元とその下のサラシが破れている。布の裂け目から、切り傷が覗いていた。衣服に血が広がっていく。

「触れるよ」

 カイザーは手袋を外すと、手の平をマルティナの傷口に当てた。

 マルティナは胸元に浸みてくる温もりに、思わず息を漏らした。痛みが引いていく。痛みがなくなると、代わりに別の感覚が広がりはじめた。マルティナは息をとめ、唇を噛みしめた。

 カイザーが手を離した。

「傷は残らないはずだ」

 すぐに立ち上がると、マルティナの腕をとり引き上げて立たせた。

「着替えが必要だろう。続きは後日でいいかな?」

 マルティナは「いや」と、顔を左右に動かした。

「私の負けで記録しておいてくれ」

 マントは後日返すと言い残し、マルティナはその場を立ち去ろうとした。その時、「伝令! 伝令!」と叫ぶ声が聞こえた。

 修練場にどよめきが起こる。

 次の言葉を待つまでもなく、伝令の手にした濃紫の旗を見て、みな内容を知った。

 濃紫の旗は、次期騎士団長の選抜が行われることを意味していた。

 誰かが雄叫びをあげた。修練場が歓声に包まれる。団員達が繰り広げる熾烈な争いの号砲だった。


 帝国には、五つの騎士団が存在する。

 中央に皇室騎士団、北にラドラニエ、南には聖騎士団、東部のゼンクと西部のカーアフである。

 帝国は周囲を山脈に囲まれている。一番他国からの侵入が容易な場所が北部だった。ラドラニエは、帝国の門であり盾なのだ。

 五つの騎士団の中で、ラドラニエだけは特別だった。騎士団長は就任した途端に大公の地位を得る。そして、ラドラニエだけは皇帝よりも大公の命令を優先できる。ラドラニエは帝国所属の騎士団でありながら、独立国家にも近い機関なのだ。

 騎士団長になることは、公王となるに等しい。

 騎士団長の地位は、血縁で継がれない。後継者は、勝ち抜き戦の形式を取り完全に実力で選ばれる。

 ラドラニエでは、誰が騎士団長に選ばれても滞りなく領地運営がなされるよう、しっかりとした行政機関が発展していた。

 ラドラニエ騎士団長の選抜に参加するための要件はただ一つ、ラドラニエ騎士団に所属していること。そのため、ラドラニエには野心家で武勇に自信のあるものが集まってきた。その野心も自信も、騎士団長の圧倒的な力を目にすれば消え失せる。それでも、騎士団を辞める者はほとんどいなかった。帝国にある騎士団の中で一番、騎士の本領を発揮できるのがラドラニエだからでもあるが、現騎士団長の指導を受けられるのは団員だけだという理由が大きい。騎士団長ジークフリート = アイメルトのカリスマ性は他に類をみない。誰も言葉にしないが、皇帝でさえジークフリートには及ばない。

 次期騎士団長の選抜が発令された。すなわち、ジークフリートが引退を決断したということだ。

 

 マルティナは宿舎で着替えをすませたあと、修練場に戻ってきた。何人かは来ていると思っていたのに、誰もいなかった。人気のない空間に、ただ一つ異質な存在感を示しているのは、初代皇帝アレクサンダー = ヴェアンスの石像だ。

 剣技を磨くこの場所に、なぜアレクサンダーの像が置いてあるのか。

 当然『初代皇帝』は偉大なのだから、あってもおかしくはない。しかし、アレクサンダーは騎士ではなく大魔法師だった。魔塔にあるなら理解できるが、剣の道を極めようとする者が集う修練場に、やはり似つかわしくない。誰が置いたのか定かではないが、マルティナは自分が騎士団長になれたら、別の場所に移そうと思った。

 騎士団の本拠地であるツェーアスト城のいたるところに、濃紫の旗が掲げられている。マルティナは思っていたよりも早く巡ってきた機会に、勇み立っていた。

 ジークフリートが騎士団長になって十年しか経っていない。三十八歳とまだまだ現役でいられる年齢だから、次の選抜はあと五年は先だと思い込んでいた。

 他の団員と同様に、マルティナはジークフリートを敬重していた。それゆえ、突然の引退宣言に戸惑いもあった。健康面になにか問題があるのではないかと懸念していた。

 しかし、次期団長は半年以内に決まる。カイザー以外にも、マルティナと実力が同等の者が何人もいる。ジークフリートが心配だからといって、遅れをとるわけにはいかない。

 日がだいぶ傾き、高い石壁に囲まれている修練場は、すっかり薄暗くなっている。マルティナは倉庫に松明を取りに入った。倉庫内は、さらに暗い。マルティナは手のひらを上に向け、呪文を唱えた。手のひらから光の粒があふれだし、辺りを照らした。 

「マルティナ、探したよ」

 カイザーの声が聞こえ、マルティナは慌てて光の粒を消した。カイザーにも自分が魔力持ちであると打ち明けていなかった。ゆっくりと振り返る。

 カイザーに驚いた素振りはない。団員の中で一番多くマルティナと剣を交えてきた。マルティナが魔法で身体を強化していると、気づいていたのだろう。

「大丈夫、誰にも言わない」

 カイザーの体が白く光り始め、明るくなる。

「神聖力の無駄遣いだな」

 マルティナは辺りを見回した。壁際には訓練用の剣や槍が立てかけてある。

「何か、探しもの?」

「松明を取りにきただけだ」

「これから修練をするんだ、熱心だな。傷は、ちゃんと塞がっていた?」

「おかげさまで、もうどこにあったかもわからない」

 カイザーは「良かった」と微笑んだ。

「食事も取らず修練場に来ているってことは、参加するつもりなんだね」

 マルティナは、棚から松明を取りながら「当然だ」と返した。

 振り返り、松明の先を指差しながら呪文を呟く。指先から出た小さな炎が、松明に燃え移った。途端に大きくなった炎がマルティナの顔を照らす。

「なんとしても、お前に勝つつもりだ」

 マルティナは、ジークフリートに次ぐ強者を、カイザーだと考えていた。

「僕に勝つ必要はない」

 マルティナは眉根を寄せた。

「まさかお前……」

「僕は、参加しないよ」

 マルティナは「なぜだ」と、問いかける。マルティナの藍色の瞳に炎が映っている。

「興味がない」

 松明の炎が大きくなった。

「落ち着いて、マルティナ、危ないよ」

 二人は倉庫を出た。マルティナは篝火台に松明を置き、カイザーに向き直った。

「興味がないだと?」

 マルティナはカイザーの真意を探ろうとしていた。

「僕はラドラニエ所属の騎士でいられれば十分だ。だいたい団長の器ではないよ」

 マルティナは込み上げる怒りをどうにか抑えようとしていた。他の騎士団ならいざ知らず、ラドラニエの騎士団長に必要なのは『強さ』だけだ。

「一番強い者が団長になるのだ。相応しいかどうかは選抜大会で決められる」

「正直なところ、団長にはなりたくないんだ」

 ラドラニエの団長は、帝国騎士の頂点だ。マルティナはカイザーの発言が気に食わなかった。カイザーは、参加して『団長になってしまう』ことを心配している。

「安心して参加しろ。私が必ずお前に勝つ」

「僕もマルティナが団長になることを望んでいるよ」

「それなら、なおさら参加しろ」と、思わずカイザーの胸ぐらを掴んだ。

「お前のいない選抜大会で勝ち抜いて団長になっても、お前がいなかったからだと言われ続けるだろうが」

 カイザーは、騎士服の胸元を掴んで離さないマルティナの手に、手を重ねた。

「何を言われても、気にすることはない」

 カイザーはマルティナの手を軽く握り、引き剥がそうとした。マルティナはカイザーの手を振り払った。

「お前が参加すれば済むことだろう」

「なりたくもないのに選抜大会に出るのはおかしい」

 カイザーの言い分はもっともだ。しかしマルティナは、カイザーほどの実力者が騎士団長になりたがらないことに納得できない。

「逆に、マルティナはどうして騎士団長になりたいんだ?」

 マルティナは騎士団長になることが、強さの証になると考えていた。

「私は『最強』になりたいんだ」

「騎士団長にならなくても『最強』にはなれるだろう?」

「ラドラニエ騎士団長ほど、『最強』を裏付けてくれる称号はない」

 カイザーは首を傾げながら「『最強』であることを誰かに認めてもらう必要がある?」と言った。

「自分で思い込んでいるだけなら、ただの自惚れでしかない」

「自覚がなくても、他者から承認されなくても、『最強』は『最強』なのでは?」

 マルティナは反論しようと口を開きかけ、はたと気づいた。カイザーにはわからないのだと。

 マルティナは初対面の相手に、女性だというだけで弱いと決めつけられてきた。強さを見せつけなければ、対等に扱われない。マルティナが強さの証明に固執するのは、軽んじられてきたからだ。

「僕が出なくても、手強い相手は他にもいるじゃないか。マルティナが団長になれるよう、修練に付き合うよ」

 マルティナは黙ってカイザーを睨みつけた。カイザー相手に腕を磨けるのであれば願ってもないことだ。しかしマルティナは「いらん世話だ」と返した。

「気が変わったらいつでも言って、他の誰かに手を貸すつもりはないから」

 カイザーは自分が求められると確信している。

 マルティナは自分の苛立ちの理由が何なのか知っていた。



 選抜会への申込が締め切られた。この後ひと月ほどかけ、三十名まで絞りこまれる。ジークフリートから選ばれた者で勝ち抜き戦が行われるのだ。

 マルティナはカイザーを修練場に呼び出した。

「申し込んだよな?」

 二週間の参加申し込み期間中に、繰り返し声をかけたが、カイザーから受け流されていた。

「申し込んでないよ」

 マルティナはムッとした顔をしたあとで「それなら、気兼ねはいらんな。私の鍛錬につきあってもらうとするか」と、言った。

「わかった。つきあうよ」

 カイザーは嬉しそうにしている。マルティナは内心まだ、納得できていなかった。

「どちらが上か皆に知らしめるためだ」

 カイザーほどの実力者が出ないなど、やはり許されない。しかし、すでに申し込みは締め切られている。今更考えても仕方の無いことだった。マルティナの方がカイザーより強いと、他の団員に認識してもらうしかない。今はまだ互角だが、団長に就任する頃には圧倒的に上回っておく必要がある。


 マルティナは、魔法師になるべき魔力量を持って生まれた。赤ん坊のマルティナに向かって、おもちゃがふわふわと浮いて近づいて行くのを母親が目撃し、わかったことだ。騎士に比べ魔法師は稀少だ。本来ならば幼い頃から魔塔で修行を積まなければならなかったのだが、物心ついた頃には騎士に憧れを抱いていた。村の自警隊長を務める、父親の影響だった。

 マルティナが魔塔へ入れば、一家が楽に暮らせるほどの報酬が約束されるにもかかわらず、両親は強要しなかった。それだけでなく、父親は、故郷に伝わる剣術を徹底的に教え込んでくれた。剣の修行をする上で父親が気づいて指摘してくるまで、マルティナは無自覚に身体強化の魔法を使っていた。

 それからは、魔法を意識して使うようにはなったが、あくまでも自己流だった。良家に生まれたカイザーと違い、マルティナは正式な教育は一切受けていない。母親の生家が地方貴族だったおかげで読み書きと、基本的な知識は習得できている。しかし、魔法についての知識は全く持ち合わせていなかった。実践の中で必要性を感じた身体強化を、それとなく使っているだけなのだ。もう一段階上を目指すのであれば、きちんと学ぶ必要があると、考えた。

 マルティナは、魔力持ちであることを隠して入団した。入った頃はまだ十代半ばで、知られれば、魔塔に送られる懸念があったからだ。しかし、今更明かすこともできずにここまで来た。マルティナは、カイザーに相談することにした。

 マルティナにとってカイザーは、好敵手であり、一番信頼している相手でもあった。

 夜になりマルティナは、カイザーの部屋の扉をノックした。団員の一部は、寄宿舎で生活している。マルティナとカイザーの部屋は隣だったが、今まで、部屋を訪ねたことはなかった。

 扉を開け目が合うと、カイザーは一瞬驚いた顔をしたものの、快く招き入れてくれた。いつも騎士服を着ているカイザーも、自室の中では軽装だ。

 カイザーの部屋には、無駄なものが一切ない。マルティナもあまり物を持たないが、それ以上だった。

「折り入って、相談がある」

 マルティナはまず頭を下げた。

「魔法を学びたいのだが、何から手をつけたら良いのかさっぱりわからない」

「僕には魔力がないから理論しかわからないけれど、基礎的なことなら説明できる」

「さすが博識だな」

 それからマルティナは、騎士としての業務以外の時間のほとんどをカイザーと共に過ごした。

 カイザーに教えられたことの中で、一番マルティナの心を惹きつけたのは、『魔力は魂に宿り、剣気は肉体から生まれる』という、性質の違いだった。魔力が使えるせいか、マルティナは剣気を出せたことがない。もちろん、帝国中を探しても剣気を出せる者は数えるほどしかいない。極めた者だけが使える技だった。

 マルティナは迷っていた。剣気を出せる域にまで達すれば、魔力を上手く使わずとも済むのではないかと。

 試行錯誤の日々が続いた。

 そして、選抜会の出場者が発表される日になった。

 貼り出された三十名の中に、マルティナの名前はなかった。



 マルティナが選抜会に出られないとわかり、騎士団の中に動揺が広がった。マルティナと事情は違うが、カイザーの名前もなかったのだから、当然の混乱だ。

 出場者発表から一週間後までは、異議申し立てができる期間と定められている。

 マルティナは即刻、騎士団長ジークフリートとの面談を申し込んだ。

 出場者が発表になってから、マルティナは業務上必要なこと以外一切話さなかった。食堂でマルティナの落選について、聞こえよがしにからかった団員もいた。しかし、マルティナから無言で放たれた殺気で、すぐに押し黙った。

 一度、カイザーに声をかけられたが、一言「そっとしておいてくれ」と、遠ざけた。

 マルティナは、選出された三十人より自分が劣っているとは思えなかった。提出した書類に不備があったのかもしれない。いずれにせよ、ジークフリートとの面談ではっきりする。マルティナは、選抜会への出場をまだ諦めていなかった。

 ジークフリートとの面談の日となった。

 指定された時間に、団長室の扉を叩いた。マルティナはひどく緊張していたが、表に出ないように注意を払った。

 部屋に入ると、ジークフリートの存在感にまず圧倒された。奥の執務机の向こうに座っているのに、気配が間近に感じられた。

 ジークフリートはかつて隣国の傭兵だった。『戦場の獅子』の二つ名を持つに相応しい、見るからに屈強な体躯をしている。

 ジークフリートの猛獣を思わせる鋭い目が、マルティナをまっすぐ捉えていた。

 マルティナはジークフリートの前まですすみ、挨拶をした。

「異議申し立てにくるとは、本当に理由がわからないのか?」

 ジークフリートの声は、重く低く響く。マルティナには『もしや』と繰り返し考えてしまう『選ばれなかった理由』があった。

「私が女性だからですか」

 ジークフリートから強い気が放たれた。あまりの勢いにマルティナは体をまっすぐ保つのが難しくなり、一瞬、右足を後ろに引いて耐えた。

「お前の言葉は、私と、建国の英雄の一人『イザベラ = キストラー』への侮辱とも取れるぞ」

 イザベラ = キストラーは、建国の際活躍した女性騎士だ。

「軽率でした。申し訳ございません」

 マルティナは深々と頭を下げた。すぐに許され、改めて姿勢を正した。

「お前は一見強いから、自惚れるのは仕方ない」

 ジークフリートの言葉に、マルティナは怒りを覚えた。瞬く間に顔が熱くなる。いくら圧倒的に強いジークフリートの言葉であっても受け入れられない。

「本当にわからないのだな。よし、私にこの場で、全力で攻撃をしかけてみろ」

 今は、帯剣していない。素手での攻撃だとしても戦うには狭すぎる。

「この部屋の中でですか?」

「そうだ。全力でかかってくるといい。剣は、好きなものを使っていい」

 ジークフリートの示した先に、何種類もの剣が飾られていた。どれも本物だ。マルティナは一番自分の剣に近いものを二本取った。

 ジークフリートの正面に戻る。

「私はこのままで良い。剣を構えてみろ」

 マルティナは剣を構えた。

「全力でと言ったはずだ。いつも通りにするんだ」

 ジークフリートには強化魔法を使っていることを見抜かれていたらしい。マルティナは、魔法で体を強化しようとした。ところが、発動しなかった。

 ジークフリートが座ったまま、体に剣気をまとった。ジークフリートの体がさらに大きくなったかに感じる。マルティナは息を殺しながら、剣を落とさないよう、必死で堪えていた。額から流れた汗が目に入り、浸みた。

「いつも通りにできないだろう? この部屋には魔封じの陣が施されている。今のお前が、選ばれた三十人より強いと言い切れるか?」

 マルティナは、言葉を失った。勝てる相手もいそうだが、全員より強いとは言えない。

「今は平和だが、いざ侵略戦争が起これば、敵陣に魔封じを使える魔法師がいることもある。実際、帝国建国の際の戦いで魔封じが使われ、初代皇帝が危機に陥った記録が残っている」

 マルティナは剣をさらに握りしめた。

「お前は、『騎士団長の器』として、相応しくないのだ」

 マルティナは団長室からどう出たのかを覚えていなかった。気がつけば、カイザーの部屋の前にいた。迷った挙句に立ち去ろうとした時、部屋の扉が開いた。

「ちょうどマルティナの部屋に行こうかと……とにかく入って」

 カイザーはマルティナを案じてくれている。

 マルティナはカイザーのいれてくれた紅茶を飲んで、少し心が落ち着いた。

 マルティナはカイザーに選抜会へ出られないことを話した。

「納得できないが、受け入れるしかない」

 カイザーはマルティナ以上に落ち込んで見えた。

「前に、ラドラニエ騎士団の団員でいられれば、十分だと言っていたな。どう十分なのかを教えてほしい」

 今回の選抜会に出られないのだから、マルティナは生涯、一団員で終わることになる。どうにか、自分の気持ちに折り合いをつけたかった。

「理解してもらうには、僕の生い立ちを説明する必要がある。聞いてくれるかい?」

 マルティナは頷いた。

 カイザーが聖騎士を多く出す家門の七男だと知っていた。しかし兄弟の多い理由が神殿に『聖女』の誕生を強く望まれたからだとは考えもしなかった。

「母は、僕が男だったことに絶望し、精神を病んでしまった」

 カイザーは幼少期のことを詳しくは語らなかった。マルティナもカイザーの心の傷を知りたいわけではない。

「僕は生まれつき神聖力が強かったからすぐに神殿に預けられた。そこでも、聖女であれば良かったのにと、繰り返し言われ続けたんだ」

 神殿での生活は息苦しかったとカイザーは寂しげに言った。

「剣を振っている間だけ、余計なことを考えずに済んだ」

 カイザーは辛い現実を忘れるために剣を振り、ここまで強くなったのだ。

「僕は神殿に閉じ込められながら、一生清廉潔白を貫き続ける定めなのだと、思っていた」

 だがしかし、今はラドラニエ騎士団に所属している。マルティナは、入団のきっかけが気になり、訊ねた。

「神殿に、団長が視察に来たんだ。修練場で剣を振る僕を見て、誘ってくれた」

 マルティナの胸はチクリと痛んだ。ジークフリート自ら声をかけて入団を促した逸材、それがカイザーなのだ。

「何が『団長の器じゃない』だ。お前は求められてここへ来たんじゃないか」

「僕は、団長だからこうあらねばならないと、必死で自分を取り繕うのは嫌なんだ。騎士団の一団員としての役割なら、こんな僕でもこなせる」

 以前マルティナは、選抜会に出ないと言ったカイザーを責めた。

「何も知らずに、考えを押し付けて悪かったな」

 今ならカイザーにはカイザーの事情があるのだと納得できる。

「お互い、一団員として研鑽を積もう」

 マルティナはカイザーに握手を求めた。カイザーはマルティナの手を強く握ると、「今でも僕は、マルティナが次の団長に相応しいと思っているよ」と、言った。

 カイザーの目は、いつもと違い鋭い光を放っている。

「明日から、より一層鍛錬に励もう。誰が相応しいのかを思い知らせるべきだ」

 マルティナは、今更覆らないとわかっていたけれど、カイザーの言葉が嬉しかった。

「私は、もっと強くなるよ」

 団長になれずとも『最強』にはなれる。マルティナはそう気持ちを切り替えた。

 マルティナとカイザーは国境警備などの通常業務をこなしながら、自由時間では実剣での鍛錬を行なった。マルティナは極力強化魔法を使わずに、剣気を鍛えるつもりでいたが、なかなかうまくいかず、怪我が多くなった。その度、カイザーが治癒してくれる。多少の無理は許されるおかげで、マルティナは剣気のコツをあと少しで掴めそうなところまできていた。

 二週間後から選抜会は始まる。マルティナは、準備を進める者たちのことが気にならないほど、自分の成長のための鍛錬に集中できていた。

 今のマルティナを支えているのは、かつては苛立ちを覚えたカイザーの言葉だった。

 そして、剣の鍛錬だけでなく、夜には魔法の精度を上げる練習もしていた。ジークフリートの指摘はもっともではあったが、いつでも魔封じを使われるわけではない。封じられない環境ならば、使えるに越したことはない。

 マルティナは確実に強くなっている。しかし、鍛錬に付き合ってくれているカイザーも、同じように強くなっていた。マルティナは、実力の均衡を破るためには、剣気を発現させるしかないと考えていた。

 対戦表は選抜会の三日前に発表される。それまでは誰が初戦の相手かわからない。カイザーは選抜会に参加する者から、何度も手合わせを申し込まれ、すべて断っていた。マルティナはいつも、断られた者から睨まれた。出場できない者がカイザーを独占しているのが気に食わないのだろう。

 マルティナにとって、自分の成長以外は、取るに足らないことだった。



 マルティナは朝から憂鬱だった。

 今日、選抜会の対戦表が発表される。それだけならばまだ良かった。当日の城内巡回担当は発表の場に来るようジークフリートから命令が下された。

 わざわざ見に行かなくとも、そのうち噂で耳にする。国境警備担当になっているカイザーに代わってもらえないかと頼んだが、「城内巡回は退屈だから」と、断られた。

 マルティナは、先週まで国境警備だったので、ついていなかった。今のところ騎士団を辞めるつもりはないため、命令に従うしかない。

 本日非番の者も含めて、五十名ほどが城門前の広場に集まった。全員が、騎士団の制服を着用している。よく晴れているせいで気温が高めだ。集まった者たちのほとんどが高揚していて、さらに暑く感じられた。マルティナは極力目立たないように後ろ端に並んだ。全員がマルティナより背が高いため、前はよく見えない。今はその方が都合良かった。

 ジークフリートが来たため、広場に緊張が走った。圧倒的な存在感だ。これだけの威厳を保っているにもかかわらず引退を考えているのだ。

 マルティナは、数年後であれば、魔法に頼らずとも選抜会に出られたはずだ。

 参加者には番号が割り振られ、一番から名前を読み上げられていく。マルティナは、参加者の名前を聞きながらずっと拳を握りしめていた。

 誰が勝ち進むのか、考えたくもなかった。

 一番と三十番には初戦の対戦相手はなく、他は、二番と三番、四番と五番という形で組み合わされている。一回戦は数日に分けて行われ、対戦日も発表となった。

 必要事項の発表が終わり、マルティナはすぐにもその場を離れたかった。しかし、ジークフリートが壇上に上がり皆に向け話を始めた。マルティナにとって、選抜会の意義や参加者への激励は、面白い内容ではない。そっとため息をついた。極力話が耳に入らないよう、別のことを考えてやり過ごす。

 突如、どよめきが起こった。マルティナは内容を聞いていなかったためわからない。隣に立つ団員から、「カイザーが出るの聞いてたか?」と、話しかけられた。咄嗟にマルティナの理解は及ばす、「なんの話だ?」と、質問で返した。

 ジークフリートが「特別枠の二人目」と言うのが聞こえた。

「マルティナ = ヤンセン」

 マルティナの思考が停止し、一瞬、無音になった。確かにその場に立っているのに、体が後ろに引かれていく感覚に囚われる。マルティナは呼吸も瞬きも忘れ、ただ前方を見つめていた。

「良かったな」と、誰かに肩を叩かれた。

 マルティナは喜ぶよりも先に混乱していた。

 団長自ら、マルティナは『器に相応しくない』と言っていたにもかかわらず、なぜか、選抜会に出られることになっている。おまけに、参加を望まぬカイザーも加えられている。特別枠について事前に知らされていなかったのだから、この場にいないカイザーはまだ知らないはずだ。

 ジークフリートの意図が全くわからない。

「なお、特別枠は団長権限で設けたものだ。意見質問は一切受け付けない」

 解散となった後、マルティナの周りにはたくさんの団員が集まってきた。純粋に喜んでくれている者ももちろんいるが、ほとんどが興味本位で近寄ってきただけだ。マルティナは「まだ、勤務中だ」と、言い残し立ち去った。

 参加できるのであれば、全力を尽くし勝ち進んで団長になるだけだ。今はそれよりも、カイザーのことが気がかりだった。カイザーはマルティナと違い、本人の意に反する参加となる。

 勤務時間が終わり、マルティナは自室で魔法学の本を読みながら、カイザーの帰りを待っていた。廊下から音が聞こえ、マルティナは耳を澄ました。カイザーの部屋の扉が開く音がした。マルティナは、急いで部屋を出た。

 カイザーはまだ部屋に入っていなかった。

「大丈夫か?」

 カイザーは首を傾げた後、「発表の場には行ったんだよね?」と言った。

「行ったさ。命令だったからな。お前こそ、内容はもう知ってるんだな?」

 カイザーは頷いたあと、「入って」と、言った。

 マルティナは部屋に入るなり「勝手に選抜会に参加させられて構わないのか?」と、訊いた。

「勝手にじゃないんだ」

「事前に告知されてたのか?」

 カイザーは、経緯を話すと言った。

「実は、団長にマルティナを参加させて欲しいと直談判したんだ」

 マルティナはカイザーの思いがけない言葉に、咄嗟に反応できなかった。

「マルティナを出して欲しいなら、お前も出ろと言われて、受け入れた」

「そういうことか」

 マルティナは今、選抜会にまつわる様々な出来事の中で、一番傷ついていた。

「誤解しないで欲しいんだ」

 カイザーに他意があるとは思っていない。

「ただ、団長の考えがよくわかっただけだ」

 マルティナを外したのは、申し込みをしなかったカイザーを釣る、餌にするためだったのかと、疑いを抱いた。

「僕は今でも団長にはなりたくない。マルティナが阻止してくれると信じてるから、参加を受け入れられた」

「私は、なんとしても団長になるつもりでいる」

「僕はマルティナとの対戦で絶対に手を抜かない。君に、嫌われたくないからね。それだけは、先に伝えておこうと思って」

 マルティナは「当然だ」と、笑った。

「お前と当たるのは決勝だ。お互い、勝ち上がろう」



 選抜会は、他の騎士団との交流試合などにも使われる演武場で行われる。楕円形で白い石造りの巨大な演武場には観覧席が設けられており、領民も見物に来ていた。初日は開会式があり、参加者が全員集まった。対戦時は、騎士服の着用が必須だ。

 初戦はカイザーと一番の団員だった。初戦への期待もあり、多くの人が集まったが、一瞬で終わった。マルティナは、十五番以下の挑戦者とは当たらないと考えていたので、カイザーの試合が終わってすぐに通常勤務に戻った。

 マルティナは、強化魔法を使わないと自分に制限を設けたため、カイザーのように簡単には勝てなかった。しかし魔法に頼らない純粋な剣技で、着実に勝ち進んだ。

 食堂で会ったある団員に揶揄われたのだが、領地に住む女性たちによって『女性騎士マルティナを応援する会』が作られたらしい。カイザーも女性人気が高く、これまで演武場に縁のなかった女性たちが観覧席を埋め尽くしているという。

 マルティナは「そうか」と、素っ気なく返した。マルティナは決勝で必ずカイザーを倒さなければならない。浮かれている余裕はなかった。

 カイザーは決勝まですべての試合で、圧倒的な勝利をおさめた。

 マルティナの準決勝の試合が始まる。

 相手はカイザーと同じ大剣の使い手、ニクラウス = フリッチェだった。カイザーより体が大きいがそれほど差はない。

 マルティナは、カイザーとの決勝戦の予行として考えていた。

 ニクラウスは、カイザーには及ばないものの、なかなかの実力者だった。大ぶりの剣を自在に操る。それでも、強化魔法を使わずとも、勝てると感じていた。

 マルティナには、大剣の軌道を熟知している自負がある。しかしそれは、大剣独特の軌道ではなく、カイザーの独自の大剣の使い方でしかなかった。

 ニクラウスの大剣が空を切る。マルティナの左腕が思い切り大剣の腹にあたり鈍い音がした。激痛が走り、つい、短剣を落としてしまった。

 ニクラウスをしっかり見ていれば躱せていた。しかしマルティナは、『カイザーの動き』を予測して移動してしまったのだ。

 観客席から悲鳴が聞こえた。

 マルティナは飛ばされ、一瞬、体勢を崩した。ニクラウスは絶好の機会とばかりに次の攻撃を仕掛けてきた。

 後ろに下がり間一髪躱せたが、頬に軽く痛みが走る。少し遅れていれば、目をやられていたかもしれない。

 マルティナには、危機に陥って気づいたことがある。

 演武場には、魔封じが施されている。咄嗟に防御魔法で身を守ろうとしたにもかかわらず、発動しなかったのだ。マルティナは、自分の過信を恥じていた。決勝戦ではなく、今この試合に集中するべきだった。

 ニクラウスは、地面に落ちた短剣を蹴って、マルティナから遠ざけた。

 騎士服の袖の中が濡れているのがわかる。かすかに血の匂いがしていた。左腕はどうせ使い物にならない。長剣を持つ右手に力を込める。

 それからは、足を使いニクラウスを撹乱しながら、決め手となる一撃を与える隙を探った。よく見ると、ニクラウスの大剣は厚みがあまりない。たしかに、カイザーの斬撃よりも軽い。

 マルティナは痛みに耐えながら、動き続けた。体が熱くなっていく。左手の感覚は無くなっていた。

 ここで負けるわけにはいかない。歯を食いしばって、剣を振った。汗が、飛び散る。

 ニクラウスは、持久力があまりないらしく、段々と動きが鈍くなってきた。

 マルティナとて限界に近いが、攻撃の手を休めなかった。いつからか、自分の呼吸音しか聞こえなくなっていた。

 ついに、ニクラウスの足がもつれ、よろけた。マルティナは見逃さず、足を踏み込み一撃を叩き込んだ。

 苦戦はしたものの、気づきもあった。後は、カイザーを倒せば良い。

 自分の勝利を確認した直後、マルティナはその場で気を失った。

 

 決勝の日を迎えた。

 ニクラウスの対戦でできた傷は、その日のうちに、すべてカイザーが治してくれたので、体調は万全だった。

 マルティナとカイザー、勝った方が団長になる資格を得る。

 マルティナはまっすぐカイザーを見据えた。この場に立てたのは、紛れもなくカイザーのおかげだった。

「お前には感謝している」

 カイザーはいつもと変わらない、柔らかな笑みを浮かべた。

「私は、お前の期待に応えてみせるよ」

 開始の合図が聞こえた。マルティナは一気に、カイザーとの間合いを詰めようと地面を蹴った。

 カイザーは強かった。しなやかな筋肉と柔軟な関節が生み出す、美しく無駄のない剣の軌道。大剣を使いながら、動きが速い。

 カイザーが剣を振るたび、風が起こる。体の軽いマルティナにとって、厄介だった。

 いくら強敵でも、逃げ出すわけにはいかない。マルティナは果敢に打ち込んでいく。カイザーと積み重ねてきた修練のとおりに。

 剣のぶつかり合う音が絶え間なく聞こえていた。カイザーに弾かれるたび、体の奥で火花が散る。全身が火に包まれるように熱くなっていく。

 演武場には魔封じが施されている。マルティナはわざわざ『魔法を使わないように』気をつける必要がない。そのおかげで、純粋に剣をふれた。

 しかし、カイザーの大剣を強化魔法なしに受け止められはしない。カイザーに剣を振り上げる隙を与えてはならない。

 マルティナとカイザーは、互いを知りすぎている。ただただ激しい攻防が繰り返されていた。全身が熱く滾っているのに、思考は段々と冷めていく。

 マルティナは見ていた。カイザーの些細な動きも見逃さないように。

 大剣が空を切る。マルティナは最小限の動きで躱した。

 体が、思考を追い越した。剣筋が見えたと思った時には、隙のできる側に回り込んでいた。

 カイザーが、目を見開いた。

 マルティナは長剣を振り上げる。

 カイザーは必ず反応してくれると信じ、振り切る。マルティナは、長剣が炎をまとっていることに気づいた。

 全身から力が迸り、剣に流れ込んでいく。

 剣と剣がぶつかった。耳を劈く金属音とともに、カイザーが、吹き飛ばされた。

 マルティナは遠ざかっていくカイザーを見ていた。

 魔法ではない別の力が働いたのだ。

「これが、剣気……」

 力そのものが攻撃的で、強化魔法とは全く異なった性質だ。

 カイザーが尻餅をついた状態で、こちらを見ている。

「マルティナ、おめでとう」

 マルティナはカイザーに駆け寄った。

「ありがとう、剣気が出せたようだ」と、手を差し伸べた。

「続きをしよう」

 カイザーは笑顔で顔を左右に振った。

「手首が折れている。戦闘不能だ」

 いつもならすぐカイザーの自己修復が働くが、ここでは神聖力も封じられていたらしい。

 試合終了の合図が聞こえた。

 演武場が歓声に包まれる。

 マルティナはカイザーの傍に座り、声をかけた。

「肩を貸してやる。つかまれ」

 カイザーは「いつもすぐに治るから知らなかったけれど、骨が折れるとここまで痛いんだね。お言葉に甘えるよ」と言って、マルティナの肩に腕を回した。

 よほど痛いのだろう。寄りかかってきたカイザーの柔らかな髪が、マルティナの頬に触れていた。

 


 継承式のために団長室を訪れた。

 正式な手続きが済めば、晴れてマルティナの部屋になる。

 部屋に入り挨拶をすると、ジークフリートは「短期間でよく、ここまで肉体を鍛えあげた。賞賛に値する」と、微笑んだ。

 マルティナは、不服申立てで団長室を訪れた日に思いを馳せた。あの日、マルティナは人生で最大の挫折を味わった。しかし、挫折のおかげで大きく成長できたのだ。ジークフリートは、マルティナの弱点を指摘することで、導いてくれた。

 マルティナはジークフリートに感謝を伝えた。

「継承の儀式はそれほどかからないが、その後の引き継ぎは、数年かかる」

 マルティナは、頷いた。マルティナが未熟な間は、ジークフリートが補佐してくれるのであれば、安心できる。

「早速、始めよう」

 継承式は極秘事項が多いため、マルティナとジークフリート二人だけで行われる。

 ジークフリートが、書棚の前に立ち横にずらすと奥に部屋があった。中は暗い。

 ジークフリートの指から小さな炎がいくつか出た。燭台の蝋燭に火がついた。魔法を使うという噂は聞いたことがあったが、目にするのは初めてだった。

 部屋の中にはほとんど何もなかった。

「入るのは十年ぶりだ」

 先代からの継承で入ったのが最後ということになる。

「この部屋は、継承式にしか使わないのですか?」

 ジークフリートは頷いた。

「継承のための魔法陣があるのだ」

 団長職の継承は、魔法契約で行われる。内容は、ジークフリートから口頭で伝えられた。継承にまつわるすべての機密を漏らさないこと、歴代団長と現団長はいかなる理由があろうとも争わないことなど、単純なものだった。

 マルティナは選抜会を勝ち抜いたものの、まだジークフリートには敵わない。たとえ数年後にマルティナがジークフリートを超えたとしても、強敵であることに変わりはないだろう。団長になれる実力の騎士同士が敵対しないことは確かに重要だ。

「継承式について、あらゆる事項に同意するか?」

「同意いたします」

「では始めよう」

 ジークフリートは、小さなナイフを取り出し、手のひらにスッと線を引いた。

「同じようにしてくれ」

 ナイフを渡され、マルティナも手のひらを切った。脈拍と同じリズムで痛みが走る。血が手のひらの脇からこぼれた。

 床に血液が落ちた途端、魔法陣が鮮烈に輝いた。

「目を閉じ、心を沈めるのだ」

 マルティナは頷いて目を閉じた。

 ジークフリートが呪文を唱え始めた。体がだんだんと熱くなっていく。

 目を閉じているのに、強い光に包まれているのがわかる。

「衰えを知らぬ若木よアレクサンダー = ヴェアンスの依代とならん」

 体が、強い力に吸い上げられる。マルティナはその場に必死に止まろうとした。

「恐れることはない、身を任せよ」

 ジークフリートではない、男の声が聞こえた。抗えない、圧倒的な強者の声だ。

 マルティナは、声の主の命に従った。

 体が一度浮き上がったあと、ストンと、地に足がついた感覚があった。

「ほお、これがお前の体か、なかなか興味深い」

 マルティナは、自分の声が聞こえたのに驚き、目を開いた。正面に自分が立っている。視界が随分高い位置にある。

「何が……」と発した言葉が、ジークフリートの声で聞こえた。慌てて視線を下に向けると、分厚い胸が見えた。腕も何もかもが逞しい。

「どういうことなんだ……」

「お前の体が、団長になったと言えばわかるか?」

 マルティナは混乱しながらも、何が起こったのかは理解できていた。お互いの体が入れ替わったのだ。

 しかし、悪い夢を見ているだけかもしれないとも考えていた。

「お前はもう、継承について誰にも話せないから教えてやろう。我が真の名はアレクサンダー = ヴェアンスだ」

「初代皇帝は、大魔法師だったはずで……」

 マルティナは、ジークフリートの声が自分から出ることに違和感があり、うまく話せない。

「魔力は魂に宿るものだ。私は今も膨大な魔力を持っている」

 マルティナの目に、不敵に笑う自分の顔が映る。

「魔力を持ちながら騎士を目指したお前の選択は正しい。魔法師などどんなに魔力があろうと弱い。私は自分の弱い体のせいで、イザベラ = キストラーを失った。しかし今は、当時の私にはなかった強靭な肉体がある。私は、八百年近くの間、強さを追求し、衰えが見えては体を変えてきた。ラドラニエ騎士団で次の強靭な肉体の候補を育て、こうして依代(よりしろ)を選ぶ。完璧な仕組みができあがっている」

 ジークフリートの言う『団長の器』は、そのままの意味だったのだ。マルティナは、衝撃のあまり声も出せない。

「お前の体は私の理想ではなかったが、選抜会を勝ち抜いてしまったのだからやむを得ない。この体に慣れるまでは、他の団員とは距離を置く。とくにエクハルトに感づかれると次の継承に支障が出る」

 マルティナは、気づいた。ジークフリートが狙っていたのは、カイザーの体だ。

「修練場の石像から送られてくる映像で、お前とエクハルトの対戦をよく確認していた。神聖力を使いながら鍛え上げられた肉体を試してみたくてな」

 マルティナはかつての自分の体を睨みつけた。

「女の体は初めてだが、違った楽しみ方がありそうだ。子を産んでみるのも悪くないな」

 マルティナは自分の体を取り返そうと、手を伸ばした。しかし、魔法契約の効力ですぐに動けなくなった。

「他人の体を奪い、己の強さを追い求めるなど決して許されない」

 歴代団長と現団長が争えないのは、領土の安定のためではなく、アレクサンダー = ヴェアンスを守るためだったのだ。

「帝国を守るために、強い私が生き続けることは必要だが、お前には理解できないだろう」

「理解できるはずがない」

 マルティナは、自分の体に掴み掛かりたかった。しかし、体が言うことをきかない。

「お前の体の中にいるのは、飽きるまでだ。とはいえ、頻繁に選抜会を開くわけにもいかない。しばらくは我慢しないとな。まあ、次の器が決まっても、お前に返せるわけではないが」

 マルティナは膝をつき、床に掘られた魔法陣を凝視した。グッと拳を握りしめる。視界の端に、自分のものではない大きな手がある。

 全身に怒りが満ち、今にも火を噴きそうなほど熱かった。自分が剣気をまとっているのがはっきりとわかる。

――魔力は魂に宿り、剣気は体に宿る。

 ジークフリートの体は剣気を使うのに慣れていると、中にいるマルティナは感じていた。しかし、魔法契約のせいでマルティナの体には攻撃できない。

 悔しさや怒りがもちろんある。絶望もしている。

 しかし、マルティナの脳裏には、ある『やり遂げなければならないこと』が思い浮かんでいた。

 団長になるため努力を重ねた日々、カイザーと交えた剣の数々。カイザーの眼差しはいつでも温かだった。

 マルティナは、カイザーの口元が不適にゆがむところなど見たくないと強く思った。

 今はまだ、何もできない。どうすれば叶うのか想像もつかない。しかし、決意だけはある。

 せめてカイザーだけは、なんとしてもアレクサンダー = ヴェアンスから守りぬく。


                                     了

 










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