7 奴隷貿易港 堺
「そうだったんだ。それはつらかったね……」
カ……ナシカ……ッタ……
オ……トウ……オカ……ア……
ぽつりぽつりと金山ダムの赤い服の女は身の上を話した。赤い服、いやその女は、篠は白の肌小袖を身に着けていた。
肌小袖は和装の肌着である。今の感覚で言えばパンティ・ブラだけを身に着けているに等しい。
和装に詳しい人が見れば「女の子がなんてはしたない姿を」と駆け寄って上着を被せるレベルである。
篠は白の肌小袖を着ていた。しかし剣奈は赤い服の女だと思っていた。なぜ剣奈は赤い服と誤認したのか?
それは。
肌小袖が赤く染まっていたからである……
血によって……
…………
村が襲われた翌朝、篠は堺港にいた。赤を基調としたあでやかな辻が花染めの小袖の重ね着を身につけていた。髪は整えられ顔にはおしろい、そして唇には紅が引かれていた。
潮風に吹かれて整えられた髪がさらりと流れた。美しかった。
篠は一見裕福な家の箱入り娘に見えた。奴隷商人はニヤリと笑った。しかし次の瞬間、顔をゆがめて軽く舌打ちをした。荒れた手が見えたからである。
奴隷商人は素早く頭でそろばんを弾いた。この娘は高く売れる。整った顔で色気がある。拐かされた裕福な家の子女に見える。手肌の荒れは船旅の間に整えてやれば良い。手間を惜しまなければ元を取ってあり余りある金になるだろうと。
しかもである。今はしっかり荒れた手足、日に焼けた肌を指摘できる。安く買い叩けるのである。奴隷商人は男たちに向かっていった。
「こらえらい化けさせましたなぁ。元はさらった貧農の娘ですかいな?綺麗なべべ着せたらまあ拐かされたこいさんに見えまんがな。ホンマは貧農値段なんやが上乗せさせてもらいますわ」
高値で引き取ってくれそうな言い回しに男はにやりと笑った。そして若干上乗せされた金を満足そうに握った。
「じゃあな。金持ちに買われていい暮らしがでそうだな篠。俺たちに感謝するんだぜ。ぐへへへへ」
男は高く売れたことに満足して立ち去っていった。それは商人は巧みな言い回しに騙されただけであり実は買い叩かれただけだったのだが。
「ついてきなはれ。逃げ出そうとるんやないで?逃げたらひどい目に合わせるよってな」
奴隷商人は凶暴な顔を見せて篠に凄んだ。篠は恐怖に震えた。しかし笑顔を見せてにこりと笑った。
「はい。可愛がってください。旦那様」
「こらまあ。えらい可憐な。よろしい。ほなついてきなはれ。あんたがおとなしいするんやったらちゃんとかわいがったるさかいな」
「ありがとうございます。旦那様」
篠はにっこり微笑んで頭を下げた。奴隷商人は満足げに頷いて篠を連れて行った。
篠はなぜこんな振る舞いをするのか。なぜ笑っていられるのか。
篠の振る舞いには哀しい理由があった。
捕まってから毎日、篠は男たちに散々に陵辱され続けた。数日前まで未通女だった篠に男たちの行為は苦痛でしかなかった。
しかし篠は陵辱されながら笑顔を浮かべていた。何故か?
行為の最中、篠は正直に「痛い」と訴えた。
「うるせえ」
男たちは痛みを訴える篠を殴った。殴られて篠は泣いた。涙を流した。
「辛気臭せぇ。気が削がれるぜ」
めそめそと泣く篠をみて気分が削がれると言って男たちは篠を殴った。
何をしても殴られる。篠は殴られないために痛さを我慢した。嫌なのも表情出さないようにした。心を殺した。しかし。
「空蝉になるんじゃねえ!殺すぞ」
反応のない篠、今風に言うとマグロ状態の篠に気分が盛り上がらない男たちである。気分が盛り上がらねえと篠はまた殴られた。
篠はわけがわからなくなった。何をしても殴られるのである。
もはや何をしたら良いのか分からなくなった篠はともかく笑顔を浮かべた。すると。
「へへへ。それでいいんだよ。すぐ気持ちよくなるからよ。最初からそうしてれば可愛がってやったのに」
男たちはニヤリと笑った。
つくづく勝手なことを言う男たちである。破瓜のすぐ後に快感が生じるというのは男のファンタジーである。
破瓜とは何か。体内の膜が破られてできた内臓の傷である。傷が癒えないうちに傷口をこすられるのである。痛いに決まっている。気持ち良いはずがない。
腕に傷をつけてその晩に傷口を指でグリグリこすれば良い。そこに快感を感じるのは少数派である。
篠も同様であった。男たちは気持ち良くなると言うが、痛みと違和感しか無かった。しかし正直にそれを言うと暴力を振るわれるだけである。
篠は笑って男たちを受け入れた。
「気持ちいい……」
男たちにぶたれないために男たちが喜びそうなことを口にした。
「へへへ。この淫売が。ぶち抜かれてすぐに感じてやがるぜ」
「こいつ素質あるんじゃねえの?高く売れるかもよ?」
「そいつはいい。女たちから引っ剥がした着物着せて売り払うかよ」
男たちは勝手なことを言い合いながらゲラゲラ笑った。その間も篠は組み敷かれ貫かれ続けた。男たちにぶたれないように笑顔を浮かべながら。
反抗しなくなった篠に男たちは優しくなった。
「そうだ。可愛くなったな。いい娘だ。俺たちのことは旦那様と言うんだぜ?俺たちがお前のご主人様だからなぁ」
「はい旦那様」
篠は笑顔を浮かべて言った。従順になり可愛くなった篠に男たちは満足した。そして散々に篠をもてあそんだ。
男たちはさんざんに篠をおもちゃにしたあと彼らは疲れて眠ってしまった。
篠は緊縛されていなかった。男たちは従順になった篠に油断をした。篠に逃げるチャンスが訪れた。逃げて助けを求める道が開かれた。
しかし篠は行動を起こさなかった。逃げなかった。
誘拐や監禁、DVなどで被害者が逃げるチャンスができたの行動を起こさない事例はたびたび散見される。
ある人はそれを馬鹿と言う。ある人は自業自得だと言う。またある人は「されるのが好きだったんだろ」とニヤケ顔を見せる。行動を起さなかったことを責め立てる人もいる。
しかし違うのだ。確かに篠には逃げる機会があった。しかしあまりに加害者を恐れる気持ちが強かったのである。
男たちは躊躇いもなく村人を皆殺しにした。篠自身もひどい目に遭わされた。隠れていても見つかった。
逃げようと身を起こすと男たちが起きるかもしれない。戸を引く音で男たちが起きるかもしれない。
そもそも幼い篠はどこに助けを求めればいいかなど分からなかったのである。助けを求めるべき村のみんなはもういないのだ。
だから篠は暴力が振るわれなくなった今に満足した。いや、そうなるように心の防御機構が篠に勘違いさせたのである。「ストックホルム症候群」。人はその状態をそう呼ぶ。
結果として篠は平穏な人生を歩む機会を永久に逃がしてしまったのである。
…………
そして数日後、篠は堺港に連れてこられていたのである。男たちは篠を散々にもてあそんだ後、見栄えの良い着物を着せ、化粧を施した。
着付けや化粧はさらった女の一人に任せた。そして野盗どもはその女もろとも人買いに売り払ったのである。
篠の村が襲われたのは安土桃山時代のことである。当時、堺は国際貿易港とひて大いに栄えていた。多くの物資が堺に海外から到着し、また堺から海外に運ばれた。
売られる「商品」のなかには「人」もいた。堺は奴隷貿易港としての顔を隠し持っていたのである。
戦乱で多くの人が捕われて堺に連れてこられた。ポルトガル人やスペイン人、いわゆる南蛮人たちは彼・彼女らを普通に買い取った。
いくばくかの銀と引き換えに。売られた彼・彼女らは堺港から船に積み込まれた。「人」としてではなく「商品」として。
行き先は主に東南アジア方面である。ルソン(フィリピン)が多かったようである。
「呂宋壺」、豪商の呂宋助左衛門の成功とともに話が伝わる。商人たちはルソンから壺を持ち帰り、時の天下人である豊臣秀吉に献上した。
ルソン壺は秀吉や大名たちの間で高値で取引された。当時流行していた茶の湯の飾りとして、あるいは茶壺として用いられた。
ルソン壺の所有は持ち主の権勢を表すステータスシンボルになった。実はそれが現地では二束三文のゴミ入れや便器であったとしても。
このように当時の堺は物資や人を商品として海外とやりとりする一大国際貿易港だったのである。
篠も女奴隷として売られ、船に積まれた。そのままであったなら篠は海外で性奴隷としての一生を送ったことであったろう。うまくいけば妻になれたかもしれない。
しかし運命の神は篠にさらなる数奇な運命をもたらした。篠の船が出港と同時に嵐に見舞われたのである。
船人は天気の変化に敏感である。嵐が来るのを分かって出港する船人は通常いない。おそらく何らかの事情があったのだろう。何かに追われていたのか、納期の問題なのか、あるいは指示を出す南蛮人や豪商の都合なのか。
今となってはなぜ嵐の前に出港したのかは分からない。しかし彼らは港を離れた。そして嵐にあった。流された船は鳴門の渦潮に巻かれた。そしてあっけなく沈没した。
多くの人が死んだ。篠も渦に巻かれて意識を手放した。
篠がどうして生きていられたのかは分からない。しかし篠は生をつないだ。そして淡路島南部の海岸に流れ着いた。
…………
「おい!息があるぞ」
ゲボッ。篠は水を吐き出した。身なりの良い男とその連れが篠を見下ろしていた。
「立てるか?どこから来た?お役人に届け出るか?」
篠はその男、弥右衛門に尋ねられた。篠は答えられなかった。もし身元がわかったとして、また奴隷商人のもとに戻されて売られるだけだと思ったからである。
篠はただ首を横に振った。そして俯いた。
高く売れるようにと篠は見栄えの良い着物を着せられていた。化粧もされていた。
事故に遭って流された身なりの良いうら若き美女。弥右衛門には篠がとても魅力的に映った。
「思い出せねえのか?身寄りがないならうちに来るか?」
下心満載の提案である。しかし篠はコクリと頷いた。今さらこの身がどうなろうとよかった。ただ生をつなぐことができればそれでよかった。
こうして篠は淡路島南部の山あいの村で暮らすことになったのである。