4 池に沈む遺体と赤い服の女、赤ん坊の泣き声と闇に伸びる手
「ちぃ」
玲奈は忌々し気に声をあげ、ワルサーP38の安全装置を外した。
…………
「おい剣奈。肝試しに行くんだったら念のため剣気弾を作っておいてもらえねぇか?」
夜の野島鍾乳洞に肝試しに行くことが決まって、玲奈は剣奈に剣気を込めた剣気弾を作っておいてもらえるか尋ねた。
「うん。いいよ。ん♡」
「わりぃな。無駄に剣気を使わせちまってよ」
「ううん。全然平気。でもなんで?」
「万が一のためだよ。まあ多分つかわねぇだろうがな。けどホントに霊が出たらアタシがこいつをぶっ放して剣奈を守ってやるよ」
「わぁ。ありがとう。玲奈姉大好き」
…………
「はっ。まさか剣奈じゃなく、クソ藤倉のために貴重な剣気弾を使おうとはな」
玲奈はワルサーP38の銃口を藤倉に取りついていた霊に向けた。玲奈には見えていた。白く靄のような霊体が。そしてその霊体の中に核があるのを。玲奈は霊体の核に向かって照準を合わせた。
パシュ
玲奈は照準を合わせたまま静かにワルサーP38の引き金を落とした。白黄に輝く剣気弾が銃口から放たれた。静かに引かれた引き金により、照準は一切ずれることなく剣気弾は霊体の核に向かって真っすぐに飛んだ。白黄の軌跡を残して。
シュン
霊体の核は見事に玲奈の剣気弾に撃ち抜かれた。核を粉砕された白い霊体は存在が薄くなり、やがて空中に霧散した。
コツン。玲奈は藤倉の頬をブーツの先でつついた。
「おい起きろ藤倉」
「んんん?」
「やっつけてやったぞ」
「そ、そうか。ありがとう。助かったよ。霊が肩にいると思った瞬間、身体の力が抜けてね。気が遠くなったんだよ」
『霊に生体エネルギーを吸い取られたんじゃろ。よくある話じゃよ』
「エナジードレインか。ホントにあんだな」玲奈は鼻で笑いながら言った。
「笑い事じゃないよ。身体から力が抜けて本当に死ぬかと思ったんだよ?」藤倉が青い顔をして言った。
「心配すんな。まだ剣気弾は余裕があるからよ。じゃあ話の続きをするか」
玲奈はキャンプチェアを二つ取り出した。一つを藤倉にすすめ、もう一脚には自分が座った。
いつの間にか日は傾き、海に沈むところだった。夕日が赤く二人を照らした。藤倉にはそれがとても禍々しく見えた。
『逢魔が時じゃな。現世と幽世の位相が重なりやすい時間じゃ。剣奈の神気や我々の話に現世から霊が引き寄せられたんじゃろ』
「え?じゃあ話は続けない方がいいんじゃないの?」
「気にすんな」
玲奈はそっけなく藤倉に答えた。玲奈はオイルランプの灯をともし二人の間に置いた。火はゆらゆらと揺らめき、瞬いた。位相の重なりを示すように炎は二重になり一重になり、また二重になった。
「こういう時は変に心に残すより全部吐き出しちまった方がいいんだ。なんならテメェのしょぼいもんをゆわえてやろうか?ちったぁ元気でるだろう」
「いや、俺は剣奈ちゃん一筋だから遠慮しとくよ」
玲奈はギラリと藤倉を睨んだ。
「剣奈には手を出すなよ?地球が滅ぶぞ?」玲奈は藤倉の胸倉をつかみ、引き寄せて低い声で言った。
「わかってるよ。手は出さない。でも心で思うのは許してもらえるんだろ?」
「はっ。ヘタレ藤倉だからな」
「ひどいなぁ」
「まあ飲め」
玲奈は藤倉と話をしながら携帯ミルで豆を挽いていた。そしてOD缶コンロで湯を沸かして珈琲を入れた。
玲奈は挽きたての粉を使って珈琲をドリップした。チタンカップに珈琲を注ぎ、ナイフでバターを斬って珈琲にポトリと落とした。珈琲の豊かな香りとバターの甘い香りがまじりあった。
「ほらよ」
玲奈は出来立てのバター珈琲を藤倉に渡した。藤倉はバター珈琲を一口飲んだ。苦みのある珈琲のコクとバターのうまみが合わさっていた。
藤倉は唇を口の中に引き込んで目を固くつむった。とてつもなくうまかった。エネルギーが身体中に戻ってくるのを感じた。
藤倉は目を開けて玲奈を見た。「この娘は口は悪いが実は優しんじゃないのか?」ふとそんな気がした。
「くそ気持ちのわりぃ目を向けてんじゃねぇよ。クズが。元気が出たんならさっさと話を続けな」照れなのか、本心なのか、玲奈本人もよくわかっていない。
ともかく藤倉は話を続けることにした。
「これは伝承というよりは伝承の種みたいな話なんだけどね」
「伝承の種だぁ?なんだそりゃ」
「個人の経験談として釣り人がブログにあげてる話なんだよ」
『ありうる話じゃな。人の体験が語られる。それを信じる人が増えれば噂となる。噂は人の想いを良き寄せる。想いが引き寄せられるとそれが核となりさらにもっと多くの想いを引き寄せるようになる。そうして様々な現象、偶発的減少や見間違いもあるのであろうがの、それが理由をもって語られるようになる。そして体験がやがて伝承となってゆく。よくある話じゃよ』
「へぇ。なるほどね。それでそれはどこのどんな話なんだ?」
「諭鶴羽ダム、別名金山ダムだよ。さっき話した美女池に近い場所にある」
「金山ダムだぁ?聞いたことあるぜ。でも淡路島じゃねぇだろ?」
「そうだね。心霊スポットとして知られている有名な場所だよ。千葉県鴨川市のダムで金山湖とも呼ばれている場所だ。関東の有名な心霊スポットだよ」
「ちなみにどんな場所なんだよ。その千葉の金山ダムはよ」
「いろんな噂がささやかれてるよ。ダムで赤い服を着た女性を見たとかね。その女性はダムやつり橋、トンネルなどで目撃されてるんだ。それでね、たいてい目撃者はその女性を不気味に感じて遠ざかろうとするんだ。でも気配は消えない。いつまでたっても追いかけてくる気がする。そしてある時ふと後ろの気配が消えるんだ」
「逃げ切れたのか」
「そう思うだろ?追いかけられていた人も「逃げ切れた」、そう思って一息つくんだ」
「よかったじゃねぇか」
「この話はそこからが怖いんだよ。ほっと一息ついたその人はふと目をあげるんだ。するとね……目の前に追いかけてきた赤い服の女性がたっているんだ……」
「普通に怖えーよ。怪談としてより、その粘着と執着が怖えぇよ」
「そうだね。これはおそらく日本古来から伝わるのっぺらぼう伝承の傍流なのかもしれないね」
「話がまざってやがるぜ」
「そうだね。でも伝承ってそんなことも多いんだ。そして怪異からの連想もね。ここで連想を引き起こすものは「赤」と「女性」、「トンネルの暗闇」、そして「水」かな」
「トンネル内では子守歌や赤ん坊の泣き声がするというよ?トンネルは暗いし、女性の膣、つまり産道を連想させる。赤ん坊の怪異とは相性がいいんだよ」
「スケベなだけじゃねぇのかよ」
「まあ連想には性的なものは多いからね。あとはつり橋を渡っているといつの間にか手が伸びてきて水中に引きずり込まれそうになるんだそうだ。これは水のある場所ではよく言われる伝承だね。関東に伝わる手長婆の伝承なんかもそうだし、河童の伝承もそうだ。そして海坊主や海の怪異とかもね。水はこの世とあの世の境目としてもよく使われる。冥界の門という感じかな。実際、水難事故の死者は多いしね」藤倉はゾクリとする感覚を覚えて身を震わせた。
「キーワードの根本は赤い服の女か。その手の話はよく聞くな。なんで赤なんだ?」
「これは推測なんだけどね。赤は血の色だろ?だから赤い色に不吉な恐ろしさを感じる人が多いんだ。テレビがこれをステレオタイプ的に使ってね。子供を失ったり未練のある亡くなり方をした女性に赤い服を着せて表現したことがよくあったんだ。だから金山ダムには赤い服の女性が出るという伝承が生まれた。そして「赤」と「女性」からの連想で「赤子」が連想され、赤子の怪異伝承が生まれる。さらに「水」との関係で「引きずり込む手」の伝承が生まれる。もしかするとそんな感じかもしれないね」
「なるほどな。で、それが淡路島となんの関係があるんだ」
「不思議なことにね。淡路島の金山ダムでも赤い服を着た女性の目撃談、すすり泣く声、子守唄、赤ん坊の声などの怪談話が語られているんだ」
「なんだそりゃ。千葉の金山ダムと勘違いして話してんじゃねぇの?」
「そうかもしれない。でも聞き逃せない伝承として「サンマ」の話があるんだ」
「サンマ?うまそうじゃねぇか。食いてぇのか?」
「いや魚のサンマじゃなくてね。仏教用語なんだよ。三味と書く。もともとはサンスクリット語からきていてね、「サマーディ(samādhi)」の音がもともとなんだ。その意味は心を一つの対象に集中させる瞑想状態とか、精神統一の境地を意味してるんだ。ほら、よく贅沢三昧とか、ゲーム三昧とか、温泉三昧とかいうだろ?その三昧と同じだよ」
「テメエは剣奈三昧だな。まあそれはわかったけどよ。淡路島と何の関係があんだよ」
「話は平安時代にさかのぼるよ。九八六年(寛和二年)に比叡山横川の首楞厳院に二五人の僧が集まったんだ。そこで極楽往生を願って念仏三昧を唱えたそうだよ。それを二十五三昧会という。極楽浄土、つまり死後に行く場所だね。そこから日本仏教では死者の供養や葬儀での読経の儀式が三昧会と呼ばれるようになったんだ。そこから儀式の場や死者を供養する場所、さらには墓地や埋葬地のことを三昧と呼ぶようになったんだ」
「なんだそりゃ。ほとんどこじつけと連想ゲームじゃねぇか」
「その通りだね。でもこのこじつけと連想のパターンは伝承で極めてよくみられるんだ。日本だけじゃないよ?例えば有名な珈琲銘柄にモカってあるよね?」
「はぁ?なんだ?藪から棒に。そんなにアタシの珈琲がうまかったってか?」
「うん。とってもおしかったよ」藤倉の言葉に玲奈の頬が少しだけ赤く染まった。
「そうかよ。ならまた入れてやるよ」
「ありがとう。楽しみにしてるよ」
「いいから話を続けな」
「それでね。モカというのはもともとイエメンの紅海沿岸にあったモカ港(Port of Mocha)の名前なんだよ。ここはかつて一五~一九世紀ごろに珈琲の輸出港として栄えたんだ。今はモカ港はないんだけどね、積み出し港からの連想で珈琲の銘柄として名を遺したんだ。こんな感じで元は地名だったものが銘柄の名前になったとか、元の意味とは違う形で名前が残るのはよくあることなんだ」
「は、極楽行きたくてお経ばっかよんだら、お経ばっか読むことがお墓をさすようになったってか。ただのギャグじゃねぇか」
「そうだね。でもそれが隠語となる。遺体をね、池に沈めたんだよ。そしてそこをサンマと呼ぶようになった。遺体を沈めたサンマ池に不吉な赤い服と赤ん坊。そんな噂の種が伝承に変わりつつあるのかもしれないね」
藤倉の声が途切れた。あたりはすっかり闇に包まれた。ランプの炎が二重にきらめいた。
現世と幽世の位相が重なった。その瞬間、赤い影が鍾乳洞の入り口に揺らめいた。そして赤い影は鍾乳洞の中に消えていった。
ピチャン、ピチャン。かすかな水音を立てながら。
ザザァ。波の音が響いた。藤倉も玲奈も海を見た。日はすっかり落ちていた。あかね色の線が海をわずかに照らしていた。
洞窟の赤い影と水音は二人の意識から完全に見逃された。