2-21 闇の触手と白黄の奔流 剣奈の帰還と囚われの玲奈
ボクは、ボクは必ず君を救う……
君と陽だまりの午後に笑い合いたいんだ
――――――
――時は少し巻き戻る。
玉藻を囲んでいた村人たちが次々と赤き血を吹き上げる肉柱に変じた。その時である。
ドクン
ズルッ
祠の背後の石壁を貫いて黒い触手が何本も現れた。ドロドロしていた。粘性が高そうに見えた。その輪郭はぼやけ、暗い闇のようであった。
「ひっ」
ズルッ ズルルルッ
「あっ。や、やめて……」
その触手は剣奈と玲奈の手足に絡みついた。
「あ、あああぁ」
触手は二人の手足に絡みついた。そしてどんどんと手足の付け根へ。玲奈と剣奈の中心部に。その禍々しい暗黒の触手は先端を伸ばしてきた。
ズルっ
「ひっ」
触手の先端が胸に迫ろうとしていた。その瞬間、剣奈の唇が勝手に動いた。まるで呼吸のように。
剣奈が吐き出す息はそのまま古の響きを奏でた。無意識のうちに慣れ親しんだ祝詞を唱えていたのである。
剣奈自身、「なぜ声が出ているのか」「なぜ祝詞を唱えているのか」わかっていなかった。ただその言の葉は彼女の内奥から絶え間なく噴き出した。
かっ、か、
掛けまくも綾に畏き天土に
神鎮り坐す
最も尊き 大神達
の大前に
慎み敬い 恐み恐み白さく
「くっ」
い、いっ、
今し大前に参集侍れるものどもは
高き尊き御恵みをかがふりまつりて
辱み奉り尊み奉るを以って
今日を良き日と択定めて、
禍事の限を
祓清めむと、
パンッ
「ゲフッ」
銃声がした。
弥右衛門の火縄銃から放たれた鉛の弾丸が剣奈の胸を貫いた。
剣奈の祈りが中断された。剣奈の胸に赤い血の花が咲いた。紅の小さな花は、その花弁を広げていった。やがて大輪の赤い華を咲かせた。血の……華……
「剣奈あっ!」
ヒュン
玉藻は腕を振った。
「ガフッ」
「ゲボッ」
火縄銃を持った弥右衛門の首が飛んだ。火縄銃は真っ二つに分かたれた。
弥右衛門の護衛をするように刀を抜いて構えていた男がいた。彼も今は血を噴出する肉塊に姿を変えていた。
「剣奈っ」
玉藻は走った。石の祠の裏に。剣奈と玲奈のもとへ。
剣奈は倒れていた。胸に血の染みが広がっていた……。玲奈は全身を黒い靄に包まれていた……。
玉藻は剣奈を抱きかかえた。そして玲奈を包む黒い塊に手を伸ばした。
その時である。
剣奈の身体が白黄の輝きに包まれた。それは玉藻をも包んで輝いた。夜だというのに白昼の明るさがその場を包んだ。
ジュワッ
その光は玲奈を覆っていた黒き闇を消し去った。
しかし……
ズズズ…ゴゴゴ………
「れ、玲奈ねぇ!」
黒き闇は白黄の輝きから逃れた。そして土中に沈んでいった。
玲奈をくるんだまま……
ビキイィィィィ
突如、天から白き奔流が降り注いだ。空間が震えた。剣奈と玉藻は光に呑み込まれた。二人の身体は抗う間もなく空間に引きずり込まれた。
ドオオォォッ
轟く白の渦が二人を呑み込んだ……
――――――
「はっ!こ、ここは?」
「け、剣奈っ!」
胸の痛みを最後に覚えていたはずの剣奈である。彼女は布団の中にきた。横たわっていた。
剣奈は目を覚ました。意識はぼんやりとしていた。しかし剣奈はしっかりと理解していた。あれは夢ではなかったと。
魂が飛ばされていたのだと。そして今、魂が元の身体に戻ったのだと。
剣奈はぼんやりと目を開いた。胸の奥が熱かった。白黄の光の余韻が強く残っていた。
呼吸は乱れていた。頭が重かった。だが鼻腔に広がっていたはずの血と煙と硝煙の匂い。かび臭い土に塗れた匂い。吐き気を催すような饐えた生臭き匂い。戦場の臭い。闇坂村の匂いは一切なくなっていた。
ここは夕暮れの宝梅。あたたかい畳。焙じ茶のかすかな香り。蝉の鳴き声。愛しき家族の心配そうなまなざし。
「……ここ……は……?」
剣奈は布団の中に横たわっていた。雪見障子の向こうに庭の噴水が見えた。宝梅の家。幼い頃から馴染んだ場所。帰る場所。
「「剣奈!」」
叫ぶような声に顔を向けた。千鶴と千剣破が剣奈をのぞき込んでいた。ふたりとも瞳に涙を堪えていた。安堵したような笑みを浮かべた。
「目ぇ覚ましたんやなぁ。よう頑張った……」
千鶴がそっと剣奈の手を取った。幼いころからずっと剣奈(剣人)をいつくしんできた手。その掌は剣奈の火照った身体から熱を吸い取ってくれるようだった。
「……おばあ……ちゃん……お母……さん……」
剣奈の声が揺れた。千剣破は娘の肩を抱き寄せた。その髪を乱暴に、けれど優しく撫でて言った。
外では風がざわついていた。けれど家の中は、静かなぬくもりに包まれていた。
剣奈の震える肩を、二人はただ黙って抱きしめた。
「怖かったやろ。もう大丈夫や、ここは家や。宝梅や」
「はっ、れ、玲奈姉!」
剣奈は周囲を見回した。しかしそこには千剣破と千鶴しかいなかった。
「み、みんなは?」
――――――――
――同時刻。淡路島伊毘のキャンプ場。
人はすっかり避難していた。閑散としていた。藤倉一行のほかには誰もいなかった。
人々が避難した避難所は不思議な光景に大騒ぎになっていた。白石村の方向でまばゆい閃光が弾けるのが見えたのである。
ドン――ッ!
人々はまばゆい光に幻惑された。その光に隠されて、ナニカが、金色の狐が、衝撃音とともに海岸の砂浜に打ちつけられた。
「かふっ」
玉藻の身体が異空間から弾き飛ばされたのである。砂浜に打ちつけられた金狐は地面をバウンドした。そして藤倉のすぐ目の前に転がってきた。
「た、玉藻さん?」
藤倉は呼びかけた。その瞬間である。あれだけ空を覆っていた黒雲が風に溶けるように散った。怯えていた避難者たちは、一斉に夜空を仰いだ。
「……あ、三日月だ……!」
そこには蒼い三日月が輝いていた。月明かりが島全体を包んだ。その光は人々のざわめきを沈めるかのようだった。
同時に……島を苛んでいた大地の震動がすっと収まった。揺れが止んだのではない。歪そのものがまるで最初から存在しなかったかのように消え去ったのである。
観測に張り付いていた防災担当者や地震学者たちは愕然とした。
「波形が……途絶えた?」
「応力解放の兆候は……ゼロ……だと?」
邪気が地脈エネルギーを激しく食らっていた。その影響で地脈の流れが滞っていた。その堰き止められていた流れが、急速にもとに戻っていったのである。静かに。しかしあっという間に。
地脈の不思議な回復現象だった。邪気が奪っていた熱と圧力が地脈に還流された。
プレート境界が急速に回復した。まるで異常な潤滑を得たかのように。静かに圧力が解放されていった。
そして……。
沖合に引いていた潮が還ってきた。不気味な力に吸い込まれたかのようだった潮が戻ってきた。
それはドッと押し寄せる津波ではなかった。満ち潮のように静かに……穏やかに……
潮は局所的な圧力変動が消失したため自ずと平衡を取り戻した。荒々しく災害をもたらす津波ではなかった。ただ重力に導かれるように。波長の長い振動を吸収しながら静かに。
ウーウーウーウー
サイレンが遠吠えのように鳴り響いていた。しかし海そのものは静かに、しかし確実にその落ち着きを取り戻していった。
藤倉は玉藻のそばに駆け寄った。金狐を抱え上げた。
「……玉藻さん……?あなたが……歪を?」
「私が……?ううん。違うわね。剣奈ちゃんが邪気を浄化しようとしていたの」
「剣奈ちゃんを見つけたんだ!」
「そう……。闇坂村の村人たちに囚われていたわ……」
「剣奈ちゃんは?無事だった?」
「ええ……。すんでのところで助け出せたわ……」
玉藻は荒い呼吸のまま、それでも静かに微笑んだ。いや微笑もうとした。しかし。その瞳は悲し気に伏せられた。
藤倉は嫌な予感がした。玉藻から目がそらせなかった。次の言葉を聞くのが恐ろしかった……
「けれど……玲奈さんは……」
「玲奈は?玲奈がいない。彼女は?」
「藤倉さん。聞いて。彼女は、彼女は……」
玉藻は荒い呼吸を整えようとした。玉藻の鼓動は胸の内で早鐘のように鳴り響いた。玉藻は一度目を閉じた。
その瞳が伏せられたとき、藤倉の胸に重苦しい予感が走った。
「玲奈は?彼女は……?」
藤倉が縋りつくように問いかけた。玉藻は唇を噛んだ。言葉を探した。そして口を開いた。その紅い唇を震わせながら。
「……藤倉さん。どうか落ち着いて聞いて。玲奈さんは……闇坂村の人間たちに囚われていた。贄として……剣奈ちゃんと同じように」
「贄……?」藤倉の喉が鳴った。
「ええ。彼女は無理やり縄で縛られ、辱められようとしていたの」
玉藻の声は穏やかだった。けれどその奥に静かな業火が潜んでいた。
「……それは、言葉で言うにはあまりにも酷い仕打ちだったわ……」
藤倉の顔が蒼白になった。
「れ、玲奈は……今……?」
玉藻はわずかに微笑んだ。彼女頬は硬かった。そして目を伏せたまま言葉を続けた。
「彼女は……命を繋いでいる。耐え抜いたの。でも……、心は深く傷ついてしまった……そして……闇に囚われてしまった」
空気が凍りついたようだった。沈黙が重かった。
避難所を包む月明かりの下。玉藻の声はその静けさに吸い込まれるよう消えていった。そして玉藻は顔を上げた。決意に満ちたような、すがりつくような、そんな表情をたたえて。
「藤倉さん。聞いて。彼女はあなたを……あなたを信じていたから耐えられたの……。あの娘は口にしていたわ。「忠さま……」あなたの名を……何度も……何度も……」
藤倉は喉の奥を震わせた。言葉は出てこなかった。ただ胸の内が焼けるように熱く痛んだ。
「…れ、玲奈……」
蒼い三日月が静かに彼らを照らした。玉藻は藤倉の肩にそっと手を置いた。
「剣奈ちゃんは……私と一緒に光の奔流に吸い込まれた。だから……たぶん現世にもどされてる……」
「れ、玲奈は?」藤倉の血液がすーっと引いていくのを感じた。
「見つけないと。こんどは玲奈ちゃんを見つけないと。そして見つけたら…… あなたがそばにいてあげて?そして抱きしめてあげて?それから……何度でも「大丈夫だ。愛してる」って。そう伝えてあげて……それが彼女に……一番必要なことだから……」
――
来国光が剣奈との繋がりを感じた。そして剣奈に呼びかけた。その呼びかけははるか空間を超えた。淡路島から宝塚まで。三体の妖が作った「トリニティネット」を通じて。
古刀『剣奈?』
巫っ子『く、クニちゃ?』
古刀『無事か?どこにおる?』
巫っ子『宝梅。おばあちゃんち』
白蛇『ほほう。無事帰還したか』
巫っ子『しろちゃ!』
白蛇がトリニティネットに割り込んだ。
――いや、剣奈が参加した時点でもはやトリニティではないのだが……まあそれは良かろう。そして剣奈のハンネはなぜか「巫っ子」になってしまったようである。誰が決めた!?ああ、私かw
金狐『剣奈ちゃん!無事だったのね』
巫っ子『うん。もとの身体に戻されたみたい』
金狐『そう。それはよかったわ』
玉藻は顔を上げて藤倉に伝えた。
「藤倉さん。剣奈ちゃんは無事宝梅の……自分の身体にもどれたみたいよ?」
「えっ?どうしてわかるの?」
「邪斬りさん、白蛇ちゃん、そして私は遠距離でも話し合える「トリニティネット」を作ったの。剣奈ちゃんは邪斬さんと結紐でつながってるから参加できるみたいね。剣奈ちゃんはすごいわね」
「お、俺は?俺は参加できないの?」
「私たちが意識的にあなたの心に話しかければできるわ。でも……自由自在には……ごめんなさい……無理っ……」
ガクリ
藤倉が膝を落とした。一人だけ仲間外れにされた気分だった。三日月が彼らを蒼く照らしていた。
玲奈は……眠るように静かに横たわっていた……
――――――――
闇の触手と白黄の奔流
剣奈の帰還と囚われの玲奈
闇を裂く触手の夜
祈り断たれども白黄奔流生ず
剣奈還りて玲奈闇に沈む
ボクは、ボクは必ず君を救う……
君と陽だまりの午後に
笑い合いたいんだ……
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闇裂触夜
祈断奔流白黄
剣奈還来
玲奈沈闇
必救汝
願再共笑暖光中
夏風