2-12 黒雲の空と震える祈りの糸 地図にない場所 描けない池
闇坂村贄路
黒雲覆天隠禁地
無名村落絶人知
一線微光穿絶望
少女茫然歩犠路
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午後二時。淡路の山裾のキャンプサイトである。藤倉一行はキャンプの設営を終えていた。焚き火にあたりながら昼食をとっていた。食事の支度をしながら話した白石村と闇坂村の話が妙な現実感を持って藤倉たちの心をどんより重くしていた。
空はどこまでも重たかった。不吉な黒雲が垂れ込めていた。湿気を帯びてむわりとした空気が、張り終えたばかりのテントの布地に絡みついた。
「チッ、重てえ空だな」玲奈がつぶやいた。
「そうだね。我々は歓迎されていないような雰囲気だね」藤倉が返した。
「じゃのう。生意気な天気じゃ」白蛇が黒い空を見あげながら赤い舌をチロチロと出した。
お盆をとうに過ぎたとは言え、まだまだ夏の盛りである。だのにセミの鳴き声さえどこか遠ざかって聞こえた。濃密な闇が海岸の空気をどんよりと沈めているようだった。
「変な天気ね……」
玲奈が一人ごちた。普段なら明るく軽口を叩く玲奈である。しかしいまは彼女は不安げに藤倉を見上げていた。
――はっ!乙女か!乙女なだけなのか?玲奈よ!
その刹那、空の裂け目からごく細い一条の光が藤倉たちのもとに差し込んだ。まるで糸のように……。
儚げなその光は、しかし一直線に彼らのもとに届いた。神秘的な光であった。
それは雲の動きとともに途切れてはまた光が差し込み、途切れ、また差し込んだ。
所在なさげに彷徨い、藤倉たちになにかを訴えかける。そんな光だった。
その光の色は白黄色。神々しくも寂しげな光だった。その光は藤倉たちの胸奥をひやりと貫いた。
「た、忠さま!この光、剣奈の色……」
玲奈が藤倉を見つめて訴えた。来国光が語気を強めて言った。
『藤倉殿、急がねばならぬ!この光、尋常ならざる。まるで剣奈からの……悲痛な響きを伝えてきているような気がするのじゃ……』
玉藻がそっと手を合わせ、小声で呟いた。
「剣奈ちゃん……、まだこっちと繋がってるのね……祈りが、神さまに届いたのかも」
白蛇は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「狐は湿っぽくていかぬ。情に流されるのではないぞ?とはいえじゃ。こんなすがるようなか弱い光を見せられてはのう。動かないわけには行かぬの…… どうやら猶予はないようじゃ。玲奈どのよ。初恋の時間は終わりじゃ。これからはもう遊び半分で済まんの」
藤倉は思わず眉根を寄せた。
「……今すぐ、行くべきか。調査や準備どうこうとか言ってる場合じゃないか」
「ばっ、ばかっ。あ、アタイは初恋ごっこなんて……」
玲奈が真っ赤になりながらも藤倉の腕をつかんだ。
「忠さま、行こう!剣奈が呼んでる!」
来国光は静かに、しかしどっしりと皆に呼びかけた。
『猶予はもはやない。皆、心して参ろうぞ』
「おう!」玲奈が小声で呟き、拳をぎゅっと握りしめた。
「だね」藤倉が同意した。
「仕方ないのう」白蛇がつぶやいた。
「行きましょう?」金狐がおだやかに出発を告げた。
テントに荷物を入れ、藤倉、玲奈、玉藻山沿いの村へと歩き始めた。来国光は玲奈のリュックにしまわれた。白蛇はちゃっかり玲奈の胸に滑り込んだ。
空は黒雲に重く覆われたままだった。一筋の光だけは淡く彼らにふり注いでいた。
「忠さま、あの光……剣奈の助けを求める悲痛な声なのかしら?」玲奈が心配そうな顔で尋ねた。
――しかも乙女語りである!
「俺には光の違いはわからない。ただ君が言うならそんな気がするよ?」
藤倉が玲奈の目を見ていった。
「お二人さんよ?そろそろ真面目にならねばならんぞ?」白蛇がジト目で二人を睨んだ。
「そうね。剣奈ちゃんが、生きたい、助けてって、そういってる気がするわ?確信はないのだけれど……」玉藻が所在なげにつぶやいた。
『ワシと剣奈を結ぶ結紐が小さく震えておる。じゃがまだ切れてはおらぬ。切れる気配もない。じゃが……声が……声が届かぬのじゃ……』来国光の声色に心配と懸念が表れていた。
「心配すんな。アタイらがついてる」玲奈が笑った。しかしその目元には焦りの色が隠しきれていなかった。
「大丈夫!絶対に助け出そう!」
「忠さま……」
藤倉が力強く言った。しかしそこには何の根気もなかった。
男は時に無駄に自信たっぷりに振る舞う……。しかしその根拠のない振る舞いは……時に女の心を軽くする……。
「私はもう、誰も見殺しにしたくない。この手の届く範囲だけでも。でも、でも。剣奈ちゃんはたとえ私の手が届かなくても……何を差し出しても……守りたい……」玉藻が決意したような顔で囁いた。
急な坂道であった。一行は苔生した石段を登り山裾の村――長狭村に辿り着いた。霧が薄く流れていた。真昼だというのに黒雲と霧に囲まれて薄暗かった。どこか現実でないような。異世界に紛れ込んだような。そんな不思議な感覚が藤倉たちを包んだ。
長狭村は昔ながらの古びた様子だった。昭和、というより、まるで江戸に紛れ込んでしまったようである。
古びた板葺の屋根には石が載せられていた。大人たちは田んぼでたわわに実った稲穂を見回っていた。稲穂が倒れていないか、害虫が湧いていないか、そんなことを確認しているようだった。
道ばたでは残り少ない夏休みを惜しむ子どもたちの声が聞こえた。遊び興じる声が賑やかに響いていた。
「あの……失礼します。少しお尋ねしたいことが……」藤倉が丁重に声をかけた。
「なんや、観光さんか?こんな辺鄙なところまでご苦労さんなことやな」田んぼの若者が和やかに返した。
「俺たち、村を探しています。地図には載ってないみたいなんです。この辺りだと思うんですが。闇坂村……、ご存じありませんか?」藤倉が問うた。
ぴきり
途端に空気が凍った。
周囲の村人たちはほんの一瞬顔を見合わせた。そして藤倉たちから露骨に目を逸らした。
「……誰も、そんな村知らん。昔の話やで」
腰の曲がった老婆がぼそぼそとつぶやいた。
「アタシたちのツレが迷い込んだみたいなんです」
玲奈がさらに声をかけた。
「迷い込んだ?闇坂村に?」
ヒソヒソヒソ
「闇坂村?あの廃墟にか?」
「あの祠の残骸、片付けようとした作業員はみんなのうなるからなー」
「闇神様を鎮めるために今でもサンマを捧げとる村もあるって話よな」
「あの池か?記録しようとした人がことごとく消えるという……」
「まさかこいつらのお友達はサンマに!?」
村人たちが小さく囁きあった。
「気のせいじゃないかのう?闇坂村はのう、はるか昔に途絶えてしまった村じゃ。迷い込むはずもないんじゃが……」
農作業していた男が声をひそめるように言った。
「あの?方角だけでもわかりませんか?」
金狐がたおやかに尋ねた。美女に微笑まれて悪い気がしない男はいない。ましてや玉藻は大陸一と讃えられた絶世の美女なのである。男の鼻の下が伸びた。
「方角だけっちゅうなら、こっちだで」
「あんたっ!」
男が山の方角を指さした。男の妻らしい女が血相を変えて男に詰め寄った。
「方角ぐらいならいいやな」
「そないなこというて祟られたらどうすんの?」
「あの?祟りとは?」
藤倉が尋ねた。玉藻は柔らかく微笑んだ。しかし村人たちはまるで恐れるように、燃えさかる火から飛び火されることを恐れるように、藤倉たちから距離を取った。
「あんたら。余計なことやめとき。うちらの村には禁忌があるんや」初老の男がボソリと言った。
「それ、何のこと?教えてもらわれへん理由あるんやろ?」玲奈が尋ねた。
「あかん。夜になる前に早よ帰り」別の老人が手を振った。
玲奈はじれったさに舌打ちした。
「なんやねん……気分悪い……」
「これは村落共同体の口伝封印反応だよ。闇坂村について外部の者に明かすと不吉だと信じられている……」藤倉が淡々と分析した。
村人たちの沈黙は重苦しく拡がった。玲奈が半歩前に出ようとした。玉藻が袖をそっと引いた。
「無理に聞けば、もっと彼らは心を閉ざすわ」
藤倉はひと呼吸置いて村人たちに丁重に頭を下げた。
「不躾を申し訳ありませんでした。どうかご縁がありましたら、ご助力をお願い致します」
反応する村人は一人もいなかった。ただうさん臭げに全員で藤倉たちを眺めていた。好奇心にかられそうな子どもは居た。しかし親はその手を固く握っていた。子どもたちは不思議そうに親の顔をうかがった。親たちはきつく子どもたちを見下ろした。そしてしっかりとした動作で首を横に振った。
子どもたちは知っていた。ダメなものはダメ。そういう時の大人たちの反応である。こういう時は何をしても大人たちの態度は変わらないのだ。子供たちは何か言いたげに玉藻のほうをちらりと見た。そしてそのまま目を伏せた。
気まずい空気を残したまま、藤倉たちはその場を離れた。背中に刺さるような村人たちの沈黙の視線を感じながら……
「……やっぱ、なんか隠してるやろ」玲奈が小声つぶやいた。
「村の外縁とか裏山に痕跡が残ってるかもしれないと思うんだ」藤倉が静かに言った。
「じゃのう。今は詮索より手がかりを探る方が先じゃ」白蛇が諭した。
「剣奈ちゃんの糸……、途切れてない?」玉藻が心配げに尋ねた。
「まだ張りがある」玲奈が力強く言った。
白蛇が玲奈の胸もとから鎌首をもたげながら口を開いた。
「案ずるな。凡百の輩には見えぬものが小娘には見える。ならまだ妾らにできることはあるということじゃ」
『うむ』来国光が力強くうなづいた。
一行は村の男が指を差した方角を歩いた。坂道だった。空き家だらけの古びた家々が並ぶ細道を通り抜けると再び山道になった。細くうっそうとした獣道だった。しかしそこには確かに誰かが通った痕跡が残されていた。
玉藻がふいに足を止めて口を開いた。
「風向きが変わったわ。あの林の奥、何かを感じるわ」
玉藻の視線の先、そこには山の木々が人為的に伐られた不自然な空間があった。静寂のなか、ただ一筋の白黄の光が弱々しくその空間を指し示していた。
「行こう」玲奈がその先を睨みながら言った。
一行は足元に気を付けながら、林の奥へとさらに分け入った。
湿った土だった。苔むした石仏が足元に佇んでいた。広葉樹の隙間からこぼれる光はますます存在感を高めた気がした。
藤倉たちはさらに光を辿って道を進んだ。やがて……苔に覆われた小さな鳥居と石段が現れた。鳥居は不自然に黒かった。そしてその鳥居は……三本足だった……
「これ、もしかして……村が隠す禁忌の結界?」藤倉が小さく囁いた。
『此処より先、何が待つやもしれぬ。覚悟のうえで進むぞ』来国光が言った。
藤倉はうなずいた。そして一段一段、石段を登り始めた。
一行の背後には相変わらず黒く重い雲が垂れ込めていた。雲の切れ間からのぞくか細い光は、いまにも雲に隠され途切れそうに見えた。時刻はすでに夕方に差し掛かろうとしていた。
*サンマ(三昧): サンマにつきましては「第4話 池に沈む遺体と赤い服の女、赤ん坊の泣き声と闇に伸びる手」にかなり詳しい説明がございます。え?一言で? はい。夏風の文脈では……、人身御供でございます。
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闇坂村へ
祈りの糸
黒雲に覆い隠されし
誰も知らぬ禁忌の地
地図にはのらず
祈りも届かぬ
ただ一筋の光が
絶望の闇を裂く
そは地獄か希望か
娘は知らず贄の道を歩む
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闇坂村贄路
黒雲覆天隠禁地
無名村落絶人知
一線微光穿絶望
少女茫然歩犠路
夏風