2-5 玲奈の涙 冬のさなかに静かに積もり やがて春に融ける その音を聞け
女性蔑視、ジェンダー問題。まったく予想外の視点からの切り込みに戸惑う藤倉であった。
しかし思った。そうやって気づかぬうちに多くの女性が傷つけられてきたのかもしれないと。
俺も意図せざる加害者か。藤倉はしみじみ思った。この点についてはまたじっくり考える必要がありそうだ。しかし今はまずは剣奈ちゃんを救う手がかりを見つけなければ。
気まずい雰囲気を振り払うように藤倉が明るく切り出した。
「淡路島を経路とした農業の渡来ルートに関して面白い話があるんだ」藤倉がそう切り出した。
「剣奈の話に関係してくんだろうな」
玲奈が藤倉を睨んだ。その目は揺れていた。藤倉の話に感情を揺さぶられ、封印してきたはずの苦い記憶の蓋が緩んでいた。気弱な少女の心がのぞいていた。
「男には何をやってもかなわない」
いたぶられ続けてきた玲奈の心の奥底に刻みこまれた呪いである。気が強い玲奈であるが閨ではどこまでも男に従順であった。「男に逆らったらひどい目にあわされる」そんな呪いが玲奈の心を蝕んでいたのかもしれない。
揺れる玲奈の心、自分でもその心を持て余した。そして、玲奈は涙を流した。藤倉を見つめたまま。気丈ににらんだまま……
藤倉は慌てた。いつも暴力をふるってる不良娘がいきなり泣き出したのである。訳が分からなかった。泣かせるような話をしたつもりはなかった。
しかし、ほおっては置けない。
ガタリ
藤倉は席を立った。そして玲奈のそばに寄った。
「玲奈さん……」
「くっ、藤倉ぁ、見るな」
玲奈は涙を流したまま目をそらした。
藤倉は玲奈の頭をそっと抱えた。どうしたらいいのかわからなかった。けれど藤倉には玲奈が、小さな子供に思えた。
って、えっ。ちょっとまって。玲奈を藤倉が慰めようとしたシーンを書こうと思ったのに。なぜ子供に戻る。なぜだ!藤倉めぇ。
藤倉は玲奈の頭をそっと抱えた。玲奈は藤倉の胸で滂沱の涙を流した。
「うっ。うっ。こ、これは涙じゃねぇからな」
「そうだね。でもね……玲奈さん、泣くのは悪いことじゃないよ?」
藤倉の声は、さっきまでの歴史談義の調子とはまるで違っていた。
「な、泣いてねぇって言ってんだろ……っ」
玲奈は顔を藤倉の胸に押しつけたまま、濡れたまぶたを隠した。
「うん、わかった。じゃあ……涙じゃなくても、こうしててもいいかな?」
藤倉は抱えこむ手に力を込めず、ただそこに在るだけの温もりを保った。
「……好きにしろ。けど、勘違いすんなよ……」
玲奈の声は尖っていた。けれどその震えは隠せなかった。
「わかってる。君は強い。でも……強い人にも、休む場所は必要だ。」
藤倉の言葉が、ゆっくりと玲奈の胸の内に染み込んでいった。玲奈の肩から、張り詰めた力が抜けていった。
「……なんだよそれ……ずるいんだよ……」
かすれた呟きとともに、玲奈は小さく息を吐いた。
「すまねぇ。感情があふれた。話の続きを聞かせてくれ」
「そうだね」
藤倉がゆっくり腕を離そうとした。玲奈の手がそっとその袖をつかんだ。
「……もうちょっとだけ、ここにいろよ」
玲奈の声は低く感情を抑えようとしていた。けれどその奥にはかすかな震えがあった。
藤倉はわずかに目を見開いた。そして苦笑した。
「いつもなら、真っ先に蹴りを入れてくるくせに……」
「バカ。今日は……ちょっと寒いだけだ」
「夏なのにかい?」
玲奈は視線を逸らした。玲奈の頬が赤く染まった。しかし藤倉の袖をつかんだ手は離さなかった。藤倉はため息をついた。そして椅子を引き寄せて玲奈の隣に腰を下ろした。
「じゃあ、もう少しだけ。淡路島の話、続けるよ」
「……ああ。聞かせてくれ」
玲奈の声はまだ硬かったが、その指先には、離したくないという意思が残っていた。
藤倉はそんな彼女を横目で見ながら、言葉を選び始めた。
「淡路島にはね、五斗長垣内遺跡という遺跡があるんだよ」
藤倉が言葉を選びながら切り出すと、玲奈は袖をつかんだまま、ほんのわずかに身を寄せた。
その微かな動きをじっと見つめる異形の気配があった。一つは赤い瞳をもつ白蛇、そして卓上に置かれた来国光であった。
机の影、白く艶やかな鱗を持つ細身の蛇が、くねりながら藤倉と玲奈を交互に見やっていた。
「お、おお……なんじゃこの空気は……妾、息が詰まりそうなのじゃ……」
白蛇は小さな顎を震わせながらも、目は離せなかった。
傍らでは、黒漆の鞘に収められた一振り、来国光が白蛇に念話で話しかけていた。
『まったく……この娘も藤倉殿も、……妙にお似合いじゃわ』
温もりを帯びた声音に、白蛇が首をもたげた。
「……ふふ、確かにのう。強がるが故に脆い娘子よの……触れれば揺れる心なのじゃ」
藤倉は遺跡の話を続けながらも、心の片隅で袖を離さぬ玲奈の指先を感じ取っていた。
玲奈は、声の震えを押し殺すことで、なんとか自分を繕っていた。
二人のやりとりの間に介入する者は誰もいない。ただ白蛇と古刀だけが、その静かな熱を目撃していた。
「妾は知っておる。あの娘の涙は、冬の雪のように厳冬のさなか、静かに積もり、やがて春に融けるのじゃと……藤倉よ、おぬし、その融けゆく音を聞いてやるがよい……」
『ワシは幾百年もの生をたもってきたがの…… 強者を気取りながら、本当に刃を守られてきた者ほど脆いことをよう知っておる。あれは……互いを傷つけぬよう、そっと鞘に収められた二つの刃よ」
棚の影、鞘の闇の中で── 白蛇と古刀は、互いに目を交わし、小さく頷いた。
二人の春が、まだ遠くとも、必ず訪れることを感じながら。
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玲奈の涙 冬のさなかに静かに積もり
やがて春に融ける その音を聞け
泣くのは悪いことじゃない
強者の鎧をまとう少女は
裂けた心を持っていた
冬を溶かす陽だまりは……
歴史を語る童貞男……
袖を離さぬ指先を
白蛇と古刀が見つめる……
淡路が紡ぐ
誰にも見せぬ物語……
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