2-4 児童趣味のトラウマ 月明かりの残響 国産みの神話
剣奈の側には千剣破と千鶴、そして玉藻が座っていた。剣奈が痙攣し、苦悶の表情を浮かべるのを千剣破は心配そうに見つめていた。
その頃、となりのダイニングでは藤倉と玲奈、そして来国光と白蛇が話し合っていた。
「それで剣奈はどこに引っ張り込まれたんだよ」玲奈が力なく呟いた。
「あの紐の先な、妾は懐かしき淡道之穂之狭別島の匂いがする気がするのじゃ」白蛇が自信無げに呟いた。
「淡路島か」玲奈が呟いた、
「淡路島……淡道之穂之狭別島……。淡路島の地名にある狭別には「別れる」、あるいは「分かれる」という意味が読み取れる。地名の語源的に「大きな島から分かれた狭い島」、「離れた場所」だからと解釈されてるけどね」藤倉が記憶をたどりながら言った。
「くそ藤倉。てめぇは剣奈さえ側にいなけりゃまともなんだがな」玲奈が呟いた。
「ひどいなぁ。俺はただ純粋に剣奈ちゃんが好きなだけで」藤倉がすねたように言った。
「だからそれがキモイってんだよ。考えてもみろよ。五十男がよ?小学校三年生女子に懸想だぁ?まんま児童趣味じゃねぇかよ。キモイんだよ」
玲奈は小学生の時から父親に性的暴力を受けてきたのである。強がって入るものの、その時のことは今の玲奈の心の奥深くに澱の様に沈殿していた。
庭の明かりがやけに遠く見えた。幼い頃から父親に振るわれたみだらな暴力。もう過去のことだと何度も言い聞かせても、心が震える。涙が出そうになる。指先が冷え、世界がホワイトノイズに包まれるような。声や匂いが、どこかテレビの画面を見ているときのような……そんな想いが時間を越えてフラッシュバックしてきた。
殴られたくないと虚構の嬌声をあげた自分。それすら他人事だった。明日を選ぶのは、自分だけだと信じつつ……。いつも絶望が心を満たしていた。
この世から自分が消え去ればいいのか。変なものが見えちまうこの目が悪いのか。鏡の前で泣きながらナイフで目をえぐろうとしたことは一度や二度ではなかった。
藤倉は悪い奴じゃねぇ。剣奈に手を出しているわけでもねぇ。思うだけなら、手を出さねえなら犯罪ですらねぇ。
それはわかっていた。藤倉の剣奈に向ける想いが純真であることもわかっていた。けれどダメなのである。どうしても受け入れられないのである。
しかし今はこの嫌悪感に浸ってる時じゃねぇ。剣奈だ。剣奈を救う手掛かりをなんとしても。なんとしても……
「まあ今はいいよ。それでよ、淡道之穂之狭別島……。別れ。ほかにヒントはねえのかよ?」
玲奈が自然を装った声で聴いた。明らかに硬い声だった。藤倉は雰囲気の変わった玲奈に、どこか泣き出しそうな玲奈に驚きつつ、それでもそれは口に出さずに話をつづけた。
「冒頭の「淡道之穂」から考えてみよう。「淡道」は道なんだよ。明石から阿波へ向かう道。あるいは「粟」を運ぶ道、粟の恵みを運ぶ道という解釈もされている。これは明石からでなく、明石へ。つまり穀物が本州に伝わってきた経路を表すという人もいるよ?」
「だからなんなんだよ」
「淡路というのは道ということだよ」
「なるほどな」
「で、それがどうつながる?」
「もう少し考えさせて」
「ゆっくり考えろ。アタイが考えても何も出ねえ」
「淡路というのは道。それの「穂」。この穂はなんだろう。穀物伝来ルートの意味に当てはめてみるよ。うーん。穂は「粟」とか「稲」とか、そんな穀物の穂かな。つまり、淡路島が、粟や稲など穀物の穂、初穂、命の原点、そんな風にも考えられるね」
「藤倉さんよ。ご高尚でなによりだがよ。すまんがさっぱりわんねぇ」
玲奈が眉を八の字にへにゃりと曲げた。普段強がっている女性が何気に見せる弱さである。藤倉の心に「守ってやりたい」そんな気持ちがふと芽生えた。
おい藤倉ぁ。てめぇ剣奈一筋じゃなかったのか。だから児童趣味でも大目に見てきたんだぞ。ここで玲奈にまで懸想だ?それじゃただの浮気男じゃねぇか。好感度下げるぞ?ま、まあいいか。とりあえず藤倉君、君の話を聞こう。
「命の原点、物語の原点、はじまりの原点。俺はここに「時」の存在を強く感じるんだ。ちょっと長くなるけど「国産み神話」を話すよ?」
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(古事記より)
於是二柱神議云。今吾所生之子不良。猶宜白天神之御所。即共參上。請天神之命。爾天神之命以、布斗麻邇爾〈上。此五字以音〉ト相而詔之。因女先言而不良。亦還降改言。故爾反降。更往廻其天之御柱如先。於是伊邪那岐命先言、阿那邇夜志愛袁登賣袁。後妹伊邪那美命言、阿那邇夜志愛袁登古袁。如此言竟而御合。生子。淡道之穗之狹別嶋。
……
ここに二柱の神議りたまひて、「今、吾が生める子ふさはず。なほ、天つ神の御所に白さな」とのりたまひて、即ち共に参上りて、天つ神の命を請い給ひき。ここに天つ神の命もちて、太卜に卜へてのりたまはく、「女の先立ち言ひしに因りてふさはず。また還り降りて改め言へ」とのりたまひき。かれ、ここに降りまして、更にその天の御柱を往き廻りたまふこと、先の如くなりき。ここに伊邪那岐の命、まづ「あなにやし、えをとめを」とのりたまひ、後に妹伊邪那美の命、「あなにやし、えをとこを」とのりたまひき。かくのりたまひ竟へて、御合ひまして、子、淡道之穗之狹別嶋を生みたまひき。
……
そのとき、イザナギとイザナミの二柱の神は話し合って言いました。
「いま私たちが生んだ子は、どうも出来がよくない。これは天の神々の御所へ申し上げたほうがよい」
そこで二柱は共に天へ参上し、天の神々の御命令を仰ぎました。すると天の神々は占いをして告げられました。
「女神が先に声をかけたのが原因で、良くなかったのだ。もう一度地上に戻って、順番を改めて言いなさい」
それで二柱は降りていき、再び天の御柱のまわりを前と同じように巡りました。今度はまずイザナギが先に言いました。
「なんとまあ、愛しい乙女よ」
そのあとでイザナミが言いました。
「なんとまあ、愛しい殿方よ」
こうして言い終えて二柱は契りを結びました。その結果、生まれた子が淡道之穂之狭別島でした。
――――――
「はぁ?ただの女性蔑視じゃねぇかよ」
「その解釈もなりたつんだけどね、ここで俺は女性の「器」としての側面に着目したいんだ」
「器だと?子を産む道具あつかいかよ?気分わりぃぜ。その「器」にはよ、感情ってもんがあんだよ。器がどんな思いで日々を生きてきたと思ってんだよ」
「物語は強者の視点で語られるんだ。弱い者の声は……黙殺されて歴史に残らないんだ……」
「はぁ?残ってなくてもな、アタイは生きてんだ。女は生きてきたんだ。歴史に残らなくてもな。物語に語られなくてもな。アタイらが生きてきたからこそ、テメエも生きてんだろうが」
藤倉は視線を外した。
「そうだね……歴史家は……、人の、歴史に残っていない真実も読み取っていかなければならないね…… 牛城さん、いや玲奈さん、俺はいまさらながらに大切な気づきを得たよ。ありがとう……」
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児童趣味のトラウマ
月明かりの残響 国産みの神話
過去は死なぬ
ただ静かに
今を……犯す……
神話の島が呼ぶ声
そは救いか、
それとも……呪いか……
剣奈と玲奈が堕ち行く先は
はじまりの海……
あるいは……
終わりの……海……
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