Chapter 5 secret bush of mimosA
眠り草の茂み、秘密の花園。
一度目の逢瀬の星空を。窓の奇怪な幾何学模様を。
貴方は覚えているかしら?
Chapter 5 secret bush of mimosA
ドローレスは白兎の家を出て、一本道に沿って歩き森に入った。道は分かりにくくなり、だんだんと迷子に近づいている気がする。
「これは何ていうか……本当にまずいわ」
今までは白兎やドードー鳥が居てくれたおかげでどうにか乗り切って来たが、森の中で独りぼっちは流石に嫌すぎる。折角家を出て来たのだから、好きなだけ楽しんで遊びたいところなのだ。
誰か出てこないかしら、と考え、少し迷って付け足す。できれば頼りになりそうな人が良いわ。
そのまま歩き続けていると、曖昧だった道は更に消え、足の先にはキノコが生える様になった。しかし丸っこくどこかファンシーで、掌サイズもあればドローレスの背丈を優に超えるものもあった。と言っても、今のドローレスは7センチ程しかないのだが。
「ねぇ、お話しない?」
と、見上げたキノコの上から、声が降って来た。ドローレスは慌ててキノコから距離を取り、上が見えないか試してみた。先ほどまで気付かなかった―もしかしたら今現れたのかもしれないが―少女がそこにいた。
少女、といっても、ドローレスよりも少し年上に見える。栗色の髪、小麦色に焼けた肌は、キノコの上よりも、夏の海辺の方が似合いそうだ。おまけにサングラスを頭に載せている。
「貴女は、誰?」
「芋虫よ、アリスちゃん」
「…………」
芋虫。なかなか似合わなかった。どちらかといえば――そう、蝶と言われれば納得出来るかもしれない。どこか妖艶さを含めた儚げな笑顔は、ひらひらと舞う蝶のよう。
彼女は手に持った長いストローで、キノコの後ろを指した。見ると、背の低いキノコが階段のように続いている。上ってこい、ということだろうか。
ドローレスは足を滑らさないようにそっと、キノコの階段を上り、大きなキノコの上に出た。長いストローを加えた芋虫が横になっている。ストローの端は、良く分からないガラスの瓶に繋がっていた。芋虫や今のドローレスの大きさと比べるとかなり大きい。もちろん、実際には5センチ程なのだろうが。
「それ、何? ジュースではないみたいだけど」
「水煙草。確かに、ジュースではないわ」
とすると、咥えているのはストローと言うより煙管といったところか。
しばらくそのまま待ってみたが、芋虫は何も言わない。お話しない、と話しかけて来たくせに、とドローレスは頬を膨らませた。手持無沙汰に芋虫の隣に座り、まじまじと半透明の瓶を見つめる。
「水煙草に、興味が在るの?」
不意に、芋虫は首を傾げてドローレスを見た。いきなり話しかけられてどきりとするが、それを隠して平然と答える。
「えぇ。だって、煙草は見た事が在るけど、水煙草なんて初めて見たわ。おいしいの?」
「まあまあ、かしら」
「じゃ、どうして吸っているの?」
「私が、芋虫だから」
意味が分からない。
再び芋虫は煙管を咥え、胸一杯に煙を吸いこんでいる。数瞬の間の後にふぅぅ、と煙が吐き出され、ドローレスはその匂いに目を丸くした。予想したような灰臭さはなく、ふわりとした柔らかな匂いだ。
「あら、煙草って言う割にはいい匂いね。花みたいな香りだわ」
「水煙草だもの、冷たくて気持ちいわよ」
ちなみにこれは眠り草風味、と付け足す。眠り草がどんなものかは知らないが、眠たくなってしまうのだろうか。吸っている彼女もどこか眠たそうだし。
ふぅぅ、とまた煙が吐き出され、ふわりと花の香りがドローレスを包んだ。濃厚な花の香りにくらくらするが、そういえば、と聞く事を思い出す。
「ねぇ、芋虫さん。私、もう少し大きくなりたいのよ。何か知らないかしら」
「大きく? そうね、そうねぇ……」
再び沈黙。ドローレスは彼女が煙を吐き終わるのを、じっと待つはめになった。芋虫とテンポ良く会話をするのは、どうやら無理なようだ。
「……大きく、なりたいのかしら」
「えぇ、まあね。流石にこの大きさだと……ちょっと、歩くにも大変だし」
実際、ここに辿り着くまでかなりの時間と体力を必要とした。白兎の家からそこまで遠く離れているとは思えないが、掌サイズでは困難な道のりだった。
「ふぅん、そうなの……?」
「えぇ、貴女はいずれ、空を飛べるようになるから、関係ないかもしれないけど。私は蝶にはなれないし」
「……分からないわ」
芋虫の言葉に、ドローレスは首を傾げて彼女を見た。彼女が芋虫だと言うのなら、てっきりいつかは蛹になって、そして蝶になるのだと思っていたが。
彼女はドローレスが見えていないかのように、ぶつぶつと言葉を続けた。
「分からないわ。私は芋虫、あくまでも芋虫なのよ。芋虫が蝶になったら、一体どうなってしまうのかしら……。私は、私のままで居られるかしら……? 時の流れは、たやすく人を風化させるわ。私に与えられたのは、芋虫という名前と、キノコと、水煙草だけ。あとはなーんにも、分からない」
また花の香りが吐き出され、ドローレスはぽかんとした。まさしく、文字通り煙に巻かれたようだ。芋虫は気にするようでもなく、煙管でキノコを指した。首を傾げるドローレスに短く言う。
「片側で大きく、反対で小さく」
それだけ言うと眠たげな顔でキノコから降りて行った。慌ててドローレスも後を追おうとするが、彼女は黒っぽい箱のようなものに入ってしまった。まさかあれが蛹か、と思いまじまじと見る。が、それは蛹というよりも、控えめに言ってどちらかといえば――棺桶のようだった。
ドローレスは唇をきゅっと噛みしめ、先ほどの言葉を思い出した。片側で大きく、反対で小さく。先ほどまで乗っていたキノコを見上げ、両手を伸ばして端を千切ってみる。両手の白っぽい欠片を見て、生唾を飲んだ。
食べれば、いいのだろうか。
―――生の、キノコを。
「……これは大きくなるためなのよ。そう、我慢するのよ、私……」
ぶつぶつと唱えて、勇気を振り絞って左手の欠片を齧った。思ったような苦味も渋みもなく、むしろ果物のような甘さに眼を丸くする。そっと周りの物を窺うと、しゅるしゅると小さくなっていく。どうやら正解だったようだ。
20センチ程の大きさで、変化は終わった。これなら踏みつぶされる心配はないだろうと、ドローレスは歩き始めた。しばらく歩いていると、木々がまばらになり小道が見えた。どうやら森を抜けたようだ。
小道の先には、白兎のものとは違う家が見える。白兎のものが小さくて可愛らしい感じだったのに対し、こちらは綺麗な感じだ。
今度はどんな、びっくりだろうか。
サブタイトルは「秘密のミモザの茂み」。
はい、これで最大のヒントは眼の前に晒し終わりました。という事で冒頭詩も『アリス』とは関係の無い物が混ざっていきます。ネタバレってやつですな、通じる方が居たら凄いですが。いや、ほんと。
ドローレスの正体が分かった方も「知るかバカヤロー」な方も、一言下さると糸冬は物凄い勢いで感謝感激雨霰です。むしろ嵐の勢いでお応えします。