Chapter 3 rabbIt’s house
追いかけて、追いかけて。
紅の瞳は少女に釘付け。
どうして、君は逃げて行く?
Chapter 3 rabbIt’s house
家に向かって歩き続ける事数分、ドローレスは家の前で足を止めていた。予想をはるかに超えたびっくりが待ち受けていたのだ。
すらりとした、背の高い男がいた。正装に身を包み、くるくると手の上で懐中時計を玩んでいる。髪は曇りない白で、うなじで小さく束ねてあった。ドローレスを見つめる瞳は、ルビーのような紅。
紛う事なき美形だ。俳優になれば一躍スターになる事間違いなし。少女たちのあこがれの的となり、彼が今のように微笑めば数多の心が奪われるだろう。
その眼が、今と違って、笑えばの話だが。
にこ、と彼は口の端を釣り上げている。目を細めるその表情は確かに笑顔なのだが、どこか作り物めいた印象を受けた。
「ようこそアリス、不思議の国へ」
声も耳触りの良いバリトン。だがそれもまた表情のように、どこか無機質でぎこちない。口調は柔らかく滑らかなので、その差が余計に引っかかりを覚える。
「貴方……誰?」
ドローレスの言葉に、彼は表情はそのままで首をかくんと傾けた。正直、不気味だ。まるで人形のような仕草だが、やっている本人は酷いなぁ、と変わらぬ声色で続ける。
「さっき逢ったじゃないか、アリスは忘れん坊だなぁ」
「会ったって……」
「私は、白兎だよ」
兎、白兎。正装、懐中時計、ルビーの瞳。
改めて彼の姿を見ると、確かにあの兎と同じデザインの服を着ている。髪が白いのも、白兎だから、なのだろうか。流石に頭上に兎の耳が生えていたりはしなかったが。男性のバニー姿など見たくはない。彼の姿を上から下まで往復して眺め、ドローレスは何とも言えずため息をついて零した。
「………本当に何でもありなのね、不思議の国とやらは」
「不思議の国だからね、アリス、何でも起こり得るのさ」
にこにこと笑顔のまま、ルビーの瞳はじっとドローレスを見つめる。何となく居心地が悪くなり、ドローレスは話題を変えようと家を見上げた
「ここは、貴方のお家?」
「そうだよ、白兎の家。あがっていくかい? いや、アリスならば上がるべきなんだよ」
「え? ちょっと……っ!」
さり気ない動きで手を取られ、ぐい、と思いの外強い力で引っ張られた。ドアが目の前で開き、くるりと踊るように、白兎の腕の中で回される。ドローレスが目を回しかけて瞬きした頃には、身体はちょこんと椅子に座っていた。いつの間にか、ポシェットも外されて白兎が持っている。スリも顔負けの離れ業だった。
「メアリアンにお茶を入れさせよう。甘いお菓子も用意させるよ。アリス、ゆっくりしてくれ」
「え、えぇ……」
白兎はドローレスの向かいに座り、相変わらずにこにこしたまま、紅い眼を閉じもせずドローレスを見つめている。居た堪れなさにそっと目線をそらして、ついでに身体もずらす。が、白兎の眼はくり、と動いてドローレスを追いかける。これはなんなのだろう、彼の眼は瞬きもしないのだろうか。
奥でカチャリカチャリと堅い音がする。メアリアンとやらがお茶を用意しているのだろう。が、こちらには沈黙しかない。白兎はただ黙ってドローレスを見つめており、ドローレスもこんな男相手に何を話せばいいかさっぱり分からない。
メアリアンさん、早くして、と内心で祈る。そして出来るなら紅茶よりもジュースが良いわ。さらに言うならビスケットは出さないで。さっき食べたら縮んだ嫌な思い出が在るし。
不意に、弾けるような金属音が鳴り響いた。が、そのメロディは不思議の国には似つかわしくない、どこかロック調のファンキーな曲だ。目を丸くするドローレスに構わず、白兎は懐を探り懐中時計を取りだした。どうやら音源はそれのようだ。全くもって本当に似つかわしくない。
白兎は愁いを帯びた顔で時計を見つめた。ぱちん、と何か操作をするとけたたましいメロディは止まり静寂が戻った。そして、ぽつりと抑揚のない声で呟く。
「お呼びだ」
「え?」
「女王様がお呼びだ。白兎は出掛けなくてはならない。アリスと一緒にお茶会が出来ない」
嫌そうな顔で、ぶらぶらと懐中時計を揺らしながら立ち上がる。お呼びだ、お呼びだ、と拗ねた口調で繰り返す様子は、遊びを中断された子供のようだ。ぶつぶつと繰り返しながら、白兎は扇子と手袋を持ってドアに向かってふらふらと歩く。そしてくるり、とドローレスの方を振り向き、唇を尖らせて不満そうな顔で言った。
「待っていて、アリス。すぐに帰ってくる」
「え、えぇ。いってらっしゃい」
「……いってくるよ、アリス」
白兎は、はぁ、とため息をつき、ドアを開いた。そしてドローレスの目の前で、くるりと姿が反転し―――小さな、白い兎になった。
驚くドローレスをちらりともう一度見て、白兎は「……遅刻だ」と呟き走り出した。さすが、やはり速い。
ドローレスはしばらく硬直したまま驚きを持続させ、はぁ、と息をついた。左右を見て誰もいないか確認し、白兎が戻ってくるかどうかドアを見つめた。ドアは動かない。
「………さてと、」
立ち上がり、こともなげにドローレスは呟いた。
「逃げましょう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
特にこれといった根拠が在るわけではないのだが、このまま白兎の帰りを待っていたら危ない気がしたのだ。お茶を用意してくれているメアリアンには悪いが、さっさと逃げさせてもらおう。いつ、白兎が帰ってくるか分からない。
白兎に悪いかしら、という考えが脳裏をかすめたが、あの紅い目で見つめられ続けるのは結構つらい物がある。もっと柔らかく笑っていたら、顔は良いのだし格好がつくのだが。紅い目は全く笑っていないのだから怖くもなる。
ドローレスは迷いを振り切る様に首を振り、ドアに歩み寄った。ドアノブに手を伸ばし―――
がちゃ、という堅い感触があるだけだった。
「……………」
いつの間に鍵をかけたのだろう。
サブタイトルは「兎の家」。なんの捻りもありません。わりと淡々としたタイトルが好きなので。
今のところ、どの程度の方が固定で読んで下さっているのか定かではありませんが、ドローレスの正体は通じる方がいるのでしょうか。感想等で「答えわかりました!」と言って下さると糸冬は大変喜び舌打ちします。
……いや、全員に通じないのも全員にばれちゃうのも、小説としては駄目でしょう?(苦笑)
ただの感想・批評なんかを送ってくれても、歓喜に咽びます。