肖像画と貴婦人
大変なことになったぞ...とアーレスは思った。
隣に並んで歩くセレンティアの顔が真っ青になっている...小柄な体がガタガタと震えており、支えてやらないと歩くのも儘ならない状態だ...
「大丈夫だセレン、私がついているのだから…」
アーレスは困惑しながらも慰めを言った。おそらくセレンティアの耳には届いてはいまい。
…父上が命じたのならともかく、王太子からの直接命令とあっては、混乱するのも当然だ。
「君はいつものように振る舞えば良いんだ。母上が教えて下さった通りにね。」」
セレンはようやく顔を上げ、アーレスを見つめた。不安な思いを訴え、抱きついて声を出せたらどんなに楽になれるだろう...
「…とりあえず、母上に助けて頂こう。妃殿下との懇談を終えられていればだが…」
城内に入ると、エントランスに家令を伴いフォルトが立っていた。
気づいたセレンティアがアーレスから離れようとする…だが、アーレスは手を離さず、その姿勢のままで歩み寄ると、静かに尋ねた。
「王太子殿下はどちらに?」
「妃殿下の所へ参られた…晩餐までは自由行動をされるとのことだ。」
「…では、母上も御手すきに?」
「うむ、その様だ。」
フォルトはアーレスの後ろで青ざめているセレンティアを見やった。王太子の気まぐれに気が動転しているのは明白で、可哀想なほどに怯えている。
「殿下の思いつきは今に始まったことではないが、何故そのような展開になったのだ?」
「それには少し込み入った事情が…」
アーレスは口を濁した。リュシアンが城出をした時の経緯を詳しく話すのは望ましくない。王太子の気持ちを憂慮し、擁護も含めて、国王への赦免を申し出てくれたユーリと、弁明に加担したリオーネに迷惑をかけてしまうおそれがあるからだ。
…ユーリ殿はともかく、リオンを巻き込むのはまずい…
「申し訳ありません…理由は後でお話しします。今はセレンを落ち着かせなければなりませんので…」
「…うむ、ならば私も参ろう。」
家令を下がらせると、フォルトはアーレスと肩を並べた。
「殿下も妃殿下も気取らぬ人柄ゆえ、晩餐は極めて簡略的なものとなろう...」
フォルトがやんわりとセレンティアを慰めた。父の思いやりの言葉は珍しいが、最近はセレンに接する機会が増えたと感じている。ブルームがセレンティアに懐いているため、心に変化が生じたのだろうか...
螺旋状の階段に向かい合うと、小さな足音とともに、シャルアが姿を現した。
すばしっこい動きで三人の横をすり抜けて行く...その勢いに目を丸くしている間に、今度はリュシアンが階段を走り降りて来るのが見えた。
「こら待て、逃げるな!」
リュシアンが大声で嗜める。
「…許さんぞ、このふととき者め!」
怒っているのかと思えばそうではなく、王太子は笑顔だった。逃げる王子も振り返っては笑っている…どうやら二人は戯れている様だ。
「僕のハンカチで鼻を拭くとは…よりにもよってマリアナが刺繍を施したとっておきのハンカチだぞ!」
すれ違いざま、リュシアンが事情を吐露した。呆然としているフォルトとアーレスには見向きもせず、そのまま王子を追いかけ走り去って行った。
「なんと…」
フォルトは呆れて眉根を寄せた。
「城内で追いかけっことは…」
エントランスで走り回る父子を目で追い、アーレスも思わず苦笑した。どちらが親か分からない…リュシアンは未だ子供と同じだ。
「おっと…」
傍にいるセレンがさらに怯えているのを見て、アーレスは再び真顔になった。王太子は戯れているだけでも、セレンティアの目には驚異と映っているのだろう。
「もう…リュシアンたら…」
上階から声が聞こえ、マリアナが階段を降りてきた。困惑気味に夫と息子を眺め、深い溜息を吐く…
「騒々しくてごめんなさい。ここは王城ではないのだからと、注意はしたのだけれど...」
フォルトの前で立ち止まると、マリアナは申し訳なさそうに告げた。
「なんの…お二人が健やかであることの何よりの証拠...気に病むことはありません。」
「そう仰って頂けると救われます...シャルアはともかく、殿下は体も声も大きいので、皆が驚いてしまうでしょう?」
マリアナは言いながら、アーレスの後ろで膝を折っている少女を見遣った。召使いでも侍女でもない、華奢で可憐な少女だった。
「まあ…もしかして、この子がセレン?」
マリアナが瞳を輝かせて言った。
「…はい。私の養い子で、セレンティアと申します。」
「カインとリオーネに聞いているわ。とても可愛い「妹」だって...」
マリアナは微笑みながらセレンティアに近寄った。セレンティアが恭しく頭を下げているので、少し姿勢を低くして話しかける。
「初めまして。私はマリアナ…リュシアンの妻よ。」
マリアナが「妃」と名乗らず、あえて「妻」と称したので、フォルトもアーレスも口角を上げた。実にマリアナらしい気遣いだ。
「顔を上げていいわ...そんなに緊張したら疲れちゃう。肩の力を抜いて深呼吸よ。」
セレンティアが躊躇いがちに顔を上げると、優しい眼差しが目の前にあった。宝石のような青緑の瞳…透き通る肌…なんて美しい方なのだろう…
「顔色が悪いけど…どうかしたの?」
マリアナが気付き、アーレスを見上げる。アーレスはすぐに答えた。
「失礼ながら…先ほど、殿下より今夜の晩餐への参加を促され、動揺しまったようなのです。」
「まあ...」
マリアナはすぐに理解した。リュシアンが楽しげに報告していたので、心配していたところだったのだ。
「不安にさせてしまったのね…解るわ。でも、大丈夫…殿下には他意も悪意もないから。あの姿を見れば解るでしょう?」
マリアナは悪戯っぽく笑って見せた。皆の困惑を他所に、走り回っている王太子と王子…なんとも無邪気な光景だ。
「ねえアーレス、セレンと少しお話しがしたいのだけれど、構わない?」
「は…構いませんが、セレンは声が…」
「...分かっているわ。でも、女の子同士だから、きっと心で通じると思うの。」
「は…」
少し躊躇ったものの、アーレスはセレンティアから離れた。心配ではあるが、相手がマリアナ妃なら問題はないはずだ。
「図書室に行きましょう。静かな場所でお喋りしましょうね。」
セレンティアの手を優しく握り、マリアナは寄り添って歩き出した。小さく震えているのを感じたが、背に手を添えつつゆっくりと歩いた。
「...行ってしまったが、どうするぞ?」
フォルトが尋ねた。
「セレンは妃殿下にお任せして、私は身支度の事など、母上に相談します。」
「うむ...では、私も行こう。」
父と子は、ともに階段を上がり始めた。遠くに王太子の笑い声が聞こえる…
普段のシュベール城ではあり得ない光景が眼下に見えた。
「さあ、ここに座って」
マリアナは、明るい窓際の長椅子にセレンティアを座らせて言った。
シュベール城の図書室にマリアナが訪れるのは二度目…前回はカインが一緒にいて、二人で一緒に本を読んだ場所だ。
セレンティアが遠慮がちに腰を下ろすと、マリアナも並んで座り、「ここなら何を言っても大丈夫よ」と囁きかける。
…とんでもありません。
セレンティアは首を横に振った。
…妃殿下の御前です。
「そうね...でも、私はあなたの歳くらいまでずっと森の中で過ごしていたから、自然でいる方が好きなの。」
…森の中?
「そう見えないでしょう?」
マリアナが問いかけると、セレンティアはこくりと頷いた。
「まるでおとぎ話のような物語よ。森の魔女が王子様に出会うお話なんだけど…聞いてみたい?」
…はい。
「いいわ。じゃあ、はじまり、はじまり…」
マリアナは穏やかに語り始めた。
ブローボーニに生まれた少女...森の魔女と呼ばれていた孤独な少女の生い立ちを。
夕闇が迫る時刻になると華やかな料理がテーブルの上に並べられた。
果実酒やエールも上質なものが選ばれ、選りすぐりの粉で作られたパンが、形よく形成されて焼かれている...
大広間に着いたセレンティアは、その光景に感動していた。
…信じられない。
日頃から華やかな食事の並ぶパルティアーノ家の食卓だが、今夜はさらに豪華さが増している...こんな場所にゲストとして自分が立っていことが不思議だった。シャリナが選んでくれた檸檬色のドレスも華やかで、同色のリボンで結い上げてた髪や、花の髪飾りが少し大人を意識させる。
「まるで花のような貴婦人ぞ。」と公爵に褒められた時は本当に嬉しかった...
「セレン...こっちだ。」
遠慮がちに立っているセレンティアをアーレスが手招いた。
会場にはシュベール城に仕える臣下が居並び、彼らの夫人である貴婦人達も並んでいたが、公爵夫妻が進み出ると、皆がいっせいに首を垂れる。王太子夫妻を出迎えるため、入口脇で待機するフォルトとシャリナの後ろにアーレスが並び、少し距離を置いた場所にセレンティアも立った。
特別な計らいとはいえ、家臣よりも上位なのでので視線が痛い…
アーレスが励ます様に微笑みを投げかける..セレンティアはすっと背筋を伸ばし、小さく頷いて見せた。
「王太子殿下、妃殿下、御成り!」
告げ役が声を上げると、リュシアンとマリアナが揃って姿を現した。王太子は頭に冠を頂き、煌びやかな碧色のマントを羽織っていた。顎を上げながら出席者に視線を見渡し、口角を上げる。
「皆の者、座れ!」
その号令に一同が従った。
王太子はマリアナの手を取って先に座らせた後、自らも席に着いた。
セレンティアはうっとりしながらマリアナを見つめた。
シルクの白地に薄紅色の薔薇刺繍を散らしたドレス...薔薇と同じ色のローブを肩に掛け、頭には小さなティアラを載せている。
…妃殿下がお洗濯や掃除をご自分でなされていたなんて...
ついさっきまで、マリアナは自身の過去を「おとぎ話」として語っていた。質素な生活をした少女が、父親に先立たれた後、たった一人で暮らしていたのだと...
…あんなに美しく聡明な妃殿下が、以前は自信のない臆病な女の子だった...
それを思うと、少しだけマリアナを身近に感じた。マリアナ自身も「私たちは似ているわね。」と言ってくれた...
…卑しい身分の私に、心を砕いて下さったマリアナ様...あり得ないほど光栄で、とても幸せなことだわ。
ふと視線が合い、マリアナが微笑みを浮かべる。大丈夫よ”と、励ますように目配せをしてくれた。
…大丈夫です。
セレンティアも頷いた。
…どんなに嫉まれたって平気です。このお誘いは王太子殿下からのもの….妃殿下のお薦めを頂いているのですから。
宴が始まると、先立って公爵が言葉を述べ、恭順の意を示した。
その言葉に満面の笑みを浮かべると、リュシアンはエールを注いだグラスを掲げ、「パルティアーノの永遠の繁栄を望む。」と、言葉を返した。
時が経ち、酒が深まると、人々が談笑を始める...
運ばれた料理に手を伸ばしつつ、リュシアンが問いかけに相打ちを返していた。大きな声で何かを言うと、さも愉快そうに大口を開けて笑う…気取らない性分なのは真実のようで、気品あるパルティアーノ公爵とは真反対の人格だった。
「殿下のあの大声には、みんな迷惑しているんだ…」
アーレスがセレンティアにそっと耳打ちする。
「子供の頃からずっとあんな感じでね…私は年も近いし、遊び相手に選ばれがちだったんだが、耳が悪くなりそうで大変だった。」
…確かに、お声は大きいですね。
セレンが笑うと、アーレスも笑った。
「いつも近くにいる妃殿下がお気の毒で仕方がない...もっとも、マリアナ妃に嗜められれば、殿下も大人しくなるんだよ...」
…不思議。
セレンティアは王太子を見つめた。マリアナ妃はとても優しい人柄なのに、なぜ王太子は大人しくなるのだろう...
「…時に、皆の者。」
リュシアンが不意に声を上げた。
「今日僕は「ある者」との再会を果たした。過去に出会い、その懐かしさからこの場に招待した。」
…え?
セレンティアが驚き、リュシアンに視線を向ける。
「五年前、僕は消息の分からない黒騎士を探して旅に出た。グスターニュ城までの短いものではあったが、初めての冒険の旅をした。」
…あれは旅ではなく、家出です。
アーレスが眉根を寄せる...まさかリュシアンがその話題をこの場で語るなど思いもよらなかった。
「…その頃、僕は自分に婚約者がいると知って気持ちが荒れていた…黒騎士までもが居なくなり、周囲の沈黙と嘘に耐えられなくなっていた。そこで真実を知ろうと城を発ち、単身、途中の村で宿を探した。ゲイツ村にある粗末な宿だったが、夕食の煮込み料理だけは美味かったのを憶えている...」
セレンティアはその時のことを思い出した。自分の作った煮込み料理をペロリと平らげた少年...満足そうに微笑みながら「美味かったぞ。」と声をかけてくれたのだった。
「縁あってその者をアーレスが引き取ったと初めて知った…僕の財産を褒美として与えた幼き少女がそこに居る。旅の一端はその後の和平と、妃であるマリアナとの出会いに繋がった…僕にとっては特別で、忘れられない思い出だ。」
リュシアンは目を細めて一点を見つめた。その視線を追い、全員がセレンティアに注目する。
「その少女はアーレスの養い子にして僕の知人…声は出ずとも、そのことで蔑むことは赦さぬ。皆、そのことをしかと心得よ。」
王太子の言葉に、周囲が一斉に頭を垂れた。驚きを隠せないセレンティアの隣でアーレスが微笑む...その向こうにはシャリナの優しい眼差しも見えた。
…有難き幸せにございます…王太子殿下。
セレンは席を立ち、恭しくお辞儀をした。姿勢を保つのが精一杯だったが、感謝を込め、深く深く膝を折った。
「良い思いつきだわ...リュシアン。」
マリアナは笑顔で言った。
「見直したか、妃よ。」
リュシアンは得意げに顎を上げ、マリアナにキスを求めた。
二日後…
領地への巡回を明日に控え、アーレスはシャリナに呼ばれて居室に出向いた。
セレンティアの旅支度を願っていたので、要件はそのことであろうと思っていた。
すれ違う侍女たちが大きめの荷物を抱えて運んで歩いて来る。用意させた馬車へと必要な物を運んでいるのだ。
「待っていたわ、アーレス。」
部屋に着くと、シャリナが早々に出迎えた。
「頼まれていたセレンの準備は終わったわ...あなたの方はどう?」
「すでに済んでいます。」
アーレスは答え、シャリナに感謝を伝えた。晩餐会の件といい、何から何まで任せてしまっていて、本当に感謝の限りだった。
「セレンは私の娘...当然のことよ。」
屈託なく笑い、シャリナはアーレスと向かい合って長椅子に座った。侍女達が茶の準備を始める…室内に良い香りが広がった...
「呼んだのは相談があったからなの。旅の間に考えておいて貰いたかったから...」
「相談…?」
「ええ、セレンのことでね。」
「セレン?」
シャリナは頷き、テーブルの上にあるシルクの布包みをそっと開いた。
「これは...セレンの…肖像?」
「…ええ。アノック卿にお願いしていたものがようやく完成したのよ。とても可愛いでしょう?」
絵の中のセレンは「可愛い」というより美しかった。晩餐会で見た檸檬色のドレスを身につけており、実際よりも少しだけ大人びた貴婦人に描かれている。
「セレンも来年は十五歳…そろそろ相応しい伴侶を探さなければと思っているわ…この肖像画を信頼できる方に託して、方々にお見せするつもりよ。」
…伴侶?
シャリナの言葉に衝撃を感じた。
思いも寄らない提案だった。
つづく




