決意
子供達の笑い声が聞こえる...
庭園の東屋に集まって、絵を描きながら、楽しそうにはしゃいでいるのだ。
師である人は横に置かれたテーブルで、貴婦人と会話をしていた。貴婦人の膝の上には幼子がちょこんと乗っていて、その子は手に持った木製の馬を転がしている...
回廊で立ち止まり、アーレスは遠目にその様子を眺めていた。
リュシアンが不在の宮廷は静かで、今はバレルとシャルアの声しか聞こえない。二人は本当に仲が良く、寄ると触るとふざけ合ってばかりいるのだった。
「子供は無邪気で羨ましい...」
つい、声に出して呟いた。
とはいえ、自分の幼い日々を思い返しても、無邪気で楽しかった事はあまり無かった様に思う。アンペリエールに引き取られて以降はカインやリオーネと兄弟同然に育てられ、ようやく「楽しい」が何であるのか理解したほどだった。
「アーレス...」
背後から呼び声が聞こえ、アーレスは振り返った。そこにマリアナが立っていて、バスケットを手に持ち、優しい微笑みを浮かべていた。
「妃殿下...」
アーレスは恭しくお辞儀をした。マリアナはいつも通りに麗しく、今日は瞳の色と同色のドレスを身にまとっていた。陽よけのヴェールで隠れているが、長い髪は背に垂らしたままだ。
「賑やかでしょう?シャルアったらずっとあの調子なの...バレル君が大好きで仕方がないのよ。」
マリアナは嬉しそうに言った。
「殿下の代わりに城内を明るくしておいでなのでしょう...」
「そうかしら...」
穏やかな口調で返すアーレスに、マリアナは軽く肩をすくめた。
「バレル君はお利口さん...シャルアの我儘をちゃんと受け止めてくれているし、とても優しくて頼りになるお兄さんだわ。」
「昔の殿下とカインを見ている様だ...」
「そうなの?」
「ええ、殿下のカインへの信頼は過度なほどでした...男の兄弟がいなかったせいもあったのでしょうが...」
「貴方は?」
「私はただ振り回されっぱなしの存在だった...カインの様に容赦なく嗜めるなど、とても無理でした。」
「それは理解できるわ...貴方が誰かに向って怒るのを見た事ないもの。」
「は。」
「いつも冷静で、上品で...リュシアンにも見習って欲しいわ。」
「お褒めの言葉、光栄です、妃殿下。」
アーレスが軽く首を垂れる...マリアナは目を細めた。彼は本当に品行方正な貴公子だ..
「この後のご予定は?」
マリアナは尋ねた。
「午後に王妃様に呼ばれておりますが、それ以外は特に...」
「それなら、少し私にお付き合い頂けるかしら?」
「妃殿下に?」
「そう、私によ。」
突然の誘いに、アーレスは正直戸惑った。マリアナが自分を誘う...こんなことは初めてだ。
「仰せのままに。」
アーレスが応じると、マリアナは口角を上げた。菓子の入った籠を侍女に手渡し、「お菓子を持って行ってちょうだい。」と伝える。
命じられた侍女は、膝を折って承諾すると、そのまま東屋に向って歩いて行った。マリアナはアーレスに向き合うと、肩を並べて歩き出した。
「リュシアンがいない静けさ...こうして過ごせるのも今日だけね。明日には帰って来るはずだから。」
「帰還の予定が延びている様ですね?」
「ええ、きっと狩が楽しくて、夢中になってるに違いないわ。」
「伴の者が大変だ...」
「そうね、本当に気の毒...」
二人は顔を見合わせて笑った。
マリアナとアーレス、珍しい組み合わせに、行き交う人々の視線が集まる...皆が恭しく腰を折る中、マリアナは回廊を歩き、図書室へと足を向けた。
沢山の本が収められている部屋に、幾つかの椅子が置かれていた。
室内はとても冷んやりとしており、冬は暖炉の火が絶やせないが、夏の今は避暑にちょうど良い場所なのだった。
「ここに来ると落ち着くわ。とっても静かだし...」
マリアナは窓際の長椅子に座り、対岸の椅子にアーレスを座らせた。
きちんと話をしたい時に、マリアナはいつも図書室を選ぶ。雑音の中では思う様に真実を語れないし、盗聴は避けられないからだった。
「聞き耳を立てる人はいないから、お互い肩の力を抜いて話をしましょう。」
マリアナは微笑みながら告げた。
「シュベール城ではあったけれど、セレンティアと図書室で話をしたことがあって、とても楽しかったの。彼女の「声」は小さくて、周囲の騒々しさに負けてしまいがち...でも、その時はたくさんお話しが出来たのよ。」
「...セレンが妃殿下と?」
「ええ、お互いの過去の話や、今の気持ちなんかをね...」
「それは知りませんでした。」
「私とセレンは子供の頃の境遇が少し似てると思うわ。彼女ほどではないけれど、私もある時期ひとりぼっちだった...貧しい経験もしたから、気持ちを共感できたのよ。」
「そうだったのですか...」
アーレスは頷いた。
「セレンにお心を寄せて下さるとは、感謝の至りです...」
「...そんな堅苦しい言い方。」
マリアナは笑った。
「あなたは優しいけれど誠実過ぎるわ...だからリュシアンに振り回されてしまうのよ。」
「は...」
「もっと本音を言っても良いんじゃないかな...って思う。文句とか愚痴とかいろいろあるでしょう?」
「...妃殿下」
「その胸のつかえ...きっと私なら理解できると思う...だって、私も同じ王族だもの。」
マリアナの言葉に、アーレスは目を見開いた。宝石の様な緑の瞳に見つめられ、思わず口篭ってしまう...
「婚約のこと、戸惑っているのでしょう?」
マリアナは告げた。
「カインに聞いたわ。それで心配になってしまって...」
「...心配?」
「ええ、これはただのお節介...でも、大切なことなの。私たちにとってはね...」
…どういう意味だろうか。
アーレスは思った。マリアナの意図が今ひとつ掴めない...
「困惑しているのはメルトワの姫も同じよ...私もリュシアンとの婚約をお祖母様に告げられた時、とても悲しくて辛かった...それが自分の宿命だなんて、知りもしなかったから...」
「妃殿下...?」
「カインを愛していたのに、どうしたら良いかわからなかった...なぜ私なのって泣いてばかりいたわ。」
「マリアナ様...」
「...でも、リュシアンに直接会って気付いたの...辛いのは私だけじゃない、殿下も同じだったんだ...って。」
マリアナは悲しそうに笑った。
「宿命ではあったけれど、殿下は私を受け入れると告げたわ。そして、心から愛して下さった...カインをめぐっては今も好敵手だけれど、それでもカインを大切に思うリュシアンの心の優しさと寛大さを、とても愛しく感じているわ。」
瞳を潤ませる王太子妃...カインとリュシアン...そしてマリアナの関係は、極めて繊細な結びつきで保たれている...ひとつ間違えば、死を招きかねない危うさだ...
「あなたの婚姻は両国にとって有益なもの...陛下の意に従う他はないけれど、それでも全てが「絶望」というわけではないと私は思う。」
「殿下と妃殿下の様に?」
「ええ。あなたは素敵な人...エレネーゼ王女もきっと好きになるわ。」
「あまりお褒めになると、自惚れてしまいますよ...」
「まあ...らしくない発言。」
「本音をと仰いましたので...」
「うん、その調子。」
マリアナは頷きつつ、悪戯っぽく笑った。
屈託のない笑顔に気持ちが和む...
…妃殿下の笑顔は救いだ。
アーレスは思った。
…重い業を背負って生きる妃殿下に比べれば、私の杞憂など、取るに足らない問題だ。
「なんて素敵な光景なのかしら...」
セオノアは並んで座っている幼子達を眺めて瞳を潤ませた。
バレルとシャルアとブルーム...三人が揃ってお菓子を食べている...口に頬張り、大人しくおやつを食べているのだった。
「正直ね...」
シャリナも肩を震わせた。
ついさっきまで思い切りはしゃいでいたのに、食べ始めると、全員揃って無言になってしまったのだ。
「リオーネもカインもそうだったわ。食べている時だけはとっても静かだった..,ユーリがいつも言ってたわね「げんきんな奴らだ」...って。」
「特にリオンがね。」
隣に座っていたカインが菓子を口に入れながら言った。
マリアナ手製の焼き菓子が毎日食べられるので、数日はとても満足しているカインなのだった。
「失礼します。スケッチをとらせていただきます。」
セオノアは傍にある画板を手に取り、獣皮紙にさらさらと絵を描き始めた。まるで文字を書く様に、三人の輪郭を形にしてゆく...
「魔法の様だわ...」
シャリナが目を丸くして言った。
「本当に、セオノアは天才ね...」
「父から受け継いだ唯一つの才ですわ。私は騎士になれませんでしたし...」
「その才能だけで十分よ。騎士ばかりが仕事ではないもの。」
「ありがとうございます。」
手を進めながらセオノアが微笑む..
カインは思わず口角を上げた。
シャリナとセオノアは仲が良く、無二の親友と言っても過言ではなかった。
父ユーリが病床にあった時、セオノアはペリエ城に滞在し、庭の造園に尽力した。「夫人の心を慰めて差し上げたい」と言い、精魂込めて、美しい庭園を造り上げたのだ...
「それにしても、バレルに絵の才能があるなんて意外だったわ。ユーリもきっと驚いているでしょうね。」
シャリナはしみじみと言った。
「俺もリオンも絶望的に絵が下手だからね...」
「本当に不思議...」
「シセルはどうだろう...」
「彼が絵を描くところを見たことはないわ。」
「セオノアはどう思う?」
「私も見たことはありません。あの根っからの騎士に、絵心があるとは思えない...かしら?」
セオノアは眉根を寄せた。その可能性を考えた事もなく、疑念が首をもたげる...
「あら、大変...」
ブルームが菓子を手にしながら居眠りを始めたので、シャリナは慌てて立ち上がった。目がトロンとなり、瞼がゆっくり閉じていく...
「もう“おねむ”の時間ね...」
シャリナはブルームを抱き上げた。まだ離乳をしていない乳飲み子であるため、授乳をしなければならなかった。
「シャルア様も眠そうだわ...」
シャルアが大あくびをするのを見て、シャリナが言った。
「一緒にお部屋に参りましょうか?」
「...ははうえと行く。」
シャルアは周囲を見渡した。
「ははうえはどこ?」
「妃殿下は...」
カインが首を回すと、折よく歩み寄って来るマリアナが見えた。ほどなくシャルアの傍に立ち、顔を覗き込む...
「まあ、眠いのではなくて?」
シャルアはマリアナに手を差し出し、母の胸に顔を埋めた。もう余力は残っていない様で、マリアナが苦笑を浮かべる...
「シャルアはもう限界...お部屋に連れて行きます。」
「...では、また明日に。」
「また後でお話ししましょう、カイン。」
「御意に、妃殿下。」
マリアナとシャリナが二人一緒に城内へと歩み去って行く...
残されたバレルがその姿を目で追い、その後、寂しそうに俯いた。
「バレル...?」
セオノアは静かに問いかけた。
「どうしたの?」
カインもバレルを見やる...口を固く噤んでいて、何も言おうとはしなかった。
「どこか痛いのか...?」
カインが頭に手を乗せた時だった。
「...ははうえに会いたい...」
バレルは言った。
「寂しいよ..;」
言うなり、目から涙をポロポロと落とした。泣き顔になり、ついには声をあげて泣き始める...
「おい...バレル...」
カインは戸惑い慌てた。ついさっきまで笑っていたのに、急にどうしたのだろう...
「バレル...」
セオノアはバレルを後ろから抱きすくめた。
「リオンが恋しくなっちゃった?みんなお母様と行ってしまったから...」
バレルがべそをかきながら頷く。カインはハッとなった。
「そうよね...無理もないわ。あなたはまだ五歳なんだもの...」
セオノアも涙ぐみ、バレルに頬を寄せる...母が恋しくて泣いた幼い日...寂しく不安で、泣いてばかりいたことを思い出す。
カインは打ちのめされた。
リオーネの代わりにバレルを抱きしめ、寂しさを埋めてやらねばならなかったというのに、その気持ちを慮る事もできないとは...
「...そんなに泣いたら美男子が台無し...リオンもびっくりしちゃう。」
髪を優しく撫でながら、セオノアは優しく囁いた。
「仕方ないわ...こんな事もあろうと、リオンから預かった物があるの...」
セオノアは画材の入った鞄の中を探った。取り出した物をそっとバレルの手の上に乗せる...それは白い布に包まれていた。
「開いてごらんなさい.,.」
バレルは泣き止むと、包みを開いた。
カインもそれを見つめる...
中には、布製の馬が入っていた。真っ白な馬の縫いぐるみ...誕生日に贈られたバレルの仔馬と同じ色だ。
「リオンが縫ったのよ...お針子係に習ってね。.」
「ははうえが?」
「ええ、バレルのために。」
セオノアは頷いた。
「指は傷だらけになったけれど、バレルが寂しがらないようにって頑張っていたわ。」
バレルは縫いぐるみを撫でた。よく見れば釦が馬の目になっている...それはリオーネの服の釦で、バレルも見慣れたものだった...
「気に入った?」
「...うん。」
「大丈夫?」
「うん!」
バレルは頷いた。縫いぐるみを抱きしめ、頬ずりをして笑顔になった。
「もう一つあるぞ...」
カインが包みを指差した。
「手紙か...?」
緑色のリボンで結ばれている羊皮紙。
それをバレルは不思議な面持ちで開いた。
一眼見て、目を大きく見開く…
“がんばれ、バレたん!”
一文とともに、笑顔の“リオーネの落書き”が描かれていた。
「アーレス...本気なの?」
エミリアは言った。
「陛下に告げてしまえば、もう引き返すことはできないのよ...もっと慎重に答えを出すべきではなくて?」
王妃の立場ではなく、伯母としての言葉を投げかけるエミリアに、アーレスは深く感謝していた。
王妃といえど、国王の意向に背けば処罰は免れない。優しい伯母は、それを承知で告げているのだ...
「それ以上はお控え下さい。」
アーレスは静かに告げた。
「陛下はカインに「婚約受諾を進言せよ」と仰せになった...即ち、他の選択肢はない...という事です。」
「そうかもしれない...けれど、フォルトはまだ迷っているわ...あなたに自分と同じ思いをさせたくない...それが弟の本音なの。結婚は貴方が望む相手を見つけるまで待つつもりだと、あの子は以前から言っていた...それが貴方への償いなのだと.。」
「父上が…」
「ねえアーレス...婚約を望んでいないのなら正直におっしゃい。あなたが望めば、フォルトはマルセルに婚約の反故を談判してくれるはず…私も陛下にお願いするつもりよ。」
「伯母上…」
「貴方には幸せを掴んで欲しい…フォルトも私もそう願っているわ。」
…結婚を望む相手?
アーレスは苦笑し、静かに瞼を閉じた。
…それは絶望的だ。
「望まないわけではないのです。」
アーレスは言った。
「むしろ私は、エレネーゼ姫を受け入れたい...嫡子を得るためではなく、妻となる人を敬愛し、大切にしたいと思っています。」
「アーレス...」
「ですから、どうかお心を痛めませぬよう...これより父上にその旨を伝えます。それが私の本意です。」
アーレスは決然と告げた。
ルポワド公爵第一位、パルティアーノ家の嫡子として、メルトワの王女を迎える...それがアーレスの決意だった。
アーレスは一礼して踵を返した。
その背を見つめるエミリアは、複雑な想いで見送った。
つづく




