旅の終わりに
セレンティアの説明によればベリアムに「拐かし」の意図はなく、単なる思いつきだったらしい...とのことだった。
同じ年頃に見えたし、ふわふわした感じの少年だったため、つい油断してしまったのだと...
「...君を責めてるわじゃないよ。」
アーレスは穏やかな口調で言った。
「騒動を起こしたのはベリアムだ...どんな理由があるにせよ、いきなり君を城外に連れ出すなど許されない。彼は罰せられて然るべきだ。」
不安げに見上げるセレンティアが愛おしい...本当の誘拐でなかった事は本当に幸いだった。
…ベリアム様はどうなるのですか?
「しばらく塔の部屋に軟禁される...この事はマティウスと伯母上のご意向だ。少し反省が必要だからね。」
セレンティアは頷いたものの、その表情は浮かなかった。心優しい少女は、きっとベリアムの身を案じているのだろう...
「大丈夫だよ、セレン、ほんの数日の間だ...すぐに解放されるさ。」
アーレスの言葉に、セレンティアはようやく笑顔を浮かべた。その様子に安堵したアーレスは、セレンティアを侍女たちに託すと、ベリアムに会うため「塔」に向かって歩き出した。
「何をしたのか解っているのか!」
マティウスは声を荒げながら言った。
「あの子が誰であるかの前に、お前のしたことは明らかな誘拐...言い逃れはできないぞ!」
マティウスの怒りは頂点に達していた。公爵家の客人が訪れるからと事前に告げていたにも関わらず、出迎えををすっぽかしたうえに行方をくらませ、あげく、とんでもない事態を引き起こしたのだ。
「僕は...彼女が退屈そうに見えたから誘っただけで...それに...」
「...それに?」
「綿帽子みたいにふわふわな髪で、とても可愛いと思ったんだ。」
「可愛い...?」
マティウスは眉根を寄せた。
「それが誘拐の理由だと?」
「はい。」
「...何を言ってるんだ...お前は。」
「つまり、一緒にいたかった...それだけだよ。」
ベリアムの答えに、さしものマティウスも呆れ返るしかなかった。不道徳にも程がある...そんな道理が通るなら、世の中に法も罰も必要ないことになってしまう。
「この...痴れ者め!」
弟に詰め寄り、ブラウスの襟を掴まんと手を伸ばした時だった。背後で扉が開き、同時に足音が聞こえた。
「アーレス殿!」
マティウスは振り返り、すぐに姿勢を正した。アーレスの瑠璃色の瞳がベリアムを捉えつつ、ゆっくりと歩み寄って来る。
今の今まで座っていたベリアムだったが、アーレスの貫禄に圧倒されたのか、思わず立ち上がって腰を折った。
「久しぶりだね、ベリアム。」
アーレスは言った。
「随分と背が伸びた。声変わりはまだの様だが..」
「...はい...パルティアーノ卿...」
「再会の場所が牢の中とはね..意外だった。」
「...」
「伯母上が嘆いていたぞ...母君を泣かせるなど愚の骨頂、少し気まぐれが過ぎるのではないのか?」
「...はい」
俯き頷くベリアムを、アーレスは厳しい眼差しで見つめた。素直で無邪気だけのな少年だと言う事は理解しているが、セレンティアを危険に晒したのは事実であり、その自覚を持たせなければならない...
「幸い、通報した者が賢明であったがため、余計な疑いをかけられずに済んだ。そうでなければ、君はセレンの評判をも傷付けることになったのだぞ。」
「...評判?」
「君はもう子供ではない。説明しなくても分かるだろう?」
畳み掛ける様なアーレスの問いかけに、ベリアムは目を見開いて顔を赤らめた。
「.そんなつもり...」
「その場合、私は君を死罪に処さねばならない...セレンの養い親、後見人としてだ。」
「...死罪?」
赤かったベリアムの面が、今度は青くなった。兄のマティウスも、こんな表情の弟を見るのは初めてだった。
「理解したのなら大人しく反省することだ。ジョルジュ家は公爵家に連なる系譜。君は王族の一人なのだから。」
言葉を失い茫然としているベリアムを
しばし見つめた後、アーレスは脇に立つマティウスに視線を移した。マティウスは渋面を崩さず、口を固く結んだままだった。
「マティウス。」
「はい。」
「セレンがベリアムの身を案じている...その辺りは配慮して欲しい。」
「...勿論です。」
アーレスはベリアムに背を向け、口角を上げた。さしもの「放蕩者」も、これで少しは懲りるだろう...
…それにしても。
アーレスは思った。
この旅で判ったことは、セレンティアがもう「子供」の扱いでは済まされないという事実...
少なくとも、自分の認識は間違いなのだという戸惑いだ。
「母上の仰る通り...か。」
複雑な気持ちは母にほのめかされた時と変わらない...セレンティアが嫁ぐなど、全く考えも及ばなかった。
…ベリアムは論外にせよ、ソランは真剣に話を進めて来る。
…彼と過ごしている時、セレンも楽しそうだった...いずれ何処かへ嫁ぐなら、それが一番良いのかもしれない。」
アーレスは深く静かに溜息を吐いた。
心の淵に、“わだかまり”の様なものが引っかかっていた。
「ブルー!」
馬車を降りるなり、シャルアは大声で叫んだ。エントランスから廻廊へと向かい、ブルームの部屋に真っ直ぐ走って行く...護衛も王子を必死で追いかけねばならず、その様子にマリアナは苦笑を浮かべるのだった。
「これは妃殿下、突然のお越し、どうなされましたか?」
出迎えたフォルトがマリアナに歩み寄る...右手を差し出し、その指先にキスをした。
「いきなりの訪問はご迷惑とも思ったのですが、ネスバージから便りが来たのですぐにと思ったのです。」
「おお、ネスバージから!」
フォルトは目を見開いた。
「...では、ブルームの件で返答が?」
「ええ、お薬も届いています。いろいろ説明をしなければなりませんし、お時間を頂ければと...」
「ありがたきお言葉...心より感謝いたします!」
公爵の嬉しそうな様子に、マリアナも笑顔になった。優しくも子煩悩な父である彼が、かつて“気難しかった”とは想像すらできない...
「...さあこちらへ...ブルーは妻とともに奥庭におります故。」
「あら、それじゃあシャルアは...」
マリアナはシャルアが走って行った先を見つめた。部屋にいないと知って、きっとがっかりするに違いない。
「シャルア王子はどこに?」
「ブルーム君のお部屋に...」
「では、人を向かわせましょう。」
フォルトは控えていた小姓にその旨を伝えた。頷き踵を返して走り去る少年を見送った後、奥庭へと歩き始める。
「...まあ、妃殿下...」
奥庭で花の手入れをしていたシャリナは、マリアナの姿を目にして恐縮し、膝を折って挨拶した。
「いつおいでに...まったく気づかず、申し訳ありません。」
「気になさらないで...今日はブルーム君に会いにきたのです。どうかそのままで。」
恐縮するシャリナを制して、マリアナは穏やかな口調で言った。ブルームは地面に敷いた布の上に座り、大きな瞳でこちらを見つめている。
「こんにちはブルーム君、何の玩具で遊んでいるの?」
「んま...!」
ブルームは木製の馬に車輪のついた玩具を転がしてみせた。よほど気に入っているらしく、夢中になって遊んでいる。
「可愛いわね...ブルーム君はお馬さんが好きなのですか?」
「はい、先日主人が一緒に乗せて馬場を歩かせてみたら、すっかり気に入ってしまって...」
「まあ...」
「それ以来、何度も強請られるのですが、馬は存外気難しい生き物ゆえ、そう頻繁には....」
「確かに、心配ですわね。」
フォルトの心配をよそに、ブルームが「パカパカ...」と喋っている...まだ難語だが、しっかりと発音する様になった様だ。
「子供は動物に触れることも大切と、師が教えてくださいました。そのお話も聞いて頂けるかしら?」
「もちろんです、妃殿下!」
フォルトとシャリナが声をピタリと合わせて言ったので、マリアナは微笑みを浮かべた。
…お二人は本当に仲睦まじい。
「ブルーどこー!」
遠くで声が聞こえた。シャルアが戻って来たらしい。
その声にブルームが顔を上げた。シャルアのいる方向に視線を送る。
「...いたー」
シャルアが歩み寄ると、ブルームの菫色の瞳が輝いた。玩具から手を離し、すぐそばにある木につかまると、ゆっくりと立ち上がる...
「ブルーが立った...」
シャルアも驚いたが、マリアナも驚いた。ブルームはついに、シャルアと同じ視線になったのだ。
「つかまり立ちが出来るようになったのですね!」
「はい、二日前に。手を離すことはまだできませんが...」
「初めは居間の長椅子につかまってでしたわ。」
「まあ素敵...」
マリアナは公爵に向き直り、笑顔を浮かべた。
「おめでとうございます。さぞお喜びのことでしょう。」
「痛み入ります、妃殿下..,」
そんな大人たちの会話をよそに、シャルアがブルームの頭を撫でていた。ブルームも嬉しそうに笑顔を浮かべており、ほのぼのとした空気に包まれる...
「ブルーム君の夜のお熱は相変わらずなのでしょうか?」
マリアナは尋ねた。
「ええ..二日に一度は...」
シャリナの答えに、マリアナは頷きつつ、はしゃいでいるシャルアに向かって告げた。
「シャルア...お母様は公爵様達とお話しをするから、その間、ブルーム君と遊んであげてね。」
「うん!」
シャルアは嬉しそうに応え、控えている侍女達に向かって命じた。
「もっとおもちゃもってきて!」
フォルトとシャリナを前に、マリアナはファムドの見解と助言について丁寧な説明を行った。
必要な栄養分、毎日の習慣や生活、そして何より体を動かすことが大切であると言うことを...
「ブルーム君は生まれつき体が小さくて体力がないため、昼間の疲れが夜になって表れてしまうのではないかというのです。滋養の高い食事を摂り、適度な遊びや運動を心掛けて、少しずつ体力を上げていけば、夜の発熱はいずれ治っていくだろうとファムド先生は仰っています。」
「滋養の高い食事とは...どのような?」
シャリナが尋ねた。
「それについては先生が幾つか例をあげて下さっています。ブルーム君はまだ一歳ですし、食べられるものに限りがありますから。今すぐ始めるとすれば、このお薬を就寝前に飲ませてあげるのが良いと思います。」
マリアナはファムドがくれた青い巾着袋と手紙を公爵に差し出した。彼はその手紙を読み、袋の口を開けて中身を確認すると頷いて見せる...
「良い香りがしますな...」
「ええ、味を確認しましたが、甘くて口当たりも良いです。処方の方法は、説明書に書いてあります。」
「承知しました。さっそく今夜から与えることにいたしましょう。」
「お毒見は?」
「滅相もない...妃殿下を疑う余地などあろう筈もございません。」
フォルトの答えに、マリアナも口角を上げた。
「師もきっと、誉れに思うでしょう。」
脇で遊ぶ幼な子の笑い声が聞こえる...シャルアが「型ハメ」をしているらしく、ブルームに教えているところだった。
「丸はこっち...」
「まうっ」
「星はここ」
「ちちー」
ブルームの難語が可笑しいのか、シャルアはずっと笑いっぱなしだった。シャルアが笑うのでブルームもつられて笑っていて、見守る侍女や従者も皆、口もとを綻ばせ、何とも和やかな雰囲気なのだった。
「遊び...というと、やはり子供同士が良いのでしょうね...」
シャリナが目を細めながら言った。
「リオーネとカインはいつも一緒に遊んでいたわ...それはもう夢中で、お城の中を走り回っていた...そのせいか、体はとても丈夫なの。」
「そうですね...シャルアも身近に子どもがいないので、その点は考慮しなければと考えています。」
…父親になっても「子供」の様な王太子はいるがな。
フォルトは心の中で思った。
マリアナの血が濃いのか、シャルアは賢く穏やかな性格のようだ。ブルームも嬉しそうではあるし、お互い良い友となれるに違いない。
「動物と触れ合うのも良いそうですよ...私もシャルアのために猫を飼ってあげたいのですが、リュシアンの扱いが雑過ぎて...悲惨な事になりそうで...」
「まあ.,,」
シャリナは眉根を寄せた。
「リュシアン殿下にも困ったものですわね...」
二人の困惑にフォルトも深く同意した。王太子の横暴っぷりは半端ではない。動物が可哀想だ...
「猫ちゃんが良いかしら..,それともワンちゃん?」
相談し合あうマリアナとシャリナをよそに、フォルトは静かに席を立った。家令に向かって手招きをし、命令を伝える...耳打ちに応じた彼が目を丸くするも、フォルトは不敵に笑った。
「...手配を急げ。」
ベリアムが塔の上の「牢」から3日振りに放免された日、アーレスとセレンティアは帰路に着くことになった。
事件以来、セレンティアはずっとベリアムの身を案じており、そのタイミングまでは滞在しようとアーレスは決めていたのだ。
「弟が是非、謝罪したいと...」
マティウスの申し出に、アーレスは快くそれを受け入れた。もう十分な罰を受けたし、このまま会えず終いでは、セレンティアも後味が悪いに違いないと思ったからだ。
早朝に塔の軟禁部屋から解放されたベリアムは、小広間で待機していたセレンティアと再会した。
セレンティアはすでに旅支度を終えていて、撫子色の服を身に着けている。傍ににはアーレスが立っており、こちらに視線を向けていた。
「やあ、セレン...」
歩み寄りつつ、ベリアムが言った。
「もう行ってしまうんだね..,」
彼がさぞ憔悴しているだろうと想像していたのに、麗しい笑顔を浮かべるのを見て意外だと思った。改めて見ても、本当にベリアムは美しい少年だ...
…安心しました。
セレンティアは手振りで伝えた。
…とてもお元気そうですね。
「...うん、牢の中で、ずっと曲を考えていた...他にすることが無いから、かえって集中出来たよ。」
...曲?
「...そ。“綿毛頭のセレン” ていう歌さ...」
…えっ?
「今すぐ聴かせてあげたいけど、竪琴を取り上げられて、しばらく演奏禁止なんだ..;騎士修行を真面目にやってから、返して貰うことになってる。」
…そうですか。
「怖い思いをさせてごめんね...僕はこういう性格だから、いつもマティウス兄さんに怒られてばかりなんだ...」
…ベリアム様
「時期を置いて、シュベール城に遊びに行くよ。“綿毛頭のセレン”を披露しに...」
…楽しみにしています。
二人は互いに笑顔になった。
不思議な出会いになったものの、セレンティアはベリアムが意外にも好きだった。
帰路...
馬車に揺られながら、セレンティアはホッと胸を撫で下ろした。
…いろいろあったけど、これで旅は終わり...とても楽しかった。
「土産も手に入ったし、情報もたくさん得ることができた。胸を張ってシュベール城に帰ろう。」
アーレスの言葉に、セレンティアは深く頷いて見せた。
…はい!
つづく




