吉賀の宮
義心は、心持ち重い顔つきの鵬と共に、涼弥の宮を後にして、吉賀の宮へと飛んだ。
いろいろ聞きたいことはあったが、予想もつくので義心は鵬に何も聞かなかった。
どうせ、王へのご報告の際には聞くことになるのだ。
そうして、吉賀の宮へと到着した二人は、吉賀と皇子の那都、そして王妃の那海に出迎えを受けた。
これまでの宮で、王妃が出て来ていたのは、ここだけだった。
上空から見た吉賀の宮は、前とは比べ物にならないほど大きく増設されていて、義心もこの外宮に入るのは初めてだった。
吉賀が、進み出て言った。
「よう来られた、義心、鵬。此度は各宮の困りごとを聞いて回っておるのだとか?」
鵬は、頷いた。
「はい。他の宮からお聞きでありましょうが、何かございましたら些細なことでも聞いて参るようにとの命でございます。どうぞなんなりと、お話くだされば。」
吉賀は、頷いて脇の那海を見た。
「先に我の王妃と皇子を紹介しよう。那海ぞ。そして、那都。皇女はあいにく、今は休んでおって。」
まだ100になろうかと歳なので、昼寝をしているのだろう。
鵬は、微笑んで首を振った。
「皆様でお出迎えくださり、ありがとうございます。皇女様には、我らがこのような時間に参ってしまい、騒がしくして申し訳なく思う次第です。」
那海が、扇を上げて目だけでこちらを見て、微笑んだ。
「良いのですよ。我らの宮にまでお気に掛けてくださる龍王様には、感謝しかありませぬ。茶を準備させましたので、どうぞごゆるりとお過ごしくださいまして。」
鵬と義心は、驚いた。
那海の動きは、正に最上位の宮の王妃と同じなのだ。
お辞儀の仕方から文言まで、維月に逐一教わって覚えていたのは知っているが、今では自然に身についていて、完璧な貴婦人だ。
自然、後ろに控える侍女達も龍の宮の侍女かというほど、見慣れた品のある様で、まさか下位の宮でこんなものが見られるとは思わずに来た、二人は驚くよりなかったのだ。
それに、茶を淹れて待っているという宮も、ここしかなかった。
他は王と立ち話してから、皇子と重臣と話して終わりだったからだ。
義心と鵬は、顔を見合わせた。
そして、鵬が言った。
「…では、お言葉に甘えまして。」
吉賀が、おっとりと微笑んで足を宮の中へと向けた。
「では、こちらへ。月の宮から、ちょうど珍しい茶を戴いたところでの。主らは運が良い。」
未だに月の宮とは、当然といえば当然だが交流が盛んなようだ。
二人は、吉賀と那海、そして那都の背を追って、内宮の応接間へと通されて行った。
新しい宮は、月の宮に似た造りで、つまりは龍の宮とよく似た造りだった。
それを小さくして作ったと言われたそうなのだろうと思われる。
恐らくは、那海が知っている建物を指示して建てられたのだろうと考えられた。
侍女達は、こちらをチラと見ることもなく、通りすがる時には頭を下げて視線を向けない。
そして、脇へ入って騒ぐこともなく、正に完璧な様だった。
そうやって、宮の中を観察しながら茶席へと着くと、また丁寧に淹れられた茶が目の前へと置かれた。
「この茶の香りは良くての。」吉賀は、カップを手にした。「人世から来たのだと。ええっと、コーヒーとか申すのだそうだ。」
那海が、フフと微笑んで言った。
「聞いたところでは、砂糖や牛の乳など入れて飲むものだそうですが、我らはこのままで。もしよろしければ、お試しになって。」
砂糖と、容器に入った乳が並んで置いてある。
義心は、元よりコーヒーは知っていたので、言った。
「は。我も月の宮へ参りました時、戴いたことがございます。我はこのままで。」
鵬は、頷いた。
「我も王妃様から戴いたことが。」と、砂糖を入れた。「我はこれで。」
吉賀は、コーヒーを口に含み、飲み込んでから、言った。
「…それで、此度は宮が苦しいのなら言えば良いという、そのようなことであろうか?」
鵬はコーヒーを口にしたところだったので、義心が答えた。
「は。これまで詳しくこちらを含めた下位の宮々のことを見て来なかったからと、お困りならば知恵を与えるなり、助けが必要なところを探して参れと。こちらは大変に潤っておられるようで、問題ないかと思われますが。」
吉賀は、那海を見た。
那海は、頷いて懐に挿してあった、巻物を引っ張り出した。
「これを。恐らく、お知りになりたいことがこちらにあるかと。昨夜、我が王と話し合って、書き記したものでございます。」
言われて、鵬がその巻物を受け取った。
そして、中を確認すると、何とそこには宮の見取り図から始まって、作業場の規模、職人の数、臣下の数、軍神の数、それに掛かる物資の量まで、普通なら隠したいような内容が、詳しく書かれてあったのだ。
「これは…、」
鵬が絶句していると、吉賀が言った。
「恐らく、龍王殿はそれを気にしておられるのかと思うて。我ら、百年前から倹約して月の宮から紹介された宮へと職人を送って学ばせたり、こちらで学ばせたりと繰り返して、職人を増やした。最初はいろいろ大変ではあったが、倹約生活には慣れておるゆえ、問題なく過ごせたのだ。そうして、50年もすれば職人が皆、宮へと戻って参って一気に楽になった。月の宮からの支援も、今はもう必要がないので止めて頂いたほどぞ。なので、ご心配頂く必要はないのだ。」
鵬と義心は顔を見合わせたが、義心は頷いた。
「誠にそのようかと。我ら、長らくいろいろな宮を見て参りましたので、宮を見て臣下の動きを見ただけで、大体のこちらの状況は想像できるのですが、これは確かにその通りであろうと思われるものです。作業場の大きさや、作業の音など、そんなものでも予測はつくのです。吉賀様は、何も困られておらぬのだとうと、我らこちらへ歩いて来る間に、分かっておりました次第です。が…我らが案じておるのは、それ以外のことでございます。」
吉賀は、眉を上げた。
「と、申すと?」
義心は、続けた。
「はい。我が王は、吉賀様の宮がこのようにご立派になられたことを、妬むような者が居らぬかと、そちらを案じておられます。神世に住んでおるからには、いろいろな柵がございましょう。そちらでお困りのことは無いかと、問うておられるのです。」
それには、那海が心配そうに吉賀をチラと見た。
吉賀は、視線を落としたが、また視線を上げて、言った。
「…確かに、我ら突然に152位から一位に上り詰めたので、気を悪くしているような空気を感じることはある。だが、これまで仲良うやって来た隣神であるあれらと、これからも助け合ってやって行きたいと思うておるのだ。炎嘉殿にも、案じて頂いておったが…これは、我らが己で何とかすることであるから。外から何とかできることではないと思うておる。」
確かに、その通りかもしれない。
隣神関係は、当神同士でしかどうにもできないものなのかもしれないからだ。
義心は、頷いた。
「それでしたら、そのように申し上げておきます。ですが、どうにもならぬと思われることがあれば、我が王がお手をお貸しするでしょう。もし、敷居が高いと思われるのなら、蒼様に申し上げてもよろしいのではないかと思います。我にはこれしか申せませぬが…神世には、未だに権力というものに、固執する者も多うございますので。」
武力行使が、あるかもしれないと考えているというのか。
吉賀は、首を振った。
「それは無い。これまで、曲りなりにも友としてやって来た宮々なのだ。気にかけて頂けて、感謝すると伝えてほしい。」
鵬と義心は頷いて、巻物を返そうとした。
だが、吉賀は首を振った。
「いや、これは維心殿に。我が宮の現状を、隠すことも無いので見て頂きたいと申し上げてくれ。」
義心と鵬はまた驚いたが、頷いて、それを懐へと入れた。
そうして、そのまま二人は、龍の宮へと帰路についた。