涼弥の宮
次に訪れたのは、第二位の涼弥の宮だ。
こちらは未だに126位の時と同じ規模のままで、パッと見ただけでも職人が少ないのが分かる。
というのも、職人達は朝己の家から宮の外宮に設置されている作業場へと出勤し、そしてまた作業を終えたら家へと帰るのが普通だ。
この大きさということは、職人の作業場がかなり小さいということだからだ。
それでも、出迎えてくれた涼弥と皇子の涼、そして臣下達の数はそこそこ居る。
なので塔矢の宮のように、自立している様子もなかった。
鵬が、言った。
「我が王維心様の命により、皆様がお困りの事など細かくお聞きするために参りました。」
涼弥が、頷いた。
「よう来られた。何か見たい物があれば遠慮なく申して欲しい。」
義心が、言った。
「我らはお困りの事をお聞きしたいと参りました。涼弥様におかれましては、何か我らにございましたら先にお話をお聞き致しますが。」
涼弥は、これでもかと大きな気の義心に、自然緊張気味な顔で答えた。
「いや…我からは何も。妃の夏柰の父が高峰殿なので、常、聞いて頂いておるのだ。」
鵬は、頷いた。
「では、臣下レベルでのお話ということで。」と、脇の筆頭重臣に向き直った。「我とは面識があるの、朱理殿。何なりと相談してくれれば。」
朱理と呼ばれた重臣は、顔を上げた。
「はい、鵬殿。では、こちらへ。」
二人が去って行くのを見ながら、義心は言った。
「…では、我は軍にでも。涼様、もし我でよろしければご指南などさせて頂きますが。実は迅様にも、軽くお付き合い頂いて参りました。」
涼は、パッと顔を明るくした。
「おお、主が?良いのか。」
義心は、微笑んで頷いた。
「は。長月の立ち合いでは、皆様お力が入っておられるようですので。僅かばかりお手伝いを。」
涼弥は、嬉しげに涼を見た。
「良かったの、義心に見てもらえるとは幸運な。行って参るが良い。」
涼は、頷いて頭を下げた。
「は、父上。御前失礼致します。」
涼は、まるで跳ねるような足取りで足を訓練場の方へと向けた。
「さあ、こちらぞ。」
義心は頷いて、涼について宮の中を歩いて行った。
なるほどここの侍女は、躾られている。
義心は、思った。
隠れて見ることもなく、こちらを気にしているようだったが、うるさくはしゃぐ様子もなく、きちんと裏へと入ってから、何やら小声で話している。
龍の宮ではそんなことは無礼なのでないが、それでも陸の宮と比べたら格段にマシだった。
宮全体の雰囲気も落ち着いていて、掃除も行き届いており、余計な装飾はない。
下品な様など一切なく、品良くまとめられていた。
つまりは、王妃がそうしているからなのだろう。
高峰は趣味が良い事で有名なので、その娘である夏柰の、品の良さが垣間見える様子だ。
…しかし外宮なのに、機を織る音もそう聴こえて来ない。
つまりは、職人の数が相当に少ないと思われた。
龍の宮では作業場がかなり大きいし、半端ない数の職人が並んで布を織っているので、音がうるさく遮断するために膜を張っている。
そんな様子もここにはないのだ。
…これは自立には程遠い。
義心は、ここから盛り返すのは指南の業だと思った。
恐らく会合での発言で、かなり焦っているのだろうが、焦ってどうにかできるレベルではなかった。
鵬も、恐らく対策を求められても答えに困る事だろう。
義心は思いながら、訓練場へと入ったのだった。
鵬は、義心が思った通り困っていた。
朱理は、あちこち宮の中を案内して回ってから、自分の執務室へと鵬を連れて来たのだ。
鵬としたら、この宮の現状は嫌になるほど分かっていた。
今頃は、義心も宮を歩いただけでここの置かれた状況を気取っている頃だろう。
朱理は、ここへ入ってすぐに鵬に茶を勧めながら、恐らく一番言いたかっただろうことを、言った。
「鵬殿、今見て頂いてもお分かりでありましょう。こちらの宮は、高峰様からの支援で成り立っております。」
鵬は、頷いた。
高峰からの支援が無ければ、恐らくこの宮は数年で倒れる。
それも、支援の品からの蓄財が少しあるので数年持つだろうというだけで、それが無ければひと月で終わりだろう。
それでも、同じ着物ばかりでも命を落とす事は無いが、宮としての対面を保つことができない。
臣下達も、自分達のことで精一杯になるだろうから、もはや宮へと上がることもなくなると思われた。
なので、物資が滞るという事は、そのまま宮が無くなるという事に直結するのだ。
「…職人数が、この規模の宮にしたら確かに少ないようでありますな。あれらが生み出すものだけでは、この宮は維持することは叶いますまい。」
朱理は、深い息をついて、頷いた。
「その通りです。なので、我が宮の皇女であられる、涼夏様にどちらかへ嫁いで頂いて、次の糧とさせて頂こうと思うておりました。幸い、涼夏様は愛らしいご容姿でありますし、只今は高峰様の宮へと行儀見習いに参られております。恐らく、どこか上位の宮へと入って頂けるのではと、我らは安堵しておったのです。それが…。」
今回の、会合であるな。
鵬は、思った。
最上位の王達は、もはや自立できない宮を支援するのを、やめようと考え始めている。
今や軍神達まで不甲斐ない下位の宮を、経済的にも対外的にも守る役目を上位の宮が負うというのなら、臣に下れという事なのだ。
それでも、戦国が終わって二千年近く、よく上位の宮々は下位の宮を世話して来たと思う。
最初は軍神達も優秀で、何かの折には戦力にしようと世話をしていたようだったが、いつしかそれが当然になり、今では世話をしているだけで、何の役にも立たないと考えているのだ。
鵬も、分かっていたが、それを面と向かって自分の立場で朱理には言えなかった。
「…我が王は、昨今の状況を鑑みて、婚姻をそのような形で行うことを案じておられまする。ご存知の通り、我が王の王妃であられる陰の月の維月様は、大変に女神の心持を大切に考えられるかたで。我が王は、王妃様をただ一人とそれは大切になさっておいでですので、やはり他の王達にも、望む縁で同じように心から幸福に、己の妃を大切に生きてもらいたいとお考えです。複数の妃でも、全てを大切にという風潮が流れておる今、政略で婚姻してそれが叶えられるのかということなのです。これまで、臣下が決めて来た王族の婚姻ではありますが、それによって皆様が幸福であられたかと言われたら、確かに否と申すよりありませぬ。我は、なので王がそのようにお考えなのも、理解できるのでございます。宮が自立しておれば、皇女も王も、望んだ相手と婚姻できるのではないでしょうか。王の幸福が臣下の幸福に繋がっておるのは、我も只今実感しておる次第です。」
維心は、維月を娶る前は非情の王として通っていたが、今ではそこそこ物を分かって聞いてくれる王、と皆の間では思われている。
怒ればそれは怖いのは昔から変わらないが、そんなわけで臣下も過ごしやすくなったのだ。
休日が増えたのも、妃の実家である月の宮の影響だった。
やはり、臣下が幸福になりたければ、王にも幸福になってもらわねばならないのだ。
朱理が、ため息をついて頷いた。
「誠に。分かってはおりますが、我が宮では急には自立と簡単には参りませぬ。職人を育てるのが難しく、それに予算を割いてしまうと、かなりの倹約をしなければならず、どこまでできるものか。王は吉賀様にお伺いに参られるということですが、あちらには月の眷族がご降嫁されており、我らに同じことができるかと言われると…。」
鵬は、首を振った。
「覚悟というものが必要なのでございます。」朱理は、鵬の強い声音に、目を見開いた。「どうあっても自立するのだという、強い信念が。それが無ければ、宮は生き残ることが叶わぬと思うたら、皆質素倹約を旨と励むでしょう。我には、それしか申せませぬ。これまでいろいろな宮を見て参って、自立している宮は皆、王を頂点に励んだ結果自立を成し遂げておられました。朱理殿にも、この宮の未来をお考えになるのなら、王にご進言を。我が王が、この先どのようにお考えなのか我には分かりませぬが、自立の道を歩まれるのなら、早い方がよろしいでしょう。」
朱理は、頷いたが浮かない顔だ。
恐らく、宮を挙げての質素倹約という事に、まだ踏ん切りがつかないのだろう。
確かに、全てにおいて節約して生活するのが、どれほどに大変なのか、鵬には見当もつかない。
鵬自身、最強の王が守る結界の中で、充分な報酬を下賜され、日常の業務に必要な物が足りないなどということを経験したこともない。
恵まれて自身の環境を思いながら、鵬はそれ以上何も言えずに朱理との会話を終えたのだった。