鳥の宮へ
炎嘉は、会合の前に自分の担当している下位の宮々の願い出は、聞いておくことにしていた。
そして、予めどうするのか決めてから、会合に臨む方が、時を取らずに済むからだ。
維心などはその場で聞いてさっさと決めてしまうが、炎嘉はそれらの内情をしっかりと聞いてその裏の裏を見て考えるので、先に聞いておかねばそれらの心情を慮ってやれないと考える。
なので、毎回下位の宮300の上位の宮から王を呼んで、何があるのかわざわざ聞いているのだ。
とはいえ、その300の最上位を呼ぶのが手っ取り早いので、毎回下位の宮の中で、今にも上から三番目に上がりそうな格の宮の王を呼ぶのが恒例だった。
というのも、下位の王達も、自分達の陳情を自分より格の低い宮に報告するのも誇りが許さないだろうというので、下位の中の第一位の宮を呼ぶことにしていた。
それが、ここ最近では吉賀の宮になっている。
吉賀は、那海という月の宮に降り立った月の眷族の女を妻に持っており、当然と言えば当然なのだが、そのお蔭で子の那都は吉賀より大きな気を持つ跡取りだ。
その上、品のある動きが宮全体に浸透しており、今では臣下達も書も美しく、品も良いというので、宮の品位が他とは群を抜いて良かった。
それも、王妃の那海が龍王妃である維月と同族で、龍の宮へと上がってその、礼儀作法を維月から、手取り足取り教わって来たのが理由だった。
それを、那海は惜しげもなく侍女侍従、臣下達全てに教えて教育し、我が子二人もそうやって育てた。
そんなわけで、吉賀の宮は、那海を娶ってたった数年で、一気に序列第一位に上り詰めたのだ。
もちろん、品位だけでは宮の格など上がらない。
跡取りである那都の気が他の宮々の皇子達より大きいこと、そして、月の宮や龍の宮からの支援で、宮が大きくなり抱える職人の数が増えて生産量が上がり、段々に支援を受けなくても良いようになって来ていたのだ。
そんなわけで、最近炎嘉に報告にやって来るのは、吉賀となっていた。
「王、吉賀様がお越しになりました。」
炎嘉の筆頭重臣の開が、そう言って居間へと入って来た。
炎嘉は、頷いた。
「通せ。」
開は頭を下げて、もう扉の前で待っていた吉賀に頭を下げた。
吉賀は、開いた扉を抜けて入って来て、会釈した。
「炎嘉殿。定例の陳情書をお持ち致しました。」
炎嘉は、微笑んで頷いた。
「ああ、ご苦労であるな、座るが良い。」
吉賀は、おずおずと炎嘉の目の前の椅子へと座る。
炎嘉は、苦笑した。
「どうした?もう何度も来ておるのに。」
吉賀は、戸惑いながら言った。
「いえ…常は、応接間であるので。居間へとお通し頂けるとは思っておりませんでした。」
確かに、炎嘉は常は事務的な対応は応接間か謁見の間で行うことが多かった。
だが、吉賀とは何度もこうして会っているし、そろそろ居間でもいいかと思ったのだ。
「主はもう、下位の宮の中でも最上位と位置付けされて長くなる。不動の地位であろうと思うたから、もう良いだろうと思うたのだ。最近では、職人の数が増えておって宮が潤っておるそうではないか。そろそろ三番目の椅子かと、我らの間でも言うておるのよ。」
吉賀は、慌てて首を振った。
「そのような。我が宮は、まだそのような段階ではありませぬ。やっと己の宮を己で回せるようになったぐらいで。それならば、長年我らの中で最上位であった、陸の宮を先に上げるべきなのではないかと思う次第です。」
陸は、吉賀が那海を娶る前まで、数百年の間最上位に居た宮の今の王だ。
吉賀と同じぐらいの歳で、迅という那都と同じ年頃の皇子が居り、宮は少し離れているものの、お互いに面識はあった。
何しろ、回りの宮の斉や佐久、清と仲が良い吉賀なので、その清と向こう隣りで交流がある陸の事は、知らない仲ではないのだ。
それが、吉賀の宮の序列が公然と上がってしまったことで、この頃清とも少し、ギクシャクとしてしまっているらしく、その理由が陸に嫁いだ妹の佳織の対面を考えてのことらしいと、炎嘉も聞いているのだ。
つまり、陸の宮では、吉賀の事を良くは思っていないのだろう。
吉賀にしたら、宮が回ったらそれで良かった縁であったのに、思いもかけず色々な事が一気に変化してしまい、戸惑っている方だっただろう。
炎嘉は、うーんと顔をしかめた。
「…そうであるなあ。とはいえ、序列上から三番目の高峰の娘を娶った涼弥だって、今は主に次いで下位の宮の第二位であろう?確かに陸はそこそこの気を持っておって、宮も己で回しておるが、皇子の迅は主の所の那都や、涼弥の所の涼に敵わぬ気ではないか。上位の宮の血が混じることで、主らの子達に影響が出るのは仕方のない事ぞ。我ら最上位の宮とは違い、下位の宮の序列は常、移動する。主らだって、この先はどうなるか分からない。佐那の嫁ぎ先次第では、そこでまた気が大きな子が生まれる可能性もあるしの。ゆえ、堂々としておれば良いのだ。そもそも、己で宮を回せるのは、今のところ主の所と陸のところぐらいで、他は軒並み上位の世話になっておろう。涼弥も、妃の夏奈が死ねば皇女の涼夏が良い所に嫁いでおらねば、高峰からの支援が途絶えて途端に路頭に迷う事になるのだぞ。とにかくは、主の今やることは、宮の恒久の安定と、品位の維持ぞ。それが出来そうな様子であったし、那都がかなり賢しいので上から三番目に上げて良いかという話が出ておるのだ。そもそも、第二位の涼弥にも、第三位の陸にもその話は出ておらぬ。陸の宮など、長年下位の宮の最上位であったのに、話題にすら出ておらなんだ。その意味を、よう考えるが良い。下位の宮に、気を遣う必要などないのだぞ。」
吉賀は、しかし気が進まないのか視線を下に向けた。
元々、回りとうまくやって来た宮なので、そんな争いの只中に放り込まれるとは思ってもいなかったのだろう。
…いろいろ、下位の中でも諍いがあるようよ。
炎嘉は、そう思いながら吉賀が持って来た、報告書へと視線を落とした。
那都は、鳥の宮に到着してすぐ、少し歳上の炎託に会った。
炎託は、炎嘉の皇子である炎月の皇子で、炎嘉の直系の孫にあたる。頻繁に宮の書庫に来る那都と出会ってから仲が良く、勉学もそうだが、立ち合いも一緒にこなして、楽し気にしていた。
なので、今回も那都が来ると聞いて、到着口で待ち構えていたのだ。
なので、父に許可をもらって炎託と共に、訓練場に来ていた。
炎託は、見た目も華やかだが、ある意味炎月よりも炎嘉に似た太刀筋で、華やかに美しく、立ち合いをしているのについ見とれてしまうほどだ。
それでも、見とれてばかりではない。
那都は、最近では炎託にもぴったりついて行けるようになっていた。
何試合かしてから、二人で冷たい茶で喉を潤している時に、炎託は言った。
「主は誠に優秀であるわ。今の我相手にそこまでついて来られる皇子は、上位の皇子達でもなかなか居らぬのだぞ。」
那都は、ため息をついた。
「それでも、勝てると言うて三本に一本ぐらいではありませぬか。これでも宮では毎日精進しておるのに、軍神達では全く相手にならぬから…歯がゆいことぞ。」
炎託は、ハッハと笑った。
「主は強欲よのう。これほどに手練れになって来ておるというのに。そういえば、秋に皇子だけの立ち合いがあると聞いておるが、主も出てみてはどうか?年齢制限はないし、予選で勝ち残らねば本戦には出られぬのだが、主なら本戦に来そうぞ。」
那都は、え、と顔を上げた。
「誠に?父上はまだ早いと昨年は出してもらえずで。今年も…下手に刺激をしてはとか申されて…。」
声は、尻切れトンボになった。
炎託は、それを聞いてもしかしたら序列争いのことだろうか、と気取っていた。
炎嘉からは、いろいろな話を聞く。
将来王座に就いた時に、困らぬように今からいろいろ情勢を見ておくのだと言われていて、上位の宮とは違って、下位の宮々の中では毎回序列が変動するのだと聞かされていた。
そして、那都の父王である吉賀の宮は、百年ほど前から序列一位になったのだという。
それは、月の宮から月の眷族が嫁いで来たことで優秀な那都が生まれ、その王妃の教育で宮は見違えるようになり、最上位の宮からの支援で潤って多くの職人を宮へと召し上げて育てた結果、今では自力で宮を回せるまでに成長したせいであるらしかった。
まさに、妃に恵まれたお蔭でのし上がった宮だと言われ、それまで暫定一位を維持していた陸の宮は陥落してしまった。
その上、高峰の宮から妃を迎えていた涼弥の宮にまで追い抜かれてしまい、今では陸の宮は三位に甘んじている。
つくづく、迎えた妃の宮の力だと言われて陰口を叩かれても、おかしくはない状況だった。
「…父王のお気持ちもあろうし、無理はならぬ。主は今も言うたように、我でも時々一本取られるほどの腕前ぞ。我は最上位の宮の皇子なのだぞ?ゆえ、主が勝ち上がって良い順位にでもなったら、また回りの宮から何を言われるのかと考えておるのやもしれぬ。主らの間の事は我にもよう分からぬが、それならば周辺の宮との関係のためにも、父王が言う通りにした方が良い。もし出ても良いと申すなら、出て参ったら良いではないか。待っておるから。」
那都は、頷いて炎託を見た。
「はい、炎託殿。」
「那都。」
脇から声がして、那都は振り返った。
するとそこには、父の吉賀と、炎嘉が立ってこちらを見ていた。
「父上!」
那都は、急いで二人の前へと言って、先に炎嘉に頭を下げた。
「炎嘉殿。炎託殿にお世話になっておりました。」
炎嘉は、笑って頷いた。
「良い、主はようやるのだと炎託が言うておったわ。とはいえ、皇子の立ち合いの会には出ておらぬよな。今年はどうよ?」
今、その話をしていた折も折だ。
那都が詰まると、吉賀が横から言った。
「炎嘉殿、その、今は余計に刺激をしてはと考えており申して。那都は、炎託殿にご指南を受けて、最近では我でも敵わぬ腕前で。そこそこの順位になるのではと…。」
炎嘉は、ふむ、と顎に触れた。
あまりにできた皇子なので、今の状況で吉賀が出し渋るのも分かる。
だが本来、あの立ち合いで頭角を現せば、それで次の王は優秀だと上位の宮にも認められ、序列の変動にも関わって来ることもある、重要な催しなのだ。
そこで他の宮の皇子が目立って、本当に優秀な者が埋もれてしまって良いのだろうか。
炎嘉は思ったが、しかし下位の宮々にも付き合いがある。
ここは強く言わずでおこうと、炎嘉は頷いた。
「それは主が決めることであるから。我も強くは言わぬ。だが、ここぞという状況になったら出すべきぞ。まず己の宮の存続が一番の重要課題であって、他の宮との関係は次の話であるからな。」
吉賀は、頷いた。
「は…。」
そうして、吉賀は那都を連れて、鳥の宮を飛び立って行った。
炎嘉は、少し維心にも話しておいた方がいいな、とそれを見送りながら思っていた。