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サイドA/B


 深田は知らず心拍数が上がっていた。

 なにせ、くそマジメで口うるさいとはいえ、真波は容貌に関しては天性の美しさがある。

 そんな彼女と至近距離で見つめ合い、あまつさえハグに移行するというのはサラっとできることではない。

 長いまつげの奥で揺れる真波の瞳は、まばたきせずにこちらを射抜いていた。


(……あ、なんかいい匂いする)


 化粧も香水も校則遵守の面から縁遠い真波である。つまり柔軟剤かトリートメントの残り香だろうか。

 甘い匂いに引き寄せられ、深田は最後の半歩を詰めた。


「じゃ、失礼します」

「はい、どうぞ深田さん」


 ぎゅう、っと。

 彼が腕を回すより若干早く、真波に抱きしめられる。

 高鳴る鼓動が伝わってしまって「興奮しているのですか……?」と蔑んだ目で見られる可能性が脳裏をよぎった。

 が、幸いにも身長差があったため、真波が胸に耳を押し付けてこない限りその点は問題なさそうだ。

 というか。


(それ以外の点に問題がありすぎるっていうか……)


 ぐいぐいと腹部に押し付けられている大層ご立派なもののせいで、だいぶ理性が危うい。

 薄着になったことで密着感がすごかった。

 澄ました顔のわりに体温高めらしい真波は、ぎゅうぎゅうと柔らかな圧迫で深田の胴を攻めてくる。

 柔らかくてこぼれそうで温かくてあふれそうで。こんな感触は生まれて初めてだ。

 深田は顔が火照ってきた。


「ちゃ、ちゃんと数えておりますか」

「へぁ? えっと、いま十秒くらい……?」

「ではあと二十秒」


 あと二十秒しかないのか、という気持ちと、あと二十秒も耐えるの無理じゃないか、という気持ちが深田の中で複雑に混ざり合った。

 けれど先に弱音をあげるなんてことはこっちから切り出した手前、できない。

 心頭滅却して心の中でお経を唱えつつ、努めて平静を装う。

 そんな彼に対して、正面にいる彼女はというと。


(へ、平然としていやがる。顔色ひとつ変えないよこいつ)


 真波はすまし顔で、じーっと正面にある深田の胸板を見つめていた。

 時折ぽん、ぽん、と背中を軽く手でさすってくる。

 余裕そのものだった。

 多少はたじろぐだろうと思っていたのに。

 というか深田はたじたじだというのに。


(今回もまた、真波が一枚上手だったというのか……!)


 深田は愕然とした。

 ……そうこうしているうちに、壁の時計では長針がぐるり一周している。

 あわてて深田は真波の肩をつかんで引きはがし、色々と苦い気持ちを表した顔で「時間だ」とぼやいた。


「時間、ですか。それでは、お仕事に戻って頂けますね」


 言うが早いか真波はそそくさとブレザーを着込んでいる。……なんだかちょっと事後感あるな、とやらしいことを考えてしまう深田だった。

 ぱしぱしと、自分で頬を叩いて気持ちを切り替えてから彼女へ向き直る。


「あ、ああ。約束は、約束だからな」

「なんだか含みのある物言いですね。ストレスは、解消されなかったのでしょうか」


 ストレスは元々ないのだが、半端に劣情を煽られたのでフラストレーションが溜まった。

 などと口にできるはずもなく、深田はウンウンうなってごまかした。

 これを聞いた真波は冷めた顔で、ふ、と息を吐き、先ほどばらけた資料の束をまたまとめ直した。


「……ま、いいです。ではわたしは、今日は外します」

「え、サボり? 俺にこれだけ言っといてサボり?」

「なにを仰るのですか……自分のぶんの仕事はすでに終えているだけのことです。あとは深田さんに割り当てられた業務だけですので、書類終わったら職員室にお願い致しますね」


 それでは。

 と言い残して真波は部屋からそそくさと出ていった。

 残された深田は彼女の足音が部屋からだいぶ離れたのを確認してから、ふーと息を吐き社長椅子に座り込む。


「結構イイところまで優位を保てたと思ったのにな……惜しかった」


 いつか真波に後輩のなんたるか、目上を立てることのなんたるかを教え込んでやりてぇ――と決意新たにしながら、仕方ないので深田は書類に目を通しはじめた。

 そのまま十五分ほど経過したところで、部室の扉が開く。


「こーんにーっちわー。僕が来てあげましたよー……ってなに、深さんしかいないの?」


 ハスキー気味の高い声で入ってきたのは、真波よりは少し上背のある少年。

 猫っ毛の頭髪をゆるく遊ばせた風貌で、頭の上には手元を見る用の眼鏡を載せている。

 へらへらした笑みのままゆらゆらと近づいてきた彼のブレザーには『生徒会会計』の腕章が嵌められていた。

「俺しかいなきゃ文句でもあるかね、船越ふなこし

「文句はないけど。真波ちゃんもみさきっつぁんもいないならツマンナイなー、と思っただけですよ僕は」

「あっそ。真波なら十五分前にこの仕事俺に託して帰ったよ。岬は今日は部活だろ」

「あっそっか。演劇、夏の大会近いんだっけ」


 真波が去ったあとの席に腰かけ、背もたれに頬杖ついて斜めに構えながら船越(ふなこし)航二(こうじ)はふむふむとうなずいた。

 次いで、彼は眼鏡をかけると深田が手にしていた書類の束を見やる。


「えーとナニなに、夏休みの各部活動の教室・体育館・グラウンド利用スケジュールのすり合わせ資料か……仕事の邪魔になりそうなら帰ろっか、僕」

「いやいいよ、いらんよそんな気遣い。というかもう終わってるし」

「早っ! オイオイ深さん、十五分前に託されたばっかでしょアナタ。なのにもう終わってんの?」

「んー? うん。各部活の長から申請された計画書との間違いがないか照合して、かぶってる時間帯のピックアップとその解決案いくつか出すだけだし」


 蛍光ペンでチェックを入れた書類に会長印を捺して、解決案のメモ書きと共に机の上に放り出す。

 この様を見て、船越は半目でじろんと深田を見据える。


「……深さんさぁ、なんでそんな早く仕事こなせるのにいっつもいっつもサボろうとするんですかぁ。やる気出せば一瞬なら、いちいち逃げようとすることないっしょ? アナタの包囲網のために真波ちゃん、見張り立てたり逃亡用具押さえたりウラで結構動いてんだよ? やめたげなさいよこんなムダなことは」

「いーや。ダメだね。そうやって思い通りにならない理不尽もあるってことを、俺はあいつに教えてやりてぇんだな。だからやめん」

「ナニその謎のこだわり。ナニ目的なんですか深さん」

「だってさ、あいついつもすまし顔だろ」

「? そりゃま、結構クールなキャラですよねあの子」

「常に何事にも動じず、つーんとしたままテキパキしててさ」

「まぁ、してんね。テキパキとね」

「実際仕事はよくできるし、気配りもできるし、お堅くマジメすぎるとはいえ本当いい奴なんだけど」


 客観的に見た真波の美点について述べてから、深田はむぅとうなる。


「でもなんていうのかな……あいつ俺にだけ、淡白じゃないか?」

「そんな言うほど淡白だナーとは僕は思わないけど」

「俺は思うんだよ。だから、もうちょっと色々反応を引き出したいわけ」

「はぁ」

「しっかり先輩扱いして欲しい」

「ナルホド」

「ちゃんと俺を、見て欲しいんだよ」


 腕組みしてフーンとのけ反り、深田は堂々宣言した。

 これを最後まで聞いた船越はげんなりした顔で頬杖から顎を落とした。


「……マジですか。そんなにあの子に構って欲しいんですかこのひと。え、自分の気持ちに、まったく自覚ないの、コレで……? オイオイ小学生男子かよ……」

「なんか言った?」

「いや……聞いて欲しくないことだったから、聞こえてないなら忘れてあげてください」


 船越はげんなりした顔のままそう語った。

 こいつよくわからないことを言うな、と思いながら深田はふーんと流し、先ほど放り投げた書類の束を職員室に出しに行くべく席を立った。


「明日こそはあいつに、ひと泡吹かせてやりてぇなぁ」


 ぼやきながら、二階への階段に向かった。


        +


 生徒会室から渡り廊下を通過した先にある、特別教室棟の端。


「ぁゎわわわわわわわわ」


 そこで真波は、泡を食っていた。

 脳裏には先ほどまで生徒会室でご一緒していた、深田の姿が浮かんでいる。

 そう。

 あまりにも素敵な、彼の姿が焼き付いている。

 つやめく黒髪。

 流し目が似合う深い色の双眸。

 整った鼻梁の下、笑うとわずかにのぞく八重歯。

 小柄な自分をすっぽり胸元に納めてしまえる、高い身長とがっしりした体格――


「あああわわわわわ」


 先ほどまで包まれていた彼の匂いがまだ残っている、ような気がする。

 いやもういっそ鼻がばかになってそれしか感じられなくなってしまえばいい。

 そんなことを思いながら、真波は自分を抱きしめてじたばたしていた。


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