じゃあ、なぐさめてあげます
さすがは良心の申し子、傷ついたフリは有効だったらしい。
思った以上に効き目があった。むしろいつも真顔の真波がここまで動揺してレアな表情をさらすとは考えてもみなかったので、深田はうっかり演技が解けそうになる。
しかしここはぐっとこらえて、傷心のフリを続行した。
「……傷心、なのですか?」
「ああ。あっさりフラレて、心にぽっかり穴が空いたようだ。どうすればこの辛さを埋められるのかまるでわからんね。休みが、必要だな」
すらすらと思ってもないことを並べ立て、深田は弱ってるアピールをつづけた。
あわよくばこのまま、今日はサボってしまいたい。
どうだ……?
と思いながら彼が真波の様子をうかがえば、
「……、」
彼女は目を泳がせ、ひどく焦ったような顔をしていた。
なんで焦り顔になるのか深田にはイマイチわからなかったが、とにかく優位に立てているのでいまは良しとする。
このまま畳みかけて、今日はお休みにしてしまおう。
そう考えていると。
「……うー、あー、んー……」
妙なうめき声と共にうつむき、真波は口許を押さえていた。
深田はこの様にどこか、迷っているような印象を受けた。
やがて、彼女は意を決したように膝に両手を置き。
椅子を回転させて深田に正面から向き直る。きっ、と真っ向からこちらを見据える。
「………………わかりました」
「おお」
おわかりいただけただろうか。深田は期待した。
「それでは、わたしが……なぐさめてさしあげます」
おわかりいただけていなかった。深田は失望した。
……でも、なぐさめる? とは、いったいなんなのか。
「傷ついているのなら、その。わたしが、深田さんをなぐさめます。ですからそのあとで、ちゃんと仕事はなさってください」
よくわからないことを言う真波であった。
硬い表情で、視線はまだ時折泳いでいる。
どうあっても、深田に仕事はさせたいらしい。
まったく先輩思いでない後輩に落胆しながら、深田は考えをめぐらした。
(ここでなぐさめるコマンドを選択させたら、テキトーな応対だけで『ハイなぐさめ終わりましたー、仕事戻ってくださーい』という感じにいつもの優位を取り戻されんじゃないのかコレ)
めずらしく自分が優位を取っているのだ。
易々とコレを手放したくは、ない。深田はそう思った。
そういうわけで、彼は真波が絶対に了解しないなぐさめを要求して、彼女があきらめるよう仕向けることにした。
「じゃあ、ハグしてなぐさめてくれ」
「えっ」
「そしたら少しは元気になるかも。ハグされるとストレスが減ると聞くし」
そんな大胆な行動はとれまい、と判断しての要求。
これで真波が断ってくれれば「そんならやる気出ない。休む。帰る」と部屋をあとにすればいい。
ふふん、と深田は真波から見えないように口の端だけで笑い、腕組みした。
真波はというと膝の上に両手を置いたまま、あうあうと桜色の唇を震えさせている。どう動くこともできないのだろう。
勝ったな、と確信した深田は席から腰を上げ、「そんならやる気出な、」まで言いかけた。
「ゎわわかりました」
言いかけたけど、ストップした。
……わかりました?
と、言ったのか?
いぶかしげに深田が真波の顔をのぞきこむと、彼女はおずおずと膝の上で固めていたグーをほどき、両腕を左右に広げる。
「はい」
「はい、とは」
「なぐさめると、申し上げましたので。……ハグすればいいのでしょう?」
斜め下を見つめてこちらに首筋のラインをさらしながら、真波はぼそぼそと言った。
……マジか。
まさかこいつ。
そこまで。
(そこまで、俺に仕事をさせたいのかねこいつは……)
深田は絶句した。
ある意味、彼女の職務精神に感服したと言ってもいい。固まってしまった。
そこでちらり、こちらをうかがう視線が、一瞬深田の喉元に突き刺さった。
……こいつ。
こっちが臆すのを狙っている?!
深田はたじろいだ。
見事なカウンターを食らった気分だった。
真波がハグを拒んでノーゲームとなることによりサボる目論見であったが、彼女が提案に乗ってきてしまったのではどうにもならない。
ここで深田が臆して「いや、やっぱいいや」とでも言ってしまえば今度は向こうのターンとなり「やっぱいい―――のでしたら、つまりもう元気なのですよね。さあ仕事を」と言われてしまうにちがいない。
まさかこんな切り返しが来るとは。
人生初ハグが、こんな急展開で訪れるなんて思ってもみなかった深田である。
(しかしもう引けない)
意を決し、ずいっと一歩踏み出す。
真波がびくっとした。
それは深田を陥れんと構えたがための武者震いだろうか。
ええい、ならば負けてたまるかよ。
彼はもう一歩踏み出す。
加えて、精神的にも間合いを一歩詰めることにした。
「それと真波、ハグについてだけど」
「はい?」
「密着感と接触時間が、ハグのストレス軽減効果において重要な項目だということは知っているかな?」
「いえ、存じませんが」
「そうか。まあつまり、薄手の服で接触することとなるべく長時間ギュってすることが大事なわけ」
「はぁ。そうなのですか」
深田は結構いい加減なことを言っているのだが、真波は呑み込んだ。
言質を取ったことに高揚しつつ、深田は真波に指を突きつける。
「とりあえずブレザーは脱いでもらおう。密着感がなくなる。そして接触時間は最低三十秒だ。そうでなきゃ効果が無い」
「……え?」
「俺も脱ぐ」
ブレザーの袖から腕を抜き、先手を取った。
さあ同調行動で脱いでこい。
できないなら俺の勝ちだ、今日はサボる。
そう考えながら真波を見つめていると、彼女はややためらってから――あきらめたようにボタンを外し、襟に両手をかける。
はだけるような感じでするりと。
肩からブレザーを落とした。
(……えっ)
真波澄乃という女はくそマジメで、律儀にすべての校則を守っている。
よって衣替えを迎えていない六月の第一週である今日この日まで、人前で厚手のブレザーを脱いだことはなかった。
だから深田も彼女の薄着を見るのは初めてで、
(……でっか……)
彼女が小柄で細身な割に胸だけとても発育がいいことを、知らなかった。
豊かなふくらみは丸襟のシャツを押し上げており、その裾がスカートにきっちり納まっていることもあって、余計に生地が張っているのがよくわかる。
ブレザーを椅子の背にかけて立ち上がった真波は、ちらりとまた、深田を見上げる。
「……どうされました?」
ちいさな声でささやかれる。
胸を見ていたのがバレたのかもしれない。臆したことを悟られたか。
いや、悟られたとしても結果がすべてだ。引かなければ、負けはない。
涼しい顔でこちらを誘う真波へと、深田は気力を奮い立たせて距離を詰めた。
「いや、なんでもないけど? そっちこそちらちら俺の方見て、なにか言いたいことでも?」
「いえっ……なにも。なにも、ありませんが。ただ、なぐさめるだけのことですし」
「だよな。なぐさめてもらうだけのことさ」
自分に言い聞かせるように深田は言った。
じりじりと迫る。
吐息がかかりそうな距離になる。
知らず、心拍数が上がってきていると深田は感じていた。