おカタいあの子とフマジメな俺
「ない、ない、どこにもない……」
その日、深田覚は焦っていた。
生徒会室の窓辺にかかるカーテンへ包んで隠しておいた、縄梯子がなくなっていたのである。
アレがないと、非常に困る。
この生徒会室があるフロアは三階に位置するのだが、階段や他棟への渡り廊下という他の逃走ルートはすでに見張りが配置され、使用不能になっていた。
つまりここに隠した縄梯子以外に頼れるものはないのである。
焦り――うめき――ゴソゴソと、彼は探しつづけた。
「ない、ない。俺の梯子が、ない……!」
「なにかお探しですか?」
ブツブツ言いながら探し回っていた深田に、涼やかな声がかかる。
彼はビクっと動きを止め、背後、声のした方を見た。
部屋の出入口であるドアを開けていたのは――見知った相手だが、それでも見慣れることや見飽きることはないほどの、すごい美少女である。
「え、あ、ああ……真波か……」
「はい。真波です。入ります」
深田がぼやけば、つかつかと部屋に踏み入ってくる。
ハーフアップにまとめたセミロングの髪はつややか。
日の光を知らないように透き通る白い肌はすべやか。
どの角度から見ても様になる、ちいさな顔。
とくに顔立ちの中で印象的なのは鮮やかなライトブラウンに耀く切れ長の瞳で、その目に見つめられたら誰だってどきりとさせられる。
小柄で華奢だが手足が長く、顔のちいささと相まってスタイルがとてもいい。大してデザインがいいわけでもない制服のブレザーも、彼女が着ているだけでファッション誌の一ページを思わせる素敵な衣装に早変わりだ。
そんな、天性の容貌には非の打ちどころのない美少女なのだが――
「ちなみにそこに隠してあった縄梯子ならわたしが捨てましたよ」
手にしていた書類の束を机に置きつつ、真波は素っ気ないひとことで深田を絶望させる。
表情は発言の間一切の変化がなく、真顔で冷めた目。
あいにくとそういうのに興奮する性的嗜好ではないため、深田はまったくうれしくない。
彼は天を仰ぎながら、両手で顔を覆い。
ため息と共に、両腕を下ろした。
そうして、肩をすくめて問いかける。
「どうして、そんなひどいことをするのかな?」
「逃亡手段を潰しておかないと、だれかさんが仕事をしてくれないからです。階段と渡り廊下に立てた見張りも、出し抜こうとしましたよね」
「うんいやわかるよ。その理屈は正しい。じつに筋の通った正論だ。……でもさ、正論を武器にするなら手段もきっちり合法じゃないとダメだろ?」
「なにを仰いたいのですか?」
「ひとの私物勝手に捨てたら、そっちにも非が生じるぞ。だからその点については謝ってよ。俺に」
「開き直りですか。だいたい、わたしに非はないです。校則第一四条で学業に関係ない物品の回収と廃棄の権限が教員および生徒会執行部には認められていますので」
「ウソ……そんな横暴いまどき許されんの?」
「許されます。というか、校則くらい覚えたらいかがですか?」
「え、ヤダ。周りに覚えてる奴いるんだから俺は覚えなくていいかなーって思ってるし」
「たった三六条を覚えられない言い訳がそれですか」
「お、おまっ。そんなあからさまに先輩をディスるかね」
「ディスりもします。ただの先輩なら、ははぁ能力不足なのですねとあきらめますけれど……あなた、生徒会長でしょ。立場的に覚える義務、あるでしょう」
「ぐむぅ」
返す言葉もない生徒会長こと深田は、じっとこちらを見上げる彼女から目を逸らした。
はぁーと深く嘆息する真波澄乃という少女は、ブレザーの袖に通した『生徒会書記』という腕章をくいっと直した。
……繰り返すが真波は、天性の容貌には非の打ちどころのない美少女である。
ただ、
素っ気なく。
真顔で。
隙がなく。
愛嬌がない。
制服の着こなしも『少年誌のグラビアの一面』とかそういう形容が出ずに『ファッション誌の一ページ』と言いたくなるように、煽情的な部分や着崩しは一切ない。
シャツもブレザーもボタンはすべて留め、スカート丈は膝までできっちり固定。髪を縛るのも紺色の地味なゴムだけだ。アクセントひとつない。
性格も当然四角四面の超カタブツ。
ゆえに、なるべくなら生徒会業務をサボってしまいたいと考える逃亡常習犯の深田とは、非常に相性が悪いのだった。
今日も逃げられず言い合いでも負けたか……とあきらめた深田は部屋を縦断する長机の端、窓際の誕生日席にある社長椅子へ腰かけた。
左斜め向かいでテキパキと書類の束を分類していく真波をながめる。
容貌だけなら、それこそため息が出るような美しさなのだが。
口を開けば先輩を先輩とも思わぬ言動によって、ちがう意味のため息を余儀なくされる。そんな後輩。
(今日も逃亡はかなわなかったが……でもこの後輩に、なんとかして世間の荒波を叩き込んでやりてぇ)
世間の荒波=思い通りにならない理不尽=俺のサボり、という式を思い描きながら、深田はじっと彼女を見据える。
そこで不意に、昨日見たウェブ配信の映画を思い出した。
可哀相な子を演じたらみんな私をチヤホヤするんだもの! とか言いながら傷心のフリで男を次々手玉に取る悪女が出て来る内容だった。じつに痛快だった。
(……アレ、真似できないかな?)
深田はそう考えた。
真波は四角四面で融通の利かない廊下の角を九〇度に曲がりたがる女だが、いい方に解釈すれば常識的で場の和を尊しとする良心の申し子である。
目の前に弱っている人間がいるとすれば、悪いようにはしないだろう。
となれば。
さっそく深田は悲しかったことをいくつか思い出して神妙な顔をしはじめた。
そんな彼の前で作業にひと区切りつけたらしい真波は、手にした書類の端をトントンと机に当てて揃えつつ、深田に目を合わせる。
「書類は整理できました。では深田さん、今日も……蛍の光が流れるまで、二人きりで、一緒に、業務を――」「あのさ、真波」
ちょうどそこで悲しみ(の演技)の感情ピークがきたので、深田は真波の言葉を遮る。
小首をかしげた彼女の前で目頭を押さえ。
脳裏には買い替えて二日目のスマホを落として画面ビキビキにしてしまったときのことを回想しながら、彼女に告げる。
「じつは俺、今日はフラレたばっかで沈んでるんだ。傷心だから……そっとしといて欲しい」
堂々とサボりたい宣言をかました。
さて、真波はどう出るか――。
目頭を押さえていた手の隙間から深田がチラ見すると、
「…………、…………」
さっきまとめたばかりの書類の束をバサバサバサバサと手の内からこぼして、
見たこともないほど目を見開いて、固まっていた。
というかなんなら、息さえ止まってそうだった。