ロン毛の僕が髪を切ったら、めちゃくちゃモテるようになった
僕の通う高校は校則が緩い。だから、男の僕が髪を伸ばしていても怒られない。だけど、一般的な高校だったら怒られるはずだ。大体、女子のロングヘア―は許されるのに、男子のロングヘアーは許されない、というのはおかしくない?
まあ、それはともかく。
僕は髪を伸ばしている。前髪は目が隠れ、鼻も半分ほど隠れるくらい。後ろ髪は腰より少し上の辺りまで。
自由な高校とはいえ、僕みたいな髪型の男子生徒は他にはいない。唯一性がある。別に他の人と差別化を図っての、この髪型というわけじゃないんだけれど……。
僕のコミュニケーション能力は高くない。低くはないけれど、別に高くもない。つまり、普通。いや、これはあくまで主観的な見方だから、客観的に見れば僕はいわゆる『コミュ障』の類なのかもしれない。
うーん、どうだろう? コミュ障ってほどではないと思うけれど……。
クラスの男子とはそれなりに喋る。友達もいる。だけど、女子とはあんまり喋らない。というか、話しかけられないのだ。どうやら、僕の髪型は女子からは不評なようだ(男子からはユニークとか、面白いとか言われる)。
あるいは、こんな髪型だから不気味に思われて、警戒されているのだろうか? うーん、その可能性は大いにあるぞ。
僕は別にこの髪型が嫌いってわけじゃないけれど、好き好んでこんな髪型にしてるってわけでもない。
じゃあ、どうしてこんな髪型にしてるんだって言うと……。
「おっはよう! 鳴海!」
幼馴染の夏川朱里がいつものように元気に挨拶してきた。
「おはよう」
朱里はカバンを自分の席に置くと、僕の長い髪をわしゃわしゃと撫でた。
彼女は僕と同じくらいに伸ばした髪をツインテールにしている。髪色は明るめの茶色だけど、別に染めたわけじゃなくて、もともとこういう色ってだけ。
朱里は家が近所(すぐ隣)で、親同士の仲もいい。幼稚園、小学校、中学校、高校とずっと同じだ。クラスもそのうちの半分くらいは一緒になっている。
つまり、僕たちは幼馴染なわけだ。
そんな幼馴染の朱里から『髪の毛を伸ばすように』と命令されて、僕はこんな髪型になった。ずっと昔はごく普通の(?)男子っぽい髪型だったのだ。
「今日もいい天気ね」
「そうだね」
僕と朱里は現在、別々に学校に来ている。中学一年生の途中までは一緒に通っていたんだけど、あるとき同じクラスの男子に『お前ら付き合ってるのか』云々からかわれて、それで恥ずかしくなった僕は、彼女と登下校するのをやめたのだ。
その際、朱里はものすごく怒った。
『あんな奴らの言うことなんて気にするな、バカ!』
『「あたしたちが付き合ってる」って言われても別にいいでしょ!』
などなど散々怒鳴った後。
『あたしのこと、嫌いなの?』
泣きそうに――いや、ポロポロと泣いていた。
もちろん、僕が朱里のことを嫌っているはずがない。でも、『大好きだ』――なんて言うと、誤解されてしまうかな?
最終的に、了承の代わりにこんな条件を出してきた。
『髪の毛を伸ばしてくれるなら、一緒に登校するのをやめてあげてもいいよっ!』
朱里の目的はわからない。けれど、僕はその条件を飲んだ。
そのようにして、今に至るのだ。
「鳴海、数学の宿題やってきた?」
「やってきたよ」
「お願い! 写させて!」
「いいよ」
「やったっ!」
朱里はぴょんぴょん飛び跳ねた。スカートがめくれて、健康的な素足がなかなか際どい所まで見える。
――僕は、ドキッとした。
朱里は幼馴染の贔屓目を除いても、かなりの美人だ。かわいくて、明るく元気で――だから、とても人気がある。
このクラスだけでなく、他のクラスにも朱里のことが好きな男子がいて、さらには他学年(二年、三年)でも彼女のことが好きな男子がいるとか。そして、さらにさらに女子でも朱里のことが好きな子がいるとか。
実際、けっこうな人数に告白されたらしい。しかし、朱里はそのすべてを断った。
『私、好きな人いるから』という理由で。
朱里の好きな人が誰なのか、僕は知らない。僕の知ってる人だろうか?
それにしても、僕とは大違いである。僕は告白されたことなんて一度も……いや、幼稚園や小学校低学年のときには、何回か告白されたような……。随分、昔のことなので(というほど昔でもないか)、あんまり覚えてない。
僕は数学のノートを朱里に渡すと、必死にノートに写す彼女の横顔をぼうっと見つめながら――僕も告白とかされたいなあ、なんて思った。
◇
「こ、これって……」
放課後のこと。僕は周囲に知り合いがいないことを確認すると、下駄箱からそれをそっと取り出した。
それ――ラブレター。
赤いハートマークのシールをぺたりと貼ってあるのだから、それが果たし状の類ではなくてラブレターであることはまず間違いない。
ごくり、と唾を飲み込む。
震える手でラブレターの裏面を見る。残念ながら、差出人は書かれていない。『秋野くんへ』とだけ丁寧に書かれている。字もどちらかというと女子っぽいし……男子によるいたずらではない、と信じたい。
ハートマークのシールを破らないように慎重に封筒を開けると、中の手紙を取り出してその場で読む。
『体育館裏で待ってます。できるだけ早く来てくれると嬉しいな』
……体育館裏? え、いや、もしかして果たし状? いやいや、今時、果たし状なんて概念は存在しないだろうし、それにハートマークのシールをつけた果たし状なんてありえない。これはラブレターで、きっと誰かが僕に告白するつもりなんだ。
思わず顔がにやけてしまう。
ふふふふふ――
「鳴海?」
「うわあっ!?」
びっくりして叫んでしまった。
壊れかけのロボットみたいにぎこちない動作で振り向くと、朱里が不思議そうな顔をして立っていた。
「何やってん――そ、それ……」
僕が手に持っているラブレターを、古代生物の化石みたいに凝視した。僕がラブレターをもらうのがそんなに珍しいか……珍しいよね。
「え、もしかしてもしかして……」
「うん、おそらくラブレター」
「ラブレターっ!?」
朱里は叫んだ。
迷惑になるし、周りの視線が集まるのでやめてくれ。
「それ、下駄箱に入ってたの?」
「うん」
「あんたに? 入れ間違えじゃなくって?」
「ちゃんと『秋野くんへ』って書かれてるよ、ほら」
僕が水戸黄門の印籠のように見せつけると、朱里は信じられないと言ったように口をあんぐりと開けた。ついでに、中に入っていた手紙も見せつける。
「な、何かの間違いよ……。そ、そうだわっ! きっと、クラスの男子が仕組んだいたずらに決まってるっ!」
「それはわからないじゃん」
「いや、わかるわっ! これはいたずら。いたずらなの。だから、体育館裏になんて行っちゃ駄目。馬鹿を見るに決まってる!」
「僕は行くよ」
僕の決意が固いと見るや否や、朱里は「ぐぬぬぬ……」と犬みたいに唸った後、「あたしもついてく!」と言った。
「いや、ついてこなくていいって」
「ついてくったらついてくのっ!」
そこまで強く言われると、僕としては拒絶することはできない。朱里の意志の強さと、僕の意志の弱さは定評があるのだ。
僕と朱里はローファーに履き替えると、体育館裏へと向かった。
◇
体育館裏――背の低い雑草がもさもさ生えているところに、一人の少女がぽつんと儚げに立っていた。朱里に負けず劣らず美人だった。
きっと、彼女に違いない。僕はてくてく歩いて、その子に近づいた。
「あ、秋野くん」
その子は僕を見て、緊張からか強張った顔を破顔させたが、僕の後ろに背後霊みたく立っている朱里を見て「えっ?」と困惑した。
「秋野くん……えっと、その人は……」
「その、僕の幼馴染なんだけど――」
「あたしは夏川朱里」
僕の言葉を遮って、朱里は名乗った。
「あんた誰?」
なぜかよくわからないけれど、朱里は敵対心をむき出しにして尋ねる。
「私は冬木蒼です」
「ふうん。それで、鳴海に何の用よ?」
「私は秋野くんに用があるのであって、あなた――夏川さんには用はありません。そもそも、私が呼び出したのは秋野くん一人だけなのに、どうして夏川さんまで来たんですか?」
「いいじゃん、別に」
「よくありません。帰ってください」
初対面だというのに、お互いバチバチに敵対し合っている。
僕はどちらの味方をしようか悩んだ。でも、二人の意見で正当性があるのは冬木さんだ。彼女は僕だけを呼び出したのであって、朱里まで来られると告白もしづらいだろう。
「朱里、先に帰ってよ」
「は? 鳴海、あんた……この女の味方するつもり?」
「いや、そういうわけじゃなくてさ……」
とりあえず帰ってくれ、と朱里のことを説得する。
最初は説得に応じなかった朱里も、『今度、アイスクリームを奢るから』と提案すると、渋々了承した。みんなアイスクリームが大好きなのだ。
朱里は冬木さんに聞こえないように、僕の耳元で小声でこんなことを言ってきた。
「鳴海、あいつの告白、断りなさいよ」
「え? いやあ……」
「なに? あいつのこと、好きなの?」
「好きも何も……僕、冬木さんのこと全然知らないし」
「だったら、断りなさい! 好きでもない人と付き合うなんて、相手にも失礼よ」
「……わかった」
「絶対よっ!」
念押しすると、朱里は体育館裏から去っていった。
敵対者がいなくなってほっとしたのか、冬木さんは悟りを開いたかのような穏やかな表情をしていた。
「ごめんね、冬木さん」僕はまず謝った。「朱里、いつもはあんなんじゃないんだけど……」
「いえ。でも、どうして、夏川さんも一緒に来たんですか? もしかして、その……お二人はお付き合いされているのですか?」
「いやいや、付き合ってなんてないよ。ただの幼馴染」
僕がそう言うと、冬木さんはほっと胸を撫で下ろした。
「よかった」
「あの、それで僕に何の用かな?」
そう尋ねながらも、告白に違いないと内心思っていた。
「ええ……あの、私のこと知っていました?」
「まあ、一応は……」
「見たことある程度?」
「そうだね」
「そう、ですか……」
冬木さんはがっかりした顔をした後、
「私が秋野くんのことを知ったのは、入学直後の風が強い日のことでした――」
と、話し始めた。
◇
私が秋野くんのことを知ったのは、五月の風が強い日のことでした。その日の帰り、私が歩いていると、後ろから声をかけられました。
なんだろう、と思って振り返ると、目が隠れるほど前髪が長い男の子が「これ、落としましたよ」と言って、手を差し出しました。手のひらの上に載っていたのは、私が五歳のころ父に買ってもらった小さな熊のぬいぐるみでした。
「ありがとうございます」と言って熊のぬいぐるみを受け取ると、その男の子――秋野くんは「それじゃ」と言って、歩き去ろうとしました。
そのとき、強い風が吹いて、秋野くんの長い前髪が大きく揺れて、普段は隠されているでしょう顔がはっきりと見えました。
その瞬間、私は恋に落ちたのです。
◇
「……え?」
僕は言った。
なぜ冬木さんが僕に恋をしたのか、今の話ではまったくわからなかった。僕がどうしようもなく鈍感なだけなのだろうか?
「ごめん。今の話じゃまるで分からなかったんだけど……」
「えっと、つまり――」
そこで口を閉ざすと、冬木さんは何か思案する。
しばらくしてから――。
「ところで、秋野くんはどうして髪をそんなに伸ばしているんですか?」
「うん? それはね――」
僕は、色々あって朱里に『髪を伸ばして』と言われたことを冬木さんに説明した。
すると、冬木さんは「やはりそうですか……」と自らの推理が的中した名探偵みたいに、にやりと満足げな顔をしてみせた。
「やはりって?」
「その話をする前に、まずは本題を……」
こほん、と冬木さんは上品に空咳をすると、何度か深呼吸をしてから、大きくはっきりとした声で告白するのだった。
「秋野くん、私と付き合ってください」
「ごめんなさい」
僕は即答した。
「そんなっ……どうして……?」
「だって僕、冬木さんのこと全然知らないし――」
「私と交際する中で、お互いのことを知っていけばいいんです」
「でも、好きでもない人と付き合うのはどうかなーって……」
「わかりました」
冬木さんは僕の手を握ってきた。
温かくて柔らかい手に、僕はドキッとしてしまった。
「それでは、まずはお友達から始めましょう」
「お友達?」
「ええ。お互いのことを深く知る中で、きっと秋野くんは私のことを好きになるはずです。そして、ゆくゆくは恋人同士になるのです」
「どうだろう? なるのかな?」
「なるんです」
冬木さんは断定した。
「というわけで、私たちは今日からお友達です。よろしくお願いします、秋野くん」
「あ、うん。よろしくね」
告白に関しての話はひとまず終了したので、話は先ほどの『やはりそうですか……』のところへと戻るのであった。
「でさ、さっきのことなんだけど……やはりって何?」
「やはり、夏川さんは秋野くんのことが好きなんだ、ということです」
「…………え?」
朱里が、僕のことを、好き?
そんな馬鹿な。ありえない――と否定することはできない。
そうやって言われてみると、なるほど確かに朱里は僕のことが好きなのかもしれない。いや、でも……うーん。朱里が僕のことを? 釣り合わないじゃないか。
「さらに付け加えれば」
と、冬木さんは続ける。
「夏川さんが秋野くんに『髪を伸ばして』と言った理由も、私にはわかっています」
「え、なに? 教えて」
僕は早口で催促する。
「それはですね……秋野くんを独占するためです」
「……は? 独占?」
予想外すぎる回答に、僕は困惑を隠せない。そして、意味がまったく理解できない。なので、もう少し丁寧な説明を求めた。
「つまりですね、私が秋野くんに惚れたように、秋野くんはとってもかっこいいんです」
「え、僕が? かっこいい? お世辞じゃなくて?」
「ええ。お世辞ではなく、厳然たる事実です」
……照れるなぁ。
「他の女子に秋野くんの魅力を知られないように、秋野くんを独占するために、夏川さんは髪を伸ばさせたのです。前髪が顔の上半分を覆ってしまえば、かっこいいかどうかなんてわからないですし、それに不気味ですから。後ろ髪を伸ばさせたのも、不気味さを演出するのに一役買うからです」
「そうだったのか…………本当に?」
「間違いありません」
冬木さんは自信満々に頷いた。
僕は試しに鼻のあたりまで伸びた前髪を、両手でがっとかきあげてみた。すると、冬木さんはスマートフォンを取り出して、カシャカシャと写真を撮った。
撮った写真を見て満足した後、冬木さんは言った。
「私は夏川さんとは違って、秋野くんを独占するつもりなど毛頭ありません。私としては秋野くんのかっこよさを、できるだけたくさんの人に知ってもらいたいんですっ!」
あまり過剰に褒められると、沸騰するほど恥ずかしくなる。
でも、『かっこいい』と言われて嬉しかった。容姿について褒められたことって、人生でほとんどなかったから。
「ですから!」
興奮気味に言いながら、僕の手を掴んで歩き出す。どこへ行くんだろう?
「今から、美容院に行きましょう!」
◇
その後、僕は冬木さんの通っている美容院に連れていかれた。僕がたまに行く美容院――もしかしたら、それは床屋かもしれない――とは雲泥の差だ。
何が? 値段が。
おそろしく綺麗な店内に、おそろしく高い値段に、美容師の人たちもおそろしくお洒落であった。すべてが一流の美容院。二流なのは僕だけ。
僕は髪型についてほとんど何も知らなかったので、冬木さんと美容師のお兄さんが話し合って勝手に決めた。
「冬木さん、この子彼氏?」
「いえ、まだ違います」
いや、『まだ』ってなんだよ……? まるで将来的に僕たちが付き合うみたいじゃないか。まあ、絶対にありえないってわけじゃないけれど。
美容師さんは丁寧に、けれど素早く切っていく。その動作は洗練されていて無駄がない。
僕は目をつぶってカットが終わるのを待っていた。待っているうちに眠くなり、気がついたらすやすや眠っていた。
「終わりましたよ」
冬木さんに肩を叩かれて、僕は起きた。
前方の大きな鏡には、今時でかっこいい髪型の僕がうつっている。長い間、ロン毛の自分に見慣れていたものだから、当初それが自分とは思えなかった。不思議な感覚だ。自分ではない自分がそこにいるみたい。
「いかがですか?」
バックミラーで後ろの髪をうつしながら、美容師さんが尋ねてきた。
「あ、大丈夫です。ありがとうございます」
散髪が終わると、冬木さんと一緒に繁華街を歩いた。
髪を切っただけなのに、世界が違って見えた。……まあ、前髪長かったし、視界が薄暗かったんだよね。
ロン毛のときもすれ違う人にちらちら見られたりしていたけれど、髪を切った今もすれ違う人にちらちら見られたりする。でも、前者と後者では見られ方がまったく異なる。ロン毛のときは珍獣を見るかのようで、今は――。
「今は……なんだろう?」
「秋野くんがかっこいいから、ちらちら見られるんです」
それはお世辞――ではなかった。
すれ違った女性が「今の子、超イケメンだったね」とか「美男美女カップルだ」とか言っているのが聞こえた。
――無性に嬉しくなった。
「秋野くんが正当に評価されるのは嬉しいですけど、でも少しだけ嫉妬してしまいます。夏川さんの独占したい気持ち、わからなくもないですね」
嬉しそうに、けれどほんの少しだけ寂しそうに微笑むと、冬木さんは立ち止まった。駅の改札だった。
「私はこっちですので……」
「あ、うん。今日はありがとね」
「いえ。むりやり美容院に連れていってしまいすみません」
「いやいや。僕のほうこそ、散髪代出してもらって申し訳ない」
「気にしないでください。私が連れていったんですから」
別れる前に、僕たちは連絡先を交換した。
じゃあね、と僕が手を振ると、
「また明日」
と、冬木さんも手を振った。
そして、冬木さんと別れると、僕はプラットホームで電車が来るのを待った。
「……あ」
髪を切ったこと、朱里にどうやって説明しよう。ありのままに説明するしかない、か……。明日、学校に行ったら朱里驚くだろうな。
しかし、僕は朱里以外の生徒が驚くことをまるで考えてなかった。朱里は僕の顔を知っているけれど、他の大抵の生徒は僕の顔を知らないのだ。知っているのは、僕の不気味で怪しげなロン毛だけ。
明日、学校でちょっとしたパニックが発生することを、このときの僕は知らない。
◇
帰宅後、髪を切った僕を見て、両親はひどく驚いた――が、このことは割愛させていただこう。話して面白い話でもないし。
次の日、僕が学校の敷地に足を踏み入れると、周りにいた生徒が『あれ? こんな奴うちの学校にいたっけ?』といった顔をした。ロン毛の僕はある意味では有名人だったのかもしれないが、そのロン毛と今の僕が同一人物だとわかる奴はそうはいまい。
「あのっ、君って転校生?」
正門から下駄箱へと歩いているときに、さっそく話しかけられた。
「いや、転校生じゃないけれど……」
「え? うちの高校にこんなイケメンいたっけ?」
イケメンだなんて……照れるな。
「何年生? どこの組?」
別の女子生徒に話しかけられた。同じクラスの人だ。確か彼女は……前川さんだったか。
「一年一組」
「え? 同じクラス?」
前川さんは眉根を寄せて、じいーっと僕のことを見た。だけど、僕が誰なのかまったく見当がついていないようだ。
「誰? 転校生じゃないのだとしたら――」
「秋野だよ」
「……秋野?」
「そう、秋野鳴海」
「えっ……えええええええええっ!」
一瞬、絶句した後、口を大きく開けて絶叫した。
近くを歩いていた生徒が『何事だ?』と不思議そうな顔でこちらを見てくる。悪い意味で注目を集めていて、ひどく恥ずかしくなった。
「秋野くんって、あのめちゃくちゃ髪の長い?」
「そう。ちょっといろいろあって髪を切ったんだ」
「え、嘘。こんな顔してたんだ……」
前川さんは呆然と呟いた。
下駄箱に到着して、上履きに履き替えていると、同じく上履きに履き替えようとしていたクラスメイトたちがぎょっとした顔をした。
「お前、誰? 転校生か?」
佐藤はそう言った後、下駄箱のネームプレートの『秋野』を見て、
「はっ!? お前、もしかして秋野!?」
「そうだよ」
「どうしたんだよ、一体? アイデンティティーのロン毛を切っちまってよぉ」
「別にアイデンティティーってわけじゃないよ」
「というか、お前めちゃくちゃイケメンじゃねえか。ふざけんなよ。俺と同類だと思ってたのによぉ」
「僕は佐藤のことイケメンだと思うよ」
「本当か?」
「本当……かも」
歯切れ悪くごまかすように言うと、一年一組の教室へと向かった。
ドアを開けて教室に入った瞬間、全員の視線が僕に集中する。一瞬の静寂――というか困惑――の後にざわついた。みんながみんな、「あいつ、誰?」みたいなことを言うのだ。
朱里は僕より早く学校に来ていた。僕を見ると、驚愕の表情を浮かべながら、ずんずんと大股で近づいてきた。
「な、鳴海! か、髪っ、髪っ!」
「うん、昨日切ったんだ」
「どうして……どうしてよっ! どうして、髪切っちゃったのっ!? 中学のとき約束したじゃない……」
朱里は泣きそうなようでいて、怒っているようだった。
「ごめん」
僕は素直に謝った。
「秋野くんが謝る必要なんてありませんよ」
後方――教室の入口のほうから声がした。
冬木さんだった。
彼女は朱里の前に立ち、対峙する。冬木さんのほうが朱里より背が高いので、見下ろす形になる。朱里は上目遣いに睨みつける。
「あんたが鳴海をそそのかして、髪の毛を切らせたのねっ!」
「別にそそのかしてなんてないです」
冬木さんは毅然と否定すると、
「ただ、美容院に連れていっただけです」
「なおのこと悪いわっ! どうして、そんなことしたの?」
「本当の秋野くんを――秋野くんのかっこよさをみんなに知ってほしかったからです」
「そんなの……あたしだけが知っていればいいのよっ!」
「そうやって、あなたは今まで秋野くんのことを独占していたんですね? 本人の気持ちなどお構いなしに」
「ううっ……」
罪悪感があったのか、朱里はバツが悪そうに呻いた。
「いつもでも秋野くんを独占できると思ったら大間違いです!」
決め台詞みたいに言うと、冬木さんはびしっと指差した。決めポーズかな?
敗北を喫した朱里は、その場に崩れ落ちたのだった。
◇
朝から激動的だったな、と思いながら授業を受ける。
先生もみんなとまったく同じリアクションを取り、それから座席表の『秋野』という文字を見て、僕が髪を切ってイメチェンしたのだと理解した。
「秋野、髪切って爽やかになったな」
なんて言ってくる。
僕は愛想笑いをして、授業を真面目に受けた。
休み時間になると、他のクラスの生徒(主に女子だけれど、男子もいた)が、髪を切ってイメチェンした僕を見にやってきた。動物園で飼われている珍獣のような扱いだ。恥ずかしさのあまり、叫んでどこかに逃げ出したくなった。
男子からも女子からもたくさん話しかけられた。こんなにも大勢の人に話しかけられたことって今までに一度もなかったから、僕は夢を見てるんじゃないか、と非現実的な気分に浸った。
休み時間や昼休みに、名前も知らない女子(複数人)に告白された。もちろん断ったけれど、告白されたこと自体は嬉しかった。
でも、髪を切っただけなのに……こんなにも変わるものなのか?
髪型一つで世界が変わる。
ふふ、何かのキャッチコピーみたいだ。
朱里はこうなるだろうことを予測していたからこそ、僕に髪を伸ばせ続けたのだろう。冬木さんが言う通り、僕を独占するために。
僕はけっこう俗っぽい人間なので、人並くらいにはモテたいという欲求がある。ちやほやもされたい。だから、今のこの状況はウェルカムである。
でも、だからといって――モテるようになったからといって、調子に乗ってたくさんの女の子と付き合ったり遊んだりするつもりはない。
とはいえ、恋人は欲しかったりする。
付き合うとしたら、誰だろう?
僕の頭に思い浮かんだのは二人の美少女。
夏川朱里。
冬木蒼。
どちらも僕に好意以上の感情を持ってくれている。でも、二人と付き合うことは二股になり、倫理的によろしくないので、どちらか一人を選ぶことになる。
取捨選択? 二者択一か。
今の僕には、どちらと付き合うか選択することはできない。朱里とは仲のいい幼馴染という関係性だし、冬木さんとは知り合ったばっかりだし。
焦る必要はない。誰と付き合うかは、これからゆっくり考えて決めればいい。
そんなことを考えていると、放課後になっていた。今日はいつもよりも時の流れが速いように感じる。楽しかったからだろうか?
放課後になった瞬間、朱里が僕の席まですっ飛んできた。
「鳴海、一緒に帰ろっ!」
「え、一緒に?」
「もう高校生なんだから、一緒に帰ってもいいでしょ。それに、あの契約はあんたが破って破棄しちゃったのよ」
契約――『一緒に登下校するのをやめてあげる代わりに髪の毛を伸ばす』というもの。
「わかった。一緒に帰ろっか」
「よし。そうと決まったら、さっさと教室出るわよ。でないとあいつが――」
「秋野くーん」
「うげっ」
朱里は苦虫を嚙み潰したような顔をした。
冬木さんが一年一組の教室に入ってきた。
「一緒に帰りませんか?」
「悪いけど、鳴海はあたしと一緒に帰るの」
そう言って、朱里は僕の腕を組んできた。慎ましやかとはいえ、女の子の胸が当たっているわけで……僕はどぎまぎした。
「仕方ありませんね。それでは、特別に夏川さんも一緒でいいですよ」
対抗するように、冬木さんももう片方の腕を組んで絡ませた。こちらは柔らかくて豊かな胸だった。くらくらと眩暈がした。
「は? 鳴海は『あたしと』一緒に帰るのよ!」
「いいえ。『私と』一緒に帰るんです!」
二人ともが強く引っ張るので、僕の腕は今にも引きちぎれそうだ。痛いのでやめてほしい。二人とも、争いはよくない。穏やかにいこう。
クラスメイトの男子たちが、僕たちのことを囃し立てる。クラスメイトの女子たちは、羨ましそうに僕たちを見つめている。
この先、僕の学園生活はどうなっていくんだろう、と未来のことが不安になってくる。でも、今はとりあえず目先のことを考えよう。
「それじゃ、三人で帰ろうか」
と、僕は二人に言った。
「しょうがないわねー」
「仕方ありませんね」
そして、僕たちは三人仲良く(?)教室を後にしたのだった。