第3話 問題児、指令を受ける
「き・み・た・ち・は、一体何度言えば分かってくれるの!?」
連隊長室の、地獄のように冷たい床に正座させられた少年達を珍しく怒った様子で睨み付けているのは、十八歳くらいの少女だった。
腰のあたりまで伸びた淡い水色の髪を首の後ろで束ねており、印象的な翠玉の穏やかな瞳は、今は怒りで僅かに細められ鋭利に輝いていた。
身に纏っている服はアナト達訓練兵と同じだが、連隊長たる少女の兵服は、公国のシンボルである朱雀にならって 深紅に染められている。とはいえ当人は目立つから嫌だと言って、たいてい違う色の上着を身につけているのだが。
少女がキリルハイト兵団に入団したのはアナトと同じく一年前のことであり、本来ならば連隊長などという役職に割り当てられることなど、不可能に等しい。
しかし、彼女の生まれに関する事情やお偉方の裏工作などがごたついた結果、このような不可思議な事態が発生せしめられたのである。
実際その有能さは抜きん出ていて、彼女の抜擢に疑問を抱いていた人物の大半を、たった数日間で黙らせてしまったほどだ。前連隊長であった人物の補佐も受けて、今ではこうして立派に役目を務めている。
そして、目下その役割とは、問題ばかり起こすわんぱく坊主たちへのお説教なのだった。
「特にファランくん、物を壊すのは多くて月に一回までってこの前約束したでしょう!どうしてそんな簡単なことが守れないの?」
「いや実際、慈悲深すぎるその制限すら守れないオレにオレも驚いてるんだけどね。だがしかし、これには海より深く、空よりも高いワケが」
「そんなの見てたし聞いてたから言われなくてもよく分かってる!私が聞きたいのは、どうして喧嘩をする度に物を壊さなきゃいけないのかってことなの!」
基本的には温厚な彼女の白い頬に赤みが差していることから、彼女―――連隊長イルシアがいかにお怒りになっているかがよく分かる。
まあ、一週間に一度のペースで器物損壊の案件を持ってこられては腹の一つも立てたくなるだろう。
おまけに主な原因となっている黒髪と白髪の少年は彼女の友人なのだ。
入れ替わり立ち替わり問題を起こす身内に頭を悩ませていることは想像に難くない。
その様子に少し反省の念を抱きつつ、アナトは先刻から気になっていたことをイルシアに問いただす。
「聞いてたっていうのはいつ頃からだ?」
「ファランくんがテーブルの脚を蹴飛ばすちょっと前、かな。次の作戦のことでアナトに相談があって」
何でもないことのように言うイルシア。とはいえ、別に彼女が遠くを監視できる特殊な装具を持っているわけでも、無言で意思疎通ができる、テレパシーのような超能力を有しているわけでもない。
イルシアがアナト達の様子を正確に把握できていたのは、彼女とアナトの間に発現した能力、『特異共感』によるものだ。簡単にいうと、視覚や聴覚といった五感を、お互いに好きなタイミングで共有できるという力である。
《リンク》という術法は、ただ不死者を生み出すに留まらない可能性を秘めている。
ごく稀にではあるが、到底理屈では説明できない特殊な能力を発現する者が現れるのだ。
不死者と守護者の間でしか使えない場合がほとんどだが、それでも能力を発現する者は総じて有用であることが多いため、異能者と呼ばれて重宝がられている。
半年前、アナトが不死者、イルシアが守護者として契約を結んだ際に手に入れた能力が『特異共感』。そして、同じくリンカーである人間が、この部屋にはもう一人存在する。
「しっかし、お前らの能力ってホント便利だよなー。風呂の時間とかに使えばもう覗き放題じゃん」
「そんな時に使わないし使わせません!それに、君の能力の方がよっぽど便利じゃない」
今度は羞恥で頬を真っ赤に染めたイルシアが、軽々としたファランの発言に言い返す。
あの狼狽えよう、多分、先日うっかりアナトが入浴している最中に『特異共感を使ってしまったことを思い出しているのだろう。見られても構わない、と特段意識していなかったアナトに非はあるので、蒸し返さないようにはしているのだが。
それはともかく、ファランの能力の方が有用であるという意見には、アナトも全面的に賛成である。
「俺たちの能力は、伝令よりもかなりの高速で情報をやりとりできることくらいしか、軍事的には役に立たないからな。機密情報をあちこちから集めてこれるお前の『全共感』の方が、敵にとってはよっぽど脅威だよ」
そう言ったアナトの言葉に反応したかのように、ファランの懐のあたりがもぞもぞ動き、つやつやの栗毛をした小さなリスが顔を出す。朝からの騒ぎがひと段落ついたのを感じ取ったのか、リスはそのままファランの肩によじ登って大きく欠伸した。
大抵の場合ファランは彼を連れ歩いているため、リス好きの変わり者として噂されていることもある。
カスパールが白リス、とファランのことを揶揄していたのもこれが原因だ。
しかし、このリスは別にファランのペットというわけではない。
『全共感』とは読んで字のごとく、あらゆる感覚を相手と同一化させ、相手の体を意のままに操るという能力だ。その間自分の肉体が無防備になるという欠点はあるが、戦場のど真ん中でやろうとしない限りさほどの危険はない。
ファランが誰か他の人間と契約していた場合、『全共感』はパートナーの体を乗っ取れるだけのおもしろ能力の域を出なかっただろう。
しかし、ファランの守護者は人間ではなく、彼がいつも懐に忍ばせている、リスのマロンである。マロンの体を操ることで、ファランは人間が到底潜り込むことができないような小さな隙間から侵入し、誰にも気づかれることなく情報を回収してくることができる。本来ならば、戦闘よりも諜報向きなリンカーなのだった。
「その能力、諜報員として『耳』で使えばすぐに昇格間違いなしだと思うのに。ファランくんが腕も立つのは知ってるけど、勿体ないなぁ」
「オレの拳は書類を漁るためではなく、敵の顔面を殴り飛ばすために付いているのだ。なんと言われようが、この一線だけは譲らねえ!」
ーーーー惜しむらくは、この能力が近年稀に見るバトルジャンキーの手に渡ってしまったことだろう。
圧倒的な学術の才能を持ちながら、お遊びのかけっこで一位になることに執念を燃やす並の圧倒的な無駄遣いである。
正座したまま器用に胸を張るファランに、イルシアはかわいそうな人を見たような目になる。
「そうは言っても、この間『耳』からの勧誘を断るときになんて言ったか覚えてる?」
イルシアの言葉に、きょとんとした顔になるファラン。
「確か、『次にオレが始末書書くような羽目になったら、強請るでも何でもして引きずりこめばいいじゃ』、ってぁあああああああああーーー!!!」
己の失策に気づき絶叫するファランだが、既に言ってしまった言葉は取り消せない。
除隊か諜報組織送りかという究極の二択を突きつけられた哀れな男は、頭から床の上に崩れ落ちた。
「なるほど、お前との付き合いもここまでということか。……、惜しい男を亡くしたな」
「さらっと殺すな!そんでなにその過去最高級の笑顔!」
アナトとしては、正直このやかましい男が異動になってくれれば清々しいことこの上ない。まあしかし、ファランがわざわざ訓練兵団に派遣されている事情を考えれば、ちょっとやそっとで僻地に飛ばされることもないとは思うので、本気で心配する必要はないだろう。
それに、今回の件に関しては自分も剣を抜きかけたため、ファランを攻める権利はない。
イルシアが止めてくれていなければ、カスパールに斬りつけてしまっていた可能性すらあるのだ。そう考えを巡らせ、アナトはファランの救済を求めることにする。
「イルシア、さっきコイツが机をぶっ壊したのは、急に止めに入った俺にも責任があるし、そもそも俺が安い挑発に乗ったのが悪い。始末書で俺がやったことにしてくれてもいいから、今回のことは不問にしてやってくれないか?」
アナトの言葉に、「神様仏様アナト様...!」などと呟きながら目尻に涙を浮かべているファランとは対照的に、イルシアは浮かない顔だった。
「それを言うなら、今回の責任は私にもあるわ。普段は我慢強いアナトも刀を抜こうとしたのは、私の悪口を言われたからでしょう?君たちが自分のために怒らないことは知ってるもの」
胸の内を見透かされたようで、アナトは「う」と言葉を詰まらせる。
アナトが自分への悪口雑言を気にかけないように、イルシアも自らに向けられる悪意を撥ねのけられる強さを持っている。
そして、そんなことのために、大切な人の身を危険に晒すことを、彼女が良しとしないのも知っていた。
「悪かったよ。短絡的な行動に走るべきじゃなかった」
アナトの口から漏れた謝罪の言葉に、イルシアは小さく首肯して、
「二人とも、私のために怒ってくれたことは本当に嬉しい。でも、それで自分を犠牲にするようなことは、絶対にしないで」
柔らかい口調だったが、その真摯な言葉はアナトの心に深く刻みこまれた。
会話が止まり、しばし降りた沈黙を、イルシアが軽く手を打ち鳴らして破る。
「じゃあ、この話はこれでおしまい。始末書は私がどうにかでっち上げるから、二人はしばらく大人しくしてること。次もめ事を起こしたら、本当にかばってあげられなくなるんだからね!」
「「……ハイ」」
面倒ごとを押しつけてしまった身としては、身を小さくして礼を言っておく他ない。
ファランに至っては、床に額を擦りつけるまでの姿勢の低さだ。
「やっぱ、持つべきものは権力者の友達だなあ。オレ、お前らと出会ってなかったら一週間で訓練兵団から放り出されてたかも」
そうは言っても、喧嘩っ早いとはいえ相応の実力と、小器用に立ち回る才能のあるファランである。むしろ、アナト達と出会ってしまったことで問題を起こす回数が加速度的に増えてしまっているのではないだろうか。
「そう思えば、お前も哀れな男だな...」
「お、何?オレ急になんか同情されてる?」
身に覚えのない同情を向けられるファランだが、普段省みられることが少ないので、まぁいいかとすぐに納得して珍しく労われた幸運を受け止めるようだった。
鼻歌まじりに立ち上がるファランを横目に、アナトは先ほどの会話で気にかかった内容を思い出す。
「そういえばイルシア、次の作戦について何か相談があるって言ってなかったか?」
カスパールとの騒動を未然に納めたきっかけとなったイルシアからの忠告。それがなされたのは、イルシアがアナトに連絡を取ろうとしたことがそもそものきっかけだったはずだ。
訓練兵であるアナトたちは戦闘そのものに加わることはほぼないが、リンカーの能力をあてにされて些細な役回りを果たすことはままある。しかし、アナト一人に対して相談をもってこられるのいうのはなかなかないことだった。
訝しげな顔をするアナトに、イルシアは軽く首肯する。
「そう、今回はいつもみたいなちょっとしたお仕事じゃなくて、もう少し話が込み入ってるの。...ファラン、ちょっと席を外してもらっていい?」
「なんだよ、オレには聞かせられねえ話なのか?」
少々不満げな顔をするファラン。アナトの動向を知っておくことは奴の任務にも少なからず関係しているため、蚊帳の外に置かれるのは正直釈然としないのだろう。
「ごめん、極秘事項として扱え、って言われてて。必要なことは絶対に後でファランにも伝えるから。お願い!」
軽く手を合わせて申し訳なさそうな顔をするイルシア。
普段は凛として振る舞っている彼女だが、気心の知れたこの面々といるときは素直な表情を見せてくれることも多い。
そして、身内の欲目も入っているかも知れないが、イルシアの容姿はかなり整っているとアナトは思っている。それこそ兵団内で一、二を争う程度には。
このギャップと可愛らしさ、その両方の武器を兼ね備えた少女のお願いを断れる奴は、おそらく男ではない。
「そんなお願いで動くと思うなよ!オレは面白いネタがありそうなら千里の果てまで追求しに行くタイプだ!」
なるほど、どうやらコイツは男ではないらしい。
「わかった、後でマロメ屋のチキン奢ってやる」
「よっしゃ、なら二本で手を打ってやる!」
アナトの提案に、ファランは手首が捩じ切れんばかりに手のひら返し。食べ物で釣れるという、なんとも扱いやすくてありがたい。一応約束には律儀なので、こう言ったからにはこっそり聞き耳を立てているということもないだろう。
「じゃあぜってー後で話聞かせろよ!」
そう言い残してファランが部屋を出て行くと、後にはやや穏やかな沈黙が残される。
「本当に嵐のようなやつだな。いなくなった後空気が落ち着くのも含めて」
肩をすくめたアナトの言葉に、イルシアも同感だとばかりにくすっと笑う。
「でもやっぱりファランくんがいてくれた方が楽しいじゃない?」
「それは俺が面白みに欠けている気がして釈然としないな」
「もう、誰もそんなこと言ってないのに」
そう言って苦笑しながら、部屋の奥側に据えられた執務机にイルシアは戻って腰掛ける。
それはすなわち、これから伝えられる内容が、公的な立場での重大事であることを意味していた。
「キリルハイト訓練兵団六十六期生アナト、軍上層部から単独任務の指令が出ています」
普段のふわりとした雰囲気とは打って変わった堅い様子に一瞬気圧されるが、その変化は一瞬で、すぐにいつも通りの調子を取り戻す。
「これは昨日の会議で決まったことなんだけど、今度訓練兵を対象に、トーナメント形式で実力を競い合う武術大会が開かれることになったの。もちろん、選抜された人に限られるんだけど」
「そ、うか。初耳だな」
実際にはファランからフライングで話を聞いていたため初耳でもなんでもないのだが、朝食の席での決意を撤回して、友人の罪がこれ以上重くならないよう口を噤んでおく。
幸いアナトの様子には気が付かなかったようで、イルシアはそのまま話を進めて行く。
「表向きには新しい部隊編成のための人員確保っていうのが目的なんだけど、本当は少し違うわ」
「違う、って...。まさか前線の兵士たちの息抜きってわけでもないんだろ」
精鋭部隊を編成する、という目的が秘匿されていなかったのも意外ではあったが、それとも異なる目的が武術大会にあるとはあまり予想がつかない。
困惑するアナトだったが、その疑問は続くイルシアの言葉で氷解した。
「武術大会に招かれるのは、シュルツガルトの兵だけじゃない。ノルザークやスカラードの人たちもやってくるわ。シュルツガルトへの物資供給を要請するためにもね」
話題に上がった二国は、いずれもシュルツガルトとかねてから交流のある国だ。
「確かに、うちは大国とは言えないからな...。戦闘を続けるためにもどっかの支援は受けざるを得ないだろうし。それが大会の本当の目的なのか?」
戦端が再び開かれてから約一年。資源がそれほど豊かでないシュルツガルトの物資は逼迫し始めていた。鉄鋼などの生産が盛んなノルザークや、農業大国スカラードに支援を求めて友好関係を築こうとするのはさほど悪い考えではないだろう。
しかし、アナトのその予想に、イルシアは首を横に振る。
「もちろんそれもなくはないよ。でも、実際の理由はもっと深刻。...、実は、兵団内にルシェナの間者が侵入している可能性が高いの」
「間者⁉︎しかも兵団にか?」
思わず驚きで上げそうになった声を抑え込み、なんとかアナトはそう反応する。確かにそれが本当ならば只事ではない。こうして問題として取り上げられているということは、それなりに重要な機密事項が敵側に流出している兆候が見られているということを意味する。つまり、敵はかなり兵団内の深いところまで侵入している可能性が高いということだ。早急に間者を特定しなければ、情報の流出に起因して、戦闘で大規模な被害が引き起こされる危険がある。
「その敵を誘き出すために一計を案じたってことか。しかし、そう簡単に尻尾をつかませるとも思えないが」
おそらく、軍部の狙いは、他国の貴人を招き、催しで警備が薄くなることで敵を動きやすくし、流出した情報の流れから間者を特定することだろう。しかし、相手もそんなことが分からないほど馬鹿ではないはずだ。相応の価値のある情報でなければ動こうとはしまい。狡猾な狼を油断させるほどの極上の餌に、軍部は何を用意しておこうというのか。
「あ」
そこで一つの可能性にアナトは思い至る。ルシェナが何をおいても手に入れたい情報。
アナトがその考えに至ったことに気がついたのか、軽く首肯してイルシアは口を開く。
「アナト、武術大会にエントリーして。それが、軍部から下されたあなたへの指令。兵団に潜り込んだ敵を炙り出すために」
毅然とした声に、彼女が兵団で責務を任された人物であることを、改めて理解する。そして、声とは裏腹に心配そうな顔をしていることが、彼女の本質が何も変わってなどいないことを意識させた。
その不安を取り払ってやりたくて、努めて明るい声でアナトは返答する。
「早い話が囮だろ?ただ、あからさまに仕掛けてくるほど相手も馬鹿じゃない。命の危険まではないはずだ」
実際、ファランの話が正しければ、前線からも兵はいくらか呼び戻されるという。話を聞いた時には疑問に思ったが、 万一騒ぎが起きた時に即座に対応できるようにするためであれば納得がいく。敵も実力行使には移りづらいはずだ。
だが、イルシアの表情は晴れない。今度は沈んだ表情を隠そうとはせず、アナトの目を、彼女の翠玉の瞳が捉えた。
「それでも心配なんだよ。だって、君がいなくなれば、戦争は終わるもの...。しかも、私たちにとって最悪の形で」