第2話 嵐のような幕開け
本編開始です!
シュルツガルト公国東端に位置するキリルハイト訓練兵団の食堂は、朝から訓練の日々で失われたエネルギーを補充しようと大勢の訓練兵で賑わっている。
そんな朝食の席の喧騒の中に、ある少年の声が加わった。
「武術大会?」
そんな疑問を口にしたのは、炎のような赤色の瞳を持つ黒髪の少年、アナトだ。今年十六になった少年の顔にはまだあどけなさが残っているが、その双眸は歳に似合わぬ怜悧さを醸し出している。平均よりは少し高めな身長もあいまって、実年齢より少し上に見られがちなのだが、歳不相応な落ち着いた言葉遣いをすることも、その誤解を助長する要因だろう。
「お前なあ、せめてもうちっとリアクションとれよ。折角の取れたてほやほやのスクープだっつーのに」
そんなアナトの反応を面白くなさそうに見つめるのは、向かい側でフライドチキンに大口を開けて齧りついている端正な顔立ちの少年、ファランだ。
彼はアナトよりも早く兵団に入隊しており、本来ならばとっくに正規兵になっているはずなのだが、訳あって訓練兵の身分のまま、安穏とした日々を享受している気楽な男である。
しかし、奔放としたその性格はさておき、この男、顔だけなら兵団の中でも上位層に食い込んでいく。
雪のように白い髪に、透き通った宝石のような青い瞳。貴族の御曹司といっても通りそうなその第一印象は、言動のあまりの粗雑さに一瞬で打ち砕かれること請け合いであるのだが。
その上、本来ならば正規兵として通用する実力の持ち主、しかもその中でも期待の新人と噂されているほどの、とくれば、訓練兵の女子たちからの人気はそれはもう凄まじい。
アナトとしては、悪いことは言わないからやめておけ、という気持ちなのだが、幸いファランが色恋方面に全くもって興味を示さないため、そんな悲劇に見舞われる女子が今のところいないのがせめてもの救いである。
そんな美貌を生まれ持った幸運を歯牙にもかけず二本目のチキンに手を伸ばしている友人に嘆息しつつ、アナトも炒り豆のスープを口に運ぶ。
あまり上等とは言えない兵舎のメニューの中でも屈指のまずさと名高い一品なのだが、この独特の味付けがどうも癖になっているようで、アナトは毎朝欠かさず朝食に選んでいるのだ。
少々生臭いそれを口腔に流し込みながら、アナトは再び口を開く。
「しかし聞き覚えのない話だな…。まさかまたお偉方の会議にでも潜ったのか?」
「ご明察っ!いやー、やっぱオレの能力はこーゆー情報収集でこそ輝くんだよ」
この上ないどや顔で語っているファランだが、その内容は兵規違反以外の何物でもない。今回についてはまだ訓練兵団内で収まりそうな話であるからましだが、さらに深く突っ込んだ軍事機密でも耳にしてそれを漏らしてしまった日には、ファランの首から上は間違いなく泣き別れになることだろう。社会的にか、物理的にかはともかくとして。
とりあえず後で連隊長に告げ口しておこう、とそっと決意し、アナトは友人に話の続きを促した。
「それで、一体どうしてそんな突拍子もない話が出てきたのか聞かせろ。ただでさえ戦時中で猫の手も借りたい時だっていうのに」
そのアナトの訝しげな反応を見て、我が意を得たり、とばかりにファランは片目をつむる。
「戦時中だからこそ、だぜ。ここだけの話、上層部は精鋭部隊の編成を計画しているらしい」
「精鋭部隊...。確かに今の戦法なら妥当かもな。ただ、それと武術大会にどんな関係がある?」
いまいちピンときていないアナトに、ファランはチッチッチッ、と軽く指を振ってみせる。
「そりゃ今動いてる部隊のエースをそれぞれ引っこ抜いてこれればいいかもしれねーが、生憎今の戦線にそんな余裕はどこもねぇ。だから、この武術大会で優秀な成績を残した訓練兵を徴用するんだとよ。まぁ、一足早い卒業ってこったな」
「...なるほどな、それなりに期待度の高い部隊への配属だし、やりたいって奴は引く手数多だろう」
つまり、早い話が出世コースへの選抜試験ということだ。なんとなく兵団に入っている者も多いが、幹部を目指す野心家も少なくない。これ幸いと話に飛びつく輩も相当数いるはずだ。
「どうやら正規軍の兵もかなりの数が呼び戻されるって話だ。ちょっと力が入りすぎてる気もするが、それだけこの大会が軍にとって重要ってこったろ。お前も出場して顔でも売っとくか?」
「冗談はよせ、そんなことしなくてももう嫌ってほど顔は知られてるんだ」
へらへらと揶揄うような口調で話すファランに、嘆息しながらアナトは返答する。
そう、本来ならば単なる訓練兵の一兵卒に過ぎないはずのアナトの顔は、訳あって既に望まぬ形で軍の上層部にまで知れ渡ってしまっている。ファランもそのことは承知しているので、これは本当に何気のない笑い話だ。
というのも___
「朝から何楽しそうにしゃべってるんだよ、悪魔」
突如横合いから投げかけられた棘のある声に、アナトとファランは会話を中断して視線を向けた。
そこに立っていたのは、ややクセのある金髪と、大きな瑠璃色の瞳が特徴的な訓練兵。軍の中でも特に魔術に秀でた人間にしか贈られない銀の青龍の紋章をこれ見よがしに胸元に付け、今時巷ではお目にかかれない古めかしいマントを肩に羽織っている。
いやと言うほど見飽きた顔に辟易としつつ、アナトはその訓練兵の方へ向き直った。
「お前の方から声をかけてくるとは、どういう風の吹き回しだ?カスパール」
カスパール、と呼ばれた少年は、にやにやとした笑みを貼り付けたままアナトたちの座っているテーブルの方まで歩き、アナトの目の前に陣取る。
ああ、これはややこしい話になりそうだ、と嫌な直感をアナトはしてしまった。
カスパール・シャルビエールはシュルツガルトでも有名な名家の出であり、いつもは彼の守護者でもあるお付きの少女を傍らに伴っているのだが、今朝は用でもあるのか近くに姿は見えない。
お目付役がいないときのカスパールは普段よりも数段扱いづらくなるため、できれば顔を合わせたくはなかったのだが、向こうから声をかけに来てしまった以上相手をせざるを得ない。無視をするとそれはそれで面倒なことになる。
そんなアナトの内心を知ってか知らずか、カスパールはお構いなしに口を開く。
「いやぁ、何。せっかくだから君に聞いてあげようと思うことがあってね。忙しいこの僕の時間を割いてやるんだから、ありがたく思えよ」
そう言って、体の良いおもちゃを見つけたと言わんばかりの雰囲気で話を進めるカスパール。むしろ会話など頼まれなくとも願い下げなのだが、そんな訴えはするだけ無駄であろう。
「何の用か知らないが、お前の連れを探してるんなら今日は見ていないぞ」
適当に話題を逸らそうとするアナトだが、そう簡単にごまかしに乗ってくれるほど可愛げのある相手ではない。
「アイツなら小うるさいから置いてきたよ。今日は悪魔くんにちょっと面白い話を用意してきているからね」
にやにやと貴族らしからぬ下卑た笑みを浮かべるカスパール。またろくでもない話を探し出してきたことは明白だった。
「君たちみたいな一般人は知らないだろうけどさ、この度わが隊に新規の精鋭部隊を編成するために、武術大会が開かれるんだよ。いやあ、まだ極秘事項なんだけどね、ほら、なにせ兄上が上層部に顔が利くから、色々と耳に入ってきてしまうって訳さ」
得意そうな顔でカスパールは語るが、それはアナト達にとって耳新しい情報ではない。
なにせアナトは潜入捜査のエキスパート(自称)のせいで、聞きたくもない情報まで日常的に入手する羽目になっている。
部隊の女子達の一週間のパンツの柄事情など、知りたくもないし、いつ結託した女子達に半殺しの目に遭わされるかわかったものではない。
そんな訳でそれもう知ってます、ということもできずにアナト達は無益な話に付き合うより他にない。
そんな白けた目を向けられていることを、全くカスパールは意に介さず喋り続ける。
「ま、僕はもちろんエントリーする訳だけどね。そもそも僕ほどの魔術師が訓練兵なんかに甘んじてやってるのが間違いだったんだけど。優勝が誰かなんて決めるまでもない話さ」
得意げに語るカスパールだが、実際実力がある程度備わっているのは事実なのでタチが悪い。
訓練兵の多くは一般家庭の出であるのに対して、カスパールは上流家庭の出身であるため戦術など座学の出来も平均よりはだいぶ優れている。加えて、魔術を使えるのは本当に一握りの人間しかいない。努力でどうこうなるものではなく、どちらかといえば才能や家柄に左右されるのだ。
そんな希少な人材であるからこそ、カスパールは教官からの覚えもよく、出世間違いなしとの声も大きい。
ただ唯一最大の欠点、自分が何をおいても正しいという恐ろしい自尊心の塊であることを除けば。
「僕みたいな優秀な人間には願ってもない話だけど、悪魔くんみたいな凡人では到底無理だろうねぇ。出場しても転がされて笑い物になるのがせいぜいだろうね。白リスはもしかしたらイイ線いくかもしれないけど...、ああ、君は訓練兵二周目なんて前代未聞の珍事を引き起こした問題児だったっけね。精鋭部隊になんてとても選ばれないだろうさ」
ひたすら自分を持ち上げ、こちらをこき下ろすように話続けるカスパール。万一殴り合いの喧嘩になった場合致命的なダメージを受けるのは奴の方なのだが、その危険を意に介さずここまで侮辱を口にできるのは、もはや才能と言っていいだろう。
「わかったわかった、俺らには縁のない話なんだろ。せいぜい輝かしい未来のために頑張ってくれ」
いい加減付き合うのが面倒になっていたので、横にいるファランも対応が少々おざなりになってしまう。
というか、元来この男は血気盛んなので、基本的に言われっぱなしで黙っていることはまずない。最近も一騒動起こして上からこっぴどく絞られていなければ、またここでも一戦おっぱじめようとしていたことは想像に固くない。
しかし、ファランの挑発まじりの返答に気が付いたか、カスパールは少し苛立ったような顔をする。それは、何か決定的にやり込めるまでここから動くまいとでも言いたげな様子だった。
「時に悪魔、もう一つ耳寄りな話があってね。なんのことはない、お前のお仲間の話だよ。先日壊滅させた基地の敵兵を、かなり捕虜にすることができたらしくてね」
その言葉に思わずアナトはぴくり、と体を強張らせる。
カスパールのいうお仲間、というのは、言うまでもなくルシェナ王国兵のことである。無論アナトはルシェナから送り込まれたスパイなどではないが、問題なのはアナトの容姿だ。
漆黒の髪に血赤の双貌。このような風貌を持つシュルツガルトの人間はいない。
何故なら、これはルシェナ王国に住む人種の特徴だからだ。
どうして自分がシュルツガルトで育ったにも関わらずこんな容貌なのか、幼い頃両親を亡くしたアナトには知る由もないが、この見た目は何かと軋轢や差別を生みやすい。
いくらルシェナ王国民と共通の見た目をしているといっても、アナトがルシェナから送り込まれたスパイなどではないことは皆承知している。
それでも、憎むべき敵と共通した容姿を持つ人間と普通に接することは言うほど容易いことではない。そんな偏見を歯牙にもかけず積極的に話しかけてきてくれるような人の数は、訓練兵でも数えるほどしかいない。隊内で陰口を耳に挟んだことは一度や二度ではないし、カスパールのようにそれを出汁にして執拗に絡んでくる厄介な人種もいる。
自分がそういう扱いを受ける理由はアナトも理解しているので、こんな時はあまりムキにならずに受け流すことにしているのだが。
「それで何か情報を聞き出せないか取り調べてる訳だけど、早い話が拷問さ。何をしても死なせる心配がないってのは楽だよね。ありとあらゆる責め苦を使ってやってるらしいから、奴らが機密を漏らすのも時間の問題さ」
本来人道的に過度の拷問は禁じられているはずだが、この国の人間はもはや敵兵を人間とは見なしていない。
その理由としては、一時休戦状態に追い込まれていた時に起こっていた、ルシェナからシュルツガルトへの迫害の歴史が背景にある。それ故、聞くに堪えないような拷問でさえ、誰一人疑問を抱くことなくまかり通ってしまうのだ。
戦争が引き起こしたこの国の歪みに、アナトは僅かに顔を顰めた。
その嫌がる素振りを引き出せたことに満足したのか、カスパールはさらに語調を強めていく。
「まだ何をしゃべってくれるかはわからないけれど、僕としては、いつ奴らがお前を売るのかを楽しみにしているんだよ。『アナトっていう使えないチビガキを、こっそりそっちの国に置いてきたんだ』みたいなさぁ。いや、もしかしたらお前、両親にいらない奴扱いされて置いていかれたのかもしれなぞ、だとしたら本当にけっさ――」
ガン、という鈍い音がカスパールの言葉を中途で遮った。
一瞬の静寂が落ち、食堂に集まっていた隊員たちの視線がこちらに集中する。
大勢の注目が集まる中、アナトは今し方テーブルの脚を蹴り飛ばした友人に視線を合わせる。
「やめろファラン、安い挑発に乗るな」
「…チッ」
軽く舌打ちし、足を元の位置に戻すファラン。
ファランは根はいいやつなのだが、ケンカっ早くすぐ手が出る悪癖がある。おまけに友達思いであるため、アナトが流している陰口の類いに片端から掴みかかって問題を起こすのが常だった。
自分のために怒ってくれるのは有り難いことなのだが、アナトとしてはこれ以上つまらないことでファランに始末書を書かせる訳にもいかないのだ。
アナトに諭されて大人しくなったファランを見て、先程まで怖じ気づいていたカスパールが少しずつ余裕の笑みを取り戻していく。
「そうだったな、白リスくん。もう一回問題を起こしたらいよいよ除隊になりそうなんだって?やっぱり悪魔なんかとつるんでる奴はお里が知れるよねぇ」
「うるせえ、さっさとてめえの帰りを待ってる飼い主のところに戻ったらどうだ」
ファランが噛みつき返すが、もう向かってくる心配はないと判断したのかカスパールが気にかける様子はない。
「保身第一なリスくんは分かるけど、悪魔の方はなんで口を出してこないのかなぁ?そんな度胸もないくらい腰抜けなだけ?それとも…、あ、大隊長に、問題を起こしたら今夜はやらせてあげないとでも言われてるとか」
瞬間、頭の中でぶちり、と何かが切れる音がした。
気づいた時には、アナトの手は腰の刀に伸び、ファランの蹴りがカスパールの顔面に向かう。
一瞬で恐怖の色に染まったカスパールは、竦んで二人の攻撃を避けることなどできそうにない。
そんな格好の的に向けてアナトは腰に下げた黒刀を抜き放とうとして、
(やめなさい!!)
耳朶を打った聞き慣れた少女の声に、その手を思わず柄から離していた。
一瞬自失したがすぐに気を取り直し、アナトは空いた手でファランの首根っこを掴んで無理矢理攻撃を中断させる。間一髪のところでファランの蹴りはカスパールから逸れたものの、代わりに朝食を並べていたテーブルが盛大な音を立ててかち割られた。
凄まじい音が食堂中に響き渡り、恐れをなしたカスパールは声もなく床にへたり込む。
「なんで止めた、アナト」
若干苛立ちを孕んだファランの問いかけに、アナトは軽く眉を上げて答える。
「イルシアに見られた。…、すぐに部屋へ来い、だと」
イルシア、という少女はこの食堂内はおろか、声の届く範囲にももちろんいない。
だが、アナトはその少女から発せられたメッセージを正確に把握していた。
ファランも少女からの呼び出しをアナトが伝えてきたことについて疑問はないらしく、がくりと肩を落とすとテーブルの残骸を足から払い落として立ち上がる。
そうして連れだって立ち去ろうとする二人組に、床にヘタッているカスパールは最後の意地とばかりに声を浴びせてきた。
「こ、これでもうおしまいだな、白リス!お前みたいな野蛮なやつがこの隊に残れるわけ―――」
もう一度拳を固めようとしたファランを手で制止し、アナトはカスパールの方に向き直った。
「お前が俺たちに何を言ってこようと構わないが…、次にアイツを侮辱した時にはその首から下は無いと思え」
ひっ、と情けない声を上げたカスパールに今度こそ背を向け、アナト達は食堂を後にする。
____目的地は、ここ数ヶ月ですっかり通い慣れた場所だった。