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【*】『思い出の波休間に』……落花流水の化粧箱

一場面投稿。

※)後日、物語のどこかに挿入する際、修正する可能性があります。

 『思い出の波休間に』に入れる予定。


五十鈴いすず ◆睿溪えいけい……【2・7】の【 登場人物 】参照。



   *



 庭先で、うぐいすの気まぐれな歌い合いが反響している―――。




 柔らかな陽光が差す自室の絨毯じゅうたん上。花びらが舞い込んできそうなそこに正座し、五十鈴いすずは膝元に置いた箱の蓋を、そっと脇に外した。


 真珠の色艶を放つ花弁かべんと、螺鈿の流水模様がほどこされた紫檀したんの手箱。側面には花枝の彫刻があり、ささやかながら、風景画のような観賞価値まで感じる一級の細工だ。


 この部屋にある私物の中でも重厚な代物で、まばゆくはないが、取り出すたび優しい気品が漂ってくる。




*―― “落花流水” という言葉を知っているか



 そう言って以前、口ひげを撫でながら尋ねてきたのは睿溪(えいけい)だった。



*――贈り主はもしや、立派なお屋敷などお持ちの、御曹司様か何かで――? 





 美酒を片手に、今も時どき萌神荘ほうじんそうへ観月がてら語らいにくるが、からかわれた理由は言うまでもなく――……。



 五十鈴は思い出して、くすりと笑った。


 中の物を包んでいる紫色の絹布―――夜明けを迎えた東天とうてんを思わせるその色を見つめ、そっと指先を伸ばす。


 こんな意味深長な物を、どんな面持ちでやり取りしたのか――……、上蓋の細工に込められている意図に気付いた睿溪は、受け取った当時の女としての心情を探りたかったのだろう。





 “落花流水” ―――複数の意味があるとは心得ていた。だが、どれが正しいとか、どう解釈するかは、特に考える必要がないと思ってきた。


 どれも否定しきれない―――、そういう複雑な時期にもらった代物だ。

 晩春の美しさや、空しさを表現していると同時に、花を男に、水を女にたとえ、相思相愛を表しながら、逆に、別離を示唆していたりもする模様である。



 水の流れに身を任せたいと落ちる花――……そんな花を浮かべて、どこまでも流れていきたいと思う水。

 過ぎ去る景色と時を共有していけたなら、どれほど幸せだろうかと、つい、まどろんでしまうのは、 “散々な目に遭う” ―――



 そんな意味も、含んでいるから―――……。





 指先に顔をのぞかせたのは、繊細な突起がそなわった巻貝だ。白と橙色の縦縞模様が美しく、その横に、砂糖衣をまとわせた小枝のようなものが添えてある。太さも長さも親指ほどしかないが、これは立派な白珊瑚の原木だ。


 すべて玉百合たまゆりが教えてくれた。珊瑚は七宝のひとつで、その呪力は母親が子を守るように、持ち主に寄り添い続けるという。


 とりわけ希少な白珊瑚は、海難除けの他、家族の守り石として古くから愛され、 “過去に受けた心の傷を癒す力もある” のだとか――……。




 赤い天鵞絨ビロードが敷かれた箱の底に、砂金と見まがう細かい砂粒が散っている。

 彼はそ――……。夕波が寄せる人気のない浜辺で、磨けば光りそうな物を拾い上げては、砂を吹いて飛ばしている姿が目に浮かんだ。



 浜木綿はまゆうの花から紡がれたような、美しい白髪をなびかせる――……






  “鬼” ―――。





 だったらなんだと言うのか。

 藻の揺らぐような心地で、手の平に包み込んだ巻貝を耳にかざすと、不思議なことに、海の音が聞こえてくる。


「私は幸せです。海兄かいにいさま――……」



 囁きかけるように、心の奥底にある思いを口にした時――


「五十鈴、ちょっといいか」


「っ…!?」


 入り口に背を向けていたため、声をかけられて初めて、訪れた相手に気づいた。

 障子にそれらしき人影が差している。


「入るぞ」


「ちょ…っ、ちょっと待ってくださいっ!?」


 影の主は飛叉弥ひさやだ。


「?」


 いつも通り「はい」と返事がくるものと思い込んでいたため、不審がりつつも、律儀な彼は言われた通り待ち続ける。


 一方、取り出した時とは大違いの手荒さで箱に蓋をし、五十鈴はできるだけ元のとおり、備え付けの戸棚の奥にしまいこんだ。

 見られたら恥ずかしい出しっぱなしのものが他にないか、右を見て、左を見て


「すみませんお待たせしましたッ! もうだいじょ…っ」


 影が差している障子を、自ら開け放ちに向かおうとして、足がもつれた。



「ぶうぅーーッ!!」




     |

     |

     |




 …………物音から、派手にヘッドスライディングした光景を想像をした飛叉弥は、念のため、障子の開け方に気を遣い、自分だけが中の状況を確認できる、必要最低限の覗き方をした。


 五十鈴が死んでいる……。とてもじゃないが、人目にはさらせない醜態の極みを体現しており、結果として、女子が見られたら一番恥ずかしい光景が、部屋のど真ん中に。


「出たな。喜劇王」


「……笑いたければどうぞ、ご存分に…」


「いや、しばらくこのまま眺め続けたい。あと三分そうしてろ」


 ……。鬼ッ。


 五十鈴は突っ伏したまま、両手のこぶしを握りしめた。


「今日のご夕食が “どうなっても” よろしいんですね――」


「……。」


 飛叉弥は半眼になり、やれやれと呟いて踏み出した。


「しょうもない奴だなぁ、まったく……」







            ――――【 誘い 】――――



 呆れとイラだちがい交ぜになったこのため息を、週に何度、聞かされることか……。

 上体を起こし、膝のあたりをさすりながら横座りした五十鈴は、目の前に胡坐されても、しばらく飛叉弥を直視できなかった。


 おそるおそる視線を上げてみると、真剣にどこを痛めたのか確かめてくれている様子に、また違った恥ずかしさが込み上げてくる。



「す――…、すみません……」



 五十鈴はどもりながら、眉間をこするように撫でて、余計な感情をくすぐる頭の中の雑念をなだめた。


 血しぶきすらも紅玉の如くきらめかせ、修羅道に生きる凄絶せいぜつな鬼人―――その生粋の血筋であるにもかからず、どうしてか、飛叉弥は紳士的に感じるほどの思いやりを平然と向けてくるからたちが悪い。


 暇さえあれば、物静かに読書ばかりしているし、お酒を口にする―――、筆を扱う―――、何気ない仕草が雅やかで、意外な一面を挙げだすと、実はキリがないくらいだ。

 



 それにしても、



「ひ……、飛叉弥…さま――?」


 五十鈴は目を瞠って微動だにできなくなった。


 親切心が先行しているのは分かるが、いくら乱れているからといって、女の髪に指を通すのは、罪作りにもほどがあるのではないか――っ?


 魅惑的な紫水晶の瞳に映っている、鼻っ面を赤くした自分の顔が、本当にみじめで嫌になる――……。


「いた…っ!!」


 額をべしっと叩かれて、幻覚から覚めた五十鈴は…………、涙目に飛叉弥をにらんだ。


「なにするんですかあッっ!」


「ぼーっとしてるからだ。大きなハエが止まっていた」


「なっ…、失礼なこと言わないでくださいっ! 鈴の頭にはハエなんて止まりませんっ!」


「ああ、ハエだと思ったら、大きなバッタだった。ここにいる」


 飛叉弥は五十鈴の鼻先に、ちょこんと青々としたものを乗せた。


 寄り目になった五十鈴は、


「ひ…っ、ひゃああああーーーっッ!! 取ってください、取ってください飛叉弥さまっ!」


 泡を吹きそうなほど真っ青となり、袖をパタパタさせて無駄に暴れまくった。


「ははははっ! お、落ちつけ鈴。いてて。冗談だ、冗談」


 げんこつで太鼓のようにバシバシ叩かれて、軽くむせながらも、飛叉弥は大笑いした。


 ……。鬼ッッ。


「本物のバッタと違う。しばのところから拝借した標本でもない。ほら、よく見ろ。この間、逸人いつととひいなに棕櫚しゅろの葉で作ってやったんだが、一つ忘れて行った」


「こんな悪戯するために来たんですかッっ!」


 涙まじりに甲高い怒号を撃ち落とされて、飛叉弥は渋面をつくった。


「~~……だから、今のはほんの冗談だ。そんなに怒ったなら謝る。悪かった」



 ―――これも彼の意外なところ。謝ったのに、いつまでも怒っていると、飛叉弥はどうしたらいいか悶々と考えた末に、逆ギレすることがある。特に皐月とは、それで数日間にわたる喧嘩となることがしょっちゅうだが、最終的には不機嫌そうにしながらも、やはり飛叉弥が先に話しかけ、歩み寄ろうとする。


 皐月の場合、そこにきて、また容赦のない対応をするため、結局、殴るなり蹴るなり存分にして、お相子という形に落ち着く。


 しかし、飛叉弥は基本、皐月が照れくさがるほど、自分の気持ちに率直なのだ。おそらく当人は認めないだろうが、五十鈴も飛叉弥の素直さが―――、無自覚だからこそ “本物” と思われる気持が、



 時おり妙に――……、こそばがゆい。





「それでぇ……、御用というのは?」


 ふくれ面の維持に努めながら、五十鈴は飛叉弥の様子をうかがうように、目だけ向けた。


 飛叉弥はなぜか居住まいを正して、少し言いにくそうに間を置いた。


「……――ああ…………」




 海に―――……、行かないか







 一瞬、ここではないどこかに、魂が飛んだような感覚がした。言葉を忘れてしまうような、思いがけない誘いだ。


「――……」


「いや…、行くとっても摩天の海だ。宿も食事も、全部嘉壱(かいち)伝手つてがあるから心配ない。実は、跼天山きょくてんざんに行く少し前から、各世界の時流に、大幅な乱れが生じていてな……」


 今、華瓊楽から鶴領峯に渡ることができれば、二、三日くらい静養して帰ってきても、萌神荘を留守にするのは、たった数時間ほどで済むだろう。




 *――だから、ぱーっとみんなで遊びに行こうぜ? あっちについたら、皐月さつき茉都莉まつりちゃんも誘ってよ!




 早くも興奮気味にいう嘉壱の身振り手振りが目に浮かび、五十鈴はようやく微笑みを浮かべた。



「茉都莉ちゃんたちも一緒なら、きっと楽しいに違いありませんね」


「だが、無理にとは言わない。俺も、こっちでやらなきゃならない仕事があるし……」


 留守番さえいれば、帰宅が今日中でなくても構わないからな。あいつらだって二、三日と言わず、いくらでもゆっくりしてこれるだろう。


「俺一人のために夕餉ゆうげの支度をするのも難儀だろうから、たまには外にでも食べに行くか――?」


 それも滅多にないことだ。飛叉弥は相変わらず、なんとも思ってない様子だが、彼と李彌殷リヴィアンで外食するということは、萌神荘にやってきて初めて出来た思い出である。


 たとえ余所で何度あり得たとしても、五十鈴は毎回のように思い出しては、特別なものをかみしめるだろう。



「―――飛叉弥さま、それはまた別の機会にしましょ。せっかくですもの、みんなで鶴領峯に行きたいです」


「いいのか? そうは言っても、お前は海が…」


「大丈夫です! 皐月くんと茉都莉ちゃんが暮らしてる八曽木やそぎじゃなくて、きっと、まだ見たことのない所にお出かけするんですよね?」



 うきうきと笑顔を弾ませる五十鈴を、飛叉弥は物言いたげに見つめるのをやめて、苦笑をもらした。


「そうだな。俺も行ったことがないから、どんなところか分らないが。話を聞くに、街も人も洒落しゃれていて、美味いものが沢山あるらしい」


「まあ!」



 嘉壱が、「着いてからのお楽しみだ」と得意げに言っていた。薫子かおるこも、どうやら歩いたことがある土地らしく、「いろいろと買い物も楽しめるところだから」―――と、誘いだす口実を吹き込んできた。



 *――なんだったら、私は別に泳がなくたっていいわ。鈴ちゃんに似合う夏服とか、アクセサリーとか? 久しぶりに買ってあげたいしね?



 ……若干、なにやら当てこすられた気がしたが、心得顔で「任せておけ」とばかりな薫子に背中を押され、飛叉弥はとりあえず五十鈴のもとへ来たのだった。

 五十鈴の生活必需品に関する出費は、すべて飛叉弥の財布から出ている。住まわせることにしたのは飛叉弥であるし、 “飼い主の責任” というやつだ……。


 だが、一人で買い物に出歩くことは許していない上、男の傍らでは、必要でも購入しづらいものだってあるだろうと、薫子が付き合うついで、立て替えることがしばしばある。

 もちろん、薫子は内訳を言わないため、飛叉弥は、あまりに高額な謎の請求にも、黙って応じるしかない。しかないのだが……



 実をいうと、この花連で一番の稼ぎ手は薫子。二位は嘉壱。三位が飛叉弥―――なのだ。

 柴のように、花人としての役目と実益を兼ねているわけではないし、単純に、飛叉弥は休みを滅多に取らないため、満帆みつほけいいさみのように、李彌殷リヴィアンですら小遣いを稼ぐ暇がない。


 唯一のチャンスは、今回のような理由で異界国に渡り、長期休暇をとる間。

 例のごとく、チンピラ相手にいかさま博打や、様々な力比べをふっかけ、巻き上げられるだけ金を巻き上げて、ついでにストレスも発散し、姿をくらますという、もっとも汚い稼ぎ方をする。


 ある時は、クラブでお楽しみ中だった湛砂じんざ風の初老に、ボトル空け勝負で大差をつけ、さらに何件か同じ目的で梯子し、一夜にして百万近くの大金を奪い取った。


 一度につかむ金額は、薫子より高い。ただ、ほとんど各方面への借金返済に当ててしまうため、結果的に甲斐性なしというレッテルを払拭することはできない……。





「まさかぁ……、今回も例のお仕事をなさる気ですか?」


 ふと、はしゃいでいたはずの五十鈴から針のような視線をもらって、飛叉弥は我に返った。


「一家の大黒柱だぞ? 俺は」


「薫子さんみたいに、モデルのお仕事でもなさったらどうです?」


 五十鈴は、我ながら良いことを思いつたというように、飛叉弥の相変わらず美しい顔全体を眺めてみる。


「モデルってのは、被写体になる仕事だろう? 写真機や、似顔絵師ってのはどうも苦手だ。ひとの顔をじろじろと見て…」


「それがお仕事ですものぉ。見る人と、見られる人がいて成り立つんじゃありませんか」


 納得いかないという様子の飛叉弥に苦笑し、五十鈴は支度をする動作に移った。




「―――さぁ、久しぶりの摩天ですね。茉都莉ちゃん、元気でしょうか」


 穏やかに言いながら、衣櫃きぬびつを開ける背に、飛叉弥は相槌をうたなかった。

 七年前、月光が揺らぐ清冽な泉で、目にした彼女は独り、涙に頬を濡らしていた。



 負わされた心の傷と一緒に、亡くした者たちとの思い出を抱きしめて。



 忘れもしない。あの晩に受けた衝撃―――。


 夜露を置く睡蓮の葉と純白の花で、すべてを隠してやった。





 見えては障るもの、すべて―――……。




(2021年06月07日 17時01分:投稿)

(2025年11月11日:現位置に移動)

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