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場面1:白百合と黒の護衛

夢送りされた薫子ら六人が、主人公(皐月)の過去を体験。

その最初の一場面です。





            ――――【 夢送り 】――――




   *




「――…ん、……」


 眩しかった。啓は眉をしかめ、ゆっくりと意識が浮上する感覚と、蒸し暑さを味わいながら目を覚ました。

 森の中だった。金の光と黒い影が色濃く踊り、目が霞んでいることもあって、樹冠のきらめきがいっそう美しい。


「ここは――……」


 背後でむくっと起き上がる気配がした。満帆だ。彼女から少し離れた場所で、他の四人も次々と体を起こしていた。


「どうやら、常葉主ときわぬしさまの記憶世界とやらに送り込まれたようね」


「それにしても、一体いつの何処なんだ? ここは……」


 薫子に続き、嘉壱が後頭部をさすりながら、あたりを見渡す。


 森というより、山間さんかんといったほうが正確か。頭上でさざめいていたのは、山肌に群生している合歓ねむの木で、六人は緩やかな斜面に倒れていた。


 それぞれに歩み寄り、一所に集まって周囲の様子をうかがっていた時、ふと子どもの笑い声が反響して聞こえてきた。


 斜面を下ったところの林道に立っている白亜の石柱も気になる。宮城や墓所、神域の出入り口を示す標柱のことを “華表” というが、うてなでは各城塞の軍門にも使われ、彫刻の模様によって何処の領内か分かる場合があるのだ―――。


 薫子はとりあえず、手前に見える木造のお堂へ足を向けた。


 一緒にその影に腰を屈めながら、啓はそこにあった泉に思わず感嘆をもらした。


「わぁ――……、きれいだなぁ」


 深い淵は碧玉と瑠璃を映しこんだように澄んでいて、散り落ちた薄紅色の合歓ねむしべを、香り立ちそうなほど豊かに広げている。

 水底には、根か枝か分からないものが入り組み、古銭と思しき緑青ろくしょうの影が揺らいでいた。


 お堂は畦道の突き当りにあって、畦道は山肌を上り下りするための階段に繋がっており、ほぼ垂直のつづら折りになっている。

 最後のターンで緩やかな坂道に変わり、ここへたどり着く形だ。


 薫子は、タっタっタと蹴鞠が弾むような足音をさせているぬしの登場を待つ間、現在地におおよその見当をつけた―――。




     |

     |

     |




 上機嫌な少女は、石段の途中で時おり立ち止まっては、くるくると舞っていた。

 真っ白な衣の袖を、白鷺しらさぎのようにはためかせ、眩い日差しに透かし見る。

 襟と袖口に朱鷺ときいろ色の糸で百合の花紋が刺繍されており、今日はこれに青碧の裙と生成りの腰帯、朝露に似せた玉簪を合わせてみた。

 そうしていざ外へ出たが、実際にはおめかししたことより、思いっきりはしゃげる喜びのほうが勝ってる。

 駆け下りてきた石段を振り返った。


「ほらぁ! 早くしないと置いていってしまうわよぉーっ」


 木漏れ日の中を歩いてくる “お付きの青年” に、声を張り上げて―――。




 ×     ×     ×




「ねぇ、もしかしてあれ……」


 満帆は我知らず、薫子の横まで歩み出た。

 柴、嘉壱も呼吸を忘れていた。


「ああ、間違いない―――」


 呟いたのは、顔つきを引き締めたいさみだ。


 少女はどんなに急かしても、一定の歩調をくずさない呑気なお付きに頬を膨らませ、坂道の最後を一気に駆け下りた。

 つと、薫子たちが身を引っ込めたお堂の手前で、その爪先が小石につっかがった。


「たま…っ」


 思わず飛び出しそうになった啓を制して、薫子は唇に人差し指を添える。


 地面にズベっとついた両腕の間から次に顔を上げた時、お姫様の格好をした少女は赤くすりむいた鼻を一つすすった。円らな瞳を涙でゆらゆらさせて……。


 口がへの字に歪み、今にも泣き出しそうだ。


 ここでようやく追いついたお付きが、深々とため息をついた。


「……だから言っただろ。あんまりはしゃぐと、またこの間みたいに溝にはまったり、階段から転げ落ちたり…」


「ぅ~~…っ」


 痛い思いをするのは勉強にもなる。だが、お転婆が過ぎては、笑い飛ばしてやれないこともあるのだ。内庭の森は深い。ましてや “奥” ともなれば。


「迷子になるぞ―――?」


 やれやれと後ろから抱き上げ、傍らに転がっている少女の靴を拾う。

 小さな足に嵌めなおして地面に下ろすと、偉そうなお付きは「万歳ッ」を命じた。


 聞き慣れているものより、やや深みが出た程度だが――……怒っていても耳に心地よい彼の声を、薫風に吹きつけられているのと同じくらい、お堂の影にいる六人は新鮮に感じていた。

 

 年は―――二十歳前後か。体型からして、第一線で活躍し始めたばかりの若手戦闘員といった印象だ。

 黒い薄紗で覆面しているため、顔は分からない。土ぼこりを払ってやっている様子を見る限り温厚そうだが、その青年は無駄な筋肉のない引き締まった体つきをしている。

 驚くべきは、二十歳そこそこではまずもってあり得ない、王将相当の軍服姿であることだ。開襟のそれは、普通の花人の兵装と同じようで違う。裾が長く、肩章と飾り緒が目を引く上着を羽織っており、全身漆黒に統一されている。決して珍しくない黒革の軍靴と手甲からも、重々しい雰囲気がかもされていた。



 おののきたくなるほどの威厳だ。



「ほら、泣くなよ。大したことない――……」



 苦笑気味に首を傾ける仕草に、こちらとしては、確かな親しみを感じているのだが――……。


 念のため、その懐からいつ匕首を飛ばされても交わせる体制で、勇は息を潜めていた。子どもを抱えている獣ほど微笑ましげに見えて、凶暴さを秘めているものはないからだ。


 青年の長い髪の影には、しなやかな黒紐が付いた耳飾りが揺れて見える。黒玉を抱く三日月形の銀細工で、腰に帯びている長刀の束も作りが細かく古典調のため、かなりの高官貴衛兵であることがうかがえる。

 やり合うようなことになったら、即ゲームオーバーとなるのは目にも明らか。それだけは避けたい―――。


 黒の青年貴衛兵は覆面の下で、困ったように苦笑をもらした。


「お気に入りの衣だろう。ついこのあいだ新調したばかりだってのに、こう何日もしないうちに破かれたら、針仕事をした常葉臣ときわおみたちも泣くぞ?」


「~~…だって、龍牙リュウガとお散歩できるから、久しぶりだったから、それで、それで百合――…っ」


 歪めた口を大きく開いて、特大の泣き声を上げた玉百合姫は、大好きな護衛兵の胸元に飛び掛った。


 半ば体当たり気味に突撃、すがりつかれ、鼻筋にずり落ちてしまった布面の下から、据わりきった半眼があらわとなる。


 龍牙リュウガは「……。」と固まっていたが、無意味となった布面をおもむろに取ると、軽く頭を振って、乱れた前髪を掻きあげた。


 人前に顔をさらすことはご法度はっと。身内にすらあまり気乗りせず、素で向き合えと言われても、何を話せばいいのか、よく分からなかったりするのだが――……、玉百合はそんなためらいや憂鬱を、いつも吹き飛ばしてくれる。


「姫――……、俺の眼を見て」


「?」


 頬の涙を拭ってくれる大きな手の平に、空を仰がされた玉百合は小首を傾げた。




     |

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     |




「玉百合さま、まだ幼いわね……」


 薫子は緊張が伝わってくる傍らの勇に言った。


 常葉主が夢に見ることを選んだのは、おそらく夜覇王樹壺セレンディアの穏健派が、影で近年最大の悲劇と嘆いてきた “大天柱の伐” が起こる数年前―――いや、もっと前かもしれない。

 薫子と勇も見習いの頃―――、嘉壱と啓にとっては、夜覇王樹壺門セレンディアの向こう側など、神獣の咆哮や鳥人間が飛び交う、神界のようなところだと聞くだけに過ぎなかった昔だ。


 脳裏の闇に浮かぶ物憂げな少年と、まだ平穏を味わえているらしい目の前の青年が、八雲に隠されてきた一柱の大樹として、ようやく重なった。


 あれが――……。




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     |




 *――蓮暁寺れんぎょうじ龍牙驪リュウガ・レイ

    彼はいつでもお前の味方だよ、玉百合……




 父の言葉を思い出し、涙を止めた玉百合は、不思議な光彩を宿す彼の瞳に見入った。

 一般的には紫蓉晶シェヴァイシスにたとえられる蓮家の紫眼だが、興味深いことに龍牙のこれは、角度によって螺鈿のひらめきを見せる。

 鬼だ、悪龍だなどと恐れられてきた目とは信じられない。「みんな知らないからよ」と、以前から布面をはずよう頼んでいるが、はずすどころか、口元までカラスのように覆ったり、甲冑並みに強固だという黒甲の鬼面までつけてしまうこともある。


 この優しい表情かおを、なぜまなければならないのか――……。


 玉百合は袖から出した右手で、龍牙の左頬をそっと撫でてやった。

 龍牙は温かな手の温もりが浸透してくるのを味わうように目を閉ざした。

 玉百合の気を引くためなら、こうして時おり紗を外すことはある。今よりずっと小さく、泣き声を上げる以外、訴える術を持たなかった彼女はしかし、大事なことを教えてくれた。

 赤子は盲目で生まれてくるが、表情かおを隠したままあやせるほど、その目はいつまでも曇っていない。

 自分の素顔は、好奇心旺盛な子供にとって、興味深いものなのだと―――。



「龍牙……、やっぱりこの華痣はなあざは、あなたが思っているほど、醜いものじゃないと思う」


 神秘的な模様だ。どんなに優れた画師でも、そう簡単には描けないんじゃないかしら。



「 “神様の図案” がないと―――」



 龍牙はくすくすと肩を揺らすほど笑った。


「姫、その話はまた今度にしよう」


「龍牙はいつもそう言うわ。今度、また今度って…」


「散歩はちゃんと叶えただろう?」


 腰を上げながら、笑いを苦笑に変えて龍牙は続ける。

 今日は特別に、藍壺衙門ラハルマシアの庭まで足を伸ばしたのだ。


「内緒だぞ? 奥まった所だったとはいえ、あそこは宴に使われる迎賓の場で、完全な内庭じゃないんだ。まぁ、この辺りの森なら、何度でも連れて来てあげるけど……」


 言いながら軽く飛び跳ね、頭上に揺れていた合歓ねむの花枝を引き寄せて手折った。


「わぁ…!」


 玉百合は差し出されたそれを前に、目を輝かせた。


 侍女たちが使う化粧道具の牡丹刷毛ぼたんはけのよう。ふわふわとしたこの薄紅色のしべを、一度手にしてみたいと思っていたのだ。

 髪に差してとせがんで飾ってもらうや否や、玉百合は再び無邪気に走りだした。


 龍牙はしかし後を追わず、その場にとどまったまま顔つきを変えた。


 お堂の影に向けて、別人のように低めた声を放つ。




「出てきたらどうだ―――、いい加減」








(2021年07月19日 16時46分:投稿)

(2025年11月11日、現位置に移動)

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