4:神代の終焉 天柱と地維の崩壊
◍【 天は柱に支えられ、大地は綱で繋ぎとめられている 】
盤臺峰と蘆寨処の境を示す雲海・八雲原は、白い泥が舞い上がっているように見える雲の層。緋縁瀧があまりの落差に雲霧化したもので、それを上にたどっていくと、杯のようなすり鉢状の地に、水がたまった状態の天海に至る。
天海が周囲にあふれ出したものが緋縁瀧。緋縁瀧の飛沫である八雲原は蒸発し、再び天海の水となる循環を繰り返していた。
天海は龍王が治め、盤臺峰(常世)への入口・天津標を守護する関守の役目を担っていた。龍王はしかし、ある出来事を機に大水害を引き起こして、天柱の倒壊と、地維が割ける終焉の時をもたらす――。※)『龍王の決意』より抜粋。
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「天女の羽衣がどういうものか、知っているか? 英陶」
羅羽摩は薄く笑って尋ねた。英陶は異国の地のことを想像するように、遠くを眺めやってため息をもらした。
「さて……、天女の羽衣かぁ。塵界に暮らす俺に、そんな見たこともないものが分かると思うか?」
羅羽摩は鼻を鳴らした。
「我とてまだない。だが……、時どき〝視える〟――」
この言葉に英陶は目を見張って、子どものように湧きあがってくる喜びを満面にした。
「もしやお前! 昇天の日が近づいてるのか!?」
あまり期待されても困るというように、羅羽摩は苦笑をもらす。
「さぁな。分からないが……、たぶんこれは〝千里眼〟と言う我等の能力だ」
「すごいじゃないかあ! それで? 羽衣はどんなだった?」
「英陶、落ち着け。我が言おうとしているのは、羽衣の見かけでなく、決まり事のようなもののことだ」
「決まり事?」
きょとんとなる英陶に、羅羽摩は呆れ混じりに言う。
「なんだ。時どき噂になるだろうに、まだ聞いたことがないのか。羽衣は天女の翼よ。水浴びをする時に脱ぐが、決して地上で失くすことは出来ない。天に戻れなくなってしまうらしい……」
人間の男が松の枝に掛っていたそれを見つけ、隠してしまったため、天女はやむなく男の妻となり、子を成した。だが、しまいには羽衣を取り戻し、天に帰ってしまうという話がある。
「ほぉ。そんなことが、この塵界であり得るなんてなぁ……」
天と地が、もっと近ければ――そもそも違いがなければ、戻らずとも、ずっとここで暮らして行けるだろうに。
天女はその男を好きになれなかったのか。それ以前に人間自体、もともと好かないのか。
英陶の横顔から視線をそらし、羅羽摩は独り言のような彼の呟きに答えた。
「元来、天女は天に棲むもの。慶びの歌をうたって蝶のように飛び交い、楽園に一層の華を添える」
「龍は?」
「龍は……、天と地の境目にある関を守るもの。両世界の狭間に生まれ、ともすれば一生、翼が生えないことも」
「お前は――?」
英陶はふと歩き出しながら遮るように言って、羅羽摩へ微笑みかけた。
「お前はいつか、絶対に空へ舞い上がるんだ。羅羽摩」
「龍は――……地も人も、嫌いではない」
「ああ。俺も――……」
歩み寄ると、寂しげにうつむいている龍の頬にそっと触れて、英陶は羅羽摩の額に自分の顔を寝せた。
「ずっと一緒にいたいよ。でも、翼を奪ってまで、嫁にするつもりはない……」
冗談を言って少し笑う英陶の表情は見えないが、羅羽摩は伝わってくる想いに、螺鈿の光彩を宿す水面のような目を閉ざして笑った。
「そうだな。例えまごうことなき龍となっても、俺は一生、お前の友であり、兄弟だ」
「約束だぞ? 小さな村だけど、俺もいつか、ここを束ねる力をつける」
だからお前も、天海を統べる立派な王になって、この村に、沢山の恵みの雨を降らせてくれ?
*――そして、塵界に美しい日の光を見せてくれ……
* * *
「――……約束…、――…した…な……」
羅羽摩は暗雲を貫いて差す天の光を見上げ、顔を歪めながら笑った。
「夜覇王樹、龍王が……」
そっと声をかけられ見やった夜覇王樹神は、黙って同士の最期を見守った。
*――なぁ、羅羽摩
いつか、天と地が交わることは、あるだろうか
*――心はすでに、共に在る。
ならばきっと、叶うときがくると信じろ。英陶
力づけてやると、初めて見た時と変わらなぬ笑顔を返してきた友の――
友の仇を取り、羅羽摩龍王は、命の灯が消える最期の時まで、瞼の裏に、
彼と夢見た世界を、描いていた――……。
◍【 神代世界樹の最期 】
夜覇王樹神の本体は、神代の世界樹そのものであった。この天柱が倒れ、地維が裂けた時、新たな時代の夜が明けた。※)『有明に花散らす夜叉』より抜粋。
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「神代崩壊後、盤臺峰を失った天神は、新たな宿地をめぐって悪鬼邪神、魑魅魍魎と、一千年にもおよぶ戦を繰り広げた」
夜覇王樹の民は、これを扇動した天兵側の主力と伝えられている。それ以前は、四生界の中核に、〝世界樹の役割を担うもの〟として存在していた人面鬼身であり、花木の精霊のような姿であった―――。
「そんな民族が、竜王の乱心と天津標の倒壊―――いわゆる神代終焉を迎えた時、何をしたと思う……?」
〝焔籠玉〟と呼ばれる紅眼を細め、いかにも蠱惑的な雰囲気をかもし、黒髪美女の薫子は、子どもをからかうような鬼女の微笑を浮かべる。
「天と天海の底を支え、地を繋ぎとめていた、骨肉同然の世界樹をねえ――?」
森羅万象を長養していたそれを、跡形もなくなるまで、滅多切りにした。阿鼻叫喚―――断末魔を上げる神々の息の根を止め、太一界という常世の歴史に、一切の未練なく、とどめを刺した。
「笑いながら、戦禍という、混沌がもたらされる新時代の幕開けに興じたのよ」
「いや」
飛叉弥が呆れ交じりに割って入った。
「花の雨を降らせたんだ。天と地が混ざり合う―――それはこの世界の歴史上、ほんの一瞬の出来事だったかもしれないが………、恐ろしくも美しい光景だったと聞く」
盤臺峰の頂に暁光が弾けたその刹那、八雲原を一刀両断するほどの、目にもとまらぬ強烈な斬撃を振るい、すさまじい喊声を上げる一族を率いて、神代を傾けた一柱―――、夜覇王樹神は天を舞ったという。
彼らが降らせた花の雨は、彼らの命そのもの。
目にする者に悦楽を与え、悪業から引き離すとされる、真っ白な花――……。
「盤臺峰を支えていた世界樹の花だというこれを、後世の人間たちは〝天花〟と称した」
夜深藍が去り行く西の空に、有明の月。
東の淵を熾紅が染め、ついに目を開いた太陽から、七色の輝きを放つ黄金の暁光が放たれ、崩壊する常世の様子を克明にしていく神代終焉の刻――――、
「紫天穹に突如として鳴り響いた鐘により、〝明か時〟が告げられた――――」
《 散らせ、散らせ! なんとめでたい日であろうか――…… 》
砂金のきらめきを弾き、虚無を映す下界一面にできた水鏡に、はらはらと、その花びらは舞い散った。
あらん限り、永遠を象徴するかの如く、降り続けた――――……。
「盤臺峰を支えていた世界樹と、悠久の象徴であった常磐の大山が崩れ行く明けの空に、氷刃を閃かせて飛び交った無数の影――――、それが俺たちの祖先……」
夜覇王樹の民だ―――。
――【 ちなみに 】――
●世界の民は後の北紫薇穹〈ほくしびきゅう〉、南壽星海〈みなみじゅせいかい〉、東扶桑山〈ひがしふそうざん〉、西閻浮原〈せいえんぶげん〉の四圏に分断され、混沌という激流に呑まれた神々は、新たな宿地をめぐる熾烈な戦いの火蓋を切らされた。
まさに、大崩落した氷山が流氷となり、やがては島に――そして、再び山を築くように、盤臺峰は新世界の四圏で、複数の大陸に再生した。
●神代崩壊・新世界形成に関わったもの
その1――時化霊。羅羽摩龍王の乱心(天津標の倒壊)を機に、不浄の下界から、常世の盤臺峰にこれが噴出した。
その2――夜覇王樹神。造化(産霊)の神・花神・穀神・天柱地維(建木・通天柱・天梯)に相当。常磐を幹や枝、根で繋ぎ、神代の世界を形成していた。盤臺峰の各所と、天海の底を支えるためとはいえ、下界の生命力を吸い取っていた我が身を問題視し、絶つ決断をした。
神代に止めを刺した張本人だが、余力で地維を結びなおし、大地の再形成を図った。それが新世界・穹海山原(化錯界)となる。
さらに、四圏にとっての新たな天柱(繁栄の紫薇花、長寿の寿星桃、豊穣の閻浮樹、生命の扶桑樹)を根付かせた。
その3――盤独神。夜覇王樹神と共に、神代を終わらせ、常磐の再形成を担った。
〔参考資料〕
建木 - Wikipedia




