目次4:噂を操る者 侠客の親孝行と恋
◍【 “青火” の衆 】
死蛇九の根城にて。
黒同舟幹部のトップである黒の丞相と “謎の女構成員” が何やら企てている様子。
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「いかがです? その後 “青火” の衆は……」
「えぇ、思惑通りに。また最近、おもしろい噂話をつかんだので、今度はそれを肥やしとしてばら撒いてみようかと……」
真実を広めるのは容易ではいが、偽りは面白いように膨れ上がってゆくものだ。
花連の信用を欠く情報を、人々に吹き込み始めて四か月ほど経った。
今、噂の新隊長が、どういうわけか、ある黒幇の頭を代行しているらしく、中身を調べてみると、確かに、蔓萄橋界隈を縄張りとしている水寶門の四代目に、力添えをしているようだった。
だが、現在の水寶門は、蔓萄橋一帯の商人をまとめ上げる、庶民派の侠客で構成されている。自衛団も兼ねており、経営する遊興施設内での商売も、本当の闇の住人には物足りないだろう飯事のような域を出ない。
とくれば、もちろん花連が絡んでいるという事柄も、到底悪事とはいいがたい内容だろうが、火種さえあれば、物はなんでも燃える。とりわけ、火の気と相性のいい木に着火すれば、ほんの少しでも効果は絶大―――。
さっそく、育て上げたそれらを焼べてやろうと考えていた。
「ですが、どうも、思ったより噂の広まりが悪い気がして……」
裏で自分たちの情報網を絶ち、あるいは操って、 “改竄している輩” がいるのではと―――。
「まさか。それはあなた方、青火が得意とすることでしょう。それに……」
“伝散史部” は、当の昔に廃止されている。
「……分かっているでしょうが、あなたの真の目的は別にある。あまり寄り道は、なさらないで下さい?」
黒の丞相が珍しく語調を強めたことに驚いた彼女は、咄嗟に詫びた。
◍【 湛砂の秘密 】
*――正直申し上げて、あまり良好とは言えません。そろそろ、お顔を見せにいらしたほうが、よろしいかと……
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母親・充怡のことを頼んである田舎の主治医からもらった手紙を握りしめ、数年ぶりに帰省した湛砂。期間限定で良いので堅気になりたいと皐月に訴えた理由は、病の母親に会うためだった。
身なりを整え、品の良い小料理屋の店主になりすまし、久々に自慢の包丁さばきを見せて、安心させてやっていた。
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「ほらぁ! できたぞ~、鯉の甘露煮と、アラで作ったすまし汁だぁ!」
刺身も食えそうなら食ってみるかい? 触感がこりこりして美味いんだが。
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父親と同じく、寇蔓として成り上がったこと――、その後、酒楼の経営者となったこと――、二回り近く年が離れている元妓女の隆里と結婚したことすらも言えず仕舞い。
対する隆里にも、手を煩わせたくない思いから、自分に身内が残っていると明かせぬまま、やり過ごしてきた湛砂であった。
理想と現実の差を埋めようとあがいたりもしたが、世間に知れれば、仕事柄、弱みになりかねないこともあり、母親にも、妻にも、子分たちにも、本当の自分を偽り続けている―――。
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「仕事のほうは順調かい? 店を空けてきてもよかったのかい?」
「あぁ……」
誰かさんに芋蔓一家と呼ばれては反論するが、まぁどっちだって一緒。
頼る当てもなく、すがりついてくる。そんな奴らが集まった、そんな奴らのための住み家であり、支柱なのだから。
確かに一人一人は頼りない。団結必至でバカにされることもあるが、寄り添えば、随分と太くなったものだ。
湛砂は、先代から託された葡萄棚を思い浮かべ、ほのかな笑みの影で呟いた。
「大丈夫さ。 “信頼できる人達 ” がいるから――……」
◍【 赤松の秘密 】
碧い水が夜色となり、心なしか、流れも緩やかになったように感じる酔いどれの蔓綏河沿い――。
競い合うように聳え立つ楼閣と、その狭間を、縦横、筋交い状―――とにかく、無数に連なった紅灯が飾っている。
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一般大衆向けの酒場で、皐月に早めの夕食をとらせている蔓萄橋一家の男たち。
湛砂失踪により、親分代行としてやってきた皐月から目が離せないナンバー2・赤松だが、ちょくちょく間を見て、外出している。
弟分たちによれば、その異変はここ二、三日の話ではなく、一ヶ月ほど前から続いているとか――?
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「以前から不審には思っていたんですがぁ……、何してるのかな、と」
赤松に限って、まさかとは思うが、湛砂に対する不義理を働いているとしたら、見過ごすわけにもいかないと思う反面、そんな現場を押さえてしまった日には、どうしようかと悩んだ末、とりあえず行先だけ、確かめてみたことがある。
「勒と俺と、三人で集金に回っていた帰り、急に用事を思い出したとか言って、赤松は夕暮れの繁華街に消えていきました。でも、その日は朝から、やけにそわそわしている様子だったんでね……?」
あとを付けてみたところ――
「 “にゃんにゃん亭” にたどり着きました」
「…………。」
目をキリッとさせて、幼顔の勒が、皐月の前に片膝をついた。
「それは…………、深入りしていい所――?」
「分かりやせん。こりゃあ、とんでもねぇ物が待ち受けてる世界だろうと思ったら、恐怖で足がすくんじまって…っ、それで……」
禿松は目を見開き、ハゲ頭を揉みまわしながらうつむいた。その時のことを想起し、わなわなと震える口で続ける。
“にゃんにゃん” は明らかにヤバイ。―――だって “にゃんにゃん” ですもん。
「想像するだけで超おおーーヤバくないっすかあッ!? それ以来、寝ても覚めても頭の中が、しばらく、にゃんにゃん、にゃんにゃんで、にゃにがにゃんだか……。ああああああああーーーっっっッ!!」
「それはヤバイね。今すぐ寺に行って、梵鐘の代わりに、頭一回打ちのめしてもらったほうがいいよ」
そしてそのまま、俗世と永遠におさらばしろ。
皐月はそんな鬼畜アドバイスをしながら、再び肉野菜拉麺をすする。
未だ混沌としている化錯界には、昼夜、所かまわず、様々な新種族が誕生している。
神代崩壊から三千と有余年。人間が “ご主人様” となれる界隈とて、現実となりはじめている今日この頃、下半身が虎とか、耳が狐とか…っ、牙や角があるとか、しっぽ生えてるとかも全然あり得るから……っっ!!
「 “にゃんにゃん” が何たるかを一部でも垣間見てしまったら、もう人間界には戻れなくなる気がしやした…っ! 皐月の旦那、もしかして、もしかしたらですけど、あんたら夜叉の親戚に、にゃんにゃん…」
「いません」
「いや…ッ!! 夜の支配者だったんでしょっ!? 大昔かもしれないけどッ! 魅惑の酒とか売ってたんでしょ! 超別嬪ぞろいの店構えてたって…っ」
「お前らみたいな人間を、破滅に導く地獄の門なら構えてたよ」
「いや…っ!! ひょっとして、夜叉になっちまうより怖ぇ闇の世界への入り口なんじゃ…っ!!」
「お前ら夜叉なんだと思ってんの。殺されたいの? 飛叉弥出てくるよ? いい加減にしないと飛叉弥出てくるよ?」
拳骨振りかぶったお父さんが出てくるみたいに言う、お母さん口調の皐月。その諫めが、勒の耳には入ってこない。胸の前で拳をにぎりしめ、なにやら燃えたぎっている……。
「兄貴いッ! “にゃんにゃん” はおそらく隠語ですッ!」
なんか知らんが、 “にゃんにゃん” するところなのだッ!!
楽園と見せかけての、七大地獄が待っているに違いないッ! 超べっぴん鬼女の鞭打ちとか、火あぶりの刑とか…ッ!!
「毒牙にガブガブされる刑とかあああッ!! こうしちゃいらんねぇッ! 一刻も早く赤松の兄貴を、にゃんにゃん子地獄から救い出さねぇとおおおっ!! 行くぜ野郎ど…」
足掛けを食らった。
「だはあああああーーッッ!!」
派手にヘッドスライディングした勒は、がばりと跳ね起きるや否や、無言で正座した。
すらりと長い足の主―――皐月が、切れ長の目じりを、刀の切っ先のように研ぎ澄ませている。
「お前………… “そこ” が、どういうところか知ってるな―――?」
実は、赤松よりも詳しかったり……?
「勒ぅ…っッ!!」
禿松が口をすぼめ、酒杯を卓子にたたきつけた。酒混じりの唾と涙と、失望の嘆きを飛ばす。うつむいた勒は、膝上の両拳を握りしめた。
「…………皐月の旦那は、気にならないんすか。」
赤松の兄貴がにゃんにゃんと――…、にゃんにゃんしてるかもしれないのだぞ。
「気になる」
「オイぃぃッ!!」
倒れた禿松は、ガシっと皐月の足をつかんだ。
「なに出かける支度してんのおっッ!? ダメだよお!? 赤松に怒られるよおおおっ!?」
恐れるな。
「だが、無理にとは言わない。志のある者だけついて来い―――」
拉麺を食い終わった皐月は、颯爽と漆黒のロングパーカーを着こむ。
赤松が裏切者と判明し次第、俺たちで粛清する。いいか。念のために強調しておくが、これは決して遊びじゃない。
「遊びだよッ。この人、遊びに行く気満々だよッ!!」
「一生付いて行きますッ」
「勒うぅ…っッ!!」
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皐月はまんまと軟禁状態から脱した。
赤松の代わりにお目付け役となっていた禿松も、結局ついてきた。
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「……なんだ、 “にゃんにゃん” って言うから、てっきり娘々だと思ったら」
男前な美声の持ち主―――硬派な面相の雲傑が、その単語を恥ずかしげもなく連発することに、皐月は半眼となった。
「なにそれ……。どう意味?」
雲傑は足元にしゃがんでいる皐月を見下ろして、腕を組む。
「 “娘” って字を二つ書きますけど、女神とか、母親とか、元はそういう意味ですよ」
「へぇ」
皐月の相槌は、感心しているふうでもなければ、興味深げでもない。だが、店内の様子が期待外れかは、まだ分からならない。
斥候として、客入り具合を確かめに行った勒が戻らないまま、十分以上が経過した。
時おり、通路を行き交う若い女が見え、はしゃぎ声が聞こえたりするだけで、どんな接客がされているのか―――、禿松は先ほどから、頭の中を駆けめぐる妄想と、孤軍奮闘している。
「にゃんにゃあああーーーんっ!!」
「うるさいハゲッ。てか皐月の旦那ッ! ちゃんと隠れてくださいよっ! 丸見えじゃないっすかッ」
一応、鉢植えの陰に隠れている栩が牙を剥いた。
「大丈夫だよ。俺、気配とか絶てるから。闇にも完璧に同化できるから」
「あら? いらっしゃいませー?」
視線に気づいたらしい店員の女が、不思議そうに伺ってきた。
ヤバイ…っ。
脱兎のごとく逃げ出した彼らは、鈴の音と同時に開いた扉を振り返り、絶句した。
「何名様ですか?」
「六人です」
真顔で答えた皐月が、正面切って入店……。
唖然としている栩たちに背を向け、ぺし、と目元を押さえた雲傑だけが、くくくと笑った。
× × ×
店内に通されて、まず見つけたのは、斥候として放ったはずの勒の姿だった。
「あああああっ! もぉお、こんにゃろうっ! 一生放してやらないぞっ! 俺の天…」
死。
バタリと、白目をむいて倒れ伏した勒を、数人がかりで引きずり、個室のように設えられている団体席にぶち込む。
彼に頬ずりされまくっていた子猫は、雲傑が回収した。
「勒ぅう…っ!!」と、禿松の嘆き悲しむ声が上がっているが、放っておこう。
「いましたか――? 赤松の兄さん」
「ほらあそこ。あれ、そうだろ……」
皐月はため息交じりに腰をひねり戻し、やれやれと、ボックス席の背もたれに身を沈めた。
右手をうんと伸ばして、卓上の品書きを手に取る。
半ば寝そべっているような行儀の悪い体制で、一通り目を通し始めた。
「もしかして、 “にゃんにゃん” が正確には、猫じゃないってことも気づいてました――?」
赤松が夢中になっているのは、正真正銘の “女” だと―――。
「そう言うあんたも、目ざといタイプみたいだね。赤松さんより、ナンバー2の座に向いてたりして」
「はは。俺は偶然、街で見かけただけですよ。それに、面倒くさいことは基本、避けて通る主義なんで」
不敵に笑いながら、雲傑は懐から取り出した筒形の双眼鏡をのぞき込む。
「その割には、随分と首を突っ込みたがるね。用意周到っていうか……、興味津々過ぎない?」
紳士的な顔して、もしや、他人の私情や不祥事のネタを嗅ぎまわる常習者か。
「どの口が言ってるんです? 寝ぼけ面して、遊び半分付き合ってるだけのガキにしては、ひとを見抜く眼力が鋭すぎなんですよ。さっきから」
気づいていると思うが、自分が覗いてみたいのは、赤松の秘密と―――。
「あんたの頭ん中だよ」
「――――なんか、物言いが青丸に似てるなぁ、雲傑さん」
「ネズミ君のことはよく知りませんが、実は、彪将さんとは飲み仲間でしてね。きっかけは、美味い蓮茶の入手を頼まれたことでしたけど」
「そんなこったろうと思ったよ。皆して俺を監視してるってわけ?」
「監視対象の相手が誰であれ、一応 “心配してる” と受け取ってください」
装飾的な格子で区画された客席の一番奥――、二人しか座れない隅っこの席に、赤松と思しき男と向かい合う、美女の笑顔が確認できた。
年は、二十代後半から三十代。とりあえず、赤松とは、あまり離れていないように見える。色白で、少し垂れ目。髪型はこけしのようだが、素朴といえば悪い印象ではなく、
「巨乳です」
「…………。やっぱ青丸とも繋がってるだろ、あんた」
赤松は手巾で、ちょんちょん――、と彼女に口元をぬぐってもらい、照れ笑いをしていた。
「猫型豆沙包、猫ひげ香蕉揚巻ぃ~、肉球餅餅ぃ~、猫型芒果……寒天? なんだこりゃ、全部甘味じゃねぇか」
皐月が見せてきた品書きに、極太の眉をつり上げ、厳山が青くなってきた口回りのひげを撫でる。
「当たり前でしょ。ここ、ただの茶楼なんすから……」
目を覚まし、後頭部をさすりながら起き上がった勒が続けた。
「……確かに酒楼でもありますけど、酒をふるまうのは、極彩色の鸚鵡とか爬虫類とか、熱帯魚が鑑賞できる上層階の話です」
下層階は犬猫なんかの小動物と触れ合いながら会食を楽しむ、今流行りの飲食店となっている。
◍【 誉媛の秘密 】
赤松にできた恋人・誉媛には案の定、裏の顔があった。男に大金を貢がせて捨てる悪女。詐欺師集団という特色の黒幇――道冥幇の一員であり、頭・道児の情婦。
だが、赤松も正体を偽っているため、誉媛も彼が蔓萄橋の若頭とは知らずに付き合っていた。しかも、終盤は本気で好意を寄せ始める。
赤松の素性を知ってからも気持ちが変わらないため、危ぶんで、自ら別れを切り出す誉媛だが……。
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◍【 逸人のモヤモヤ 】
いつも通り、智津香の診療所から手伝いを終えて帰ってきた逸人は、そこで洗濯物を取り込んでいる貫介の姿を認め、立ち止まった。
「あぁ、お帰り」
逸人はしかし挨拶もなく、
「おじさん……――さぁ……、こんな所で、こんな事してていいの?」
誰か、待ってる人がいるんじゃないのか―――。そう、言外に問われていると気づいた貫介は、意を決して口を開いた。
待ってる人はいる。自分は昔から何をやってもダメで、そんな自分が男として悔しいから、次こそはと、手をつけた職も、みんな中途半端で……。
「おじさんの奥さんは、そでれもいいって、最後まで笑ってくれていたよ」
「……オジさんみたいな人に、付いてくる女なんかいたのか?」
二人の会話を、市の仕事から帰ってきたお妙が立ち聞きしている。貫介は知らずに、夕日を眺めながら続けた。
「あぁ…、オジサンよりも懐が広くて、温かい人だったからなぁ」
だけど、その優しさにいつまでも甘えていちゃダメだと、頑張って働いたけど、結局空回りで、最後には自分が姿を消すことが、一番彼女のためになるのだと気づいた。
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これに逸人は反論。そんなのみんな、貫介の身勝手だと。自分たち親子が “父親” のせいで、これまでどんな苦しい生活を強いられてきたのかを、感情のままにさらけ出す。
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「それでも母ちゃん……、今でも、ずっと待ってる」
あれからずっと、ひとつも変わらずに。でも――……。
逸人は、貫介を睨みつけて家を飛び出した。
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何故だが知らないが、我知らず萌神荘を目指していた逸人。
いつもの如く、野菜のおすそ分けに来ていた千春・ひいな親子に出くわす。
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「あれ……、逸人くん?」
対応に出てきていた柴も気づいて、夕闇に一人たたずむ少年の様子に首をかしげた。と、その時。
「あれ――? 何やってんの皆、そんなところで」
珍しく、勇とともに帰ってきた皐月。その姿を認めた瞬間、自分の横を、わき目も振らずに駆け抜けていった姿に、ひいなは驚くと同時、
「……逸人?」
皐月の腰に飛びつくや、泣き声を上げた逸人に、言葉をなくした。
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「夕飯……、食べてくか?」
そう尋ねられた逸人は、素直にうなずいた。
帰り道の途中、ひいなは逸人の気持ちが分かる様子で話し始める。
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「……やっぱり、寂しいよね」
逸人があんな風に泣いたところは初めて見た。普段は突っ張ってムスッとした顔をしているが、決して笑わない子ではない。
男でも、女でも、子どもでも大人でも、普通だったら、あるはずのモノが自分にはないというのは――……。
寂しくないと言ったらウソになる。
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「……そうね」と、歩きながら優しく娘の頭を引き寄せる千春。
昼間、市場で聞いた噂話が脳裏をよぎる。
花連を烈火の如く批判する者たちがいるのは知っていたいたが、最近は眉を顰めないではいられない。
逸人のような子供がすがりつきたくなる相手だというのに、まだ、よく知られていないはずの皐月の人格までもが、単なる憶測で歪められていく。子どもたちは彼を、これまで欠けていた存在に、そっくり置き換えるほど慕っているというのに――……。
だからこそ……、なのだろうか。
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「……何事もなければいいのだけど」
「お母さん……?」
◍【 青い火を消しているのは――、青い木鼠……? 】
夕食後、後片付けに取り掛かっている柴、まだ食べている皐月、まだ飲んでいる飛叉弥。
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「逸人はどうした」
「あぁ……、今ちょうど寝たところ」
帰ってくるや否や、逸人が飛びついてきた時のことを思い起こして、皐月は鼻から息をついた。
彼があんなにも、あからさまに泣くのは初めてのことで、その場にしゃがみ込んだ皐月は、理由に思い当たった末に苦笑いした。
* * *
面白いものが見られそうだとは思ったが、まったくお前のためにならないことだとは、想像していなかった。でも、結果的に傷つけてしまっただけなら、かわいそうなことをした、と。
*――……そうだな、俺が悪かったよ
逸人はひくひくと嗚咽しながらも、首を横に振った。
*――バカだなぁ。一言、ガツンと言ってやればいいのに……。俺が一発食らってやろうか
胸元に額をすりつけて、ずっと首を振っていた。
* * *
「お妙には連絡してあるのだろ?」と、柴の問いに、ふと我に返って肯く皐月。明日、蔓萄橋を訪れるついで、逸人を家に送り届けるつもりだと言う。
「それは結構なんですがねぇ、親分……」
ふと、月影のさす縁側を見やった三人は、そこに一匹の青いネズミの姿を認めて驚いた。
神出鬼没であることを心得てはいるが、ラナマの二匹の気配は、花人であっても、ほとんどといって察知できない。体が小さいせいかもしれないが……。
「どうした、青丸」
「いやぁ、なに。ただ念のために、一つご忠告申し上げておこうかと思いやしてね……」
気をつけて下せぇ。 “セイカ” の連中の動きが、ここにきて妙に活発化しているのが気になる。
「せいか――?」
好ましくない団体であることは、雰囲気から察したようだが、まだその実態を知らないらしい皐月の問いに、飛叉弥は答えないまま、ため息をついた。
冷厳な面持ちに切り替え、月光を照り返す広縁に差している小さな影を睥睨する。
「……なぜ分かる」
「旦那、世の中、壁に耳あり障子に目ありって言うでしょう」
相手にしないことで鎮火していく噂なら、これまで通り、やり過ごせないことはない。だが、元来それは、誤報よりも遥かに粘着質でタチが悪い。
名誉が傷つくことを厭わない姿勢の先は、すべて失う顛末しか待っていないと思って―――。
「ここしばらくの言動には、くれぐれもご注意を……」
そう頭を下げ、払塵のような尻尾をひるがえし、青丸は縁の下に消えた。
いつにない神妙さを感じ取っている皐月は、あえて話を掘り下げないことにし、飛叉弥は、そんな彼の傍らで、進まなくなった杯の中の酒を―――、そこに揺らぐ月を見つめた。
※)2021年05月20日に投稿した内容と同じです。分ける形にしました。




