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目次3:隠し事、人それぞれ


◍【 隆里の秘密。南蛮煙管ナンバンギセルの花は紫 】


湛砂の美人妻・隆里は、今まさに、行方不明になろうとしている夫を尾行していた。だが、見失っても問題はない。行先は心得ている。ただ、気づかれなければいいのだ。

そのために、普段は着ない淡色の衣をまとい、化粧も控えめにしてあった。笠も目深にかぶっているが、やはり人目を惹くものがあり、後ろに続いて並んだ男の気を引いてしまっていた。

どこへ行くのか、里帰りかと何気ない会話から始まった、いわゆるナンパを受け、騒動となるが、気づいた湛砂が助けに入る。

……………………………………………………………………




「大丈夫かい、お嬢さ…………。あれ?」



 いない。


……………………………………………………………………

土煙を上げながら、全力疾走で逃げ出した隆里。狐につままれたように不思議がっている湛砂を、木の陰から覗き見て、目をキラキラさせる……。

ふと袖に触れてきた薄の根元を見ると、南蛮煙管ナンバンギセルの花が咲いていた―――。


※(すすきの根元に寄生する、煙管キセルに似た形の紫の花。「物思いにふける・悩む・もの苦しい思いでいる」イメージで、歌に読み込まれる「思い草」の一つ)







◍【 昼はお茶出し、夜は酒調師バーテンダー? 侠客青年・雲傑ユンジェ 】


雲傑ユンジェは主人である湛砂とその妻・隆里の御用聞き、兼、来客対応をする使用人のような青年侠客。

茶商に顔が利き、昼間は種々のお茶を扱うが、夜は湛砂が経営する酒楼・泰縁たいえんで給仕長を任され、利酒師(ききざけし)のような役割も担う。

……………………………………………………………………




「お帰りなさいませ」


「あれ」


 皐月は思わず静止して、出迎えてくれた、にっこり笑顔の青年を凝視した。

 湛砂の子分どもは、皆へっぴり腰だと思っていたが、若いのに、ずいぶん落ち着いた奴がいるではないか。



 不敵なほど―――。



 口に出したら、お前に言われたくないと突っ込まれかねないため、心の中で思うだけに留めている皐月だが、濃紺の長袍をまとった青年―――雲傑ユンジェは、そんな第一印象を抱かれたことを気取ったらしい。


寇雲傑こう・ユンジェと申します。以後、お見知りおきを――」


 若干、威圧するように中低音の美声を低められた。皐月も、彼から漂ってくる慇懃いんぎん無礼な雰囲気を感じ取っていた。



「なにやつ?」


「なにやつ、って……雲傑はあっしらと同じ、お頭に拾われた子分には違いありやせんが、役割的には取り次ぎというか~、使用人みたいなもんでして」


 禿松とくまつが太い首の後ろを揉みながら答えた。


「昼は邸の方で来客対応――、夜は酒楼で給仕長を任されているナンバー4です」


「給仕長?」


「接客全般の指揮を取ってるんで、ようするに、客を満足させる担当ですよ。最上級の気を利かせて」



「それがとんだご無礼を――」


 雲傑ユンジェは一生の不覚とでも言うように目元を覆って、仰々しく反省して見せたが、

「どこ行ってたの?」と皐月が尋ねると、ケロリと笑顔に戻った。


「大事な茶葉が切れてしまったんで、買い付けに――。話はだいだい聞きました。禿松さんが入れたお茶は不味かったでしょ。あらためて、おもてなしさせて頂きますよ」



   ×     ×     ×



「十一月頃に出回る秋摘みの茉莉花ジャスミン茶は、高級品になります」


「じゃそれ」


「かしこまりました」



茉莉花ジャスミン茶は、咲きかけの花の香りを緑茶に移したもの。晴天続きの八月から十月にかけては含まれる水分が減り、香り高くなる上、生産量も少ないため、グレードが高くなる。


「摘んだその夜に花弁が開く――……、頃合いの良い蕾だけ選別して、丁寧に手摘みするんです」



………………………………………………

中庭の葡萄棚の下で、雲傑ユンジェにお茶をふるまわれる皐月。ふと、回廊の軒先に下げられている “沢山の鳥籠” が目に付き、湛砂と榴里の人となりにつて尋ねる。

そこへ、ご相伴にあずかりに来た、青丸としゅん

………………………………………………



「いい匂いがしたんで、駆け付けて参りました!」


「俺の役に立とうって時より早いな、駆け付けてくるの……」


「きっ、気のせいっすよぉ~!」


……………………………………………………

呆れながらも、皐月は腹減らしの二匹のため、同席許可を雲傑ユンジェに取る。だが、とんでもないことが発覚する……。






◍【 悪いネズミを成敗 】


皐月がお妙の内縁の夫だとか、子どもたちに “夜中の遊び” を教えているだとか、誤解だらけの噂が広まった理由について。

…………………………………………………………



「ああ! そのことっすかぁ~。オイラと兄貴で広めたんです」


「…………。は?」


「やぁ~、なんだか知らねぇがぁ、最近、花連のよろしくない噂ばっかり聞くもんでぇね? 頭に来たんでぇ、ちょちょいと相殺してやろうと、あっしらが知ってる親分の男前な素顔を、小妖怪仲間たちに吹聴して回ったって次第でぇ――」


 意外とあっさり広まってくれて、安心しやした。そんで、ついつい調子に乗っちまってぇ…


「お前ら―――」


「はーい」


「こっち来い。ちょっと殺すから」


「なんでえ…っ!?」


 ちょっと殺すうっ!? なになにっ? どういうこと…っ!? 

 ピンクはあわわわわ…っと、震え上がり、迫ってくる影にのけ反った。


 頬袋をパンパンに膨らませているクルミの焼き菓子を、とりあえず急ピッチで、喉の奥に流し込む。(何がどうして、どうなろうとしているのか全然分からないんですけど兄貴いいい…っッ!?)


 この時点ですでに窒息死しそうなしゅんは、青丸の毛色並みに青ざめていた。


 対する青丸も、ぽと……コロリ、と葡萄の粒を取り落としたまま、硬直して動けない。(は…、半殺しか……。夜叉の力加減におけるちょっとって、か弱い木鼠きねずみにとってもちょっとなのか? 死ぬほどのちょっとって…、ちょっと待てよ。ちょっとじゃなくねぇっ!? そもそも…っ!!)




 三分後……。




「あキャキャキャキャキャキャ~~~…っっっ!!」


「いひ…っ、ぅいひひひひひっ!! 死ぬぅうう…っ! 死んじまうよ親分ぅううんっ!!」


 やめてー。あ~~~。



 少し伸ばし気味の、猫のような爪の先が、絶妙な力加減で、二匹のネズミの腹を襲っていた。冗談抜きで笑い死に寸前だ。

 短い四肢をバタつかせる毛玉二つの訴えを黙殺し、くだらない遊び好きな鬼畜は、こちょこちょ攻撃を続けながら、優雅に茉莉花ジャスミン茶を口にする。



……………………………………………………

雲傑ユンジェは、さりげなく皐月の腹を探る。

今更、湛砂の人柄を聞き出そうとするということは、よく知らない相手なのだろう。何を理由に、今回の頼みを聞く気になったのだ。黒幇フェイバンというルーツを霞ませるほど、善良な性格が、あの人相ににじみ出ていたとでも――? と。

……………………………………………………



 皐月は黙って頭上を見つめている。


「葡萄棚だからだよ……」


「は?」


「……いや、菓子折りに加えて、山積みの葡萄を献上されたから――かな」


「まさか、好物をもらったから、手を打ったとか言わないですよね」


 嘘だろ……、と雲傑ユンジェは半眼になった。そんな反応を、皐月は鼻で笑う。


「蔓萄橋界隈で葡萄棚を最初に植えたのは、この屋敷なんでしょ――?」



 確かに繁栄の象徴でもあるけど、植物には、ほかにも色々と意味合いがあるのだ―――。








◍【 翌朝―――洗濯中の逸人と貫介の会話 】



 眩しかった。子どもたちは、何処へ行ってしまったんだろう――……。

 家の周りを、ぐるりと一周してみることにした。


「光彦坊~、夏見ちゃ~ん?」


 貫介はふと、足を止めた。


 家の横手は、物干し場になっていた。


「逸人……坊――?」


 逸人は手を止めて、肩越しに振り返った。


「ああ、おじさんか――。なに?」


 言い終わらないうちに、再びゴシゴシゴシと、たらいの中のサラシを板の上で揉みはじめた。


「眞子ちゃんのおしめかい?」


「ううん。違う。それはいつも最後。今洗ってるのは、斜め前の家に住んでるヒゲじいが、腕を吊ってる三角巾。この間、石につまづいて骨折しちゃったんだ。うまく飲んだり食べたりができないから、よく汚すんだよ」


「ってぇ……、他の家の洗い物も引き受けてるのかい?」


 貫介は驚いて、声の調子を上げた。傍らに膝を折ってしゃがむ。



「五の外周地には、年寄りが多いんだ。みんな腰が曲がっていて、竿に手が届かないっていうから…」


「逸人坊は届くのかい?」


 逸人はムっと目を据えて貫介をにらんだ。


(別に、背が小さいことを当てこすってるわけじゃないんだがな……)


「あはは…。すまんすまん。しかしぃ~、おじさんの肩より高い位置にあるんだぞ?」



………………………………………………

貫介は逸人が独自の工夫をして背が届かない不便を克服していると知り、感心する。

………………………………………………



「頭がいいなぁ~、逸人坊は……」


 逸人は無言で手を動かしながら、聞いていない振りをして、実はひそかに頬を赤らめていた。



 *――俺は好きだけど。勉強とか、運動とかより、洗濯が得意なお前も……



(なんで “あいつ” のことなんか思い出してるんだよ――……) サラシを揉む手に、ついつい必要以上の力が入る。皐月がひょっこりやってきて、そのつど皮肉を言いあったり、一緒に弟妹たちの面倒をみたりするのが楽しいと思い始めてることは否定しない。でも――……、やっぱり素直には言えないでいた。


「み…、光彦たちなら寺に行ったよ……」


「え?」


倫黄寺りんこうじって言うんだ。和尚様は暴動とか、妖魔の襲撃にあって親を亡くしちまった子たちの面倒をみながら、字の読み書きとか算盤とか、色々教えてる。奎王けいおう様が五年くらい前に建ててくれた寺だって…」


「ああ。そういえば、李彌殷リヴィアンの何処だったかぁ~、そんな名前の寺が建ったけなぁ。はっあー、光彦坊らがあそこになぁ~。大したもんだ」


 感慨深げにうなずく貫介を、逸人は不思議そうに見つめた。


「おじさん、李彌殷(リヴィアン)にいたことあるのか?」


「え…ッ、……ああっ! そうそう。あの “皐月” っていうお兄ちゃんが言っていただろう? おおッ…、おじさんは、染物屋さんで働いていたことがあってなぁ~、よく品物を下ろしに来てたんだ」


「ふーん。……――じゃあ、……さぁ」


 貫介は目を瞬かせて、逸人の背中を見つめた。


「なんだい?」


 逸人は洗い終えた三角巾を絞ってパンパンと叩き、ふと口を開いた。


「俺、これから用事があるから……」


 本当は、その帰りに買ってこようと思っていたのだが――。


「……塩」


「しお?」


「お塩買ってきてくれよ。母ちゃんたぶん、切れてるの知らないから」 


 市場の道、分かるだろ――? 



 貫介はゆっくりと持ち上げた右手の人差し指で、自分の鼻を指差した。





◍【 弓道場にて―――台閣の高官・朝灘あさなだとの会話 】


塩を買い求めにきた貫介だが、集金中の蔓萄橋一家に遭遇。金を借りたことがあるらしく、逃亡した彼を追いかけ、捕まえた皐月は、ある場所へ連れていくことに……。

……………………………………………………



 そこにはいつも、溌剌とした音だけが響く。

 指先に見える黒い点。あれを狙い続けて、実はもう、一ヶ月が経とうとしている。



「ふーん、けっこう様になってきたじゃん」


 この声は――……、振りかえった逸人は目を剥いた。


「皐月っ!」



 皐月が庭先の番犬をなだめるように、唇に人差し指を当てながら歩み寄ってくる。うるさいと言いたいのだろう。ハッとして押し黙った逸人は、苦虫を噛みしめた。



…………………………………………………………………

柴の往診に “お手伝い” としてついていった帰り、竹で作ってもらった弓の玩具がきっかけで、弓道を習うようになっていた逸人。弓の名手・啓が、休日を利用して開いている弓道場へ来ていた。

そこで皐月は見事な腕前を披露するも、良家の子息と思しき門生たちに冷ややかな視線を注がれる。

…………………………………………………………………



「……んな所に、…しに来たのか」

「油を……ている暇があ…ら、一刻も早く……の情報を集めるべき……うに…………」



………………………………………………………………

貫介は少し気の毒に思いながらも、制することができる立場でもなく、八年前の大旱魃だいかんばつを振り返る。

お妙や湛砂じんざのような人間には慕われている反面、彼ら花人はなびとに対し、不信感を拭えない人々の影があることは、浮浪人として、いつ何処をさ迷っても、変わらない現状だった。

悪態をつくその口をつぐませたのは、皐月が放った二射目。前方に放たれたはずだが、あり得ない横風、向かい風に乗ってUターン。

………………………………………………………………



「ひいいいぃ…っ!」


「大丈夫ですかー、刺さっちゃいましたかー」



………………………………………………………………

さらに、誰何すいかを叫んで押し寄せてきた門生らを、渡り廊下の途中でなだめ、押し返しながら現れた指南役―――朝灘あさなだが場を執成す。

………………………………………………………………



「さすがの新隊長殿も、どうやら、よからぬ茶々が入っては、手元が狂うと見える。どうです? せっかくですから、仕切り直すついでに、正装をまとってみては?」


 お貸し致しますよ? と、気立てよく自分の弓矢を差し出してくる、目元の和やかな男。

 その手をじっと見つめて、皐月はしかし、しばらくすると顔をそむけた。



「……いや、今日はもう終わりなんでしょ? 俺、別にここに用があってきたわけじゃないから」



………………………………………………………………

皐月の放った一射目は十分見事だったが、実はわずかに狙いを外していた。そのことに納得がいかず、構えた二射目であった。それを見抜いていたかのような朝灘を、只者ではないと認知した皐月。一方、共に弓道場をあとにした貫介は、逸人の荷物を持ってあげようとするが……。

………………………………………………………………



「も……、持とうか? 一応おじさん、奉公人なわけだし……」


 ぎこちない笑みを浮かべて、手を伸ばした。―――が、ふつりとその不器用な笑い声が消えた。


 その沈黙の意味を背中で読みとって、皐月は嘆息をもらした。


「いーんだよ、放っておけば。そいつは豆チビのくせに、なんでも一人前ぶる、生意気な奴なんだ」



………………………………………………………………

貫介の手助けは断るのに、意地悪を言う皐月には、むしろ荷物を持たせようとする逸人。

………………………………………………………………



「どうして……」


「え?」



「あ…いや、その――……、ワシだって荷物くらいは持てます。なんでかな…、と」


 心なしか寂しげな横顔に、啓はなぜか、見入ってしまった。



………………………………………………………………

信頼というものは、どこから湧き出すのだろう……。今でこそ普通に接しているが、自分はまだ、他人に説明できるほど、皐月について理解しているわけではない。むしろ、 “秘められたまま” であることを、あらためて意識し、考え込む啓。

………………………………………………………………



「僕もよく分からないし、初めは批判してた側だったから……。人って、先入観や印象から入るでしょ? だから――……」


 ちゃんと見つめようと思えるようになったのは、最近の話だ。

 彼を、この先も視続けることでしか、多分、確められないことだから。


「本当のことを知らない相手から、冷たい態度を取られるのは辛い――……。でも、起きてしまった現実に変わりはない。何をどう説いても、言い訳にしかならない」


 言葉ほどそのためにあって、無力なものはない。



「花人だからってわけじゃなく――……、いずれにしろ、 “行動 ” で示すしかないのかな、……と僕は思うけど………、おじさんはどう?」


 自嘲が混じった、ぎこちない啓の笑みから、逸人の楽しげな年相応の笑顔を見やって、貫介はただ目を細めた。




※)2021年05月20日に投稿した内容と同じです。分ける形にしました。

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