目次2:期間限定〝極道〟体験……?
◍【 完全防備。蔓萄橋一家の恐慌 】
「なんだてめぇは。何用だ」
詰め寄ってきた連中を、嘉壱は入り口に近いところに立って眺めていた。
(……やっぱり、いつにも増して浮き足立ってやがる、コイツら) 殺気立っているのではない。その証拠に一歩、身を乗りだして凄んできた男の膝は、今にも砕けてしまいそうな音を立てて震えている。
「……頭」
「あ…っ、ああん!?」
「頭ハゲてるよ?」
彼らが対面しているのは、たかが十六、七の少年であるというのに……情けない。
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蔓垂河という碧い河川を挟み、花街を臨む一帯には、接待向きの食事処や、高級菓子の名店などが軒を連ねている。
どこも裕福で、いつしかその証として、川沿いとなる店の裏手に、葡萄棚を作るのが習わしとなり、彼ら蔓萄橋一家は、とりわけ大きなそれを中庭にも仕立てたが、 “芋蔓一家” とも揶揄される、死なばもろとも・団結必至の輩であった。
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*――支柱がなければ、蔓延るばかりのどうしようもない奴らだ。いっそ葡萄より、芋の蔓の方がお似合いさ
と、飛叉弥が勝手に呼び始めた愛称だが、確かに似合っていなくもない。
高層の老舗旅館のような立派な邸の主は、現在そのすべてを放棄して行方不明。
かわいい子分たちが、今、どんな思いにさらされているのか……、この状況をどう凌いだらよいのか、心臓がはちきれそうな緊張状態の中、現に縋るものを失って、磁場にはまった羅針盤のように目を回していようとは―――。
(想像してないわけじゃねぇだろうけど、ちょっと異常ぞ? これ……)
「ははっ…、ハゲてるんじゃねぇーよッ!! ハゲさせてんだよッッ!!」
「じゃあ “禿松さん” じゃなくて、 “ハゲ松さん” でいい?」
「喧嘩売ってんのかテメェはっッ! そんな安い挑発には、のの…乗ってやれんこともないがぁ、今は止めとくぞっ……」
ビビりのブレーキ操作は優れている……。賢明な判断だ。
「ここのオジサンたちをナメちゃダメだぞお~君ッ! 腕っぷしも強いけど、堪忍袋も超おお~お強靭だからねッ、そのうち切れると思うけど、まだ余裕だからッ、余裕綽々だからっッ、いい子だから今のうちに退散しなさいっ!!」
と――、禿頭の男が唾を飛ばしながら諭している背後に、嘉壱はさりげなく視線を配った。詰めかけた彼らは、ざっと見で十人―――。
皐月は残念そうに肩をすくめた。
「一家ってのは、これで全員?」
「な…ッ」
「ナンバー2は誰? どこにいるの?」
「なっ、ななん――?」
「 “ナンバー2” ……若頭のことだ。お~い赤松ぅ~。いるんだろ? 下っ端じゃ話にならねぇ。隠れてないで出てこいよー」
嘉壱は見かねて前にでた。後半はその “ナンバー2” に放った台詞だ。
しーんと静まり返った豪奢な玄関先――、折り重なっていた子分たちが振り返ったそこには、膝を抱えて丸くなっている甲冑姿の男が一人。
「……あ…、兄貴。呼ばれてますぜ?」
「おおうッ!?」
「おい赤松。なにビビってんだ。俺だよ、俺」
「かか…っ、あんた花連の…ッ!」
なんだ、そうか。正体が分かればなんてことはない。
ガチャガチャと、武具の触れ合う物騒な音をたてて進み出てきた落ち武者――、赤松の阪馬は、嘉壱の両手を涙目にすくいとった。
「うちのお頭知りやせんかぁ~~~…っッ!!」
「ああ~…と、その事なんだけどよぉ……」
◍【 貫介、とりあえず、格好から生まれ変わる 】
一方――。
貫介は長い長い沈黙の中にいた。お妙は市に藁を売りに行くといって、半時ほど前、出かけて行った。部屋にいるのは今、自分だけだ。
*――まぁ、好きなだけくつろいでいくといいよ……
貫介はお妙の笑顔を思い出して、ようやく身じろぎをした。背中を丸めて、ずっと胡坐をかいていたためか、膝を押して立ち上がろうとした瞬間、ビリリっと脹脛に衝撃が走った。
「あ痛っ…たたた……」
(どれだけ硬くなってたんだ俺は……)
痺れを揉みほぐしながら、背後にさりげなく置いて行かれた物を見つめ、手に取る。
新しい衣―――。桶の中に手ぬぐい、その上に剃刀。
以前着ていたものも取っておいてあるのだろうが、これは一度も袖を通していない新品の衣と分かった。見覚えのない、青丹色の染生地だ。
◍【 皐月、とりあえず、格好からなりきってみる 】
「はぁ~…」
肩を落としながら廊下を歩いてきた赤松は、ふと湛砂の部屋に人影があるのを見て、目を剥いた。
仰天の事情を明かされてから、半時が経った。これから一体、どうすればいいのやら――……。
「ちょ…っ、ちょっとちょっとちょっとぉー!!」
「ん?」
部屋に飛び込んできた赤松を顧みて、皐月は目を瞬かせた。
「なんだ。ナンバー2か。どうかした?」
「どうかした? じゃないッスよ皐月の旦那っ! 勘弁してくださいよもぉ~。勝手に漁ったりしたのがバレたら、お頭にどやされますってぇ~」
奪い取った着物を、慎重な手つきで衣櫃に詰め込みなおす。
「話は?」
「はい?」
「…………嘉壱から聞いた――?」
「……服なら俺のを貸しますよ。お頭のは、ど派手なのばっかりで、とてもじゃねぇが着られないでしょ? どうぞこちらへ……」
言い終わらないうちに身をひるがえした赤松の後に続いて、皐月は部屋を出た。
「こっちからも幾つか、聞きたいことがあるんだけど……」
「なんすか?」
「 “奥さん” ……いるんだよね、あの人」
赤松は「そのことですかぁ~……」と、思わず立ち止まってうなだれた。
「ええ、まあ一応。飛叉弥の旦那と張る、大の愛煙家でしてね」
名前は “隆里” ―――。
「きゅうり?」
「殺されたいんすか、あんた」
「 “お隆さん” ね。で、その人どこに行ったの?」
「それがぁ~……、今朝までは、邸にいたんすけどね?」
赤松はたどりついた一室の入り口を開け、「どうぞ」と先に上がるよう促した。
皐月は八畳ほどの部屋の中央まで進んだ。
そもそも湛砂の妻が在宅であれば、自分の出る幕などなかったかもしれない。
「 “極道の妻” でしょ? 少なくとも、ここに残された男連中よりは度胸ありそうな気がするけど」
「実はぁ~……、うちのお頭と姉さんは、一応、恋愛結婚ってやつでして」
年は湛砂と二回り近く離れている。
「物好きだね」
「……へい」
赤松はフォローしきれなかった。
「今日は、二人にとって大事な大事な、年に一度の記念日なんです」
初めて一緒に風呂に入った
「……。結婚記念日じゃなくて?」
「……。へい」
旅行を兼ねて、混浴温泉に行くのが恒例なのだが、ついに忘れられたと、怒って出て行ってしまったのだ。
「でもいるよ? そういう万年新婚カップル」
「か……かぷ?」
皐月は、赤松の万年床の上に胡坐をかいて座った。決してキレイとはいえない部屋にも眉ひとつ動かさず、むしろくつろいだ様子で、ため息をなどつきながら言った。
「俺の、昔の知り合い――……」
「昔の―――すか?」
(妙な言い回しだな……) 赤松は自分の着物をあさっていた手を止めて、肩越しにさりげなく、皐月の背を見た。
*――じゃあな、赤松。俺は帰るから、せいぜい頑張れや
*――ちょちょっ…、菊嶋の旦那ッ!
赤松は踵を返そうとした嘉壱を、慌てて呼び止めた。
これからどうすればいい? 湛砂を探しに行かせた奴らも、まだ帰って来る様子がないし、他のもっとやばい黒幇と、下手をして揉めることにでもなったら……
*――知らねぇよ……。お前は不良少年の保護者か? 心配だったら迎えに行きゃーいいじゃねぇか。弱ぇくせして、義侠心だけは一緒前な奴らばっかだし、マジであり得るかもしれねぇぜ?
*――じじ…ッ、冗談はよしてくださいよっ!
*――とにかく俺は「帰れ」って言われてるからぁー……、おっと
嘉壱は踏み出しかけて、最後にもう一度だけ赤松を顧みた。
*――言い忘れてたけど、あいつの本当の名前は “須藤皐月” だ。 “治郎吉” とか名乗ってたがぁ……、たぶん、街ではそう呼べってことだろ
「あのぉ……」
「んー」
皐月は、退屈そうに反応した。
「本当に、いいんすか?」
「なにが」
「いやー……、だって、飛叉弥の旦那は今回のお頭の頼み、断ったんすよねぇ…」
赤松が何を言いたいのか、その語尾に、順序だてて推理する探偵のような響きを感じとって、皐月は鼻を鳴らした。
「断ったけど、断り切れなかったから俺に回してきたんだよ。はじめは面倒くさいと思ったけど、あんたらのお頭、結構根性あってさ。蹴り飛ばして、追い返そうとしたんだけど結局ダメで、確かにすっごい迷惑なんだけど、もらった甘納豆食べてたら、別にどうでもよくなったって言うか―――?」
(なんだそりゃ……)赤松は額に汗を浮かべて半眼になった。
「面白そうだったし……、どうなるかなってさ。それに、代わりにやるのが俺の役目みたいなものだし」
「ああ…、大変すよね。わざわざ遠~い遠ぉ~い摩天の国から “代行” ってことでお勤めに来るんでしょう?」
「あんたらのお頭とは今日会ったばかりで、どういう人間なのかは、よく分からなかったけど。でも……」
“あの人” のことは、一応信用しないと、なんにも出来ないから――……、俺。
赤松は、ぽつりぽつりと漏らす皐月の背中に、無意識のうちに見入った。
話の流れから推察するに、“あの人” とは飛叉弥のことだろう。以前、市場で五十鈴と一緒に歩いているところに出くわしたっきり見ていないが、果たして変わりないだろうか――……。
近ごろ妙な “うわさ” を聞く―――。
「なに?」
「ああいや…っ、別に。……ほら! ありやしたよ。これなんてどうです? あんまり着てないから汚れてもいないし、飛叉弥の旦那もよく、こういう感じの着てたりするでしょう?」
皐月は広げて見せられた銀白色の着物をじっと見つめてから、「じゃあ違うのがいい」と背中を向けた。
「えっ!? なんでっ?」
(なんで拗ねちまったんだっ?) 赤松は手にした着物と、皐月とを見比べてうろたえた。(よく分からねぇ人だなぁ……) 皐月の態度ときたら、もう口も利かないといった様子で、本当に子どものようだ。
何が気に障ったのか、気づくまでだいぶかかった。
「…………、もしかしてぇ~…、飛叉弥の旦那と同じになりたくない……とか?」
皐月はぷいっとさらに顔をそむけた。(弱ったなぁ~…) 赤松は次にどう切りだして諭そうか悩んだ。
「う~ん……、気持ちは分からないでもないっすけどねぇ~。他人と被るってのは、確かにあんまり、いい気分しねぇ時もあるしぃ。でも、完全に区別がつかなくなるんだったらともかく、性格や言葉使いには、大分違いがあるみてぇだから、俺は気にすることないと思いますよ? 久しぶりに会ったり、遠目からだったり、人ごみの中ですれ違ったり初対面だったりすれば、ぱっと見――「あれ?」って反応をされるかもしれねぇけどぉー……」
案外すぐに、錯覚だと気づく。
「気づいてもらわないと困る……」
「大~丈夫すっよぉ。年も背格好も違うし。俺も次からは完璧に判りますッ」
たださっきは―― “飛叉弥に似ているから飛叉弥? ” と、頭が勝手に処理しようとしただけだ。
「そういえばぁー……、なんで似てるすんか? 二人は。普通の兄弟でも、なかなかそこまでは似ないっすよねぇ」
赤松は拒否された着物をしまい、新たな候補を漁りはじめた。
「赤松さん」
初めて――しかもいきなり名前で呼ばれて、赤松は一瞬ドキッとした。
皐月は背を向けたまま、手の平を上にした右腕を、肩より少し後ろへ出した。
「は……、はい?」
「さっきの白い着物…………、あとさ、悪いんだけどサングラスとかぁ……、マスクとか」
「さ……? さんぐ?」
「あるわけないよな。顔を少しでも隠せれば、何でもいいんだよ。これでも一応、台閣にばれると、まずい立場なもんでね」
「だったら一層のこと、その言葉遣いも改めて、まったくの別人に成りすましちまうってのはぁ~……」
「え~…」
すんなり同意してくれると思ったのだが、皐月はいかにも「面倒くさ~い」と言いたげに目を据えた。
「しゃべらなければ済むことだろ?」
「済みませんよっッ! ヤクザにだって仕事はあるんすから!!」
「サイコロ転がして、遊んでればいいんじゃないの?」
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親分代行を遊び感覚で引き受けたっぽい皐月。
正体を隠しながら、できるだけ湛砂になりきろうとする彼に助っ人が現れる。
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「ヤッホー! 今日のご機嫌はいかがっすかぁ~、親びーん」
「ひぃっ!」
「ネズミだあ…っ!」
ネズミが出たぞーッと、慌てて追い出そうと駆け寄ってきた子分たち数人の頭を飛び石に、ひょん、ひょんと宙返りした二匹のネズミが、華麗な着地を決めた。
「お困りのようですねぇ、親分」
青丸だ。
「また盗み聞きしてたのか、お前ら」
「とっ、とぉーんでもない!」
「ウソつけ。全部、聞いてたんだろ?」
肩に駆け上ってきた蕣に、皐月は目をすがめる。
「とにかく、噂を聞いて駆けつけて参りました! オイラたちがお役に立てる日が、ついに来ましたねぇ兄貴ぃ!」
また噂か。
「青丸、蕣。お前ら、今日のことはくれぐれも――」
触れ回らない……、ように…………
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なりきりレッスン開始。
湛砂になり切った皐月は、青丸、蕣、蔓萄橋一家の男衆に付き添われ、いざ、滞納者のもとへ。
だが、付け焼刃の江戸っ子口調が、上手く発動しない。なにを言わせても、すべて棒読み、もしく片言。
ぽかーんとする荒屋住まいの夫婦。その腕に抱かれていた赤ん坊に、マラカスのような玩具で頭を殴られる。
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「痛。……」
撃沈した皐月を前に、我に返った子分たちが唸りをあげる。
「よくも親分をたたいてくれやがったなぁ!」
「一生懸命やってるのにぃッっ!」
果敢に立ち向かってゆく青丸と蕣だったが、あえなく赤子にオモチャにされる。
青丸のしっぽの毛が毟り取られた。
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皐月は今更ながら、これを機に、なぜラナマ二匹が江戸っ子口調なのか知らされる。星石拾いとして、当初は隕石・鉱石などのお宝ハンターだった青丸。
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「あっしらラナマには “たどり路” の習性が具わってるんで―――」
見つけたご馳走のもとに、蟻が仲間を引き連れて戻れるのは、自分たち特有のニオイを辿っているから。
「それと同じ原理ですよ」
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青丸はしかし、界口から転がり出てきた東扶桑(和風文化圏)の珍品を拾ったのを機に、骨董商と通じる現在の道へ転向。いつしか、教材として書物なども探し求めるようになり、界境内の “流動” を読む研究を重ね、洞窟前で、お座りして待つ今に至った。
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「集めてるのはどんな本?」
「好色本です」
「…………。」
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一方の蔓萄橋一家は、水運などの同業・同郷者が立ち上げる、互助を目的としながらも排他的な組織―― “幇” でありながら、 “寇蔓” という多国籍海賊団がルーツ。様々な界国の船員を束ねていたが、東扶桑と南壽星の出身者が主だったため、陸に上がってからも、二文化が交錯する界隈で、葡萄酒や舶来品、各国の珍味を取り扱ってきたとのこと。
湛砂の美人妻・隆里も、元は東扶桑系の妓楼にいた妓女だと語られ―――?
※)2021年05月20日に投稿した内容と同じです。分ける形にしました。




