目次1:還りたくても還れない男たち……。
“ 秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ ”
《 秋の野原の風情というのは、薄があってこそ 》
“ 色々に乱れ咲きたりし花の、かたちもなく散りたるに、冬の末まで、頭のいとしろくおほどれたるも知らず…… ”
《 しかし、咲き乱れていた花が散り果てた後も、頭が真っ白に乱れ広がってしまったと知らず、風になびいて、ふらふらしている様子は、昔を思い出しながら佇んでいる人間のよう――― 》
“ 道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今さらさらに 何か思はむ ”
《 薄の下陰で、物思いでもしているかのような南蛮煙管。自分も、この花のようにうなだれて、色々と思い、迷うこともあったけれど――― 》
あなたのことはもう、忘れたほうが、よろしいのでしょうか。
◍【 序章……。帰りたくても帰れなあああーーいっッ 】
森が続いている。
幾重にも蛇行した道の先に、この国最大の豪華絢爛たる城郭都市が、今日も泰然と待ち構えてくれている…………、はずだった。
場所は王都・李彌殷の北東――屡祥県、倶那陣市鎮。
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ひゅるりと、翻るような笛の音が聞こえてきた。背中を丸め、うつむき加減で歩いていた四十八歳・職業不定無職――貫は、ふと足を止めた。
いくら小さな街とはいえ、あまりに人影が少なかったので、変だと思っていた。
「さあさあ! もう仕舞いだ! 最後だけでも、見てかにゃ損だよ? そこの人!」
何やら見世物が開かれているらしく、調子の良い金髪の大黒天が、通行人を呼び込んでいる。ときおり、拍手と歓声が沸いていた。
「あれは――……」
踊り子というより曲芸師――いや、奇術師というやつだろうか。赤い房飾りのついた剣を右手に、金の玉やら銀の輪やら、放り投げては吸い付くように戻ってくるそれを、発火させたりして。
まるでこの世の者とは思えなかった。そこだけ、見事な別世界が作り出されている――……。
「花の都! 李彌殷で名を馳せた、かの舞姫が満を持して再降臨ッ!」
嫦娥の新たな神業を会得し、いざ王都へ返り咲こうと道すがら~?
「よッ! 紗雲ちゃん世界一っ!」
………………………………………………
路銀を失くした花連一行。貫は旅芸人に扮した彼らの金稼ぎの場に遭遇した。
――――【 諸事情 】――――
一時ほど前になる―――。
* * *
「…………路銀がない」
その一言をきっかけに、状況は一変した。
「なにぃぃぃいいいいーーーー…っッッ!?」
異口同音、山間に木霊した驚嘆の大音声。
目と鼻の先に集結した面々に、皐月は普段とまったく変わらない寝ぼけ目で続けた。
「いやぁ、よりによって、紛失したのが路銀用にとっておいた金だなんて笑っちゃうよね。何が起こるか分からないから、旅ってのは面白いんだよ。……ってことで、さっそく探しに行ってくれ。俺はあっちの方を探してみるから…」
さりげなぁ~~く歩きだしたその襟足を、むんずとつかんで引きもどす。
「どうすんのよぉ! 李彌殷まで、あと何日かかると思ってんのおっ!? このまま歩きじゃ帰れないんだよ? 少なくともあと二回は、船を乗り継がなきゃ辿り着けないんだから!」
便乗させてくれる寛容な水運業者がいるのは、水の都と謳われている都内の話だ。余所でタダとはいかない。むしろ、ぼったくられることだってある。
「皐月のバカっ!」
啓から容赦のない一言……。皐月は寝ぼけ目のままだが、さすがにむくれた。
「……なに。責任とれって言いたいの?」
「当たり前だッ!!」
黒同舟関連と思われる被害報告を得て、例の如く向かった任地で待ち受けていたのはしかし、淡々とした、誤報としての事実確認と情報処理だった。
「結局ムダ足に終ったその帰り道で、ただでさえ足取り重い私たちの背中に、なんでそう重荷を増やすような人泣かせが平然とできるのよっ、あんたって奴はもぉーッ!!」
「…ったく、世話が焼けるぜ。だから村を出る前に、ちゃんと確認しろって言ったのに。ほら万歳ッ!」
ひょいっと両手を上げさせられた。それから懐の中、腰周り、靴の中にいたるまであちこちと探られ、仕舞いには荷物をすべてひっくり返して漁りだした嘉壱と満帆、啓を尻目に、皐月は緩慢な動作で、遥か彼方の山稜を見晴らした。
ふと、口元に自嘲がにじんだ。目縁にうるうると浮かび上がってくるものがある。朝日を弾いてやけに眩しく、それは輝いて感じられた。
「あれ、誰かが俺を呼んでる…? 呼んでるよねぇ」
「…ってこら待て! そっちは崖だろ!! いやッ、界口があるんだきっと! 柴ッ!」
「お…っ、おお!」
嘉壱に振り向かれた柴は、慌てて引きとめに走った。逃げたいのは分かる。お前に突きつけられる現実は、いつも酷としか言いようのないものだからな。
「だが逃げるな皐月ぃ~~ッ!」
「放せぇ…ッ!! 俺は何も悪くないからッ! 勝手にどっか行っちゃった路銀が悪いからッ。出てきたらキツーーく叱っておいてッ! もし出てこなかったら仕方ないから、お前たちの煮えくり返るような怒りは、帰って即行、犬の糞と一緒くたにして、飛叉弥の顔面にぶつけてやれば、すべてがいつか笑い話で済むと思うから俺を逃がしてッ!!」
「逃がしてたまるかっッ!」
と歯を剥きつつ、容赦をなくしきれない柴を見かね、進みでてきたのは、冷静沈着につき、誰に対しても中立的な男―――。
「逃がしてやりたくても、できないと分かっているはずだぞ」
勇は手足をばたつかせている皐月の首根っこをつかみ、どれほど抵抗されようと、喚かれようと、ロボットの歩幅を崩さず、ズルズルと引きずっていった。
「いっ…」
ぽいっと、同胞たちが作って待っていた円陣の中に皐月を放りこみ、勇は軽く鼻を鳴らした。
集団リンチ発生から五分……。
「痛。…………」
地べたに突っ伏した皐月は、強か蹴られた尻を押さえて落ち込んでいた。
「お前ら、この俺を誰だと思って…」
「むしろ何様だこの野郎。言えるもんなら言ってみろ」
「お前たちの隊長様だぞ、この野……」
べしッ。
「痛。…………」
引っぱたかれた額も押さることになり、皐月はようやく現実と向き合った。
もはや右を見ても左を見ても、前後を見ても、逃げ道らしい逃げ道はない。
「…………俺をどうするつもり?」
◍【 たくさんお金集まった。さぁ、帰ろうとしたら弟子入り志願のオッサン現る 】
本当に一肌脱がされると思っていなかった皐月。金輪際、紗雲にはならないという決意を込め、化粧を落とし、戯台裏――雑木林の中で着替え中……。
………………………………………………………………………………
「ありゃぁー…」
皐月は目を見開くと同時に振りかえった。
ポカンと間抜けな顔をしてそこに立っていたのは、ボロ雑巾よりも汚らしい格好をした、旅人らしき一人のオッサン―――。
皐月は硬直を解くと、慌ててゴミ同然に脱ぎ捨てた衣装を拾い集めた。
「あのぉ~…」
「な…、なに。あ…、あんたまさか、この事をネタに、俺を脅そうってんなら…」
「は?」
「へ」
同じような顔をして、互いはしばし見つめあった。
先に我に返ったのはオッサンの方だった。
「ああ! 違げぇます違げぇます…ッ! 確かにさっきは驚きましたけど、わしは別に、あんたが女だろうが男だろうが構わんのですよっ!」
天下一品の技芸を、この若さで―――しかも、異性に化けていたなんて、信じられない。お仲間の余興も、自分が言えた立場ではないかもしれないが、なかなかのものだった。
「小猿の坊やの軽やかさに、樹木のような、あの男の人たちの成りきりぶりときたら…………。御見それしましたッ!!」
「……。」
「あのぉ~、わしぃ~…、貫って言いますぅ。実はひとつぅ、どぉしてぇぇぇ~~~もお願いしたい事がありましてぇ……」
次に放たれた言葉が、フリーズしていた皐月の思考を、一瞬にしてフル回転させた。
◍【 新たな…… “同類” ? 】
「ぇぇぇぇええええ…っッッ!?」
「――て、わけだから」
あまりの衝撃に思わず立ち止まりかけたが、
「どういう事だよ…ッ」
平然と歩き続ける皐月の横に、嘉壱は小走りで追いついた。チラリと後方に目をやる。
「また変なもん拾っちまいやがって……」
「……仕方ないだろ。俺たちの一座に入れて欲しいって、頼まれちゃったんだから」
「…ったく、なに考えてんだよ。俺たちは一応台閣の役人なんだぞ!? 旅芸人じゃない! それを次の公演場所とか言って、李彌殷に連れ帰ってどうしようってんだよぉ!」
「さーね」
「さーね、ってお前ぇ……」
嘉壱は言い募ろうとしたが止めた。
皐月の口元が笑んでいる。途方もない思いでいる自分たちとは対照的に、確実に開けてゆく林道を、待望の眼差しで見据えている。
もしかしたら――……と思った。思っただけで、確かな根拠があるわけではないが、半年以上付き合えば、さすがに彼の習性くらい、心得てくる。
皐月は澄ました顔の下で、なにやら企んでいるようだった。
「興味があるなら付いてくれば―――?」
「出たな? このスカシ野郎」
◍【 ダメ親父と、でき過ぎ妻・しっかり者息子の再会 】
李彌殷南部――第五番外周地・宇伊裏村。
逸人は例の如く、満足げに空を見上げていた。
真っ白に洗いあげ、干し終えた敷布が、かすかな風になびいている。
十一月に入って、いよいよ水が手にしみるようになってきたが、これは自分の仕事だ。おろそかにはできない。それに―――
“褒めてくれたやつがいた” ……――だから一層、一生懸命やろうという気がわいてくるのを、もはや否定しようとは思わなくなってきていた。
「あっ…、こら夏見!」
無邪気な笑い声が、せっかく干した敷布を目がけて突っこんできた。鳥にでもなったつもりなのか、頭から被ったそれを引きずりながら、端をにぎった手を羽ばたかせて逃げていく後を追いかける。
「なつ…」
逸人はふと立ち止まった。次に見た夏見は、家の表で鉢合わせた誰かに抱え上げられていた。前腕に布製の黒い手甲――、交領の黒衣の上に象牙色の外套をまとっている。
逸人は見慣れているはずの目の前の “彼” に、眩しさを覚えた。
呪文を唱えなくとも、一瞬で、より本格的な武装を整えることができる、なかなか凄い能力を持ってるのに、今一冴えないというか、頼りないというか、へな猪口だけど、一応この国期待の救世主―――。
皐月は、こちらを向いて微苦笑した。
「ほら」
腕にからめた敷布を差し出しながら、歩み寄ってくる。
「いつとにーちゃん。さつきがきたよ?」
「うん。分かってるよ」
………………………………………………………
「興味があるなついてくれば……?」
実をいうと皐月は、貫介にも同じような言葉をかけた。言われるがまま、付いてきたこの男は、街中を抜け、外周地に向かっていることが予想されてきた辺りから無口になり、何故かそわそわとして落ち着かなくなった。
………………………………………………………
(まさかとは思うけど……) 嘉壱は目を細めた。貫介の横顔はやけに真剣で、それでいて、どこか輝いて見える。
“……妙さん――……”
お妙はふと顔をあげた。
「お妙さん」
「え――? ああ、なんだい、さっちゃん」
「今日は仕事、休みなんだ?」
「宵瑯閣のことかい――? そうそう。お陰様で、酌婦の仕事は減らせるようになっんだよ。でも、やっぱり女将さんを手伝ってやりたい気持ちもあってねぇ。あの人にも、随分お世話になったから……」
「ねぇ、お妙さん…」
「うん?」
お妙は笑うのをやめて、皐月の顔を見た。
「ほら、あそこに……」
◍【 五年ぶり――夫婦の会話 】
皐月はお妙一家の下僕となり、住み込みで働くよう貫介に命じて立ち去った。
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「あの少年は一体……」
普段は薄暗い、六畳ぽっちの小さな部屋―――。何を考えているかと思えば、貫介はぽつんと、胸中で煮詰まっている疑問をもらした。
お妙はため息をついた。
「さっちゃんは……――いや、本当は “さっちゃん” だなんて呼び方しちゃいけないのかもしれないねぇ」
“須藤皐月” といえば、今や李彌殷では言わずと知れた少年だ。召喚されない限り、華瓊楽には来ない異界人のため、その姿や人格まで把握している人間は、まだまだ、ほんの一握りだが――……。
あの、八年前の蝕害による未曾有の国難を阻止した、対黒同舟花連の花人。
「…… “はなびと” ……?」
「気づかなかったのかい? まったく……。彼と一緒に旅をしていた人たちは、みんな北紫薇の萼からきた花人さ。瞳にそれぞれ色がついてただろう? あの子は特別な事情があるらしくて黒眼だけどね。確かに、李彌殷に駐留している花連の大黒柱――、彪将さまが新たに迎えた一員であって、隊長同格と目されてる生粋の軍人だよ」
「たたた…っ、たたッ、隊長おお~~~ッッッ!? そ…っ、そんな! まだあんなに若いのにかい!?」
貫介の驚きようといったらなかった。
「おおっ…、俺は! そもそも彪将さまにだって、一度も見えたことがなかったし、そんな気軽に会えるような人じゃねぇと思ってたし、現に知り合うようなきっかけもなかったしっ! 五年近くも李彌殷を……っ、離れてた、もんだから……」
すまん。
最後の方はほとんど聞こえなかった。だが、一応謝罪と受け取ったお妙は、静かに立ち上がると、やりかけのまま放っておいた繕い物をしに、貫介の背後の陽だまりへ向かった。
「あんたが出て行ってから苦労もしたけど、いい人たちにも出会えた。そうそう、彪将さまは、さっちゃんそっくりでね――?」
「どど…、どうすっかなぁ~。知らなかったとはいえ、俺はまたとんでもねぇことを~~~…っ」
貫介は頭をかきむしった。
(相変わらずブツブツ、念仏唱えてるわけじゃあるまいし、染師なんかにならないで、寺の坊主の仲間入りでもすりゃあよかったんだ……) 内心でぼやきながら、お妙は貫介の背中から手元に視線を戻した。
「さっちゃんは、人を無闇に咎めたり裁いたりしないよ。あたしらみたいな溝臭い貧乏人のところへも、なんてことない顔で様子を見にきてくれるんだ」
挙句の果てには、借金まで肩代わりしてくれっちゃったんだよ?
「え……?」
「誰かさんが残していったやつさ」
「信じられないだろう?」と、おかしそうに笑うお妙を振り返った格好のまま、貫介は何も返せなかった。自分の知らない話が、まるで異国の言葉のように聞こえる。
思い返してみれば、ここには元々、自分には無い記憶が住みついていた。一見しただけで気づく者もいるかと思うが、この家族は皆、血の繋がりがない。
繕い物をするお妙の背中におぶられて、くてんと寝ている子を、貫介は知らない――……。
「なあ…、妙さん……」
両手で持った湯飲みの中は、うんと濃い抹茶色――……昔は、この十倍薄い茶をすすっていた。澱んで見える器の中に浮かぶ自分の顔を、見つめれば見つめるほど惨めさがにじみでてくる。
この茶碗には見覚えがある。お妙のと一対であったはずだ。この湯呑みが目に入るたび、ある日から、居た堪れない衝動にかられるようになった。
自分にはそぐわぬ代物。――体格で負けているからではない。この人よりも大きく深さのある器を、持てる気がしなかった。
「その背中の子は――……、なんて言うんだい?」
「んー? ああ “眞子” って言うんだ。拾ったときに来てた服に書いてあった。かわいいだろう? 一年前に、貧民街近くのお堂の中で泣いてるのに気づいてね」
「そうか。あの子は―――、逸人は確か、光彦よりもずっと前に拾ったと言っていたはずだがぁ…」
「あはは。やっぱり気になったかい? 一番年長なのにチビ助で、まったく……」
お妙は独り言のように言った。
「体は小さいけど、しっかりしてるんだよ? 逸人はとにかく呑み込みが早い。私は勝手に、聡明な人の子だったに違いないと思ってるんだ。責任感は強いし、下の子たちの面倒もみてくれるし……」
ただ、少しだけ心配なことがあった。八年前に始まった、かの砂漠化による華瓊楽の転覆危機―――。当時はそれなりの舞妓として稼いでいた自分も、お金があるだけでは、どうにも生活できない現実を知って困惑し、うろたえた。
「大飢饉か……。あんなことさえ起こらなかったら、きっともっと違う人生があった。妙さんはキレイだったから」
「だったってぇ、今はキレイじゃないってのかい?」
「あっ、いや~~…」
お妙は、はっはっは! と顎下の肉を揺らして、とりわけ豪快に笑った。
「いやだねぇ、冗談だよぉ~。別にあたしは、今が幸せならそれでいいんだ。でもねぇ……」
母性と言っていいのか、 “育ての親” としての意地と言うのか――……。
そんな自分の中だけの戦いにこだわってきたせいで、あの子に、変な気を遣わせてきちまった。
「気づいてたんだけどね……。私じゃ、どうにもできなかったんだよ。そんな逸人だから、さっちゃんを慕ってるんだ。さっきも生意気なこと言って、口ではいくら取り繕っても、他の兄弟たちと同じように、甘えたくて甘えたくて、仕方がないんだよ――……」
誰よりも信頼している。みんなを護ってくれる。そう信じて憧れているような眼差しに、お妙は気づいていた。
花人は役目の上でも、定めの上でも、逃げることが許されない―――、決して許さないと自分に課しているという……。
それにくらべて――――。
「俺は――……だめな男、……だな」
今にも、消え入りそうな声だった。両膝の上で、拳をにぎりしめたまま沈黙する背中に、お妙はため息をつきながら少し笑った。
「あたしは好いてるよ? 今でも……」
「勝手に出て行ったんだよ? こんなに頼りない男のこと……、子どもたちが、同じように受け入れてくれると思うのかい?」
貫介が励ますような答えなど欲していないことを、お妙は知っていた。五年前と少しも変わっていない。こう見えて頑固で、一途で、自分にはどこまでも厳しい、真っ直ぐな眼をした人だった。
だから、自分を勝手に不甲斐なく思って、姿を消した。
「さあ……、どうだろうねぇ。私には裁けないよ」
どうせなら “あの子” に、直接聞いてみればいいさ―――。
◍【 待ちなさああああーーーいッ。逃走常習犯捕まる。鬼畜からの追加任務 】
皐月は何食わぬ顔で、摩天に帰ろうとしていた。
………………………………………………………………………………
「よかったのか……?」
「なにが」
切り返された。(……分かっているくせに)
「逸人は家を出ていった父親を恨んでた。知ってるだろ? それを、よりによってあんな風体のまま……」
四歳の頃の話だから、顔までははっきり覚えていなくても、特徴などは記憶に残っているかもしれない。
「もしも、バレちまったら~……」
「どうしようもないね。俺は単に “キッカケ” を作ってやっただけだよ」
「…ったく。妙なところでお節介焼きやがって。つーか、一体どこで、あの貫介とかいうオッサンが、逸人の親父だって分かったんだよ。根拠は? さっき、染物屋がどうとか言ってたけどぉ~…」
「なあ、嘉壱……」
「――?」
「ねぇッ、ちょっと皐月ッ! イッチ~~~ッッ!」
聞こえてきた呼び声に、「やっぱりいいや……」と、皐月は顔をげんなりさせた。嘉壱は彼が何を言うつもりだったのか、答えが出るわけでもないのに、しばらく考えていたが、呼びかけの主が、そろそろ辿り着きそうという頃合いになり、後ろを見やった。
満帆は、たどつくや、ヘロヘロとその場に座り込んだ。
「よかったぁ~…。間に合ったぁ~~……」
第五外周地から一番近い界口といえば、この絶壁の真下にある楠の大木だ。上から見ると、縦長の王冠のように、外側に向かって枝先が反れている。
周りの樹皮だけ残して立っている煙突状で、飛び込むとしたら、真上からのみ―――。
「待ってッ!」
すかさず踏み出しかけたその腕を、満帆は咄嗟に抱えこんだ。
「待って待って皐月っ! 飛叉弥が呼んでるんだってぇ~~ッ!」
「だから帰るんだよっ! クソッ。なんか嫌な予感がすると思ってればこれだもんな。俺は帰る。絶対帰るッ!」
「お…、お~い」
「ぅん――…っ!」
「くぅ――…っ!」
一進一退の攻防。死に物狂いの両者に、嘉壱はやれやれと長いため息をついた。
加勢を決めたのはどちらの側か―――、言うまでもないだろう……。
◍【 侠客・湛砂、いざ尋常に「お願いッ!!」…………顔面に蹴りを食らう 】
「これ。つまらねぇもんですが、よかったら~~……」
あえて、萌神荘に立ち寄らずに帰ろうと思ったのは、まさにこういう展開を防ぐためでもあった。
重い沈黙。
鳴門海峡の渦潮? ……にそっくりな旋毛と、差しだされた菓子折を膝元に、皐月はしばらく無言を通した。そして、ふいに口を開いた。
「つまらねぇもんなら今すぐ持って帰って、一生帰ってくんじゃねぇボケ、あほ、カス、馬鹿」
「ひどッ…!!」
てか、キャラ変わってねぇ!? この人、なんかキャラ変わってねぇ…っっ!?
顔を跳ね上げるや否や、すがりついてきた湛砂に、嘉壱は明後日を見た。 (どうしてこいつが萌神荘に……)
「心配するな。ハハ…。元からこうだから、たぶん」
「そんなぁ! 俺は若旦那なら、どうにか頼まれてくれるって聞いて待ってたんですぜ? すっげぇいい奴だからって。懐が広くて、めっぽう強くて、話の分かる漢だからって! でも実際、そうは見え…」
「なんだって……?」
皐月は湛砂の顔面に蹴りを入れると、グリグリいわせながら右足の裏を捻じ込んだ。
「てか、あんたは俺を誰だと思ってんの――? そうは見えなくて悪いけど、これでも一応、花連の隊長やらされてんの。体に鞭打って頑張ってんの。確かに日雇いみたいなもんだけど? 別に仕事が少なくて困ってるわけじゃないし、相談窓口作った覚えも、万屋になった覚えも、個人に私用で呼び出されたり、小遣いつかませれば喜び勇んでお使いに行く、ハナタレ小僧扱いされる覚えもないから早い話はあんたをボコりたくてうずうずしてるわけ今。え? なに―――?」
俺みたいなガキが、でかい口叩きやがって、そんな大それたこと出来るはずがないって……?
湛砂はハッと目を瞠って諸手を上げ、ブンブンブンブン…ッ! と風を起こすほど振りまくった。
部屋の出入り口近くに正座し、一部始終を見守ってきた満帆は額を覆った。
……このままでは、冗談抜きで血祭に上げかねない。湛砂を蹴散らし、フンと鼻を鳴らす皐月に、思い切って挙手してみることにした。
「ね…、ねぇ皐月? 話くらいは聞いてあげてもいいんじゃない? ほら! 聞くだけ聞いてみて、やっぱりダメ! って分かった時点で、追い返したって別に…」
「話を聞いて厄介に思ったから、あの人は俺に回してきたんだろ」
「う…っ」
実にその通りなのであった。人払いをしていたので、直接用件を聞いていたわけではないし、満帆はただ、捕獲してこいと言い渡されただけだが……
*――どうせだから、来たついでにもう一件……
中庭を眺めながら紫煙を吹き、ニヤついただろう飛叉弥の口元は、容易に想像できた。
皐月の推測があてずっぽうではない証拠に、最初に相談をもちかけられた当の彼は、いち早くトンズラを決めたらしく、すでに邸のどこにも姿が見当たらなかった―――。
「頼むぜ若旦那…! この通りっ!」
あらめて額を床に叩きつけ、頭の上で両手を合わす湛砂には、もうこれっきり、顔をあげるつもりがないようだった。
飛叉弥とは以前から、お互い色々と貸し借りがあって、時には一緒に酒を飲み交わすことも、あるとか無いとかいう仲であるらしいこのオッサン……。またオッサン…………。
皐月はいつまで居座られても困ると考え直し、ため息をついた。
「…………んで、湛砂さん。ご職業は」
「極道です」
皐月は無表情のまま固まった。
「そうですか。それでは、あちらにある出口まで、係りの者がご案内しますん…」
「えええぇ――――…っッッッ!! てか、係りって誰…っ!?」
「たぶん俺……」
やっぱりな……と湛砂を内心哀れみながら、膝を押して立ち上がった嘉壱は、片付けにとりかかった。
「いやホント…っ! 一日でもいい…ッ! とにかく堅気になりてぇんだよ! もう、あんた以外に頼れる人はいねぇんだよぉ…っ!」
仮とはいえ、華瓊楽の台閣に仕えている以上、黒幇の頭を代行して欲しいだなんて、飛叉弥の旦那が承知しなかったのも無理はねぇ。分かってる。だが、そこをなんとか…ッ!
「 “フェイバン” ……?」
「ああそうだ! 華瓊楽でいう闇社会の人間のことだ。俺は金貸し屋で、博打場もいくつか抱えててぇ………いや、そんなことはどおでもいいとして」
「どうでもよくないでしょ。俺も一応、台閣の役人なんだけど」
「あんたは特別だッ!!」
引きずられ、あともう少しで部屋から放り出されるところを、湛砂はふたたび、皐月の膝元に、勢いあまってつんのめりながら戻ってきた。
確かに、ただ事ではないらしい。事情を聞いて一度は断ったが、いつになく真剣な様子に、飛叉弥も無視できなくなったのだろう。
「お願いしやす…ッ!!」
握りしめられた拳が震えている―――。皐月は脇息に頬杖をついている影で、さりげなくそれを見ていた。
「あんたさぁ……」
がばりと顔をあげた湛砂の両目は、充血気味に大きく見開かれている。真剣なのは分かった。分かったが
「俺になんか恨みでもあるわけ?」
「めっそうもねぇ! 若旦那、あんたの評判は聞き及んる。巷でも、ちょっとした噂になってるんですぜ?」
「うわさ?」
眉をひそめたのは嘉壱だ。
「へい。あっしも昨日、邸の囲いの向こうで、誰かが立ち話してたのを聞いて…。はじめは驚きやした。代行なさっているのは、花連のお役目だけじゃなかったんだなぁ~、ってぇ――……」
*――ある時は一夜にして、百六十万金瑦もの売り上げ金をかっさらう某酒楼一押しの “華” ……
*――ぇええ…ッ!?
*――と言われている、子持ち酌婦の “旦那” 代わり
*――ぇぇえええ…ッ!?
*――つーことはだ……、子どもたちにとっては “父親” みたいな存在になるわけよぉ。それも六人
*――えええええええーーー…っっッ!!
「さらにさらに、暇な時間をみつけては、外周地の無知なガキどもを相手に、夜中の “色々な遊び方” について、指南してやってるっていうじゃねぇですかぁ~! いやぁ~、まだお若けぇのにぃ………、恐れ入りやす」
「誤解だ」
頬を朱に染めた湛砂は、最後の台詞だけ慎ましく、口元に拳骨を添えて咳払いをしながら言った。
彼の様子から察するに、 “ガキども” というそれは、もう “純粋無垢な年ごろのガキども” ではないだろう。明らかに、大人の階段、全速力で上り詰めようとしている類のガキどもだろう。
そんな奴らにご教授する “遊び方” ってなんだ。夜中じゃなくて “世の中” の聞き間違いじゃか? 色々な “河原遊び” が世の中にはあるって話の聞き間違いで、間違いないんじゃないか? 野球とか、サッカーとか、花冠の作り方が、なんで夜遊びの類にすり替わってるんだ。
もし本当に、こんな風聞が広まっているのだとしたら一大事だぞ。下手をすれば、台閣のお偉方に呼び出されかねない。これまであまり意識してこなかったが、花連を快く思わない連中も、この国にはいるというし…………。
皐月は無表情の両眼に、仄暗い思考を宿した。
即、発信元を探査・特定―――および―――― “始末” せねば―――。
「旦那……?」
極道なのだから、湛砂の人相は良いとは言えないが、あまり裏でコソコソと働けるタイプではなさそうだ。板前か、魚屋の店主のような仕事をさせても似合わなくはないだろう。威勢が良いといっても、せいぜいその程度の柄で、賭場を持ってるとか何とか口走ったが、飛叉弥に目をつけられて、堂々といかさま商売が出来るはずもない。
むしろ、「いかさまだあっ!」と派手に引っぱたかれて、サイコロ一振り分くらいは、軽くチャラにされていそうだ……。
散々けなしておきながら、皐月は無言で手土産の菓子折―――甘納豆の包みを広げて、数粒を手にとった。
「理由は何に。どうして突然、堅気になりたいわけ? 生まれ変わりたいの――? だったら殺すしか、俺にも出来そうにないんだけど」
「……。大した事できないみたいに、とんでもないこと出来そうだとか言ってるよこの人、役人の風上にもおけねぇよ、どっかの誰かさんそっくりだよ」
「一日でも構わないって言うけど、そんな、ちょこっとで済むような話じゃないんでしょ?」
「――――……」
どうせ、すぐには回答できない。湛砂が頭を掻きむしり、悩みまくった上で相談にきたことは、端々の態度を見れば分かる。
皐月は手にした甘納豆を、捨て置いていた入り口横の二人に向かって放った。
「お。サンキュー」
「あ…、ありがと」
見事、吸い込まれるように口の中におさまった粒を頬張りながら、嘉壱は軽いノリで礼を言った。満帆は咄嗟のことに反応が追いつかず、手で受けとめてから口の中に運んだ。
「皐月は食べないの?」
「甘っ!! てほど甘くないぜ? これ。金粉ついてるから、たぶん高級品」
「似てるからヤダ」
「似てる?」
「そ。ウサギのう…」
素早く放たれた匕首のような座布団が、皐月を打ち倒す。
嘉壱、満帆の「それ以上言うなっッ」の抗議で一気に騒がしくなり、飛叉弥がいたら一喝浴びせているところだが、湛砂はまるで別世界にいるように、強張った顔で正座を続けていた。
つばを呑みこむ。
*――いつまで黙っているつもりだ……?
飛叉弥にも呆れられた。でも――……、本当にいいのだろうか。
「じ…、実は――……」
湛砂は皐月を前に、その後、十五分ほどかけて経緯を述べた―――。
「て――…、わけでして…………」
「ふーん……――」
すべて聞き終えた皐月は、案の定素っ気なく――だが、あきらかに普段とは違う響きをもってくすりと笑い、頬杖の影で唇の端をつり上げた。
彼が、親切よりもお節介。お節介より冷やかし。同情心より好奇心で行動し、面白そうな事にしか、首を突っ込まないのは本当である。
そして、それは普通の人間にとって、 “厄介事” という以外の何ものでもなかったりするのだ――――。




