目次2:“恥ずべきことをしているつもりはない”
※)文字数容量の都合により、分割掲載に修正しただけで、内容は 2021.04.15 投稿分に掲載されていたものと同じです。
◍【 魔薬・ケリゼアンとの闘い、幕開け 】
事の発端は、一ヶ月前――。
*――ある地方の、晒し野とよばれる地帯に住む村人が、激しく争い、暴行されたような痕跡を残し、全員血まみれの悲惨な姿で発見された……
皐月は徐々に開けてきた前方の山襞を見晴るかしながら、飛叉弥の話を思い起こした。
現地の調査隊は当初、山賊か、餌を求めてやってきた妖魔の仕業と思って調べていたが、妙な形の痣を残している被害者が見つかったことで事態は急転――。
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「台閣は直ちに、この晒し野村の下流域にある地方都市と周辺地域に、一定の期間、地元の農作物や井戸水を口することを禁ずる通達を出したが、それから三日もたたないうちに、まったく別の場所で同じ被害が四件も起きてしまった」
そう――。華瓊楽では今密かに、ある病よる犠牲者が急増している……。
皐月は眉をひそめた。
「なにそれ……赤痢でも流行ってるっての?」
「そのまさかだ。正確には “色葉病” といってな。複数の植物から作り出される薬の副作用から発症する」
「感染症みたいなものじゃないの? どうして薬が関係あるんだ」
飛叉弥は沈黙を置いて、剣呑な色を深めた。
「現状は、毒性の強い農薬を飲み食いさせられたのと一緒だ……。薬名は “ケリゼアン” ――元来は、痩せ地での農耕を可能とする肥料の開発過程に携わっていたある医者が、飢えに苦しむ貧民のため、発想を転換して、栄養価の高い穀物を生み出そうと研究していた薬だ」
彼は人体に害が生じない範囲内でこれを利用し、稗や粟の数十倍に当たる栄養素と育てやすさ、空腹感を麻痺させる成分を兼ね備えた農作物の完成にこぎつけた。
だが、共同開発者の一人が裏切り、すべての研究資料を持ち去ったあげく、麻薬のような高揚感や依存性、幻覚作用が強く出るようケリゼアンに手を加え、妖魔の巣窟たる闇社会にばらまいた――。
公に出回った分はほとんど回収されたが、ある一定の量・回数を超えて服用した者が助かった例はない。
「食物連鎖の要領で体内に蓄積するほど強毒化するが、幻覚などの深刻な症状が出るまでは、本来の栄養剤としての効能を感じる程度で無症状に近く、毒物を摂取しているとは夢にも思わないそうだ……」
飛叉弥は舌打ち気味に続けた。
「一人だけ――……、解毒薬の研究に打ち込んできた医者がいるが、今日明日中に完成するとは思えん」
よって、現時点で有効といえる対処法は、汚染の有無を確かめた上で、ケリゼアンを散布されないよう井戸や田畑に見張りを置き、汚染が判明した土地に関しては配給を施す――もしく、仮設の村に移住してもらう。
とにかく、徹底してケリゼアンを口にしない。これに尽きる。
「俺たちも、自活できなくなった晒し野村民に食糧を届けるついで、移住希望者の手助けに向かわされるはずだったが、状況が変わった……」
賊や妖魔の仕業と思われていた晒し野村民の連続惨殺事件――、お前が華瓊楽に来て初めて対峙した妖魔――蛞茄蝓の異常繁殖、前回の湖虞霊による路盧襲撃も、ようするに、すべてがケリゼアンによって引き起こされた一連の事態だと判明したんだ。
先日、痩せ地に暮らす晒し野村民に、妙な肥料を売りつけていたという人物の目撃情報も入った。黒同舟の関与が濃厚となったこの時点で、花連が中心となり対処すべき案件となったわけだが――、
「厄介なことに、晒し野村民の惨殺事件に関しては、土壌や農作物からケリゼアンが検出されなかったケースもある」
いずれにせよ、これ以上の被害拡大を防ぐため、ある晒し野村に協力を要請し、そこにあえて “餌” を撒いてみることにした……。
「餌――?」
* * *
*――お前たちにはこれから、配給を要する村に現れる、久世安教信者――その復活を目論んでいる首謀者の捕縛に向かってもらう
◍【 新隊長皐月、のっけから、とんでもないことをやらかす 】
任地・茶万村にたどり着いた対黒同舟花連。だが、注目の的となっている新隊長・皐月は、村人たちが不安がるほど若い上に、あまり好印象ではなく……。
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「……なぁ。どうして今回、飛叉弥は来れなかったんだ?」
彼の性分を考えると、一番無念に思っているに違いない。
皐月は黙ってタイミングをはかっていた。ここまでは予定通りだ。
飛叉弥が直接関われない事情も、この先の本当の展開も、知っているのはごく限られた者だけ―――。皐月の脳裏にいつぞや聞いた涙声がよみがえった。
*――みんな……、自分のことばっかり……っ!
色の良い蜜柑を取り合って喧嘩を始めた子どもを見つめ、ため息をつく。
「いいか? 嘉壱……」
嘉壱は、ふと口を開いた傍らの皐月を見下ろした。腕組みをして壁に寄りかかっている。妙に静かだ。前髪が邪魔で、その目許は見えない。
「今から俺、ものすごい不機嫌になるからヨロシク」
「はぁ? …って、おいッ!」
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皐月はいきなり嘉壱を殴りつけ、あれこれとため込んできたらしい不満を爆発させる。
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「やっぱり無理だって言ってるんだよ。お前らとは――。褒美がもらえるわけでもないのに、この俺が何日もただ働きだなんて……」
ぞっと寒気がしそうな声だった。
村人たちの表情が変わってゆく。なんとなく状況をつかんできたようだ。しかし当の嘉壱は、まったく意味が分からない。だが、それが逆にリアルさを高めていた。
「む、無理って、何が…」
「何がじゃないだろッ!」
皐月はさらに畳み掛ける。
「服も汚れた。クソ、体中埃まみれだ」
何が埃まみれだ。普段、頭に葉っぱがくっついていようが芋虫が乗っかっていようが、気にしろっつても気にしない美的センスゼロ野郎が、なにを寝ぼけたことを……。
「皐月…ッ!」
裾をはたきながら歩き出したその背が、どこか遠くに行ってしまいそうに思えて、嘉壱は思わず叫んだ。
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ケリゼアンに土壌が汚染されている可能性がある茶万に届いた、台閣からの配給。
皐月はそれをことごとく粉砕し、村人の怒りを一身に浴びる。
嘉壱が皐月を気にかけることが多くなり、最近、ますます敵視するようになっている啓、信用を得るために華瓊楽の人々に尽くしてきた薫子が激高する一方、満帆や嘉壱は、豹変した皐月を不審に思い……。
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◍【 事情を問いただした嘉壱の驚愕、動揺、決意 】
本当にいきなりだったのだ。ゆえにわけが分からない嘉壱は、ごく自然に被害者の立場へと仕向けられた。
それもこれも皆、彼の計算どおり――……。
* * *
「ふざけんなッ! お前…っ」
胸倉を手繰り寄せる。
「なに怒ってんの。怖いよ? 顔――」
ふざけているのは表面だけのようだ。皐月の眼の方が怖かった。
憤りと悔しさから、声が震えている嘉壱を茶化しながらも、感情的になるなと諌めてくる冷厳さは、やはりただ者ではない雰囲気をかもしている。
だが、これが感情的にならずにいられるか。まったくもって信じられない。こいつは何てことない顔をして、ひとが想像もつかないような痛みを一人、平然と背負い込んだのだ。
「配給された、あの果物に毒だと……?」
皆がそれぞれに、台無しにされたと思い込んでいる例の配給物。そこには直に、ケリゼアンの脅威が及んでいたというのである。
しかも、現段階では一定量を超えて食さない意外に、ケリゼアンの薬害を回避できる術はない。
ゆえに、こいつはその解毒法を、自らの身をもって探り当てるという――――。
「村の人たちには悪いけど、茶万村の配給は故意に止められてるんだよ。台閣から届くはずがない――」
◍【 飛叉弥の賭け。皐月は乗った――回想 】
* * *
「いずれにせよ、これ以上の被害拡大を防ぐため、ある晒し野村に協力を要請し、あえて “餌” を撒いてみることにした……」
「餌――?」
言葉とは裏腹に、自信があるわけではなさそうな口ぶりの飛叉弥に、皐月は独特の危険な香りを感じとって聞き返した。
これは単なる腹減らしや、自我を失って狂暴化したような連中ではない――ある邪悪な目的を持った人間だけが引っかかる罠だ。
「配給を止める――」
この一言だけで、すべてを理解したように皐月は目を閉じ、鼻で笑った。
「……なるほどね」
土壌汚染の被害が深刻化すればするほど、台閣の対応能力も、民衆の警戒も高まり、いずれは被害拡大の流れが鈍化することになる。もう、その段階に入っているといってもいいのだろう。
敵が今一つ悪あがきできるとしたら、台閣に対する信用や、安心感が広まってきたこのタイミング――。
「配給の運搬に使う箱には、安全を保障するために台閣の刻印が入っている」
「その配給が、届かないはずないのところに届いたら――――それは、完全にヤバい代物ってことだね」
「遅れているだけで、届かないわけじゃないと……、村人を含め、そのように思い込んでもらう。だが、実際には要請を取り下げてある状態にして、配給の信用性を利用し、それ自体にケリゼアンを仕込んで配り歩いている奴がいる可能性を潰してみようと思う――」
飛叉弥はここで伏し目がちになり、声を落とした。
例の “痣” を残した死亡者だが……、都市部からの配給が届けられたにも関わらず、惨劇が避けられなかった事例の村から出たのだ。
「土壌汚染が確認されたわけではなかったが、検査結果を待つ間、念のために配給を受けることにしていたそうだ。そこに、生まれたばかりの乳児がいてな――……」
黄疸が五日以上続いたため、母親が都市部の医者に預けていた。だが数日後、紅葉のような形の痣が出てすぐに死亡が確認された。
麻薬化されたケリゼアンには、血管を傷つけ、内出血を引き起こす作用がある。
これが、得体のしれない疫病のように扱われていた当初、ケリゼアンによる薬害症状を “色葉病” と呼んでいた理由である。
「妖魔や山賊の襲撃に遭う環境とは無縁――しかも、住んでいた村は結局汚染されていなかった。そこにきて、台閣からの配給以外、口にしていなかったはずの母親から生まれ、乳しか飲んでいない赤ん坊が、色葉病を発症して死亡した――ということは……」
少なくともこの村に関しては、配給に直接、ケリゼアンが仕込まれていた可能性が高い。
「話はだいたい分かったけど――……、一つ聞いていい?」
「なんだ」
「台閣の信用を利用する手段だって、周知されれば通用しなくなる。犯人が自ら繰り返していれば、捕まるのも時間の問題だろう。それこそ大量に薬があるなら、その辺の田畑や水源に散布したり、妖魔に餌付けして都を襲わせるほうが、テロ行為としては効率がいいと思うんだけど」
飛叉弥は、皐月が疑問に思って尋ねてきているわけでないことに気づいていた。言わせようとしているのである。この事態の終極部分を――。
「お前がにらんでいる通り――……すでにその仕掛けは、あらゆる個所に施されていると見て間違いない」
今回の一件を引き起こしたのは、十中八九、二十年前と同じ犯人――そいつが集大成として仕掛けてきていると言っていい状況だろう。
「だから、解毒薬が必要ってわけね」
「そうだ……」
実は、智津香と知り合ったのも、その生成に協力を依頼されたことがきっかけだった。
* * *
「花人の生命力は人間の数十倍……、蓮家の血筋ともなれば、数百倍なんだって――?」
異物に汚染されにくいという特徴もあるらしいあの人の血肉に、どれだけ近い結果を出せるか分からないが――。
安心してほしい。そこそこ匹敵するらしいのだ。
「それに俺、一回でいいから、 “三途の川の畔に立ってみたい” と思ってきたところがあって……」
「……は……――?」
嘉壱は思わず鼻で笑ってしまった。だが、胸が痛い。眉間が、声が――震える――――。
「今回は俺自ら、あの人の代わりを引き受けることにしたんだよ。智津香にも、柴にも反対されたけど…」
「反対するに決まってんだろ…ッ!! 俺たち花人だってなぁ…っ、命粗末にしていいわけじゃねぇんだ…っッ!!」
ましてやお前は……っ、ただの人間なんだろ――――?
皐月は自嘲気味に笑いながら、嘉壱の手をぺしぺしと叩いて胸倉から外した。
「お前は俺を、鬼の仲間に入れたいんじゃなかったっけ――? せっかくだから、少しだけ見せてあげるよ」
人間離れしてるって一面を―――。
「……冗談じゃねぇぞ。ハハ……。頭どうかしてるぜ、お前」
ただ、正気の沙汰じゃねぇってだけだろうが。バカだとは思っていたが、まさかここまでネジが飛んでいるとは――。
嘉壱は思考を整理しようと、その場を行ったり来たりした。笑い飛ばしながら、一方で我慢ならない感情が湧きあがってくるのを感じた。
つと足を止めると、満タンになったそれは、握りしめた拳から全身を石のように硬くした――。
◍【 動機は “他人の役に立ってきたことがないから”――? 】
村の外れに一人で暮らしてきた澤眞は、皐月らが滞在することになり、久々に孤独感を忘れることができた。謎の皮膚病を患う彼女は、それを隠していたが、見抜いた上で触れ合いに来た皐月に、彼の人間性を垣間見る。
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澤眞はしんとした部屋で一人、いつもの薬を塗っていた。
数十年に渡り、ボコボコと繰り返しでき続けてきたいびつな発疹のために、腕も顔も首回りも、汚らしいほど荒れてしまっている。ひどいところは化膿していた。
何が切欠だったのか、思い当たる節もなく、感染症とも限らないからと言って、自ら村の外れに住まいを移した。
保爾には、仕方が無い、いいのだと苦笑しておきながら、当初は毎晩のように鏡の前で嗚咽した。
今はもう、村の子どもたちを怖がらせずに済むだけで、十分心穏やかに暮らせている。だから、こんな気味の悪い包帯だらけの女が作った食事でも、平らげてもらえた今宵は、いつにもまして気持ちが凪いでいた。
今も口元がほころんでしまって、そんな自分がまた、おかしい――……。
「痛くない? それ」
この上、声を掛けてもらえるとは――。
驚いて振り返ると、そこに立っていた皐月が微苦笑した。
「長年悩まされてきた、皮膚の病って聞いたけど」
「えっ? い、いえ。その、これはっ……」
「どれ、ちょっと診せて――?」
対面に胡坐した彼が腕をすくい取った瞬間、澤眞は反射的にその顔色をうかがってしまったが、皐月は変わらぬ穏やかな目をしていた。
まるで、灯火を映す玉露の内に、黒曜石を見ているかのような美しい瞳だ。
「須藤様はお優しい方ですね――……。お嬢様が慕っておられるはずです」
都の暴動で亡くした、父親の余繁を重ね見ているのかもしれない。心の穴を埋める存在として――。
「それはどうかな。俺より、ひいなの方がしっかりしてるし…」
皐月は目を閉じておかしそうに笑うが、澤眞には確信があった。
「旦那様は、ひいなお嬢様にとって自慢の父親で、何より、絶対的な正義の人です。確かに、八年前の大飢饉を経験した子どもたちは、大人と変わらないくらいたくましい子ばかりですが……それもこれも、須藤様のような方々の背中を、当たり前に見て育ったからでしょう」
誰かが身を削らなければならないことがあるのは、子どもたちとて分かっている。
「でも、何故よりによって、今回のような命がけの大役をお引き受けに……?」
「……――さぁ、どうしてかな」
ひいなの父さんは、きっと善良な上に、人徳のある立派な人だったのだろう。
「俺は――……、あまり人の役に立ってきた記憶がないからかもしれない。迷惑ばかりかけてきたから。たまには、こういうのもいいかと思っただけ」
◍【 誰にも言えない心の叫び 】
智津香には息子がいた……? 眠りについた皐月にその面影を重ねながら、彼女は柴に、白眼を向けられながら闘い続けなければならない孤独というものを語る。
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“暑い” のか、 “寒い” のか……、ただそれだけ聞かせてくれればいいのに、
「患者はみんな、その一言を訴える間もなく死んでいく。色葉病は抗う隙すら与えず、錯乱状態にするや、一瞬にして人の命を奪ってしまう」
最期に、何を言いたかったのか――……。
智津香は、静かな寝息をたてている膝もとの輪郭を、そっとなぞった。
「なぁ柴……、 “あの子” も誰にもいえない心の叫びを、一人抱えていたんだろうかねぇ」




