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目次3:皐月、ぶっ倒れる……

※)紗雲として働くようになって一週間、思っていた以上に早く、借金返済に必要な金額を稼ぐことが叶った皐月。だが……、同じく借金地獄にはまっている同僚の酌婦・お妙が、取り立て屋から暴行を受けているのを目撃。手にしたばかりの自分の給料を叩きつけ、追い返したその流れで、貧乏大家族の問題に首を突っ込むことに……。

………………………………………………………………………………………………





「ねぇねぇ、兄ちゃん。母ちゃんは?」


「なつみ、おなかすいいたよ。ごはんまだあ?」


「まーだ。もう少し待ってろ。いま、兄ちゃんが鼈甲飴(べっこうあめ)作ってやるから」 


 (かまど)の前に立って、中を覗き込んだり、叩いてみたりしているのだが、さっきから火がつかない原因が分からないでいた。

  


  ド…、ドンドン

 

 ふいに、戸を叩く音がした。――こんな時間に誰だろう。危ないから、いつも無闇に戸は開けるなと、母ちゃんに言われている。

 警戒心こそあったが、怖いなどとは言っていられなかった。すかさず戸の前までやってきた少年は、その場に這いつくばった。



「だ…、だれだ?」


「……お(たえ)さん家の…、子どもか?」


「オタエ……? うちの母ちゃんは妙季(たえき)だけど…」


「あー…、そうだっけ?」


 くぐもった声――まだ若い。だが、何故か苦しそうな息遣いをしている。喉の奥から漏れる、かすれた音――。



 どうにかして飢えをしのぎたい落ちぶれ妖怪が、よく使う手だ。人間の着物を羽織り、化粧をして、紅を差した唇から、艶かしい女の悲嘆をもらす。

 今晩泊めてくれないか、とか、急に差込みがして、とか。

 足までは誤魔化せないと聞いたため、覗き穴のように欠けている引き戸の下部から確認する。


 冷たい風に、裳裾が時おりめくれ上がるのが見えた。藁の転がる地面を踏みしめている彼女は、どうやら人間のようだ。ちょっとだけならいいだろう。



「……なにか用?」


 明かりを背に、戸の隙間から顔をのぞかせた少年のあどけない眼差しに、皐月は準備していた事由を、思わず呑みこんでしまった。


「あ…、ああ。その――…」


 まさか、こんなに小さかったとは。確か話には、十歳と聞いたはずだが……。




                         ◇   ◆   ◇






◍【 逸人、皐月にビンタを食らう 】


 ※)母親のお妙が倒れ、自分が代わりに金を稼ごうと決心した逸人は、夜の花街へ。そこで待っていたのは、小汚い貧乏人を嘲笑あざわらう権力者と……?


………………………………………………………………………………………………



「坊主……、わしの邸で、雑用として使って欲しいとのことだが」


「そ、そうなんだ! お願いだよ。なんだってやるから…ッ!」


 どうか雇ってほしい。庭の掃除だってするし、お使いにだって行く。巻き割だってやって見せるし、


「そうだ! 洗濯物だって、ちゃんときれいに!」


 趙予(ちょうよはクツクツと、喉の奥で笑った。


「……冗談も体外にしてくれ。お前のような薄汚い小僧など、視界の隅にも入れとうないわ」


「な…っ」


 今度は水溜りに投げ込まれる。跳ね起きると同時に、逸人の頭を猛烈な何かが駆け巡った。

 感情が熱を帯びて、湧き上がってくる。

 趙予が去っていく。すかさず追いかけようと踏み込みこんだ瞬間、逸人はザッと音を立てて青くなった。

 ピタリとあご先に据えられた、冷たい感触。……気づかなかった。体温が急降下していくのが分かる。目と鼻の先に輝くそれは、紛れもない真剣の切っ先だった。


 見ると、柄を握っているのは若い男で、取次ぎを頼んだ奴とは別の凄みを持っている。

 切っ先そのものの如く、少しもブレない真っ直ぐな眼――。逸人が動けなかったのはしかし、その男の眼光に射すくめられてしまったからではない。

 両肩に触れている、人の温もり。

 気づかなかった。 “この手” が引きとめてくれなけれなきゃ、俺は――……。

 逸人はしばし呼吸を忘れて、その手の主を仰いでいた。

 奥歯を噛みしめる。何故か、無性に腹が立ってきた。

 

 放せ――…ッ!

 

 必死にもがくが、彼女の――いや、 “彼” の力の方が断然強い。

 口をふさがれたまま、地面に向かって無理やり頭を押し倒された。

 瞬間、屈辱的な思いに視界が歪んだ。



「お前は確か……」



 飛びついて行こうとした少年を後ろから抱きすくめ、無言で頭を下げさせた女を見て、周囲が再びどよめきだす。

 追求を拒むように、宵瑯閣(しょうろうかく)の舞妓――紗雲は、さらに深々と頭を下げた。

 勘弁してくれというのだろう。趙予は、はじめこそ呆気にとたれていたが、すぐに鼻で笑った。


「どうやらその坊主、知り合いのようだな……。構わん、(ひょう)よ。あまり大事になっても困る」


 後半は、剣を構えている男に向けた台詞だ。人々の忍び音が交錯する中、小声でやや早口だったが、嘉壱の耳には届いていた。

 幾重もの人垣越しにうかがっていたのだが、趙予(ちょうよ)が踵を返す後に続くと見せて、馮はこちらに一瞥(いちべつ)をくれてきた。


 さすが、同業者。



馮登剣(ひょうとうけん)―――。なんで、あいつが……)


 嘉壱は黙って、引き上げていく一団を見送る。




                         ◇   ◆   ◇





◍【 皐月、ぶったおれる 】


 ※)逸人にびんたを食らわせた皐月。働いて、お妙の力になりたいという気持ちを理解してもらえず、逸人は逃げるように帰っていく。その背中を見送り、武尊が現れていることに気づいた皐月は、彼にも冷厳な態度をとる。さすがに咎める嘉壱の声も聞かず、さっさと仕事に戻ろうとするが……。

…………………………………………………………………………………………………




  ガシャン…ッ!


 ガラスのぶつかり合う音に、とぐろを巻きかけていた思考が断ち切られた。

 何が起こったのか、初めは分からなかった。


「さ…っ」


 目に衝撃として突きつけられた光景に、言葉を奪われた。


「皐月…っ⁉」


 嘉壱は叫ぶより早く駆けだした。しかし、動いたのは武尊の方が早かった。


 大通りに戻る途中に、酒瓶の入った木箱が積み上げられていた。左側のそれにしな垂れた人影の肩の辺りが、弱々しく上下している。

 武尊には、彼が無理やり踏み出そうとすること――それが無茶であることが読めていた。

 案の定、木箱の壁を突き放した体は、三歩と行かずにふらつき、つと崩れ落ちた。

 なんとか抱き止めたが―――、泥のように腕の中から逃げていく体の重さに、武尊は荒々しく舌打ちする。


「おいおい、意識ないぞ、これ……」




                         ◇   ◆   ◇






◍【 萌神荘にはちょっと変わった侍女がいた 】


※)今日一日、ここでじっとしていろ。と、休養のため皐月が連れてこられたのは、玉百合たまゆりの部屋だった。そこには、家事を代行してきたという侍女―― “五十鈴(いすず)” がいて……?


………………………………………………………………………………………………




「 “五十鈴(いすず)” と申します。こうしてご挨拶できる日が来るとは――……、本当に光栄です」


 五十鈴は背筋を伸ばしきると、淑女たる雰囲気から一転、茶目っ気たっぷりに肩をすぼめた。

 斑のない満面の笑み。リン…と――一瞬、鈴が転がる音がしたようだが、きっとそれは彼女のイメージからくる幻聴だろう。



「貴方のことは、もうずっと前から知っています。いえ、知っている気がするだけなのかもしれないけれど――……」


 そう、おかしそうに語りだした五十鈴の瞳を見れば、常人のそれ。肩から緑の黒髪を流す(たお)やかな美女ではあるが、美しさの中にも、どこかコロンとした愛らしさを持っている。


 彼女から感じるのは、秋の早朝をひきしめる風情とは違う。

 朝露に潤い、漂う、柳の匂いがしてくるのは気のせいか。

 “白い鯉のような大魚の幻影” が、背景に視えるのは……




「 “人間” で――――……いい?」 




 五十鈴はこの問いに少し間をおいて、目元の笑みを深めた。




                         ◇   ◆   ◇






◍【 雉鳴谷きじなきだにの呪医 】

◍【皐月伝授――肝心なのは第一印象。 “あいさつの仕方” 】

    

※)玉百合らに、子供が小遣いを稼げそうな場所がないか尋ねた皐月は、聞き出した女医・智津香ちづかのもとへ、逸人を連れていくことに。

………………………………………………………………………………………………




「第五外周村落の宇伊裏(ウィーホン)村からわざわざ来ました逸人です。まだ十歳の生意気なクソカギの上にチビ助な不束者ですが、このたび人情温情限りなく果てしない須藤皐月様のご慈悲により突然お訪ねすることになりまして、申し訳ありませんが、こんな自分でも家族の生計を立てたいがために、何よりも皐月様のお計らいを無駄にするとなると、この上もなく心苦しいのでぇ――」

 


 頼むから、絶対に雇わないと泣く。

 


「泣いてやる。――はい」


 ずらずら~っと並べたてた最後に、皐月は繰り返すよう右手を出した。

 丁寧な言葉遣いの裏で、ひそかに脅しともとれる台詞をちらつかせ、自分の苦労を人様に代弁させる上に、泣き落としを教え込むとは。



 悪魔め……。しかし、逸人少年はあくまでも健気である。



「だ…っ、第五外周村落から、わざわざ来ました逸人です! 雇わないと泣いてやるので、絶対に雇ってください!!」


 結局覚え切れなかったらしい。大幅に略されているが、ペコッ! と頭を下げるその背後でつりあがった口端は、いかにも満足そうである。



 最悪だ……。卑怯としか言いようがない。柴はしかし、あえてその辺りのことについては触れないことにした。この子のためだ。明らかにふざけている “後ろの奴” はともかく、逸人の眼差しは真剣そのものだった。どうやら、並々ならぬ決意であるらしい。



「事情は分かった。俺は対黒同舟花連の木将、桐峰柴(きりみねしば)という。この診療所で働いてはいるが」


 あーとぉ……、


「…逸人(いつと)坊、お前を雇うか雇わないかを決める権利は、残念ながらないんだ」


「え?」


「ここの管理責任者は俺ではく、智津香(ちづか)という女医で…」


 柴は残りの台詞を飲み込んだ。

 突如、鼓膜を突いた爆音。窓ガラスが砕け散ったような音に重なって、人の叫び声が聞こえた。


「な…、なんだ?」


 皐月は反射的に腰を浮かせた。ただ事ではない衝撃を受けて、勇もさすがに目を見開いた。




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