目次6:救世主、死にかける……【完】
李彌殷が盲鬼と妖魔の襲撃を受け、大火に包まれる。皐月は、ひいなの安否を確認しに行く途中、この混乱に巻き込まれる。邏衛士にも退治できない凶暴な大型種を一刀両断してみせた彼が、都の中心地・四世広場へたどり着いた時、目にしたのは……。
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「……なんだ、お前一人か」
尊大に地上を見下ろすそいつは、男同然の物言いと立ち振る舞いでありながら、何故か、気高い美貌の女だと直感させる―――。
ひいなを尾行して見えた、昼間の女だ。
「仲間はどうした……」
女は不機嫌そうに声を低めた。
「伝言を送ったはずだ。お前はそれを聞いて、ここへやってきた」
「……仲間?」
皐月は鼻で笑い返した。
「俺はそんなの聞いてない」
「なに?」
「あんた何者? 俺になんの用があるの……?」
「はは…」
どうやら、事態は誰にも分からないところで展開されているらしい――。
肩を震わせ、女は喉の奥でくつくつと笑いはじめた。
「…はは、あはははッ!」
しばらく笑声は続いた。他人をほったらかしにして腹筋をよじる相手を、皐月は気づかれない程度に睨んでいた。
「小僧、これが何だか分かるか?」
「っ…!?」
女の足元に、花吹雪が巻き起こった次の瞬間、そこに現れた少女が倒れ伏した。その胸倉をつかみ上げて見せられ、皐月は愕然とした。
頭にカ…ッと血が上りかけたが、ここぞとばかりに夜目が効いた。気を失っているだけと分かって、なんとか踏みこらえた。
大丈夫。予想していた通りになっただけ。心の声と一緒にして、怒りを拳に封じ込める。
「その子を、どうする気だ……」
「さて。お前をこの場におびきだすための餌に過ぎなかったが、どうしたものか。これで用済みというのも惜しい。思いつくまで待ってくれ」
「ふざけるな……」
「ただ待たせるのも悪い。とりあえず、名乗ってもらおうか」
貴様は何者だ――?
◍【 鳴り響く鐘の音 】
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ひいなをさらった女(左蓮)を退けたのは、駆け付けた対黒同舟花連の七人ではなく、皐月の凄まじい霊応の暴走。新救世主として召喚されたはずの彼は、見事に少女を敵の手から救い出した代わりに、目を疑うような超常現象を起こした上、都を壊滅の危機にさらした。李彌殷の街並みの一部は建て直しが必要となったが、さっそく大工が腕を振るい、後片付けが進む。結局、何がどうなったかと言うと、こうなった。
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李彌殷襲撃から五日が経った朝、今日は、五月十五日――。
「……確か、 “お前にはなんの罪もない” って言ったよねぇ」
「言ったけか?」
とぼけるな。「全部俺が悪い」と自白したのを確かに聞いた。だから、疑いを抱きながらも安心して熟睡したってのに。
「なんだよこの請求書…ッッッ」
よほどショックなのか、見事に声が裏返っている。
それがおかしくてたまらない。顔面にたたきつけられてきた紙面の陰で、飛叉弥は肩を震わせながら、必死に笑いを噛み殺していた。
「お前に諸々破壊されたと主張する多方面から届いた。ちょっとした土産のつもりで、快く受け取って帰れ」
「なんでッ。俺は何も知らないッ」
「ほれ。またそうやって現実から逃げようとする。いかんなぁ。責任逃れしようとするなんて、花人として以前に、人間としてどうかと思うぞ」
「人でなしのあんたに言われたくないんだよ…ッ」
誰だって、こんな請求金額を目の当たりにしたら、夢だと思いたくなる。
皐月の主張はもっともだ。呵呵大笑している飛叉弥の背に、嘉壱は物言いたげな視線を送っていた。
九百六十万金瑦。摩天の金額にして、百二十万円だそうだ……。
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皐月は、請求書を握りつぶして投げ捨てようとした先に、迷い人の自分を都まで導いてくれた者たちの姿を認める。そこには、もじもじしているひいな少女もいて――?
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「ひいな――……」
じわじわと滲み出てきたものが、胸の真ん中を浸していく。
口を、歪めて行く。
勢いよく胸元に飛び込んできた彼女に、皐月は少し驚いたが、あえて何も言わずに抱き上げてやった。
「…ケガっ、させちゃってごめ…、…っな…さい!」
ごめんなさい――……嗚咽をもらす背中を見つめてから、皐月は目を閉じて苦笑した。
「お前は何も悪くない。気にしなくていい」
「だって…っ」
「なにも悪くない。その証拠に、俺をかばってくれただろ?」
お前は善い人間だ。いいか?
「それでも、人ってのは、あまり眼が良い生き物じゃない……」
本当のことを知ろうとする力も、その人にとって、生きていくために必要なくらいじゃなきゃ、そうは強くならない。
この世界は人と鬼、善と悪が境を失っている。よほどの眼力がなければ、見つけ出すことも、見定めることも難しい。
「迷い人には余計に――……」
だから、自分のためにはできないと言うのなら、いっそ、俺のためだと思って。
「お前は悪者じゃないんだから」
胸を張って、堂々として見せてくれ―――……。
二人の様子を、少し離れて見ていた飛叉弥は、皐月の何気ない台詞を味わい、ゆっくりと瞼を閉ざして微笑した。
「あ、そうだ」
と、ジーンズの後ろポケットをあさりだした皐月に、ひいなは赤く腫れた目を瞬かせた。
「ほら。お前が、作ってくれた髪紐」
なくさずに、ちゃんとしまっておいたんだ。
「……――これ」
見つめ返してくるひいなに、皐月は穏やかな眼差しで肯定を示した。
その背景には雲一つなく、果てしない蒼穹が、鮮やかに広がっている。
ひいなは、照れくささを弾き飛ばすように、心から笑った。
「結んであげる――……っ!」
× × ×
「…帰るようね」
とある楼閣の屋根上。――薫子は、抑揚にかけた声音で呟いた。
「……案外、いい奴なのかなぁ」
「どうだか」
満帆の何気ない見解を、啓は否定とも取れる刺々しい口調で突っぱねる。
もし、あいつが仮に、理解ある人間であったとしても。
「分からないよ……」
飛叉弥と自分たちが、今までどんな思いをしてきたのか。 “人にして人にあら不” という過酷な現実と、実際に戦ってきた自分たちの心中など――。
「奴には、想像も出来ないだろう」
腹の底に響くような柴の一言には、有無を言わさない雰囲気が感じられた。
皐月が今回、この国で知ったことは、まだ、あるかなしかの程でしかない。
罪人と蔑まれるだけでは済まされない。それが “花人” の真の歴史だ。
勇は仲間たちの見解を、終始黙って聞いていた。
白く反射している眼鏡の下から覗いた、藍色の瞳に映る、まだ十七歳の少年――。
「 “須藤皐月” ―――か……」
意味深な響きを吹き払い、青葉を舞い上がらせる瑞々しい風。
前途はまだまだ拓けてこないが、彼らが見下ろす李彌殷の王都は少なくとも、
五日ぶりの五月らしい晴天の下に、燦々と輝いていた――。
◍【 これから始まる――幕開けの時 】 完
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そろそろ、鐘の音が聞こえる頃だろう―――。
*
また、新たな鐘の音だ。
――あれから、四ヶ月が過ぎた。話を戻そう。
摩天の季節は、睡蓮の彩り鮮やかな七月を迎えたが、かの異界国は、秋色に染まり始めていた。
本当の物語は、ここから始まる――。
幼馴染宅で催された焼肉パーティのご相伴に、さぁ与ろうと箸をにぎった時だった。御馳走きらびやかなテーブル前から強制連行させられ、湖に棲む化け物退治を強いられた末にたどり着いた、本日、二回目の華瓊楽国王都・李彌殷。
なんでも、 “お国に関わる大事!! ” ……が待ち構えているらしいのだが、詳細は例のごとく、一切明かされていない―――。
× × ×
「ご到着だ」
一足先に石段を上りきった嘉壱が、萌神荘の門を潜った。彼が親指で示す背後から、一歩一歩と踏みしめるようにやってくる気配に、待っていた飛叉弥は口端をつり上げた。
《 それは、限りなき暗黒の果てにあり――…… 》
この物語は、泥沼のような闇の底―――あるいは、地獄の最果てと言っても過言ではない極地において、壮絶な戦いを繰り広げ、耐え忍んだ兵たちのすべて。
彼らははじめ哀れまれ、恐れられ、後に讃えられる存在となり、 “花人” と称された。
そして――……。
足音が近づいてくる。
《 その切っ掛けとなった人物の名を、 “須藤皐月” と言った――…… 》
ようよう最後の一段を踏みしめた少年は、ため息まじりに、楼門の下の暗がりから歩み出てきた。
人は、彼の瞳の色を “はじまりの色” と言い表す。夜明け前の澄み渡った天空。そう、今まさに明るみ始めた、この空のようだと――……。
「久しぶりだな」
にやりと歯を見せて出迎えた飛叉弥に、皐月も口端をつり上げた。
じきに夜が明ける。破滅と再生をかけた幕が――、
もう二度と、暁光を見ることはないと思われた帳の中で、
閉ざされてきた、その、異色とされる目が――――――――、
開く。
それで?
「今日は、何の用だ―――?」
【 END 】




