3:『谷散姫』――龍窟伝説
◍【 太蘿句の紅肅 】
花人の国・萼の西――太蘿句山に存在する龍窟・西深谷龍舟宮〈にしみたに・りゅうしゅうぐう〉の巫女に伝承されてきた昔話。龍と巫女の叶わぬ恋を描いた悲話。巫女は谷に身を投げてしまった。
太蘿句の龍に仕えた伝説の巫女・紅肅――。後に〝谷散姫〟と語り継がれる元天女で、神代崩壊直後、按主として太蘿句をおさえた龍・篁に仕えた。厳粛な雰囲気を放つその美しさは、雪中の紅梅、あるいは紅葉のようであったと言われる。※)以下『龍の眼は流願星を映す』より、当代の巫女について抜粋。
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「もし、俺に何かあって、あいつに刃が届きそうになることがあったら……」
その時は、お前が護ってくれるか。
「気に入ったんだろ――?」
青篩はしばらく表情をうかがおうと、そよいでいる龍牙の横髪のあたりを見つめていたが、とりあえずあっさり「そうしてやっても構わない」と答えた。
「茉都莉には、この山――龍舟宮の巫女を兼任させる。それでお互い手を打とう」
「ならば、お前が死ねば、龍舟宮の巫女という肩書の下、遺されるあの娘を屈服させ、好きにできるということか」
「……。」
まぁ、そういう可能性もなくはないなと、龍牙は半眼で、内心どうしようか迷った。
「我が一族が、羅羽摩龍王の傘下にあったのは確かだ……。だから、こうして萼の近くにとどまっている」
しかし、自分には天津標を守護した誇りを捨ててまで、地の者と――人と交わることを望んだ龍王の心が分からない。
「――……分からないまま、二千年近くもこの地をただ、ぼんやり見て来たのだ。羅羽摩の意志を継ぐかのように、血を薄めていくことへの抵抗も抱かず、人間と仲を深めていく夜覇王樹神の末裔たちを」
「龍王と俺たちの祖先は、ともに神代の終焉を飾った戦友だった。つかみ得ようとした未来は同じだったはずだ」
「ならばお前も、あの人間の娘と交わるつもりか」
龍牙はこの質問に、驚いた顔をして沈黙を置いた。
「……まぁ、今のところ、なるようになるとしか思ってないけど」
「お前のことだ。そうなる前に、呆気なく死ぬとも限らんしな」
「……。死んでほしいわけ?」
青篩はふとあらぬ方を向いて、目を細める。
「――……それも、分からない」
人と交われば、神は自ずと命を縮める――。
「思うことが、もやもやと霧のように形をなさない。こういう心の内を、なんと言って表したらいいのか……」
龍牙はおかしそうに、少しだけ笑った。
「 “複雑” ――――……、だな」
――【 ちなみに 】――
●後に夜覇王樹壺が拓かれる切欠となる、夜覇王樹の民の間で起きた内紛(八雲原の戦い)に加勢し、紅肅は篁とともに散った。現・太蘿句山の主・青篩は、自分が篁の子であることは間違いないと思っているが、母親が紅肅であったかは定かでないと言う。
●「夜覇王樹壺」とは、人原への平和貢献のための軍事援助をする花人(王家勢力=東天花輩)の本丸。




